蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2007年06月27日(水) ああだこうだ/『猫と庄造と二人のおんな』

晴れが続くせいか、紫陽花は水分を失ってパサパサになっている。近頃咲き始めたノウゼンカズラのおいしそうなオレンジ色に目が行く。

谷崎潤一郎著『猫と庄造と二人のおんな』読了。これを読むのは確か2回目だけれど、前回読んだ時のことなど何一つ覚えていない。句読点の少ない流れるような文章を読んでいると、はたしてこれが地の文章なのか、それとも誰かの独白なのか、頭がぼーっとしてだんだんわからなくなってくる。庄造は妻の品子を追い出して、従妹の福子を新しい妻として迎える。この一件には庄造の母おりんと福子の父がかなりからんでいるのだけれど、品子としてはおもしろくないのものの、「ここはいったん敵に勝たして」ひとまず家を出る。その後ある目論見を持って、庄造が飼っている猫のリリーが欲しい、自分に譲ってはくれないか、と福子に手紙を書く。話はここからだ。

リリーはほとんど庄造の愛情を独り占めしている。当然おんな達はそれがおもしろくない。相手のおんなも憎たらしいが、それ以上にリリーが憎たらしいような気がしてくる。当のリリーはと言えば、ただ猫らしく、与えられた中で好きなように生きている。ああだこうだと気を巡らして騒いでいるのは、人間だけなのだ。


2007年06月25日(月) なんとなくだめに/『八月の路上に捨てる』

伊藤たかみ著『八月の路上に捨てる』読了。第135回芥川賞受賞作品。伊藤さんは角田光代さんの旦那さん。余計なお世話だが、伊藤さんはきっとこういう紹介のされ方にいい加減うんざりしているかもしれない。だいじょうぶだろうか。そう言えば、友近となだぎ武が破局に至ったのだって、なだぎが「友近の彼」と言われるのが嫌だったからだとまことしやかに囁かれているではないか。ディラン&キャサリン、大好きだったのに。

「八月の路上に捨てる」は、いろんなことの積み重ねでなんとなくだめになっていった夫婦の離婚に至るまでを、離婚届を提出する前日の「夫」が同僚に語る。うだるような夏の暑さと、自販機の内側の金属の冷たさが、対照的だ。夫は自販機にジュースを補充して回るルートセールスドライバー。街でよく見かける、側面がシャッターみたいになっているあのトラックだ。

最近、肩こりがひどい。そしてそこからきているであろう頭痛もひどい。夜、ホットパックやストレッチで少し楽になったと思っても、翌朝にはまた元に戻る。日中はずっと頭がガンガンする。もう頭痛薬も飲み続けてやめた。なんとかならないものか。


2007年06月24日(日) 百歩譲っても/『踏切趣味』『主婦と恋愛』

石田千著『踏切趣味』読了。図書館で借りた本には線が引いてあって興ざめ。本好きな人がひっそり読むようなこんなエッセイに線を引くなんて、いったいどんな人間なんだ。線を引きたいなら買って読め。百歩譲っても消しゴムで消してから返せ(って、そういう問題じゃないけど)。まったく。エッセイ自体は苦労して書いたんだろうな、と思わせるところが多々あり、少し気の毒でときどき笑えた。

藤野千夜著『主婦と恋愛』読了。日曜の昼下がり、あんかけかた焼きそばで膨れたお腹をさすりながら、どういう話の流れだったか、結局さ、恋愛の上手下手ってなんだろうね、と相方と話す。その後行った図書館でついこんなタイトルの本を借りる。登場する夫婦は仲は悪くないが、意思疎通が下手なようで、どうもぎくしゃくしていた。こんなんじゃ毎日疲れるだろうな、と他人事。まあ、夫婦もいろいろだ。


2007年06月19日(火) 待つということ/『檸檬のころ』『ドラママチ』

豊島ミホ著『檸檬のころ』読了。この前読んだ『底辺女子高生』とは反対側の、きらきらした高校時代のおはなし。こちらは小説で、ど真ん中を狙って書いているのが分かるくらい、それはもう甘酸っぱい青春物語だ。この人たちはこれからどうなるんだろう、と思わせる。それっぽく書くのがうまい、ということ。つい、前のめりになって読んでしまう。豊島さんはきっとこの調子でいくらでも書けるんだろうなあ。

