2003年04月27日(日) |
あたしがショックを受けたワケ。 |
オーストラリアから日本に帰国。
そしてその後4日間くらい大阪で遊んでもらうべく滞在。
実家のある愛知に戻ってきたのは21日の夜。
久しぶりに帰国した我が家で
あたしを打ちのめした事実。
高校のときの友達が結婚。
・・・・・あたしのいない間に結婚だとぉ???
ひ・・・ひどい!
あまりにひどすぎるわ。
あたし達、高校のグループの中でも
特に仲が良かったじゃない。
待つのが真の友達というものじゃなくって? <違
あまりにも衝撃を受けたため
その事実が書いてあった年賀状に載っている、
その子の連絡先に思わず電話。
・・・・・出ない。
出ないぃぃぃぃぃぃぃぃ!
ある意味、パニックです。
あせってます。
このときのあたしは、ホントその子と話がしたかった。
でも出ないんなら仕方ない。
高校のときの仲良しグループの
他の女の子に電話。
しかし!
『もしもし』
と出た人は男!
なんで男が出るの!!
てなワケで、あたしの居ない間に、
知らないうちに電話変えられてました。
・・・・・ひ・・・ひどい。
集団イジメだ。ゼッタイにそうだ。
3度目の正直。
もう1人の友達に電話。
そうしたらやっとつながった!!
『もしもしっ』
『あっ陽子ちゃん?
びっくりしたー。帰って来たの?おかえりー。』
『そうよ。帰ってきたのよっ。
でもその間に、何でKは結婚してるのよーっっ。
あたしに内緒でっっ』
『いや、内緒って★
ちゃんと招待状届いてたでしょ?
K、送ったって言ってたよ。』
『日本に届いて分かるわけがないじゃんっ
オーストラリアまで送ってよーっっ』
『んな無茶な★』
『それにねっ。Sちゃんに電話したら番号変わってたし!
Hちゃん、あとで教えてーーー!!
Sちゃんはどうなの?新婚生活上手くいってるわけ??』
『あれ?それもしらなかったっけ?
Sちゃん、子供生まれたよ』
・・・・・
・・・・・
なんですと??
ひ・・・ひどい。
みんなあたしに黙ってっっ
結婚とか出産とか!!
とまぁ、そのときは、かなりショックで
衝撃うけまくりだったわけですが
全部おめでたいよね。
結婚しちゃった子も
『陽ちゃんには来てほしかった。』
と後に電話で言われ
行けなくて申し訳なかったです・・・・。と思い。
子供が生まれた子も
『んで、円満?』
と聞いたら
『あはははは。円満。円満♪』
とかなり楽しげに回答があり。
あぁ、みんな、順調にやってるんだぁと思ったら
あたしまで嬉しくなっちゃったり。
今度、その結婚した子に会いに
神奈川に行く予定。
そして赤ちゃんが生まれた子は
出産祝いも兼ねて、愛知にある彼女の家まで押しかける予定。
みんな確実に人生で成長が見られるよね。
あたしも負けずに頑張ろう!
と心から誓わせて頂きました。
この日、あたしはケアンズから大阪行きの飛行機に乗りました。
1年間のワーホリ生活に、とうとう終止符が打たれようとしています。
でもね。
この乗るまでも、一波乱あったのさ。
事の起こりは、あたしがパースでホームステイをしていた頃。
朝まだベッドで気持ち良く寝ているのを邪魔するかのごとく
1本の電話。
『もしもしー日比さんですか?』
『・・・はぁい。そうですけどぉ』 <かなり眠そう。
『あっ。ごめんなさい!寝てました?』
『いえいえ、大丈夫ですよう。』 (と、ここで起こされたのに気がつき、多少腹が立ってくる)
『実はですね、日比さん、日本行きのチケット購入されましたよね?
