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207 流川楓の魅力

最近、もう何度目になるんだろう、また「SLAM DUNK」を読み返してみた。といっても全部じゃないけど。
なんでこんなに魅力的なんだろう?って、自分が好きなものに対しては理由を考えてみる。
そこで今回は流川楓の魅力について考えてみた。

流川みたいなキャラは、結構どの漫画にでもいるといってもいいくらい、欠かせない存在だと思う。クールでかっこいいキャラ。
そんなどの漫画にでもいるキャラと、流川がどう違うのか。それはしゃべらないことだと思う。
他の漫画の流川キャラも、やっぱりみんなクールが売りのキャラだから、多くは語らない、おしゃべりではないキャラが多い。でもそれと比べても流川は一切しゃべらない。
もちろんバスケのことに関してはしゃべるけど、人間関係のことに関しては一切しゃべらない。たぶん読者は、桜木との接点を期待している。しゃべってほしくないようで、でもちょっと期待している。でも最後までしゃべらない。
漫画が始まってから終わるまで、流川はバスケのことしか考えない。一切。
もちろんキャラをひきたてているのは、他にも寝すぎな面とか、勉強ができないとか、そういうギャップも魅力なんだけどね。
桜木と交わすたった一つの会話が、最後のパスと、その後のタッチのみ。
いや〜、なんでスラムダンクってこんなにおもしろいんだろう?俺が一番好きなのは流川じゃなくてミッチーなんだけど、やっぱり流川もいいね!
2005年01月28日(金)

206 チュッパチャップス

今ドラマで「H2」というのがやっている。知ってる?
あだち充原作のスポ根野球漫画だ。まぁスポ根っていっても、あだち充だから、そこまで「スポ根!」って感じじゃないんだけど。
で、このドラマの主人公は、山田孝之演じる国見比呂。「タッチ」のたっちゃんみたいに、軽いノリのキャラだ。(ドラマではなにかとシリアスで、漫画と違うんだけどね。)その彼の特徴の一つが、日常的に学校で「チュッパチャップス」をなめてるってこと。
いや、別に大した話じゃないんだ。ただ単に、俺も高校生のころ、いっつもチュッパチャップスをなめてたなぁ〜って思ってさ。同じなんだ。
朝、登校するときに、通学路にあるサンクスに必ず寄って、いつもチュッパチャップスを買って、通学中も、学校にいるときも、なめながら歩いてた。
でも、こうしてドラマの中の彼を客観的にみてると、なんかおかしいね。俺もあんな風にみえてたのかな?って思う。

一度、あれは学校帰りだったのかな?制服で街をチュッパチャップスなめながら歩いてたら、警官に呼びとめられたことがある。煙草と勘違いしたみたいだ。まぁ遠目からなら間違える、かな?
こういうときって、なんか無償に嬉しくなるもんじゃない?別に得したわけじゃないんだけど、
「へへ〜ん!俺なんも悪いことやってないよ〜〜!!ざまぁみろ!」
って気持ちになる。
普段やましいことが多いのか??やたら警察の姿ってのは気になるもんで、自分が何も悪いことをやってないときに呼びとめられたときの、心の広がりったらないよね。

というわけで、高校生は制服をきてチュッパチャップスをなめ歩くことをお薦めします。警官に呼び止められらしめたもの!
2005年01月27日(木)

205 犬・猫と共に生きる社会

以前Voice182で、「犬・猫と都会」というタイトルで書いたことがある。今回はその続編。
最近またよく目にする猫の死体。やっぱり多いのは猫だね。犬は過去一度だけみたことあるけど、猫はたぶん30回以上(もっとかな)みてる。
これはホントどうにかならないものかと思うんだ。本当は人間が犬や猫との共存を、心の底からマジメに考え、望むのならば、車がなければいいんだろうけど、現実的にそれは無理だ。
現実的なことで考えていこう。
そこで、一つ思い付いたことがある。・・・とは言え、これが現実的なことかどうかはわからないんだけど。
猫にはやっかいな癖がある。危機的状況にさらされたとき、人間とは逆に、なぜかそれに対して走りこみ、しかもそこでとまってしまう。車に対して自らつっこみ、轢かれるであろう場所でうずくまり、死んでしまう。
そこで、猫のそういった特性を生物学的に解明し、それをさせない光や、においや、色なんかを車に搭載させ、猫が走り込んでこないようにする。こんなことが可能なのか、もしくはもうすでに解明はされているのか、わからないけど、ひとつの可能性として思い付いた。
もちろん俺は科学者でもなければ、化学者でもなければ、研究員でもないから、それがどれだけ難しいこと、無理なことなのかわからないんだけど。そういうことを考えてしまう。
でも、そういった種類の解決法とは別に、日本中で溢れかえっている野良猫にたいして、なんらかの対処をしなければいけないのは確かだろう。
最近は野良猫にたいして危害を加える変なやつが出没して、ニュースをにぎわしている。あれも気になるところだ。
タイトルに反して、とくに猫のことについて書いたけど、猫と同じく犬とともに、うちら人間のパートナーたちの生き易い、住みやすい世の中つくりっていうものも大切なんじゃないかな?慣れてしまいたくはないよね。
2005年01月22日(土)

204 愛せ!ニッポン!

少し前にテレビでサッカーの討論番組をやっていた。政治に関して朝まで討論している「思いっきりテレビ」のサッカー版だ。
そこでは日本代表について、色々な議題で話し合っていたんだけど、その中で「サポーターについて」という感じの議題で議論されている場面があった。
昨年の終わり(といっても数週間前の出来事なわけだけど)に、ドイツ戦があった。そこでの日本人の反応は、「カーンがきた!」「バラックがきた!」と、喜びの反応なわけだ。もちろん俺もヨーロッパサッカー好きとして、彼らが日本に来て、日本代表と試合をするという事実に興奮していた。
でも、その討論番組で専門家たちが言うには、やはりドイツ代表に対して「キャー!」と黄色い声をあげ、喜んで歓迎してしまってはいけないと。その通りなんだと思う。
夏にヨーロッパの強豪チームがこぞって日本に遠征にやってきたけど、そこで行われる試合では、やはり俺はJリーグのチームを応援したかった。正直Jリーグのチームよりもヨーロッパのチームのほうが、知ったチームが多かったんだけど、どんなすごいチームでも、どんな好きなチームでも、第一に応援すべきは日本のチームだった。それはやっぱり俺が日本人だから。
ヨーロッパでは代理戦争とまで言われるサッカーは、代表の試合というものは本当に国の威信がかかっている。歴史的背景、政治的背景が絡んで、サッカーはただのスポーツに留まらない。政治をスポーツに持ち込むことがいいとは思えないけど、そこまで必死になって自国を応援する姿勢は素晴らしいと思うし、応援しがいもある。

と、ここまでサッカーの話をしてきたけど、これがいい例であるように、全般的に日本人は日本を愛せていないと思う。
音楽にしても、洋楽しか聴かない。邦楽は聴けない。映画は洋画しか見ない。邦画は見る気がしない。といったことを言う人が多い。もちろん邦画にしたって邦楽にしたって、それが日本ならでの文化を取り入れた日本的な音楽ではなかったりするわけで、西洋的、アメリカナイズされたものが多い。だからそれらを受け入れていないから、それが日本を愛せないからだ、というわけじゃない。でも、日本人がつくって、日本で生まれた作品に、できれば興味をもっと興味を示して、もっと愛せていけたらな、と思う。いつまでのヨーロッパやアメリカに劣等感を感じ、憧れるだけの人種ではいたくない。
2005年01月06日(木)

VOICE / マッキー

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