気ままな日記
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ひとけのない夜の病院の廊下にいっぱいにひろがって、車椅子に乗った子供たちが「だるまさんがころんだ」をやっているのを見かけた。 そういえば昔よく、アパートの細長い廊下でやったな〜。 「あっ、今動いた!」 「動かない!」 などと、必ずもめごとが起きたりして・・・。 それにしても車椅子でだるまさんがころんだができるとは思ってもみなかった。 子供たちはちゃんと自分たちの置かれた環境で、楽しい遊びを工夫してやっていくものなんだなあ。
帰りに立ち寄った書店で手にとった、 「石垣りん詩集」の中の一節。
「自分の住むところには 自分で表札を出すにかぎる。
自分の寝泊りする場所に 他人がかけてくれる表札は いつもろくなことはない。
病院へ入院したら 病室の名札には石垣りん様と 様が付いた。
旅館に泊まっても 部屋の外に名前は出ないが やがて焼き場のかまにはいると とじた扉の上に 石垣りん殿と札が下がるだろう そのとき私がこばめるか?
様も 殿も 付いてはいけない、
自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も ハタから表札をかけられてなならない 石垣りん それでよい。」 (以上『表札』より抜粋) 立ち読みしていたら手放せなくなったので、買って帰って繰り返し読んだ。 父の建てた家、母の植えた花がわんさか咲き乱れる庭・・・。 わたしの居場所についていつも感じていた違和感。 せめて精神の在り場所だけは、社会の基準にも誰に対しても明渡すまいと、ハタから表札をかけられそうになるたびに、わたしは茫漠とした頭の中で必死に抵抗を試みる。
「突入せよ!あさま山荘事件」を観に行った。 観客はやはり、チャンネル式のテレビの前に釘付けになり、買い物も行かずになりゆきを見守っていた世代が多い。 わたしは映画を見ながら、登場人物に感情移入したり、その役柄になりきる癖がある。 役所広司の妻役、ある時は彼に救出される人質役・・・。 「TOMATOさんを解放しろ〜!!」というシーンが頭の中で繰り広げられたかと思うと、警察官の夫の無事をひっそりと祈っていたりと、スクリーンを見ながらわたしの想像力はあらぬ方向に広がる。 役柄のせいもあるけれど、宇崎竜童さんが、昔歌っていた頃よりも、ずっと渋く、素敵になっていたことも、想像力に拍車をかけた。 妻になったり、宿舎の電話交換手になったり、人質になったりしたので、観終わった時には、なんだかとても疲れていた。
転勤してから、人間らしい会話(つまりたわいのない雑談)をしたり、笑ったりする機会がなかった。 いつも下を向いて黙々と仕事をするか、小走りに走っていたから。 今日、久々に自分の話をみんなに聞いてもらって、そして笑ってもらって気がついた。 わたしには、自分が笑うことも、人に笑いを提供することも、同じくらい大切なことに。
前々から欲しかった電子辞書をついに買った。 広辞苑、漢和辞典、カタカナ語、英和和英辞典が、こんなにも軽くてコンパクトなケースにきっちり収まっているというのが、とても不思議。 広辞苑ひとつにしても23万語、こんなにものデータをどうやって入力したのかしら。 まさか手入力? 欲しかったおもちゃをやっと手にした子供のようにフタをあけたりしめたり・・・。 いざ字を調べてみようとしても、なかなか思いつかない。 当たり前に使っていた言葉の用法も実は間違っていたことを発見したり、漢字の「おうとつ」と「デコボコ」は、文字の順番が逆だったことなんかを発見したりしてなかなかおもしろい。 これからはめんどーがらずにマメに辞書をひこうと思った。
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