蜜白玉のひとりごと
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2009年10月31日(土) |
読んだ本≪2009年10月≫ |
1冊? おかしいな、図書館にはときどき行くんだけど。
川上弘美『これでよろしくて?』中央公論新社(図書館) 一行感想:ストーリー展開が安直な感じがしたけれど、それはそれとして、同好会はおもしろかった。おいしいものを食べて尽きないおしゃべりをするのは女の基本。
頭の芯がビリビリとしびれ疲れているのに、どうせ起こされるとわかっているから構えてしまってなかなか眠れない。
夜中、父に何度も呼ばれる。寝入っているときに不意に起こされると、そのたびに心臓がドキリとする。ひどいときには一晩に10回以上起こされる。体勢を直してほしいとか、追加の薬を入れてほしいとか、オムツがもれたとか、着替えたいとか、用事はいろいろだ。言われたことをこなして自分のふとんに戻って寝ても、30分と経たないうちにまた呼ばれる。さすがにイラッとすることもある。寝たり起きたりを繰り返しているうちに目がさえてしまったり、めまいがしてきて気持ち悪くなることもある。
父も母も薬を飲まないと眠れない。父なんて薬を入れても(もはや「飲む」ではなくて、胃ロウから「入れる」なのだ)2時間と続けて眠れない。体が痛かったり苦しかったりで起きてしまう。そして一度起きるとなかなか寝ない。父が寝てくれないと私も寝られない。
今、父も母も眠っている。親の眠っている様子をそっとうかがって、なんてさびしい状況だろうと思った。子どもの寝顔を見にいくのとはわけが違う。
もう10月も終わるって。はや。
週明けに寒波到来の予報。ならば今週末は実家でも東京の自宅でも、がっつり冬に備えねば。厚手のコート、マフラー、手袋、毛糸の帽子、湯たんぽ、腹まき、ホッカイロ、ひざかけ、あとなんだっけ?
実家では父のベッドがある1階のリビングとその周辺だけはエアコンで温めている。効率は悪くても灯油のニオイで呼吸が苦しくなってしまうので仕方ない。乾燥するから加湿は欠かせない。新しい加湿器(簡素なやつ)をもう1台買ってもいいかも。扉を隔てた廊下と2階は石油ファンヒーターを使っている。寒さに震えながら灯油を詰めるのはいやだから、今のうちに詰めておこう。灯油は先週母が気づいて買ってきてくれた。母グッジョブ。
この何年か、寒い時期は朝食時に、生姜のはちみつ漬けを入れた紅茶を飲む。空いたジャム瓶に薄くスライスした生姜(皮付きのまま)を入れ、はちみつを生姜が浸るくらい注ぐ。1日くらいするとシャバシャバの水っぽくなる(生姜から水分が出るのか)。そのままでもいいけれど、私はここではちみつを追加する。しばらく寝かせてもよし。待てない私は次の日から使う。減ってきたら生姜もはちみつも適宜足す。適当。体が温まるし、のどにもいいはず。のどがイガイガしてなんかやばいな、と思ったときにはスプーンにとってそのままぺろりと舐める。わりと効く。
やれやれ。
再び実家での介護生活がはじまり一週間が過ぎた。入院前に比べて夜に起こされる回数が増えた。ひどいときは15分毎に呼ばれ(マジあり得ません、こんなの)、ベッド下方にずり落ちた体を引き上げてほしいと言われる。父は呼吸苦のためベッドのギャッジアップ(背上げ)を常に50度以上にしていなければならない。数分たりとも倒せない。もうこの何年も平らに寝たことはない。昼も夜も寝るときもずっと斜めに起き上がった体勢でいる。当然足先の方へ体は滑るわけだけれど、足元のベッドボードは痛いのではずしている。足の裏で自分の体重を支えることができないのだ。ずり落ちては引っ張り上げる、その繰り返し。昼間も引っ張り上げるけれど、せいぜい1時間に1回だ。なぜ夜間はこんなに頻繁なのかとたずねると、不安だから、という答えだった。15分毎じゃ私も寝られないが父だって寝ていないだろう。10時半頃に睡眠導入剤を入れたところで寝ないのであれば、ただでさえ力のない手足が余計にへにゃへにゃになるだけで、ベッドの上でもごそごそもぞもぞと落ち着きがない。ごそごそもぞもぞすればもっとずり落ちる。自分で上がれないから呼ぶ。その繰り返し。動かないでじっとしていればそんなにひどくずり落ちもしないし眠れそうなのに、と思うのは勝手だろうか。