その時間帯が変更になったんです。』
『ほ?』
『12時半だったのが、11時15分になりましたので
直して頂けますか?』
『あ。はーい。早まったんですね。OKですよー。』
『ありがとうございます。
それでは出発時刻の2時間前にはチェックインされるように
なさってくださいねー。失礼致します。』
『はーい。失礼します。』
・・・そうして再び眠りにつくあたし。
てかもう10時だった、たしか。
寝るな、あたし。
でも、この出来事、さほど気にしてなかったのです。
そう、あの日、ダーウィンからケアンズの友達に
電話をかけるまでは。
あたしは、ケアンズで会いたい人と
待ち合わせの時間と場所を決めるべく、
ツアーガイドをやっているお友達にダーウィンから電話をしたのです。
『もしもし久しぶりー♪今ダーウィンなんだけどね。』
『おおー久しぶりー。いいなーあたしもダーウィン行きたいよー。』
てな感じで、最初はスムーズに話は進んでいたワケですが、
『あっ。そういえばさー。あたし17日に帰国なんだけど
飛行機の時間早まったのよ。何でか知ってる?』
『あぁ。それね。
それさあ、福岡経由になったんだよ。』
・・・はい?
あたし、直行便のつもりで買ったんですけど?
直行便の値段、払ったんですけど?
『しかも、17日から週に3日だけ。
ようこちゃん、大当たりじゃん』
そんな大当たりはいらなーーーーーい!!!
あの電話のおねーさん、あたしを騙しやがったわね。
経由なんて一言も言ってなかったじゃん。
時間の変更しか教えてくれないなんて、ひどすぎるっっ。
てなワケで、経由しましたよ。
最初に着いたのはまず福岡。
そこで降りるお客の一言が、またあたしの気に障る。
『あっ。この飛行機、大阪まで行くんだ。』
てゆーか!
もともとは大阪だけしかいかないし!
その福岡で、1時間も待たされ。
最初の30分くらいは調整のためトイレに行くことも我慢させられ。
そして大阪にはたったの40分で着く始末。
・・・・・待ち時間のほうが長いじゃんよ☆
まぁ、いいのです。
仕方ないのです。
世の中は戦争と悪性の肺炎で大騒ぎ。
そりゃ、お客も減るよね。
そして、そのとばっちりが、あたしに来ただけだということ。
でも、この飛行機の経路、ホントに良く考えられてまして。
ケアンズからまず福岡に着いて、
お客を降ろしたあと、再びお客を入れ、
大阪に着き、大阪のお客が降りた後、再びお客を入れ、
そして再びそのまま、ケアンズへと飛び立つ仕組みだったのです。
まさしくエコ。リサイクル。<違
とゆーわけで、大当たりの帰国だったのでした。
まぁ、その間、隣の席に座った
日本語の話せるオーストラリア人と仲良くなれたから
とっても有意義だったんだけどね。
せっかく仲良くなったんだしメール送ろーっと♪
今、ケアンズにいる、あたしですが、
ケアンズに来る前日、
ダーウィンのホステルから、ケアンズで会いたいと思う方に
電話いたしました。
彼女は、前あたしがツアーガイドをしていたときに
そこのオフィスで働いていた
同じくワーキングホリデーの女のヒト。
彼女は、見た目穏やかな印象ですが
話すと、すっごく個性がありすぎていて面白い!
このヒトの中にAB型の真髄を見た気がします。
その彼女とケアンズで
再会歓迎として、ご飯でも食べるべく電話。
開口1番、
『おかえりーーーー!!!』
と彼女。
いや、まだ帰っちゃいないって。
ここはダーウィン、ケアンズじゃないっす☆
『で、どうなの?月行きのチケットは取れた?』
・・・あたし、異星人だったのか!?
お願いだから人間扱いして(涙)
あたしから見たら、彼女のほうが
数段、いや数十倍変わっているとゆーのに、
彼女は、あたしをこのようにおかしなヒト扱い。
『ひ・・・ひどい。
あたし人間だし。
月に住んでないし。
月に1人で住むなんて嫌だー!』
と、抵抗はしてみたものの、
『がはははははは!』
ってな感じで済まされちゃったよ。
相変わらずなお方☆
そして、そのあとも
おかしなテンションで話は進むものの、
何とか会う日程を決めることに成功。
『それじゃあ、またねー。』
と気持ちよく切るつもりが、
『はいはい、元気でねーー!』
と返す彼女。
やっぱり、ひどい・・・。
会う約束までしてるのに、何で『元気でね』なんだ??
