→→メインホームページ「T.M.NET」←←

178 血がだめだ・・・

以前、クスリを飲むバイトをしたことがある。そこではバイトとは言わず、ボランティアという名目で、「謝礼」をいただく。クスリが薬局で販売されるまではさまざまな審査を何度もクリアした上でされる。その過程には、動物に試したり、健常者に試したり、病人に実際に効くかどうか試したりされる。そうしないことにはクスリは発売されないということを考えると、こういうバイトは悪いイメージがあろうとも、俺は別にいいんじゃないかと思う。

で、そこで2泊入院して採血を繰り返したんだけど、一度採血を失敗されたんだ。新人の看護婦さんが採血したら、血管じゃないところに刺してしまい、刺したところが血で膨れ上がった。そのとき一気に血圧が下がって、眩暈がし、呼吸が乱れた。どうやら血がだめらしい。焦った・・・。

その後、一度家で手首をガラスで切っちゃったときがあって、そのとき思い切り血が出て、またも貧血状態に。

そして先日、友達が仕事中に指を切ってしまい、俺が止血をするために指の根元を押さえていたんだけど、またもきてしまった。自分以外の血でくらっときたのは初めてで、自分でも驚いた。

別に血を見ていて何を思うわけでもないんだ。先日の友達の血にしても、「うわ〜、すげ〜出てるな〜」ぐらいで、自分が前に自分の血で貧血したことすら忘れてた。でもしばらしてやはりきてしまって、なんとかしてそれを沈めようと、他のことを考えて見るんだけど、もう無理なんだね。頭でいくら別のことを考えていようと、一度たくさんの血を見ちゃうと、もう体が勝手に反応しちゃって、まるでコントロールできない。

友達がいうには、女の人より男の人のほうが血に弱いらしい。そんな話は何度か聞いたことがある。俺はそれに思いっきり当てはまってしまってるのさ。
2004年06月28日(月)

177 気配りと心遣いの違い

「気配り」と「心遣い」の違いとは何か?何かの試験にそう出てきたらしく、友人から聞かれた。
何気ないこの質問が、俺を大いに悩ませた。難しい・・・。
とある辞典によると、
気配り・・・細かいところまで心を遣うこと。
心遣い・・・気をつかうこと。配慮。
とある。
これじゃ〜違いがわからん。
というわけで、辞典は頼りにならないので、普段自分たちが使ってる言葉の意味を考えてみた。
「気配り」とは、人間関係がスムーズにいくために欠かせないものだと思う。相手を思いやることが、すなわち気を配るということなわけだから。気配りをしない人は、人の痛みがわからない傲慢な人間になってしまうし、だからといって気配りばかりしている人というのは、それが優しさからだけではなく、嫌われるのが怖いからという不信感の裏返しともとられかねない諸刃の剣。
この点で「心遣い」っていうのは少し違うんじゃないか?と思う。気配りしすぎる人の中には、それが嫌われたくない、もめたくないといった心の表れであるかもしれない。「気」を配るとか遣うとかにはそういうニュアンスを感じるんだ。ちょっと策略というか、心理的な駆け引きも含まれていそうな。「気配りのきく人」とか。すばらしいけど、ちょっとだけ恐いかも。「心」を遣うというのは、そういった負のニュアンスを含まないと俺は受け止めている。心遣いは行き過ぎるものではないと思うから。
あくまでも俺の個人的な捉え方で、ニュアンスのちょっとした違いを感じてるだけだから、気にしないで。なんか「気配り」が悪者になってしまったけど、別に気配りが悪いというわけじゃないんだ。
それにしても言葉って難しいね。
2004年06月14日(月)

176 人それぞれ

よく「人それぞれ」という。確かにそうだ。ほんとに人はそれぞれで、自分と他人の違いを実感するときに、いつもそう思うものだ。
このことを素直に受け入れることが、人に優しくなれるための一つの重要なポイントであるように思う。「人それぞれ」ということを本当にわかっていれば、その分人を理解することの土台はできあがるわけで、その時点で分かりあえるための「準備」ができるわけだ。
ただ俺たちはいつだってこのことを忘れちゃう。自分のことをわかってもらえずに「なんでわかってくれないんだ!」と怒ってみたり悲しんでみたり、「なんであいつはあーなんだ!」と声を荒げたり。「人それぞれ」ということをしっかり理解することができて、そのことがいつも心のどこかにあれば、今ある争い事のいくつかは回避できたかもしれない。
でも、俺が言いたいことはここからで、「人それぞれ」という言葉は、ときに都合のよいものに成り下がるってこと。なにかことあるごとに「人それぞれじゃない」と言ってしまえば、事はそこで終了。先には何も進まない。良いも悪いもなく、人それぞれだから、になってしまう。
バランスをとることってのは何にしても大事で、「人それぞれ」であるということに対してバランスをとらなければ、なんでもありになってしまう。「人それぞれ」という言葉を変に覚えてしまった人は、何かにつけてこの言葉を使うことで逃げてしまうことが多い。その点に関しては歯がゆい。なんでも正しく聞こえてしまう恐れがあるからだ。人はそれぞれ違うんだから、そのことをわからない人間には優しさが足りないと言われてしまいそうで、「人それぞれ」の強さにやられてしまい、自分を見失う。
特にそれが協調性を必要とすることであったり、自分以外の誰かが関わることである場合は、「人それぞれ」では済まされないことが多いってことを覚えておかなきゃならない。
聞こえのいい言葉には、その裏にリスクを背負ってるってことだ。
2004年06月03日(木)

VOICE / マッキー

My追加