墜落

ひゅうひゅうという音は
風を切る音でもあり
耳障りな呼吸音


正しいものなんて無いと部長は言った
ならどうして「正しい」なんて言葉があるのだろう。

正しくなきゃ
正解じゃなきゃ
駄目なのに

近頃それが
何処かおかしいのだと知った

どうしてそんな風に生きられるの?
どうしたらそんな風に生きられるの?

教え子の左手首には痕があった
多分きっと同じモノ

意味なんかなくていいものになりたい
在るだけで許されるものになりたい

振り返るのが怖い
振り返ったその先が過ちであったら
続く今でさえも誤りになるのではないのだろうか

まちがってたらいけない
まちがったらいけない
その、筈なのに

間違っててもいいだなんて
甘えてもいいだなんて
どうして
そんなの
気持ち悪い

間違ったら見捨てられる
甘えたら突き放される
そうでしょう?

違うって知ってる
オカシイんだって知ってる
でもそれ以外は怖い

間違えても良かったの?
甘えても良かったの?
ただの思い込みだったの?
それが、怖い

病院まであと十日
死なないって約束した
どうでもいいあたしを心配してくれた
だから死なない
けど死にたい
ああ、死にたいじゃない

楽になりたい
苦しいのも痛いのももう嫌なんだ
楽になりたいよ

最初からこんなの無かったら
その他大勢は幸せだったのかなぁ。
2008年06月29日(日)


どうも、走馬です。
生きてます。
……最近何かこれが定型文になってる気がします。

思いっきり逃避したら少しだけマシになりました。
でも夜〜朝が辛い。切りたい首吊りたい死にたいが半端なく襲ってくる。
流石に駄目だと思ったので病院を予約しようと思います。
出来れば今週中にいけたらいいなぁ。

名古屋はやっぱりというかなんというか、暑かったです。
地下鉄が走ってるスゲー! とか
ドラゴンズの試合見に行くであろう子供達だ! とか色々驚きました。
メアは……なんか、彼等がもっと好きになった気がします。
これでレポートさえなければそれなりに遊んで来たものの!
……あーでも変なおっさんに声かけられた時は流石にビビりましたが。
てか、「この辺りにアダルトグッズ売ってる店知りません?」とか聞いた後に飯に誘うか普通。

某所の小説が凄い面白かった。
学園モノ、って書けないから素直に凄いと思う。
一人称の「彼」が好きだなぁ……続きがすげー気になる。
その外にも京極堂やら有川浩やら読んで充電したのでぼちぼち書き始めようかと思います。
2008年06月24日(火)

もうやだ

って
いって
まだ
許されるかな

言っても許されるのかな

死にたいのは逃げたいからだ
だから本当は死にたくないんだ
必死に生きる理由を探して
「まだ死ねない」だなんて
困った顔して笑ってるんだ

もうやだ
もうやだ
もうやだ

壊れないように頑張ったのに
オカシイ欠片を見せないように頑張ったのに
それが「おかしい」だなんて

生きるために努力したんです
言い訳できないと前を向けないから
頑張ったのに
頑張って、平気なフリしたのに

壊れても良かったんですか
壊れても楽曲の質を上げればよかったんですか
怖くて聞けない

リスカしないように頑張ったのに
笑えるように頑張ったのに
その為に約束作って
色んな物補充しようとして
頑張って
頑張ったのに

まだ足りない、だなんて

どこまで頑張ればいいの
それすら答えが無いの
壊れたらいけないのに
オカシクならないように気をつけたのに
普通でいるよう努力したのに

ああ
でも
努力だなんて薄っぺらい言葉
それをしたって認められるだなんて
確証
どこにもないんだって
とうの昔に
知ってたのに

もうやだ。
いたいのもくるしいのもつらいのも
もう、やだ。
2008年06月17日(火)

とりいそぎ。

ちょっとこれから(ほぼ日帰りで)名古屋いってきます。

六日のメアの感想はいずれまた。


拍手お返事
5月31日の古崎さん>
お返事遅くなってしまってすいません……!
きしめんですか、なるほど! 食べてきます!
土鍋にも気をつけます。情報ありがとうございました!!
2008年06月08日(日)

nemo

何も見えないのは、見ようとしないから?
それとも本当に、見えなくなった?

言葉が見つからないのは、傷付くのが怖いから?
それとも本当に、見つからなくなった?

晴れてる空が憎たらしい
聞こえる声が憎たらしい
子供なんて嫌い
鬱陶しいから嫌い
喧しいから嫌い
柔らかいから嫌い
すぐに泣くから嫌い
おなじものだから、きらい

違うよ本当は平気なんだ
平気なのに平気じゃないふりをしてるんだ
きっとふりなんだ
あははは
なんだろう、この、卑怯者。

モジカキでなくなったら走馬真人ではないのです
走馬真人はモジカキであるべきなのです
きっとこれは思い込みなのでしょう
生来からの癖なのでしょう
でも
書けなくなった自分に、何の意味があるのでしょうか

人生は何度でもやり直せる、なんて、嘘。
「やり直し」、じゃない
その地点から、何かを「始める」んだ
それは、過去のやり直しにはならない
何故なら未来に続くから。

信じてきたものが間違いだと知ったとき
人はどうするべきなのでしょう
やり直すべきなのでしょうか
和解すべきなのでしょうか
でも
間違いを正して
自分が揺らぐのなら
どうしたらいいのでしょうか
揺らいでも正しく在るべきなのでしょうか
間違っていても自分で在るべきなのでしょうか

分からないのです
何処からが本当で
何処からが思い込みなのか

分からなくなったのです
その言葉が本当なのか
それとも偽りなのか
分からないのです

十二分に引きとめて貰っているのです
それでもまだ死にたいと願うのは
私が偏に我儘なのでしょう

恵まれているのです
きっと、恵まれているのです
だから
何も不満など持つべきではないのです
なのに何故
私はこうなってしまったのでしょう

大丈夫
大丈夫
死にたいだなんて口に出来るうちは
まだ大丈夫なのです

大丈夫
大丈夫
終わりたいだなんて口に出来るうちは
まだ大丈夫なのです

きっと、これは、狂言なのでしょう。
首に紐は巻き付けれても
一線を飛び越える勇気がなかったのですから
借家で首を括る、その決意がなかったのですから
橋の欄干から飛び降りることが出来なかったのですから
首を切ることが出来なかったのですから
自分に火を付けることが出来なかったのですから
だから、きっと、莫迦者の戯言。

きえてしまいたいだなんて、きっと、戯言。
2008年06月01日(日)

AGO。 / 走馬真人

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