本来ならば今日はお通夜というところなのだろうが 諸々の事情で、その後の段取りを一週間の間に分けて執り行うことになった。
というわけで今日は、湯灌と納棺の日。
自宅を車で出たのが07:00、私の実家で少し休憩した後 両親を乗せて10:10出発。 常磐道柏IC〜圏央道稲敷ICを経由し 都心からバスで来た妹と姪っ子を拾いながら祖父宅へ着いたのが13:50。 見慣れた道を運転しつつも、近づくほどにハンドルが重く感じる。
3年ぶりに訪れた祖父宅の1階は、家具類がすべて母屋に運ばれたのか 2間ある部屋は襖も障子も取り払われ、廊下にも畳が敷かれ 広くなった部屋の奥に、祖父が寝ていた。
顔を見るのは去年の3月以来である。
年に似合わず180cm近い身長とがっしりした体つきをしていたはずだが 約1年の入院生活ですっかり痩せてしまい、一目では祖父と分からない。 顔なんか、3月の時よりひと回り小さくなってしまったように見える。
妹母子がひと足早く、15時過ぎのバスで帰ることになったため駅まで送り バスに乗り込んだところまで見送り、再び祖父宅へ。
ひっきりなしに訪れる弔問客も落ちついた17:00頃 浅めのバスタブやお湯のタンクなどを持った葬儀屋さんが来て、湯灌が始まった。 納棺は父方の祖父で見たことがあったものの、湯灌に立ち会ったのは初めてだ。
遺体の肌を見せぬよう、体の上にバスタオルをかけたまま バスタブ上に張られたメッシュ上のものの上に乗せられた祖父に 親族がひとりずつ、足から胸元にかけて柄杓でお湯をかける。
それが終わるとシャンプー・髭そりをしてもらい 今度はまたひとりずつ顔を拭いていく。 つやつやで血色の良かった顔が、ひんやり冷たくなったのが 指で触れて実感した時、不意に涙がこぼれた。
結局着ることがなかった山吹色のちゃんちゃんこを着せてもらい (90の祝いの席で着ようと、祖父自身で用意していたという) 愛用していた木製の杖もお棺に納めた。 これで向こうで歩くことにも不自由しないといいなと思う。
2010年01月30日(土) |
続・目は口ほどに何を云う。 |
一昨日の後記の最後を
“おそらく知ることができないままになりそう、な、気がする。”としたが
案の定、そうなってしまった。
ただ、そうなることは予想できても
まだ1ヶ月くらい先だろうと思っていた。
そんな矢先の今朝方、実父から祖父の訃報が入る。
2010年01月28日(木) |
目は口ほどに何を云う。 |
祖父が当初『余命3ヶ月』と言われて入院してから 何だかんだであと1ヶ月後には丸1年経つ。
癌であることはだいぶ前に分かっていたものの 90という高齢ゆえ手術もできず、進行も遅い。 最近になって黄疸が出てきたと聞いたが、それでも さすが団十郎ばりのギョロ目一門の頭、目ヂカラだけは、衰えていないらしい。 (お蔭で、私の親を含めおじ・おばはこの祖父に似て全員ギョロ目だ。 孫である私は残念ながら似なかったけれど)
体を満足に動かすこともできず 言葉を発しても身内ですら聞き取ってもらうこともできないのに 頭はハッキリしているものだから、余計もどかしいのかもしれない。
祖父がその目で何を訴えたいのかは
おそらく知ることができないままになりそう、な、気がする。
一昨日行ってきた関八州見晴台(←リンクあり)を “山歩き”ページに追加。
昨日行ってきた、鎌倉・天園ハイキングコース(←リンクあり)を “山歩き”ページに追加。
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今日、上記とほぼ同じ“更新のお知らせ”をmixiの日記に書き込んだ際 ふとプロフィールのニックネームが気になった。 mixiに登録した当時“Haruki”のニックネームはダブっていて使えず 小文字・大文字・平仮名・片仮名も全滅。 仕方がないので少しもじって“はるきっくす”で登録していた。
