気ままな日記
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全く趣向の異なる2つの映画を観た。
ひとつは北野武監督の「Dolls」。 現実と空想(幻想)、抽象と具象、愛と暴力と死、現在と過去、狂気と正常、健常と障害・・・すべてが否定されずに存在している。 流血の惨事、銃殺、そして崖からの転落・・と、これでもかこれでもかというほど人が次々死んでいくんだけど、そういものが桜並木や真っ赤な紅葉、天使の置物といった美しいものと全く違和感なく存在している。 心の中の残虐性や、攻撃性、狂気といった闇の部分をこんな風に、象徴的に表現して、しかもこの映画のテーマはずばり「愛」だと言い切ってしまう北野監督は(もはや昔のお笑い漫才ビートたけしって感じじゃなくて)すごい。
もうひとつは「阿弥陀堂だより」 こちらは国の何とか省推奨とだけあって正統派な映画。 音楽効果が効いていて、特に田村高廣さん(この方っていつも特別出演なのね。ところで特別出演ってどういうイミなんだろう?)扮する恩師が死に際に、 「先に逝くよ。」と言って静かに亡くなった場面は素直に泣けた。 子供の頃夏休みや冬休みに行った岡山の母の実家―。 一晩中枕もとに聞こえていた、湧き水のちょろちょろ流れる音。 ひんやりとした土間と台所の空気。 お風呂を焚く薪のパチパチいう音。 山特有のにわか雨と濡れた草の匂い。 祖母のつくってくれたもぎたてナスのおみおつけ・・・。 もう一度それらすべてに会いたいって最近よく思うのだけど、この映画を観て、さらにそう思ってしまった。 昔っから、田舎に行くと、なぜか片足をお墓につっこんでしまったような、なんともいえない気分になったのだが、すべてが自然の営みの中で行われて、そしていずれは順繰りに土に還っていく、っていうような雰囲気がこういう場所にはあるからなのかもしれない。
そんなわけで映画を立て続けに観て、なんだか浮世離れした気分。 私の中に共存する、全く正反対の性質や感情を刺激した作品だった。
ま、理屈はともかく、たとえ狂気でも、パニック障害でも、隣を歩いてくれる人がいてくれるっていうのはいいなあ〜とつくづく思ったのでした。 エ〜ン(T_T)
職場のロビー(って病院の待合室なんだけど)に置かれている、『みなさまの声』という投書箱に、「真っ赤な色の花は飾らないでください。」というご要望があった。 「じゃ、いっそのこと白い菊の花でも飾っておいたらどうよ?」と、人の神経逆なでするようなことをつい考えてしまう私は、こういうデリケートな職場にはいかがなもんでしょう。
2002年10月22日(火) |
すげえ!・・という言葉 |
「すごい」の俗語。 小中高校生の男の子がよく口にしている言葉。 品のいい言葉ではないし、電車の中で女子高校生が使っていると、かなり耳障りなのは確かなのだが、思いがけず、すごいものを見ちゃった!っていう驚きと喜びが素直に表現されていて、実はわたしはこの言葉が気に入っている。 もちろん家の中でしか使えないけど・・・。
もう半年も経つのだからこれとこれとこれぐらいは、完璧にやって欲しい・・・。
家と土地はやるから老後はよろしく・・・。
おもしろいものを書いてね・・・。
何か楽しいこと話してね・・・。
それから、それから・・・。
もうたくさん。
私にそんなに期待しないでください。
「がんばらなくてもいいよ。」そう言った舌の根の乾かぬうちに、
「期待」という刃物をわたしに向けないでください。
「丸の内が変わる」というテレビCMにそそのかされて、丸ビルに行ってみた。 昔のアンテイークな雰囲気なんてもとより期待はしていなかったけれど、オフィスビルというよりも、まるでデパートのような雰囲気。 平日の昼間だというのに人・人・人・・・、エレベーターから飲食店からどこもかしこも行列だらけ。 観光地でもイベント会場でも、こうした新しい場所でも、いつもわたしは、 「せっかくここまで来たのだから、ここにしかないものを買いたい見たい、食べたい。」と気合がはいっている。 何かがあるんじゃないか・・・と。 でも、結局は何もなく、(というよりその何かが何なのか最初からわかってないんだけど)、今日も、来年の卓上カレンダーをひとつ買い、(果たしてこのカレンダーをめくるのは現在の職場の机の上だろうか)、広々とした書店をひやかし、千疋屋でランチとおやつを食べ、 「東京の人々はこんなに歩くの速かったかしら??、帰りの東海道線はやっぱり窓際の席を確保しないとね」などと、『おのぼりさん』よろしく帰ってきた。 そうして、本屋やカレンダー、ケーキぐらいだったら、わざわざ丸の内まで来なくたって地元のイトーヨーカドーでも十分だったのよね、と一時ではあるが反省してみるのである。
2002年10月05日(土) |
ええかっこしいかもしれないけど |
オドオドする オタオタする あたふたする オロオロする
そんなふうにみっともなくなる自分を見るのは嫌
いつも落ち着いていたいのに いつも動じないでいたいのに いつも毅然としていたいのに
言い訳する 取り繕う ごまかす 人のせいにする
ここまでくるともうドツボにはまった気分だ
離れられないのは 居心地がいいからでも 好きだからでもなく― ただの執着 ただのこだわり
我慢すること、継続すること、努力することは美徳・・・ そのうちに満たされないものが満ちてくるのではないかと いつのまにかそういうふうに思い込んでいて そうしていつまでもグズグズと断ち切れず、断ち切ったことに対してまたグズグズと悩む
石の上にも3年― でもそこが石の下だったのならどうなのだろう
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