気ままな日記
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昨夜は職場の同僚と、わたしの送別会を兼ねて飲みに行く。 事務屋のわたしにとって、今の職場は異色だったが、こうして気軽に飲みに行ける同僚、気の合う同僚、ランチ友達を見つけることができた。 異動そのものはうれしいが、4月からの職場も180度分野の異なる場所。 新しい環境や人間関係に馴染むのは、何度経験しても、ものすごく苦手だ。 幼稚園に入りたての頃、初めての集団に慣れずに、いつまでも泣き喚き、ピアノを弾く先生の前に、さらしもののように座らされていた、あの時の不安感が、今も心の奥にしまわれているような気がする。 「期待と不安」「愛と憎」「怒りと悲しみ」・・・こういうセットになった、相反する感情を最近感じることが多い。 それにしても、荷物や書類整理にあたって、不用なものをビリバリ破り捨て、ゴミ箱を一杯にするのって、なんだかとても解放感がある。
黒柳徹子著「トットの欠落帖」を読んだ。 世間でいう常識からはずれていたり、奇抜な発想で周囲を仰天させたりする徹子さんだけど、彼女はとても愛すべき存在。 なぜかというと、やることなすことがおもしろいからというだけではない。 何よりも、彼女が自分自身のことを、大好きだからなんだと思う。
某S先生曰く、 「寂しかったり、悩んだりするのは、生きている証拠。文学や詩は、寂しさに浸りながらひとりで過ごせる人の中から生まれる。」 そういえば、明石家さんまさんが、詩や小説を書きそうにないものなあ。 寂しさも含めてどんな感情も、怒ったり泣いたりしながら、自分できちんと受け止められるようになりたい。
子供の卒業式だった。 証書授与は、何度も練習したらしく、本当にしっかりとやってのけていて、2歳の時に、保育園での初めての運動会でちゃんと行進できたのを見た時と同じくらい感心した。 見ていてやっぱりわたしのほうも、何度もジワーッときて、ワッと泣いてしまいそうだった。 自分の力と、価値観を信じて、進んでいってほしい。 自分の力、価値観、良くも悪くも他人に自分自身の価値を決めさせたりはしない・・・本当にそのとおりだね。 君におくった言葉をそのまま自分におくって、そうしてわたしも卒業したい。
小学校を終了する息子の部屋を大整理。 6年間分の、いやそれ以上のおもちゃや、雑誌の付録、分厚いコロコロコミックの山、学用品、どこかから拾ってきたわけのわからないもの・・・などなど。 「これ、いらないでしょ!」 「いる!」 のやり取りを繰り返しつつ、今やっと一段落ついた。 ふうっ。
今週は珍しく大忙しだった。 気も使い、時間制限あり、「なんなの、これ!」っていう仕事だったせいもある。時間と競争してヨーイドン!おかげでヘナヘナだが、こんなに短い時間によくまあできたもんだ。 その気になれば力は発揮できるもの。 いつだって、必要なことはこうやってちゃんとやっていたことに気がついた。 自分で言うのもなんだが、感心してしまいました。
2002年03月12日(火) |
山本文緒著「群青の夜の羽毛布」 |
さとるの母親の、策略とも思える娘への介入に対し、怒りをかろうじて抑えながら読んだ。 母から逃れたがっているのに、母の後押しがないと幸せになれない、逆らうと恐ろしいことになるのではという呪縛。 どこにいても見張られ監視されているように感じる恐怖、音への緊張感が、胸にグサグサと伝わってきた。 自分の怒りを隠すために、誰に対してもニコニコしてしまい、そして退屈な人と思われ、他人は去って行ってしまう。
さとるの母は娘に嫉妬していた。 私の母は私の何に嫉妬をしているのだろう。 パパッ子だった私に対して? それとも家業を手伝う必要もなく、何でも好きなものを買ってもらえ、のほほんとしていられる一人っ子の”いい身分”な私に対して? 夕方になると、早く帰らなくてはと気持ちがざわつき、セカセカしてしまう自分。心の中に自分で門限を作ってしまう自分。 その正体がわかった。
さとるは、母親の期待に添えず仕事を持てなかった。 だからそのことに異常なまでにうしろめたさを感じている。 そして私は、 「あんたなんか世の中で通用できるわけがないんだから、若いだけがとりえのうちに結婚しなさい。」という言葉にとらわれた。 そうだ。私は若くない。世の中で通用しない。そして、最後の逃げ場所だった主婦にもなれなかった。 私の自尊心はそこで崩れ、母の予言は当たったのだ。
私はあなたのお人形ではない。 ペットが欲しかったのなら、子供など産まずにペットを飼ったらよかったではないか。 お人形が欲しいのなら、お得意のその手芸の腕で、何百個でも人形を作り、ずっとあなたの方を向かせて置いておけばよかったではないか。 くそばばあと叫びながら母親を殴り蹴飛ばすさとると一緒になって、私も心の中で母を殴った。 何度も何度も・・・。
わたしはいつも集団というものの、組織というものの外側にいた。 外側から、皮肉な目、意地悪な目、冷めた目で、眺めている。 問題だったのは、そうであったということよりも、そうであった自分をダメだと思い続けていたことだった。 これからもやっぱりわたしは、外野席からの目を持ち続けるだろう・・・それでいいじゃないの!とそう思えてきた今日この頃だ。
母が家をあけて4日目。 当然家のことはわたしがするので忙しいのではあるが、生活感が感じられるというか、忙しさと休息時間のメリハリが生まれるというか・・・。 父は娘に遠慮があるのか、自分で洗濯なんかしてる。(やればできるんじゃないの!) とても静かな時間が流れている。
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