『ゲーマー』と呼ばれるほどではないにせよ、 好きなシリーズが出るとつい買ってしまい、徹夜もザラになる。
先週、その2つがダブった。
片方は私が買い、片方は相方が買ったのだが 残念ながら現在はプレイしている暇がない。 相方もこれから年末セールで益々多忙になるので、 やはりプレイしている暇がない。
とりあえず『買ってきた』だけ。
・・・今思えば、何で買ったんだろうと不思議になる。 中古ソフト買ったってよかったはずなのに!
日曜出勤の相方を送り出した後 昨日の実父からの頼みで、午前9時前隣県の実家へ。 トラブっていたのは小1時間で解決し、さてどうしようと時計をにらんでいた。
このまま家に帰るのも気が引ける。 かといって実家にいたところで面白くもなく 都内の人ごみに紛れる気も起こらず。
『出張費』と称して、やや懐が暖かくなったのをいいことに そのまま茅ヶ崎まで一人で出かけることにした。
以前行った時に比べて、波は穏やかだったけれど 水平線と波音をぼんやり楽しむこと3時間弱。
ひたすらぼんやり。 一人だから誰に気兼ねすることもない。
ちょっと贅沢して750円のグリーン席を陣取って、帰宅。
波の泡は、 丹念に泡立てたメレンゲのようにも見える。
相方の元に、私が昔いた薬屋の店長から電話。 何でも近々以前働いていたメンバーを集めて飲み会をしたいから、 奥さん(私)と一緒に来てほしいとのこと。 しかも社長に内緒でやるからと。
・・・・何だそりゃ。 辞めてからもうひと昔位経ってるのに、今更同窓会?
その店長の奥方もまた職場結婚であったから 私も相方も知ってはいても、ここ10年以上会ってない。 それに当時のメンバーったって、今でも同じ会社にいるのは 相方とその店長だけになってしまった。 ちなみに相方は13年ほど前に別の店舗に異動し、今に至る。
私自身はその頃公私ともに付き合いがあったコ達とは今でもたまに 連絡を取り合っているから、それ以外の方達は別に 会いたいとかそういう感情は湧かないわけで。
正直に言えば非常に面倒くさい。 予定の日は仕事もあるし。
『○○○(私)が行かないんなら俺も行かないけど・・・ でも、しおちゃん(店長)楽しみにしてたよ。 最近店単位で飲むことも少ないからさ、寂しいんじゃない?』
相方はそう言うが、だからって。 これだけ気乗りしない飲み会へのお誘いも久しぶりだけれど、 とりあえず顔だけ出して早々に退散するか。
愚妹の挙式の余談。
●挙式2週間ほど前、いきなり『葉加瀬太郎の曲って何がいいかなぁ?』。 何でも歓談中に演奏してもらう弦楽曲をリクエストできるのに 『弦楽曲=葉加瀬太郎』しか思い浮かばなかったらしい。 おまけにケーキカットで結婚行進曲を頼んだと聞いて 『マーチでケーキカットするの?!』と驚いていたら 『うん。今回はベタな式にするよ〜』・・・実際その通りだった。
●父方の実家が神戸で、母方の実家が茨城の鹿島。 その両方の親戚が一緒になることなど殆どなくて、 あちこち挨拶に回っていたら、言葉のイントネーションが 微妙におかしくなってしまった。 夜、相方に指摘されるまで気づかず。
●お色直しの最中、司会者に『どんな妹さんですか?』と聞かれて 思わず『突拍子もないことをするヤツです』と言ってしまう。 そのままを言っただけなのだけれど 後で、義弟となった新郎のお母様に 『○○(義弟)も突拍子もないことしますから』と 笑って言われてしまい、ハッとした。マズかったかなー。
●二次会を西麻布でやるからと誘われていたのを断った。 120人ほど集まり、最終的には朝5時まで飲んでいたらしい。 その晩、愚妹からお祝いを頂戴したお礼の電話が階下の義父母にあり 『ホント、元気な方ねー』と義母が笑う。 どうでもいいのだが、義母は愚妹の名前を間違って記憶していて 私が結婚した最初の頃こそそれとなはしに指摘してはいたものの、 段々面倒になってここ数年はそのままにしていた。 見かねた相方が訂正したところ、一生懸命復唱していたそうだ。
●義弟は笑った顔が何となく草なぎ(←漢字見つからず)に似てる。
愚妹の挙式であった。
3時間前に起床したにも関わらず、結局いつものギリギリパターンで 秋葉原駅から明治記念館までタクシーをぶっとばす。 慌ててクロークに荷物を預け、親族紹介の時に 右小指のつけ爪がはがれていることを発見。あちゃー。
白無垢の彼女は、何だか別人に見えた。 話し掛けることを躊躇うほどに。
式を済ませた後、庭で写真撮影。 ついでに父方の親戚と9年越しで、相方と初顔合わせ。 実際私もこの親戚とは8年ほど、会っていなかった。