そうやって再び反抗。
そうしたら
『うはははは!
いや、『気をつけてねー』って言おうとしたんだけどさー。
『元気でねー』に、なっちゃったよ。』
もう、いい。
あなたの面白さは十分にわかった☆
そんな彼女と昨日ケアンズでばったり再会!!
いや、ケアンズ狭いからね。
昨日だけで、何人知ってるヒトに会ったことか。
そして、そのときも開口1番
『んで、月にはいつ帰るんだっけ??』
・・・しつこい☆
今朝まで、あたしはダーウィンにいました。
3日前にダーウィンに到着したあたし。
空港から出た瞬間に目に入った
たくさんの木々と、その眩しいほどの鮮やかな緑色に
思わず感動。
『きゃー。ダーウィンもケアンズに似てて
緑がいっぱい!ダーウィン好きかも!!』
と、思わず、心トキメかせてみたものの、
そのあと、いったんホテルに出て、買い物に出かけたとき
・・・あ、暑すぎる・・・★
恐ろしいほどの暑さがあたしを襲ってきましたさ。
雨季が終わり、夏も終わりに近づいてるとはいえ
こちらの4月は、日本でいう9月みたいなもの。
まだまだ十分、暑いよ!
ダーウィンの市街を散策する予定だったものの
あまりの暑さに、ノックアウト。
早めにホテルに引き返すことを心に深く誓い、
とりあえず買い物と、夕ご飯を済まし、再びホテルへ。
その前に、ダーウィン土曜日だったから
お店が全然開いてなくて、歩く場所が無かった・・・
というのもあるのだけれども。
そんなワケで次の日のカカドゥ国立公園
1泊2日のツアーに備えるべく、
早めに寝る準備を開始したのですが、
あ・・・暑くて、寝れない★
次の日には5時には起きなきゃいけないっつーのに
暑くて寝られない。
というホステルを選んだ、あたしも悪い。
そんなワケで、約3時間くらいしか寝られずに
ツアーに早朝から参加。
そこで、受けたとってもショックな事実。
日本人が・・・・あたし1人ぃ★
しかも、他の9人、全員英語圏だし!
あ・・・あたし、必ず浮くよ。
しかも会話に入れない。
確かに前よりは英会話力は伸びてるけども、
英語圏の会話に混ざれるほど、伸びちゃいないっすよ。
というわけで、切ないツアーがスタート。
さらにあたしを切なくさせた現実。
ほ・・・ほんとうに暑すぎるぅ★
さすがカカドゥ国立公園。
クロコダイルと野鳥が多く生存する
自然いっぱいのオーストラリアで最高の大きさを誇る公園。
暑さも本格的です。
いえ、暑いだけなら、まだしも
あまりにも蒸してる!
なに?このムシムシ、アツアツは??
久しぶりに汗が、体から滴り落ちました。
初めて、滝の流れる川で、思いっきり泳ぎました。
足が付かない上に、流れもあって
かなり、ここでも疲れましたが。
しかも1日目は、昼過ぎからかなり頭痛。
もうホントすぐ、ホステルに戻りたかったくらい。
疲れかなー。
と思っていたら
ガイドさん、いわく熱射病の軽いやつだったらしく。
確かにエアコンのガンガンに効いた4WDにいたら、
だんだんと、頭痛は治まってきましたとも。
そして夜はキャンプ。
これが、また全く眠れない!
暑い!
ディンゴ(オーストラリアの野犬)の遠吠えがうるさい!
寝る位置が落ち着かない!!
