蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2005年07月23日(土) ああおそろしや

スーパーで買い物をした帰り、家までの路地を歩いていら、クラッとめまいがした。と思ったら、周囲の建物がガシャガシャと音を立てて揺れはじめる。屋外にいて気がつく地震というのはそこそこ大きい。いまにも割れそうな窓ガラス、ゆ〜らゆ〜ら揺れる電柱にひるむ。上から何か降ってきそうなので、狭い道のド真ん中を小走りに、買い物袋を2つかかえて家を目指す。ボロ家が崩れていないか、相方と文鳥まるが無事か、いつもの道がとても遠く感じる。

相方は家の前でボロ家を見上げていた。道の向こうに相方の姿が見えて、心底ほっとする。我が家は外から見た限りではだいじょうぶで、まるもひっくり返ることなく元気にしていた。

テレビで速報を見る。しばらくして電車や地下鉄がばたばたと止まり、ちょうど出かける予定の相方は駅で足止めをくらう。しばらく待つも地下鉄は動きそうにないので、仕切りなおして自転車で出かけていった。災害時、自転車は本当に役に立つ。すばらしい乗り物だ。

余震があるのではないかとドキドキしながら、それでも図書館に本を返しに行かなければならないので出かける。角田光代『しあわせのねだん』読了。あけっぴろげなエッセイは楽しい。予約していた本を含めて4冊借りる。思い出して、トーベ・ヤンソン『少女ソフィアの夏』も借りる。これも夏に読むのに最適な1冊。


2005年07月18日(月) 梅雨明け

梅雨明け。洗濯物を干しにベランダへ出ようとサンダルを履くと、足の裏が焦げそうに熱い。これからが本当の灼熱地獄。9月まで続くであろう酷暑を思うとうんざりする。今夏も40℃なんてことになるのだろうか。

昨日おとといは相方とふたりで私の実家へ行った。小さな畑できゅうり、トマト、なす、茶豆(ほんのり茶色い枝豆)などを収穫する。左足首をブヨに刺される。刺されて2日経つけれど、腫れはひくどころかますますひどくなる。足の甲から指の近くまで赤くぼわっと膨れ、靴が履けない。腫れた部分は熱を持っていて痛い。不思議とかゆみはない。

子どもの頃、手の甲をブヨに刺され、その時もすごく腫れて、手全体がグローブのようになった。毎日毎日どんどん腫れていくので、もう治らないのではないかと恐れた。手だけが別の生き物のようで気持ち悪かった。

帰りのロマンスカーがちょうど多摩川を渡るとき、遠くで花火が上がるのが見えた。調布かどこかそのあたりだろう。他の乗客は誰も花火に気づいていないようだ。まあるい花火が遠慮がちにぽつぽつ上がる。ふたりとも小声で、あ、見えた、おー、きれい、とこっそり楽しむ。花火は何度か駅舎やビルに隠れ、しだいに後方へ退き、ついに見えなくなった。

実家からもらった茶豆をいちばん大きい鍋でゆでる。熱々のうちに塩をふり、器に盛ってテーブルに置いておく。いつでも好きなときにつまめるように、と思っていたら、相方が半分以上食べてしまった。


2005年07月13日(水) 夜中の散歩

夜中にこっそり、あした回収の空き缶・空きビンを捨てに行く。言い訳するなら、回収箱が家から遠いところにあり、忙しい朝にそんなところまで行ってられないのだ。

片手に缶ビンの入ったかごをさげて、夜道をふらふら歩く。サンダルをつっかけた足指にムニッっと触れるものあり。2、3歩通り過ぎて異変に気づき、立ち止まって振り返る。暗くてよく見えないが、地面に握りこぶし大のかたまりがある。うんちか?!と思って、何か踏んだ!と相方に訴えると、カエルだよ、きっと、といたって冷静な返事。

あんなに大きなカエルが東京のド真ん中に居るのか。そう言えば前にも、車にひかれてペタンコになったカエルがいたと相方から聞いた。そのときは見たくなかったので、わざわざ確かめには行かなかった。

素足の指に触れた感触がカエルだと知ると、背中がぞぞぞとする。ひとまず缶ビンを回収箱に入れ、さっきの場所に戻る。不意に動いて踏んづけたりしないよう気をつけながら、恐る恐る近づいて見てみるとたしかにカエルだ。茶色で、皮膚がぼこぼこしている。こっちのことなどお構いなしに、のそりのそりと進む。かごの端っこでそっと突いてみると、重たそうにビヨンと飛んだ。

たぶんガマガエルだよ、と相方は言う。ある種のカエルは水がないところでも生きられると聞くけれど、でもはじめはみんなオタマジャクシなわけで、オタマジャクシが住めそうな水辺など、この近くにはない。神田川では遠すぎる。いったいどこから来てどこへ行くのだろう。通行人に踏まれないように、車にひかれないように、目的地までたどり着けるといいのだけれど。


2005年07月12日(火) ヨギーニ第1歩

Yogini(ヨギーニ):英語でヨガをする女性のこと。

朝から元気よくヨガマットを背負って出勤。職場では、それなあに?と訊かれ、ヨガマットだよ、と答えるとしばらくヨガの話題になる。仕事のあと、studio yoggyの新宿スタジオへ行く。intro−biginnersのクラスに参加。

家でひとりDVDを見ながらヨガをしていると、アーサナ(ポーズ)は何となく形になっても、肝心の呼吸が乱れて、いまひとつしっくりこない。一時期ヨガ教室に通っていたけれど、そのときは親戚に付き合ってしぶしぶ通っていたので、あまり興味もなかったせいかよく覚えていない。せっかくならちゃんと習おうと思い、仕切りなおして超初心者クラスを受ける。アーサナの完成度よりも、呼吸や視線が大事なのだ。