間をあけず、角田光代著『ドラママチ』にとりかかる。カタカナで「ドラママチ」はずっと「ドラマ町(もしくは街)」だとばかり思っていたら、「ドラマ待ち」だった。だからイントネーションは「出番待ち」と同じイントネーションで、「ドラママチ」。女はドラマを待っているんだとか。待つだけの人生はやめなさい、といつかの新聞のコラムに書いてあったけれど、そんなこと言われたって待つより仕方のないときだってあるよなあ、とちょっとムッとしたのを覚えている。でも基本、待つのは苦手。いろいろ待っている女の人たちの、連作短編集。


2007年06月18日(月) 一気食い/『強運の持ち主』ほか4冊

とにかく立て続けに本を(それも軽いものばかり)読んでいる。仕事の行き帰りの電車の中、昼休み、家事の合間、寝る前のそれぞれ数分から数十分。どれも短い時間で、読めてせいぜい10ページ。そのたびに話がプツプツと途切れるので、何冊かを並行して読むのはよして、今はその1冊に集中している。

瀬尾まいこ著『強運の持ち主』読了。物は考えよう、ということが今さらながらよくわかる。軽くて、全くアクがない。何でもいいから読みたいときにはいい。毒にも薬にもならない、とも言える。

絲山秋子著『ニート』読了。ずるずる、だらだらと堕ちていくおはなし。後半は気持ち悪い。

星野智幸著『虹とクロエの物語』読了。この著者の本は初めて読む。図書館で特に目ぼしいのがなかったからしぶしぶ選んだ。結果、ハズレ。グロテスク過ぎて吐き気をもよおしストーリーを追うどころではない。そして延々と説明し、諭されているような文章は重い。

豊島ミホ著『底辺女子高生』読了。地味系ジョシコーセーの生態。なんかわかる気がするところもあれば、え?なんでそうなるの?というところもあり、はるかかなたの女子高生時代を遠い目で見つめる。リズミカルな文章で軽く読み飛ばすにはいい本だ。著者の自虐ネタエッセイ。

中島たい子著『そろそろくる』読了。中島さん得意の健康小説、もしくは保健体育小説。今回はPMSにからめて煮え切らない男女を描く。ファッション雑誌の後ろの方の白黒ページなんかに有りがちな話だけれど、他に誰も書かないのでこれはこれでいいのかもしれない。

活字に飢えているようだ。ストレス発散のためのスナック菓子一気食いにも似た反応。


2007年06月12日(火) 2倍/『ルーガ』『夕子ちゃんの近道』

暑い。日差しがもう真夏のようだ。こんな日はトマトやきゅうりがおいしい。

小池昌代著『ルーガ』を読む。小池さんは詩人だけれど、この頃は小説も書く。言葉選びが慎重で、普段なら見過ごしてしまいそうなほんの小さな心の揺れもしっかりと捉えて、えぐる。それがぞっとするほど怖い。表題作「ルーガ」も続く「ニギヤカな岸辺」も、たんたんとした日常を微笑ましく描きながら、最後にはしんと静かな狂気を感じる。ああ、見てはいけないものを見てしまった。気づいてはいけないところに気づいてしまった。もう戻れない怖さだ。3つ目の「旗」は以前に「群像」か何かで読んだので飛ばす。

今、とにかく「本を読みたい病」で、図書館で片っ端から良さそうな本を予約しては借りている。そうでもしないとうっかり本屋さんへ行ったときには底なしに買ってしまいそうだから。

住民税の振込用紙が届く。ものの見事に昨年の2倍で、ああこんなに払いたくないなあ、と用紙とにらめっこ。こうなったら、今までの2倍、図書館で本を借りてやる!

ずいぶん前に書き忘れ。
長嶋有著『夕子ちゃんの近道』を読む。第1回大江健三郎賞受賞作品。大江健三郎が一人で選ぶ賞。賞金はなく、英・独・仏のどれかに翻訳して海外で出版することが約束されるらしい。賞金、ちょっとぐらいつけてあげてもいいんじゃないかな、と思う。『夕子ちゃんの近道』はまだ読んでいなかった。さっそく図書館で借りて読む。生活に疲れて人生の夏休みをしている人を書かせると本当にうまいなあ、と今回も納得。だめなときはだめなんだ、と一回あきらめて沈んで、でも腐らずに、徐々に浮上していく。そのどこか健やかな感じが大好きだ。


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