あぁ・・・最近のあたし、かなりの寝不足★
おかげで、日本に帰りたくなりました☆
とはいえ、アボリジニーの壁画が見れたり
恐ろしく壮大な自然の眺めと、
泣けるくらい綺麗な夕日が見れたので
このツアーも、とっても満足しました。
だけど、ここで覚えたこと。
ダーウィンに4月は行くべからず。
36度の湿気を伴なった暑さがあなたを待っています★
2003年04月11日(金) |
タスマニアを振り返る。 |
昨日、久しぶりにタスマニアで仲良くなった女の子に
電話をかけました。
彼女は大学生で、九州の大学から、タスマニア大学に
交換留学生としていらっしゃってる
いわば、簡単な英語は話せて当然!な子なのですが、
現在はこちらの大学に通うため、さらに英語を発展させるべく、
あたしと同じ大学付属の語学学校で勉強しているわけです。
あたしがタスマニアを離れてからは
1回ポストカードを送り、
さらにメールで1回、やり取りしただけだったのですが
ちょっと、どうしても尋ねたいことがあったので電話したのです。
てゆーか、まだ同じオーストラリアにいるんだし
メールとかポストカードとか、時間や手間のかかるアイテムを使わずに
最初っから電話とかすればいいんだけどね。
まぁ、最初に向こうからメールを送ってきたので、
それにあたしも合わせてみたりしたわけなのです。
で、あたしがその子に電話をかけたわけ。
彼女がオーストラリアについての情報雑誌
『地球の歩き方(オーストラリア版)』を持っていたので
その情報をちょっと得たくて、電話をした・・・と
本当にあんまり身のない理由での電話だったのですが、
『地球の歩き方』を持ってる子が、その子しか思い出せなかったので
ま、軽い内容だけど、電話しちゃえっと思って
電話をかけさせて頂いたのですよ。
そうしたら、やっぱり電話でその内容を伝えた途端
『なぁーんだ。』
って言われちゃったよ。
久しぶりの電話が、あんまり意味のない内容の電話でごめんよ☆
というわけで、あたしの聞きたいことももちろん聞き
そのあと、ちょっと彼女の近況について質問。
タスマニアには彼女の他にも
大切な友達が、まだいっぱい学校で勉強してるのです。
やっぱり、その子達のことも聞きたいし。
そうしたら
『Hがねー、英語よりも、韓国語が伸びてきててさー。
おかしいでしょ??』
というお返事。
ちなみに、Hというのは、日本人の男の子。
あたしと歳も出身地も一緒でして
名古屋弁ばりばりの、おもしろおかしな男の子なのですが
彼は、ここで初めてきちんと英語を習い始めたので
最初は全然英語が話せなかったというお方。
英語をいっぱい勉強して、さらにこっちで
『ジェントルマン』になって日本に帰国しようという
なかなか良い目標を持ってはいるのですが
一風変わっていて、女の子の中に混じっていても
違和感さえ感じない、不思議な男の子なのです。
とはいえ、彼は、あたしの中でかなり好印象。
オーストラリアでできた1番の男友達かもしれない。
そのHが、英語よりも韓国語が伸びてきているという・・・
英語学校にいて、韓国語が伸びる彼。
あまりにも有り得る話で、そこでも彼のおかしさが分かります。
『だってね、コリアンの子と普通に会話してるもん!
あたしに対しても、『今日は寒いね。』って韓国語で
話し掛けてくるし!何いってるか分かんないって言ってるのにー』
あははははは!
そういえば、あたしが彼と会話したときに
英語の次は韓国語を勉強したいって言ってたなー。
でも、先に韓国語伸ばしてるみたいで。。。
英語は勉強しなくていいんかい★
そんな彼から、今日英語でメールが届いてました。
『元気ですか?俺は英語は全く上達してませんが
韓国語が伸びてきています。
そして家もホームステイから、シェアフラットに移りました。
明日はその家にJとSとM(あたしの女友達たち)を招待しています。
陽子も招待したいと思います。家に来ませんか?』
という内容のメール・・・・。
てかパースから、どうやってタスマニアのHの家まで行けるっていうんだ!