そして父は昼間テレビを見ながらウトウトする。私に足のマッサージをさせながらウトウトする。割に合わない。これではこっちが先にまいってしまうのではないか、と背筋がぞっとする思いがする。私が東京にいる間は妹が同じ目にあっている。そのことを遠くから思い案じるのもまたつらい。
昨日、厚生労働省の在宅医療に関するアンケートに答えた。父の病気は一般の人はおろか、おおかたの医療従事者にすら理解されない。このことが私たちの在宅介護を根底から不安の強いしんどいものにさせている。医師、看護師、その他の専門家であろう人たちに話してもわかってもらえない。家族が説明してもわかろうとしない。だって知らないから。しかもわかってもらえないどころか誤解されて誤った処置をされそうになる。書いていてそのことに改めて思い至った。
選択肢に○をつけるいくつかの問いのあと、最後に自由記述欄があった。在宅医療で感じること、それは拠点病院のバックアップが貧弱すぎることだ。往診医に対するバックアップも、家族に対するバックアップも。何かあったとき(患者が急変、介護者が病気など)、主治医のいる専門病院が必ず引き受けてくれるならいい。でも断り兼ねないことをいつも言葉の端に乗せてくる。他に診てもらえるところのない患者を専門医が断ったら、いったいどこへ行けというのか。本当はこわくて在宅介護などできない。
今、実家に来てくれている往診のY先生は神経内科の専門医ではないけれど、よく勉強してくださっているようで、なんとか父の病気のことをわかろうとしてくれる。でもそれは先生の人柄や向上心によるものなので、同じことをその他の病院(地域の総合病院や救急病院)に求めても無駄なのだ。「わけのわからない病気」、と一蹴されてしまう。うちでは診れません、うちでは預かれません。安請け合いされても困るけれど、門前払いもどうなのか。
往診のY先生はわがままな父に喝を入れてくださることもある。父よりずっと若いのにすごいことだ。父も母もY先生を「専門医じゃないから」という理由であまり信頼していないようだけれど、こんなに恥知らずでもったいないことはない。私はたとえ完ぺきでなくてもY先生が父の在宅医療をはじめるにあたって往診医を探しているとき、二つ返事で関わってくださったことに感謝している。いろいろ事情がわかってきた今となっては、たくさんの不条理の中にあってごくわずかな光りのさす出来事のひとつだったのかもしれない。
家での療養に何か問題があるとインターネットでとにかく調べる。そこで誰かのブログに行きあたることがある。少し読んで気にいるとブックマークしておいて、あとで過去までさかのぼってまとめて読む。
いろんな病気、いろんな家族。地域も年齢もバラバラだ。それぞれの立場でみんな苦労している。でもやっぱり共感するのは娘が親を介護しているパターンで、24時間寝たきり、胃ロウ、しゃべれない、とくればものすごい親近感がわく(そういう問題じゃないか)。
介護ブログを読んで私は元気をもらう。たとえそれが愚痴ばかりのブログであっても、その気持ちがよくわかるから、嫌な気は全然しない。そうでしょ、そうでしょ、もっと言ってやってよ!と心の中で息巻く。愚痴りつつもふと悲しくなって涙が出るのも、もうすごく憎たらしくてイライラするのも、物に当たるのも全部、すごくよくわかる。
でもいくつか追いかけて読んでいるブログの人たちと私とで大きく違うのは、おおかたの人は親のことが大好きで、とにかく1秒でも長生きしていてほしいと思っているらしいところだ。残念ながら私はそうは思っていない。そのことが私の介護に対するやる気をそぐ原因であることもわかっている。残念なことに父の介護を続けていくうちに、父のことがどんどん嫌いになってきている。自分でも、私ってこんなにお父さんのこと嫌いだったっけ?と思うくらいに疎ましく思うことがある。嫌いだと気づいてがっかりする。自分を育ててくれた親のことを嫌いだなんて、いい気がするわけがない。
