気ままな日記
DiaryINDEX|past|will


2005年05月30日(月) ハコミ その後

 先日ハコミセラピーのことを書いた。その後実際に体験してみる機会があった。
男性の混ざったグループと女性だけのグループ、各6人ずつ。ひとりひとりが、今の心境と、仲間にして欲しいことを伝え、それを周りの人々は言葉で、あるいはからだへのタッチングで叶えてあげるというものだ。
 そして、湧いて来た感情をありのままに、分析せずに体験しましょうという方法。
 わたしは、初めての参加だったので、からだへのタッチンングを経験させていただいた。
感想―。私にはこのセラピー、合わないかも……。第一私は人に触られるのがとっても苦手なのだった。美容院で頭を触られるのでさえ、最小限にして欲しいというほどに。なのでタッチング中、からだコチコチ。
その上、どうも周りが気になって雰囲気に没入できない。ひとことで言って「照れ臭い」のである。
しかし、皆、涙を流したり怒ったり、いろんな感情を味わっている最中、とてもそんなしらけたことを言える雰囲気ではなかったので、つい、「肩をさわってもらって力が抜けた感じがしました」と無難な回答をしてしまったのだった。
 こういう抵抗感もまた、このセラピーで湧いて来た感情として、意味のあることだったのかもしれないけれど。


2005年05月23日(月) 言葉の限界―ハコミ

 銀行へ用事があったついでに、書店で道草。この季節、外気を浴びるだけで呼吸がスムーズになるような気がする。建物の中でちまちま過ごしていると、時々息をするのを忘れている時間があるのだ。もちろん極く短い間なのだが……。

 ハコミセラピーの本を買う。
わたしの心の中は、過去の分析と未来の予定や計画、もしくは妄想で占められていて、肝心な「現実的な今」が、どっかにふっとんでいることが多い。
「今、ここに」の感覚、体が感じている体験を大事にするという考え方がとても新鮮に思える。
言葉はもちろん大事。でも一生懸命頭で考え、分析しようとしたり、言葉を尽くして理屈をまとめようとすればするほど、本音からどんどん遠ざかり、本心をカモフラージュしているような違和感を感じることが多かったのも確かである。
分析と説明への盲信からちょっと離れてみるのもいいかもしれないと思ったのだった。


2005年05月14日(土) 髪は長〜いお友達

 3週間ほど前に美容院でつんつるてんに切り過ぎた前髪が一向に伸びない。
「前髪は眉毛が出ないくらいに切ってください」と言ったにかかわらず、仕上がりを見たら、丸出し状態。カット中、眼鏡をはずしたまま身を任せていたので全く気づかなかったのだ。
「もっと切ってください」という追加注文だったらできるけれど、「こんなに切らないで欲しかったです」と言っても、あとの祭り。ぎくしゃくとした感じを味わってこれ以上いやな気分になりたくなかったので、何も言わず我慢してお店を出てきた。
それからの日々、鏡を見ては引っ張ってみたり、手のひらで押さえつけて、ちょうどいい長さを疑似体験してみたり。もっとも毎日こんなことをしていれば、ちっとも伸びていないように思えるのは当然かもしれない。
 私を見かけた人々の反応 
その� 屬△譟△匹Δ靴燭痢�若返っちゃって」(←本当に若い人に対しては言わない)
その�◆崔�かと思った!」(←率直なご意見)
その��「なんか、かわいい」(←かわいいと言われて喜ぶ年頃ではないので複雑な気分)
その�ぁ屬任盡紊蹐猟垢気呂舛腓Δ匹いい犬磴鵝廖腹�せめてもの慰めの気持ちが表れてはいますが…)
他人は、本人が気にするほど注意をはらってなんぞいないとは思うのだが、この”どんぐり頭”のせいで、ちょっと気に入った洋服をお店で見つけても、「似合わないわ」と購入を断念。もうあそこの美容院には絶対行かない!前髪の長さについてはしつこいほど念を押すことにしよう、と心に誓っている。
 いずれ生えてくる髪の毛に対してさえ、こんなにこだわってしまうのだから、日々抜けゆくばかりの髪の毛の気配に平常心ではいられない男性陣の苦悩はいかばかり。


2005年05月05日(木) 死者はいつでも美しい

 事件などで人が亡くなると、その方の人柄についてのコメントが新聞に載ったり、ニュースで放送されたりする。
この場合、周囲の者の語る被害者像はいつも「善良」である。
 もしも私がそのような目に遭ったとしたら、周りの人々はなんとコメントするだろう。
家族曰く「ひとり息子が高校にはいったばかりなのに。これから私たちは何を支えに生きていけばいいのでしょう」と涙こらえきれぬ様子。
同僚の場合、「物静かで、担当の仕事を黙々とこなしていたのが印象的です」と、短めで無難なコメント。

 これが180度翻って、私が罪を犯した場合―。
家族のコメント。(インターホン越しに)「そっとしておいてください」もしくは、「被害者の方になんとお詫びしたらよいか。おとなしい子だったのに、信じられません」と動揺隠し切れぬ様子。
そして同僚はというと、今まで席を並べていた同僚がいきなり皇族と結婚することになったのと同じような、ちょっとした当事者感にワクワクしながらも、努めて冷静を装い、「そういえば隣の席の同僚と険悪な雰囲気でした。それでストレスがたまったんじゃないでしょうか」としたり顔に推測する者あり、かと思えば、「しょっちゅう休みをとってました」だの、「お茶汲みを放棄してました」だの「いつも黒い服ばっかり着てました」だの、この際だからと、全く関係ないことまで出るわ出るわ……。
 人はマイクを向けられると、視聴者の期待に沿ったことを答えようとしてしまうものだが、自分が日頃まわりにどう思われているかは、犯罪者になってみることで、浮き彫りにされるものかもしれない。


TOMATO |HomePage

My追加