相変わらずおかしい人やのう。
でもやっぱりタスマニアで出来た友達は
おもしろくて楽しくて、これからもずっと付き合っていきたい人たち。
再会いたしました。
ケアンズで、いっしょにツアーガイドやっていた
ちょっとだけ先輩で、
やめるのも、ちょっとだけ先輩だったHさん。
パースの日本食屋さんに
『お腹すいたよー何か食べたいよー』
って、ふらりとあたしが立ち寄ったのが、何かの縁。
そこにそのHさんが現れた!
そこには色々な日本人向けの情報も貼ってあるので
それを目当てに、決して食べ物が目当てじゃなく
来ている客も多いのです。
そんなお客様の1人だった、あたしとHさん。
『おおっ!久しぶりー!!』
となって、話がはずむ、はずむ。
『Hさん、今何やってるのー?』
『いや、彼氏が出来ちゃったからさー
いっしょに住めるところ、探してるの。』
ほほぉ、多いですな。
ワーホリ中に彼氏が出来る人。
この前も仲良くしてた、ツアーガイドのときのお友達が
彼氏と一緒にタイ旅行に行っちゃったばかりだし。
そして、そのまま彼氏と日本に帰るのさ。
ワーホリ中は恋の切符が3枚あるという。
それを皆さん、ちゃんと利用されてるようで☆
『ふーん。ちなみにどこの国のかた?』
『ニュージーランド人。』
おおおお!
Hさんのことだから、彼氏は日本人とばかり思ってたよー。
偏見があったみたいで、ごめんなさい☆
いや、でもニュージーランド人かあ。
この前もあたしとケアンズのときに仲良くしてた女の子が
スイス人の彼氏連れて、日本に帰国したばかり・・・。
(と、こういう話はキリがないほど、多く存在する)
でも、どうやら、このHさんの彼氏さん。
とってもとっても束縛が激しいらしく、
Hさんもほんと困り果ててる様子。
『今日はそのことでケンカしたばかりなのよー』
・・・だって。
いや、外国人の方にも束縛が強い人っていらっしゃるのね。
(と、これも偏見★)
でも、元気そうで良かったわー。
彼女は現在、高級日本食レストランで働いているそうです。
そして、その3ヶ月後には日本に帰国しないといけない。
『帰国するときに、彼氏どうするの?』
『いや、束縛強いしねー。
結婚までは考えられない。それが無くならない限り。
いざとなったら、帰国を理由に別れられるし。あっはっは。』
・・・・・やっぱり、女は強し★
何気なく、昨日と今日の日記は
続編モノとなっております。
めずらしいことですね。
てか、昨日の5時に、ここですでに語らっている
ホストファミリーと再会することになっていたのですが
その前に何気なく入ったジャンクフード屋(名前分からず)で、
ケアンズで知り合った、ワーホリの日本人の女の子とも偶然再会!
あたしは再会の5時を目前に
自分のワーホリ中に取った写真達を
アルバムに入れるという地道な作業にかかったわけです。
だって、そのまま見せたら、順番めちゃくちゃになるかもしれないし。
そうなると、ちと面倒だし。
とゆーわけで、4時過ぎにジャンクフード屋さん入り。
とりあえずオレンジジュースとアップルパイを買い、
4人用席を1人で占領し、
自分の思い出の写真達をアルバムに詰め始めたのです。
いや、端から見てたら、こんなとこでやるなよって
思うだろうけどね。
もう時間も無いし、そんなこと気にしちゃいられない。
そうしたらその作業が始まってすぐ、
横から顔を覗かせた日本人の女の子。
『やっぱり!』
ん??
『日比○○でしょ?』
おお!
フルネームで名前を呼んでくれたあなた!
あたしも見覚えがあるわー。
シドニーで会おうって電話までしたのに
結局そっちから音信不通になった子だ。
でも、ごめん、名前覚えてない。
恐ろしく失礼なあたし。
『何でここにいるの?』
いや、それは、あたしも言いたい☆
とりあえず、あなたの名前思い出さないと。
でも思い出せそうも無かったので
直で名前聞き直しちゃいました。
そして、こうやって日記を作成している今、また忘れてる。
結局それだけの関係?