小さい頃は父のことは嫌いではなかった。大好きと自覚したことはないけれどふつうに好きだったんだと思う。平日は仕事が忙しく、休日は趣味に忙しく、よって父はあまり家にはいなかったけれど(母はずっとそのことを怒っていた)、まあ、いればいたで楽しかったし、いなくてもそれは仕方のないことだった。ただ、休日なのに父が一人で出かけたせいで母が不機嫌なのは困ったし、それは父のせいだとも思った。もしかしたら私は父のことがあまり好きではないのかもしれない、とはじめて気がついたのは中学生のときで、これは我が家の暗黒時代のはじまり(だと私が認識している時期)と重なる。このとき、私が今みたいに親に対して遠慮なくもっとバシバシ思っていることを言えばよかったのかもしれない。でも中学生じゃ、ただの反抗期と思われるのがオチか。父は何となく家族から遠ざかり、母はやんわりとふさぎこんでいった。なんか変、と感じたところであのときの私に何ができただろう。それから先もそれなりに仲良く協力して「家族」をやってきたけれど、父の少し家族に対して腰の引けているような、まともに向き合わないような、でも威張ったり、急にはしゃいだり、芯のない、なんか変ではっきりしない感じは消えなかった。父はあまりにも自分のことを話さなさ過ぎたのではないか。政治や経済について持論をとうとうと話すことはあっても、自分自身のことについてはほとんど聞いたことがない。
家族とは言え「自分」じゃない「他人」の集まりだ。話さずにわかることなんてほんの少ししかない。言葉にしてこそだ。その点は私は譲らない。父が母を苦しめたのもそれに通じると思っている。このことは話せばまだまだ長い。
今、父が全く意思疎通ができないのであれば、たぶんここまで父のことを嫌いにはならなかったと思う。父の意思表示はまどろっこしいけれど一応できる。父はそのまどろっこしい意思表示で、指図と文句と苦情と愚痴しか言わない。父から発せられるのは徹底してマイナス感情ばかりだ。父が文字盤を通じて発してくるたくさんの言葉は私からやる気を吸い取る。父が文字盤を取ってくれというそぶりを見せるとドキリとする。また文句を言われると予感して心臓が冷える。
ありがとう風なジェスチャーは左手をぴらっと上げる、それも視線はテレビを見たままだ。そして私が帰るときになって、両手を合わせてすいません的なジェスチャーをする。好意的に解釈するならこの部分しかない。
私もお父さんのことが好きだったら、介護も笑ってできるのか。それもまた疑問だ。
明日、父退院。今日はその準備で病院と実家。
介護生活を休んでいる間に、右手指の関節の痛みはほぼ消えた。腰痛はまだある。油断せず腰痛バンドを巻いてかかるべし。
病院は相変わらずむかつく。もう縁を切りたいくらいだけれど、そうも言っていられないので、いじめられる覚悟で臨む。今度はどうやっていじめるつもりかい?いじめられるとわかっていて行くのなんて、本当はいやだ。あんな変てこりんな話がまかり通る場所が心底気持ち悪い。すごく小さくてすごく偏った世界なのだ。
なにげなく今年度の給与明細を見ていたら、まともにお給料をいただけたのは6月だけで、あとの月は半減したままだった。それだけ仕事に行っていないということだ。父、4月入院、5月退院後のドタバタ、7月入院と退院、8月から9月は怒涛の実家通い介護生活。ざっとふり返っても我ながらおそろしい。ここに至ってまだ辞めさせられていないだけましだ。というよりも、職場の気遣いがありがたい。こんな状態をいつまで容認してもらえるかはわからないけれど。
季節が夏から秋になった。日によっては手足がしんと冷える。むせかえるような金木犀の香りもあと少し。
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