まぁしばらくはそれでも良かった。 ほとんどのマイミクさんは実際mixiに登録する前からのお付き合いだったから 別に不便も何も感じなかったけれど 最近mixiの山コミュでイベントに参加し始めたところから 少しもじったニックネームが居心地悪いものに感じられてきたのだ。
で、試しに再びニックネームを変更してみたところ、あっさり変えられた。 いつの間にやらシステムが変わったのか何なのか。
そんなわけで、mixiでも晴れて“Haruki”を名乗ることにした次第。
実は最初に“ハルキ”(その頃は“遙樹”だった)とつけてから もうかれこれ20年以上経っている。
昨日行ってきた、伊予ヶ岳と鋸山 (共にそれぞれリンクあり)を “山歩き”ページに追加。
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夕方、POST-Aつながりの面々と大宮の氷川神社に初詣&新年会。 (植草)四郎さんにお会いするのも久しぶり。
氷川神社は高校の頃に時々散歩がてら行ったりもしたけれど 卒業して埼玉を離れてからは、ほとんど行っていなかった。
3が日を過ぎたとはいえ結構な人出で 今日が仕事初めの会社が多いせいだろう スーツ姿の方が多い。
お参りを済ませて、参道のテントでカップ酒2本。 寒かったから熱燗はありがたいのだが 最近熱燗を飲むことが少なくなったからか、顔がすぐ熱くなった。
その後、近くの居酒屋で新年会。 翌日に鎌倉ハイクの予定が入っているため 楽しかったけれど残念ながら2時間程度で帰ることに。
ちゃんぽんで飲んだのが効いたのか、降りる駅を寝過ごし21時過ぎ帰宅。 気づいたら上着を着たままコタツで眠ってしまったらしい。
ものはためしで引いたおみくじが大吉。
ちなみに一緒にいた四郎さんは最初引いた結果に不満だったようで
3回おみくじを引いたが段々悪くなり、最後には“平”という
その場にいた誰もが知らないものを引き当てていた。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。ぺこ。
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■1日 朝に少し出かけた程度で、大半を家で過ごしていた。 年末からこの日まで階下の義両親が孫娘(私から見れば姪)と 旅行中だったので、それまでは静かなお正月。 午後、帰ってきた義両親と姪を迎えに来た義弟夫婦と 軽く挨拶を交わして終了。
その後夕方に男友達と半年ぶりに長電話した以外は 淡々とした元日だった。
■2日 相方と私の方の実家へ。 お酒が入るのを分かっていたため、めったに使わない電車で帰省。 駅前の風景が変わっていたり、バスの路線を忘れていたりで 少々戸惑うところもあった。
驚いたのは、9月に会った時はほとんどなつかなかった姪(3歳)が 珍しく長い時間私と遊んでいたこと。
3歳児にしては体が大きいけど、やっぱりかわいいなぁと思う。(←伯母バカ)
実家のリビングにタバコとzippoを出しっぱなしにしていたら
この子に『タバコ、やめたほうがいいと思うよ・・・』と言われて、マジで禁煙を考えた。
もっとも、考えただけ、だが。
ただ相方とはあまり話をしなかったせいか 帰りの電車で義弟と間違えて相方の手を握ってしまい 見上げたあと、眉間にシワを寄せていたらしい。
■3日 内房総ドライブと、軽く伊予ヶ岳と鋸山を山歩き。
山歩きに関しては別ページに後日アップすることにして 途中、保田にある“ばんや”(←リンクあり)で昼食にしたが 激混みで、しかも入口すぐ横の席になってしまい 落ち着いて食事することができなかった。
左:激混みの店内。入口付近はさながらラッシュアワーの電車のよう。
右:お寿司とサバのヅケ寿司にイカかき揚げ丼、あと撮り損ねたがアジの唐揚げを注文。
ボリュームが半端ないかき揚げ丼を食べた相方は、夜になってもまだお腹がいっぱいだと呻いていた。
食べ切れなければ持ち帰りも可能なので、アジの唐揚げは現在マリネにして冷蔵庫の中。
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