いや、でもこれがワーホリというもの。
ちょっとだけのつながりの子の名前を思い出せないほど
あたし達は、恐ろしくたくさんの人と出逢い、そして別れているのだから。
んで、何とその子と一緒だった日本人の女の子も
偶然あたしが知ってる子であったりしまして。
ケアンズでダイビングしたときに、同じツアーに参加してた子だよ。
ほんと、ワーホリ人口って狭い、狭い。
2人で一緒に旅しているかと思いきや
その2人も、ここパースで偶然会ったというんだから驚き。
ワーホリの子達が滞在する場所って
結局限られてるのよね。
あたしは写真を詰めながら、その子達とお話しなくちゃいけないという
ちょっとハードな状況に追い込まれたのですが
でも久しぶりに会えた懐かしい子達と
ほんのわずかだけど、楽しいひとときを過ごす事ができたのでした。
おかげさまで何とか写真も詰めれたしね。
写真があまりにも多すぎて、アルバムのほうが足りなくて
まだ20枚足らず、放置されておりますが。
んで、そのあと、その子達に別れを告げ
5時にホストファミリーとの待ち合わせ場所に出向いたあたし。
かなり心臓ばくばく。
で、で、とうとう出会いました。
懐かしいあたしの初ホストファミリー。
かなりドキドキしながら声をかけましたとも。
そして1番最初に言われた言葉。
『ヨウコ・・・焼けたわね。』
何も最初に言わなくったって。
自分で分かってるしー。
でも最初に思わず言いたくなるほど
あたしは黒いということです。ああ、いや★
お父さんとお母さんは、やっぱり3年の月日では
そこまで変化は見られませんでしたが、
やっぱり3歳と5歳の娘がかなり変わってる!
そして特に3歳の子のほう。
今は6歳になってるわけですが、
前は、ちっちゃな動物のごとく
元気に駆け回っていたあの子が、
朝あたしの部屋に入ってきて
平気でお腹の上を歩き回り
あたしにかなり痛い思いをさせていた、あの小さな女の子が、
今ではかなり背も高くなり
女の子らしく、スカートなんて履いちゃってます。
でも2人して、落ち着きなく
あたし達の周りを駆け巡ってるのは相変わらず。
『ヨウコ ヨウコ』
って一生懸命話しかけてきてくれて
ものすごくかわいい。
すっごく良い成長の仕方をしてますわ。
そしてお父さんとお母さんの優しい笑顔も相変わらず。
すっごく楽しいひとときを過ごす事が出来ました。
やっぱり、1番大好きなホストファミリーだ。
でも最後に、これからは、ちゃんと連絡を続けてねって
言われちゃいました。
うんうん、ごめんなさい。反省してます。
これからはまめにお便りさせて頂きます。
2人の女の子達も、これからどんどん成長していくし
ぜひまた会いに来たい!
そして成長を見続けたい!
