思うこと
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2005年12月04日(日) |
クリスマスツリーにお神酒・・・「神基習合」 |
新聞折込広告に混じって入ってきた地域情報誌。季節柄クリスマスの記事。「ダム湖の畔りの大きな樅の木が、今年もクリスマスに向け電球がセットされ、ライトアップされました。飾りつけに先立ち、樅の木はお神酒で清められ・・・云々」とあり、樅の木に一升瓶が傾けられている写真が掲載されていた。 お神酒で清めるのは神道の儀式、クリスマスは勿論キリスト教の行事。(もとはといえば、ツリーを飾るのは、古代ゲルマン民族の、冬至を祝う祭に起源があるらしいが一応キリスト教の行事ということにしておく。「注」を参照のこと。) 宗教感覚の鈍い一般の日本人がこの記事を読んでも恐らく何とも思わない人が大半だろう(注2)が、もしこの記事を読んだ外国人、とりわけ一神教圏に属する欧米人もしくはイスラム教徒がいたとしたら、さぞかしびっくりしたであろう。 かつての神仏習合と同様に、自然崇拝と先祖崇拝に起源を発する、日本古来の神道とキリスト教が平和に共存しているのだから。いや、むしろキリスト教が日本人に都合のいいように表面だけ受容され、言わば換骨奪胎されていると言った方が正確かもしれない。まさに「神仏習合」のニューバージョン「神基習合」である。
(注:冬至を境として、徐々に日が長くなっていくことから、「太陽の復活」を祝うという意味合いがあり、また樅の木は恐らく、神道における榊と同じで、冬でも青々とした葉を茂らせていることから、神聖な樹木とされたのであろう。 キリスト教の影響を受けて、祝う対象がいつのまにか自然現象からキリストにすりかわったものらしいが)
(注2:ちなみに俺は、「神道、やるねえ!すごい環境適応力だね。」と感心した。)
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