クラスは1時間15分。自分と向き合い、内側に目を向け、呼吸に集中し、動作はゆっくり正確に。努力はするけれど無理はしない。ところどころ、先生のデモンストレーションとていねいな解説。徐々に体がホカホカと温まり、使われていない筋肉がプルプルする。難しいことはひとつもなく、できなければできないでいい。ヨガに上手い下手はないと聞けば安心する。不調を抱える自分の中に、こんなにたくさんエネルギーがあるとは思ってもみなかった。クラスは盛況で30人くらい居たけれど、家でひとりでするよりもずっと集中できる。冷えも疲れも空腹感もみんなどこかへ消えた。

チケット制なので、お財布の中身と相談して、近いうちにまた行きたい。


2005年07月09日(土) 空白

午前中で仕事を終えて、お昼も食べずに美容院へ。ようやく鎖骨くらいまで伸びた髪は、毎日あっちにハネこっちにハネ、収拾がつかないのでいっそのことと思い、パーマをかける。夏に長い髪は暑かろう、と思われるけれどそれがそうでもなくて、おろしていれば首の後ろは焼けないし、結んでしまえば中途半端なボブよりもずっと涼しい。

美容院で、大学時代にフランス語のクラスで一緒だったFさんにばったり会う。もともとこの美容院もFさんに紹介してもらったのだ。会うのは6〜7年ぶりだ。美容師さんづてにときどき近況を聞くくらいで、特に連絡を取ったりすることもなく、だいたい語学のクラスが終了してからは疎遠になっていて、もう連絡先すら知らない。

わあひさしぶり。元気?と言ったあと、会話が続かない。会わない時間が長過ぎて、いったいどこから話せばいいのか。空白を埋めようとするのが滑稽に感じられるくらい、今は別々の時間なのだ。おまけに二人ともパーマをかけるべく頭にいろいろつけているので、顔を横に向けることもできず、何か話そうかな、でも何から話せばいいんだろう、こっちからあれこれ訊いちゃ失礼か?と迷っているうちに、私のほうが先に出来上がってしまい、あまりしゃべれなかったね、じゃあまた、元気でね、と言ってすごすごと帰ってきてしまった。

某出版社で女性誌の編集をしているらしい彼女は、その職業柄想像される派手さはあまりなく、学生の頃のおっとりとした雰囲気がまだほんのりと残っていた。変わったのは髪形くらいで、昔は少年のようなショートカットだったのが、今では背中の真ん中まで長く伸びて、それだけがなんだか別人のように浮いて見えた。


2005年07月08日(金) それはやっぱり愛すべき生活

遅ればせながら、区の図書館が進化する。ついにインターネットで予約ができるようになったので、喜々として4冊予約してみると、さっそく昨日の夕方、予約した本が1冊入ったよ、と携帯電話にメールが来る。図書館とメル友にでもなったような親しい気分だ。

中島京子著『さようなら、コタツ』『イトウの恋』、中島たい子著『漢方小説』を読む。

昨年末に中島京子著『FUTON』を読んで以来、待ちに待った新作。短編集の『さようなら、コタツ』は秀逸。著者の温かくユーモアに満ちたまなざしが感じられる作品で、私はこの人のこういうところが好きなんだ、と再認識する。たとえどんなにしょぼくて、かっこいいところなんてどこにも見当たらない毎日でも、それはその人にとってかけがえのない人生の一部であり、本人が絶望のどん底に居てそのことに全く気づいていなくても、それはやっぱり愛すべき生活なのだ。登場人物の置かれた状況と自分が全く重ならなくても、よし私もがんばろう、と気合さえ入る1冊。それに比べて長編の『イトウの恋』はまどろっこしい。

漢方薬を飲み始めてもうすぐ1年がたつ。健康診断では総合評価の欄にせいぜい「やせぎみ」と書かれるだけで特に問題はないはずなのに、どこか病気なんじゃないかと疑いたくなるくらいあっちこっち具合が悪くて、漢方なら何とかなるかもしれないと思ったのが事の始まり。当時はほぼ毎日のように胃痛、頭痛、めまい、たちくらみ、ひざの関節の痛み、体がふるえて力の入らない感じがしていた。風邪をひきやすく、冷え性で、油断すると夏でも冬でも皮膚が冷蔵庫で冷やしたようにつめたい。冷えてトイレが近くなるのも困る。

治療をはじめてからは、だいたいひと月に1回病院へ行き、最近の様子を話し、舌の表裏、両手の脈、横になってお腹のあちこちを押して痛みがあるかどうかを探る。血圧も測る。そして、今飲んでいる漢方薬を続けるか、別のものに切り替えるかを考える。診療中はとにかく先生とよく話をする。できる限り詳しく自分の体調を知ってもらうために、多くの情報を伝える。先生と気が合うのも心強い。きちんとこちらの意図が通じている感じがする。

漢方は何回か切り替わって、今のは5種類めだ。半夏白朮天麻湯(ハンゲビャクジュツテンマトウ)という、主にめまい、頭痛、頭重、食欲不振、悪心、嘔吐、足の冷えなどの症状に効くもので、これがまた苦い!顆粒のものをお湯にといて飲む。においも味もきついけれど、何回か飲んでいるうちに心地よい苦さになってくるから不思議だ。良薬は口に苦し、効きそうな気がする。

そんな漢方漬けの毎日を送る私に『漢方小説』が楽しくないわけがなく、そうなのよ!とひどく共感しながら読む。1年前に感じていた不調は全て今もあるけれど、そのどれもが薄められて軽くなっているのは確かだ。じっくり体と向き合って治していく漢方薬は私にとても合っていると、安心感すら覚える。


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