彼らが最初のホストファミリーで、ホント良かった。
あたしはワーホリに来たときに
最終目的というのを作っていました。
それが、今日叶えられそうです。
今から、ちょっとどきどきしてます。
今から3年前。
初めての海外旅行が、今いるここパース。
1ヶ月のホームステイ。
そのときのホストファミリーは
27歳のお母さんに30歳のお父さん。
そして3歳と5歳の娘たち。
初めての海外、初めてのホームステイ。
そしてあたしは英語がまったく話せない・・・。
そんな状態でも、すごくこのお母さんが
あたしに親切で。
お休みの度に家族そろって
色々なところに連れて行ってくれたのです。
お父さんは日本に興味があるらしく
色々なことをあたしに尋ねてきました。
英語でうまく伝えられないから、辞書も使っての会話。
それでも熱心にあたしの話を聞いてくれていたのを
覚えています。
1ヶ月後の別れのときは本当に寂しくて
すっごく泣いたし、
日本に帰国したあとは逆ホームステイになってしまい、
1人で大阪の下宿先で泣いたのを覚えています。
その後も、しばらくは連絡が続き、
あたしのお誕生日にプレゼントを贈ってくれたりしていたのですが
あたしは、やっぱりうまく英語が話せない。
そして書けない。
手紙を書くのもままならず、
あたしから自然を連絡不通になってしまったのです。
その間にそのホストファミリーは
パースからかなり離れた街、カラッサをいう所に引っ越してしまい、
あたしに残ったものは、その引越し先の住所と
彼らとのたくさんの写真のみ。
だから、今回のワーホリでは
最後に絶対パースに戻ってきて
彼らを訪ねにカラッサに行こうって
ずっとずっと思っていたのです。
英語が少しでも上達していると思われる
ワーホリの最後のほうで手紙を送って
連絡を取り、再会するのが、あたしの目標。
そういうわけで、タスマニアにいたときに
彼らにポストカードを送ったのです。
あたしは今オーストラリアにいて
もうすぐにパースに行くから
ぜひ会いたいという内容のポストカードを。
そしてこのポストカードを受け取ったら
ぜひあたしに連絡してほしいという内容を添えて。
しかし。
それから10日経っても連絡はなし。
彼らは連絡をすれば、絶対連絡を返してくれる人達だから、
これはもう手紙届いてないとしか考えられない。
2年間は音信不通だったから
その間に、また引っ越してしまったのかも・・・。
ワーホリの最中もたくさんの家でホームステイをしましたが
彼らほどいいホームステイ先には巡り合えませんでした。
なんで連絡をあたしから絶ってしまったんだろ・・・。
とかかなり後悔。
ちょっと泣けました。
タスマニアからパースまでの約10日間。
1回もメールすら見られなかったあたし。
パースに着いて、落ち着いたところで
久しぶりにメールを見てみると
そこになんと、そのホストファミリーからの返事が!
やっぱり、あたしの思っていたとおり彼らは引っ越していました。
でもオーストラリアにも、ちゃんと住所変更届ってあるみたいで
彼らの新しい住所に、あたしのポストカードは無事に届いたのです。
しかも、彼らの新しい住所は、再びパース!
カラッサよりも断然会いやすい状況になったのです。
どうやら今年の1月に3年ぶりにパースに戻ってきてたみたいなのです。
というわけで、今日までメールを電話で連絡を取り合い
今日一緒にお食事をすることができることになりました。
みんなとの3年ぶりの再会!
もうほんとにどきどきします。
みんながどのように変わっているか
そしてそのままでいるのかが
楽しみで仕方ありません。
会ったら泣いちゃうかも☆
お誕生日のお祝いをしてくださった方々。
本当にありがとうございます。
こうやってお祝いしてもらえるのって、本当に嬉しいです。
そのお誕生日の日。
あたしは1つのツアーに参加してました。
4月1日から4月6日まで。
パースから同じ西オーストラリア州にある、
エクスマウスというところまで。
なんとその距離、約1600キロです☆
その前々日までは、
さらに、もう1つの4日間のツアーに参加していました。
これはパースからエスペランスというところまで、
距離にして約800キロくらいでしょうか。
エスペランスは海がキレイという評判の場所で
ぜひ行ってみたかったのです。
さらにウェーブロックという名所にも行けることになっていたし。
というわけで、4日間のツアーに最初に参加したのですが
その2日目から、風邪の兆候が表れはじめたあたし。
何とか4日間のツアーは楽しく終了することができたのですが、
その2日後には始まる6日間のツアーへの影響が
心配でたまりませんでした。
だって、この6日間のツアー、
パースから、わざわざ1600キロもの距離を
ツアーに入って行く意義。
それはエクスマウスにある珊瑚礁の海で
スノーケリングをすることにあったのです。
もちろん、ただのスノーケリングではありません。
みなさん、ジンベイザメって知ってますか?
