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2002年05月11日(土) |
歴史は繰り返す?天保時代の再来? |
ようやく景気が上向いてきたらしいが、 バブル崩壊後現在までの日本の10年を振り返ってみると、景気刺激の為の公共事業を始めとする積極財政と、赤字国債圧縮の為の緊縮財政を、中途半端に交互に繰り返している。これって江戸時代後期の社会情勢と似てなくないか?と思った。 そもそも第二次大戦以来の日本の社会情勢の推移自体が、江戸時代を踏襲している。 第二次大戦の敗戦を、豊臣政権末期の朝鮮征服戦争に例えて(注1) 話を始めてみると、 戦後、高度経済成長を遂げた点。(注2) やがて成長の限界に到達し、経済成長がストップした点。(注3) そして場当たり的な財政改革が始まる。 かつて学校で歴史の授業で、 元禄バブル崩壊後の綱吉の貨幣改鋳による財政再建策(今でいうと、強制的円安誘導政策に相当)→享保の改革(緊縮財政)→寛政の改革(同)→田沼政治(積極財政)→天保の改革(超緊縮財政) と、これらの改革をおさらいして、「何て一貫性のない経済政策なんだろう。俺にやらせた方がまだマシだぜ。」と思ったものだったが、考えてみるとバブル以降の現代の日本も、赤字国債を大量発行(森政権)したかと思うと、今度は緊縮財政(小泉政権)。違うのは江戸時代よりもさらに輪をかけて、政策がコロコロ変わること。江戸時代の改革のスピードをそのまま時間の流れだけ10倍くらいに速めたのが、現在の日本に思えてならない。積極財政と金権政治に代表される田沼政権を森政権に当てはめるならば、その後に「腐敗と無縁の清潔なイメージ」と「赤字国債を圧縮して財政再建」をキャッチフレーズに政治の表舞台に登場した現在の小泉首相とは、水野忠邦のイメージと政策にぴったり当てはまる。 さて、彼の「天保の改革」を最後に、時代は幕末へと移行し、江戸時代は終わりを告げる。現在の日本も、ひょっとすると、小泉改革を最後に、混乱の時代へと進んでいくのかもしれない。
(注1)この二つの戦争、始めは破竹の勢いで進撃して占領地を拡大したものの、やがて戦線を拡大し過ぎたツケで補給路を叩かれて、見るも無残な敗戦を迎えたという点で共通している。戦争の末期に、ダメ押しに第三国が介入してきた点でも共通している。 (注2)平和が継続し社会が安定した結果、人口が急増した。江戸時代初期の日本は100年で人口が1000万から3000万に膨れ上がった。終戦直後の日本の人口は7000万だから、これは50年で2倍弱。 また、大土木工事のオンパレードで国土が開発された点でも共通している。戦後の日本は今更述べるまでもないが、江戸時代は、河川の付け替え等の大掛かりな土木工事を伴う、大開墾が行なわれた時代であった。しかし次第に、当時のテクノロジーで開発可能な適地が残り少なくなっていき、開墾は先細りになっていった。 (注3)江戸時代は元禄時代以降、人口が3000万人前後で停滞してしまった。人口が少し増えると飢饉をきっかけにして大量の餓死者が出て、ということの繰り返しで、2700万人から3300万人の間を行ったり来たりしていた。戦後の日本の場合は、経済の発展に伴う少子化により、人口が停滞してしまった。
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