気ままな日記
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18年度も今日で終わり。 そういえば、昨年の3月は、職場が閉鎖になるというので、一体何がどうしたのか分からないほど、慌ただしく煽られるような日々の連続だった。 それだからこそ一層、今の職場に異動してきたときに眺めた海や、延々と続く畑といった、のんびりとした光景が、記憶に残っているのかもしれない。 あれから一年。季節はひとめぐりして、畑にはキャベツの葉が広がっている。 なぜか、異動する人には、「おめでとう」、居残り組みには、「残留」などと冗談めかして言うけれど、環境が変わるということに対して、年々負担感を感じる昨今、同じところで2年目を迎えることができたというのは、めでたしである。 人事の情報というものは、ギリギリまで秘密にされているので、定かではないが、20歳前後の若者が、4月付けで、採用されてくるらしい。 「歓迎会をしても、お酒が飲める年かどうか、わからないから、食事会にしよう」などという上司の声を聞くと、年の差をまざまざと感じるのである。
朝5時50分。 携帯に仕掛けた目覚ましが鳴るたびに、 「今日が休日だったらいいのに」 「風邪でもいいから1日じっくり寝込んでみたい」と、常々思っていた。 そして、ついに風邪をひいた。しかもここ数年来まれにみる本格的なもの。 頭痛発熱、喉の痛み、咳、鼻水、鼻づまり……。すべての症状が順番にではなく、一度にやってきた。 迷うことなく職場に電話。「風邪をひいたので休みます」。声もすっかり鼻声を相していたので、正々堂々とした気分。 しかし、、鼻づまりというのがいけなかった。これがまた本当にうっとうしい。鼻の皮が張り裂けんばかりにかんでもかんでも、何がどういうからくりで詰まっているのか知らないが、開通する兆しはなし。音だけが威勢良く鳴り響く。寝ようとすると、待ってましたとばかりに、詰まり始めるから不思議。ぬくぬくと布団にくるまって眠りたいというささやかな願いも、虚しく。
「風邪でもいいから寝込んでみたい」という思いは、治りかけた今、また湧き上がってきそうだが、但し書きとして、症状は鼻づまりを除く、と付け加えたい。
来年度から、これまで事務所ごとに行っていた庶務事務を業者に委託して一元化するらしい。 先日、その説明会に行ってきた。 集中管理してくれるのだから、当然わたしたちの仕事は楽になるはずよね?と思ったもののさにあらず。結局のところ、今まで職場でやっていた事務を、事務所と、委託された業者の2箇所で行うことになるだけ。 これって、よくよく考えてみれば(考えてみなくても)、事務の集中化ではなく、事務の「分散化」。かえって、関係各所との連絡調整の事務が増えることになる。 改革なんて所詮こんなもの。 それでもって、これによって職場の事務量が減ったはずだからと、職員の配置人数だけが減らされて、ひとりあたりの負担が増える、という成り行きになるのも、目に見えた結末である。
午前8時20分。 更衣室にコートをかけ、事務室にはいる。 「おはようございます」 と声をかけると、 「おはようございます」と先着の人びとが返してくれる。 わたしの居場所を実感できる瞬間。
次に好きなひとときは、5時15分。 終業の鐘が鳴った時。
新聞の書評欄を読んだり、本屋をうろついたりしているうちに、読みたい本が次々に思い浮かんでしまうことがある。こんなときは、1冊ずつ買って読んで、読み終わったらまた次の1冊を買えばいいものを、なぜか一遍に全部買わないと気が済まなくなってくる。 早く買わないと、書店の本棚から消えてしまうような気がするからなのかと思っていたが、どうやらそればかりでもないらしい。もたもたしているうちに、気が変わって、読みたくなくなるような気がするからなのだ。 気が変わって読みたくなくなるような本なら、特段、急いで買わなくてもよさそうなものなのに、考えてみれば変である。
そういうわけで、今読みたいのは、爆笑問題の太田光さんオススメ、カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』と、佐藤さとる氏の書いた『豆つぶほどの小さないぬ』。(どういう組み合わせ??) 佐藤さとるさんの本は、小学校の図書館にコロボックルシリーズとして、ずらりと揃えられていたっけ。先日、そのうちの1冊『だれも知らない小さな国』を読み終わったばかり。村上勉さんのイラストがとても懐かしい。 子供向けの本は、むずかしい言葉や言い回しを使わずに、とても大事なことがさらりと書いてあっていい。
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