大阪の海遊館でも漂っている、あの大きなサメ。
あのサメと一緒に泳ぐことができるから
あたしはエクスマウスまで行こうと思ったのです。
風邪が必ずしも軽いものではなかったため、
ツアーの日程変更をしたかったのですが、
パースを12日は出るあたし。
その変更は断念せざるを得ませんでした。
とゆーわけで、このツアー、キャンプスタイルか
ホステルに宿泊かどちらか選べて、ホステルを選んでいたあたし。
夜はゆっくり休もうと思って、計画どおり
4月1日から、このツアーに参加しました。
朝6時半。集合時間に集まってみると
今まで参加した、どのツアーよりも日本人がいません。
あたし以外に日本人の子は女の子が1人だけ。
あとは、イギリス、カナダ、スウェーデン、フランス、スイス
ドイツ人とありとあらゆる国籍です。
そしてこのたった1人の日本人の女の子が強者で、
なんだか英語がぺらぺらです。
ひょっとして、あたしが1番話せないのかも・・・★
かなりの不安のままツアースタート。
で、さらにありえない出来事。
途中で知らされたのですが
このツアー、最初2日間の宿泊がブッシュキャンプスタイル。
つまりトイレもシャワーもないかもしれないところで
寝袋だけで寝るという恐ろしい夜を過ごさなければ
いけなかったのです。
あたしは、ちゃんとホステル料金を払っていたし
もちろんホステルに泊まれるものだと思ってたので
この事実に愕然。
もう1人の日本人の子もホステル希望だったらしく
すっごく嫌がっています。
でも、ここで分かったもう1つの事実。
こういうブッシュキャンプスタイルのツアーだったから
日本人が少なかったのです。
日本人は自分から、好んでブッシュキャンプのツアーに参加しません。
やっぱりより快適なほうを好むのです。
反対に欧米人は、こういうツアーを好んで参加できます。
ここが日本人と欧米人の違い★
ブッシュキャンプスタイルのうえに
ハエの数が非常に多い場所での宿泊。
初めから分かっていれば話は別だけど
ツアーに参加して初めて知らされた事実。
風邪も引いていたし、絶対ホステルが良かったのに
もう参加してしまった以上、帰ることはできません。
とゆーわけで、2日間、ブッシュキャンプしましたとも。
夜はシャワーはおろか、顔さえ洗えない状態。
かろうじて流せないトイレが1つあるくらい。
1日目は慣れていなかったので
寝袋で、なかなか寝付けなかったあたし。
でも2日目はなんとかぐっすり寝られました。
そして両方とも、次の日にやっとシャワーを浴びれる。
とは言ってもこのシャワー、なんと塩水です。
雨のまったく降らない場所だったため
海水を水道水に変えているのです。
日本ではありえない生活。
でも幸いだったのが、このツアーのメンバー。
みんな恐ろしくいい人ばかり。
人のことを思いやれる、素敵な人ばかりだったので、
あたしもかなり色々助けてもらえました。
もう、あのメンバー、ホント大好き!
もちろん、ツアー中にお誕生日だったので
ドライバーガイドさん含め、みんなでお祝いしてくれました。
色々な国籍の人にハッピバースデーって歌ってもらえたのは
これが初めて。
さらに1番仲良くしてたフランス人の女の子が
プレゼントとケーキを買っておいてくれていたし、
ドライバーガイドさんは、誕生日カードにみんなの寄せ書きを集めて
あたしに渡してくれたし。
お誕生日にあのツアー、あのメンバーで、
ホントにホントに幸せでした。
さらに4日には無事にジンベイザメツアーに行って
一緒にスノーケリングしながら泳ぐこともできたし。
ジンベイザメ、大きくて素敵だった♪
一緒に泳ぐということで、泳ぎの面がかなり速くて
ハードでしたが、すごくいい思い出ができました。
そしてエクスマウスからパースに帰ってきたのが今日。
昨日のお昼の2時45分にバスに乗り
着いたのが今日の朝10時半。
ありえない長さ★
でも、これでまた新たに強くなれたなぁって
自負してます。
今オーストラリアにいることが、とても幸せです。
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