披露宴はまぁ滞りもなく。 私は右隣にいた母方の叔父とさしつさされつ飲みまくり、 (えらく陽気なので彼は大好きなのだ) 左隣にいた相方は、そのまた左隣の伯父の相手をしている。
そうこうしているうちに『花嫁の手紙』っていう定番。 実父は落涙こそしなかったものの、かーなーりーヤバい。 姉が気楽な挙式をしたために、愚妹でいわゆる『花嫁の父』ってのを 感じてみたかったのだろう。 そう思う反面、見ていてつい貰い泣きしそうになった。
お蔭様で、天気にも恵まれていい日でありました。
2004年11月20日(土) |
ミュールとロードレーサー。 |
昨日からの3日間、ビッグサイトじゃ毎年恒例の 国際自転車展が開催されているので、見に行ってきた。 ポタリングがてら愛車で行ってもいい天気だったけれど 明日のこともあるので、今日は電車移動。相方は仕事。
シマノのブースには、今年もランス・アームストロングが駆った TREKが一段高いところに展示されていたが最終日に使ったものではなかった。 おまけにロードパーツがホイールしか出ていなくて これにはちょっとガッカリ。 それにしてもMTBのクランクが年々太くなっている。 もうひとつ、ランスの駆ったロードの展示も 年々遠いところに展示されている。
コルナゴのブースでC50を見て溜息。完成車で100万超。 仮に買えたとしても、怖くて乗れなさそうな代物。
ロードはまだまだカーボンフレームが主流のようで、それがかえって 『太さ』に拍車をかけている気がする。 クロモリもチタンもあまり今回は見かけなかった。
この自転車展、スポーツ車もあるが出品の半分近くは軽快車などである。 たまにやたら面白いものなんかがあったりする。 で、そこで見た『全天候型自転車』。(参考出品)
・・・・・車幅広すぎ。念のため書くが、これも自転車。
その後混雑する屋外でロード2台とFDB(折り畳み自転車)を試乗するも うっかりミュールを履いてきてしまい、足元が気になって仕方ない。
2時間ちょっと中を見て歩き、周辺をぶらぶら散歩してから 天気の良さにつられて水上バスで日の出桟橋まで。 混む時間でもなかったようで、客も10人ちょっとしかいない。 乗ってから20分、ずっと外に面した椅子でぼんやり空を見ていた。
早朝、本当に久しぶりでバイクジャージに袖を通す。 前にこれを着たのはいつだったのかすら、思い出せないが 既にウェアは冬用のものでないと駄目だろう。
愛車はじっとパンクもせず、待っていてくれた。 分厚くなった手袋で2〜3回サドルを軽く叩いて跨ると まだ寝ぼけている頭がピンと冴え渡るような気がした。
風が冷たい。というか、痛い。 鼻が真っ赤になって、洟が出そうになっていて 耳の感覚も薄れてきている。 あ、冬だなと体が感じている証拠。 でも、この感覚はいつ感じても気持ちがいいもので。
脚は、さすがによく回らない。 無理矢理回そうとせず、これはギアを軽くして凌いでいた。 脚が温まっても同じで、 どれほど乗っていなかったかを実感した。
2時間弱の間、殆どクランクを回しっぱなしな中 今日の頭はひっきりなしに色々なことがよぎる。 別に答えを求めようとしたという感じでもなく ただ『頭の中をかすめていく』だけ。
また待機状態が続きそうな愛車のエアを軽く抜き 再びサドルを軽く叩いて、自転車部屋のドアを閉めた。
今日は久しぶりに一日家に居て、台所に立っていた。 明日休みである相方の晩御飯の下ごしらえやら (料理は全くダメなので、私が仕事の日はいつも温めるだけにしておく) 冷凍可能な常備菜をまとめて作る。
スーパーで生イカが安かったので、2ハイ買ってきた。 無性に塩辛が食べたくなったせい。 イカを捌いて慎重にワタへ塩をまぶしていたら、 ふと『飲兵衛』という言葉が頭をかすめた。
子供の頃から、酒の肴になるようなものが好きで アンコウの肝・イカワタ・白子....子供の時分だから当然 お酒を飲めるわけじゃないけれど、周囲の大人から 『この子は飲兵衛になるよ』と言われていたのを何となく憶えている。
そういえば『飲兵衛』という言葉は、実母の実家でしか 聞いたことがない。 実父の実家でそんな言葉を聞いた記憶はないし、 大人になった今でさえ、聞いたことはないと思う。 どうでもいいけれど、ちょっと気になる。
ワタに塩をまぶしてキッチンペーパーとラップでくるみ、 捌いた身とゲソはとりあえずタッパーに入れてチルドで保存。 明日になったら両方混ぜてまた一晩寝かせてできあがり。
ユズの皮を入れようか豆板醤を入れようか あれこれ考える飲兵衛一人。
07:30 『出かけるよ』という相方の声で目を覚まし、お見送り。 今日は試験があると言ったら『あ、そうなんだ。』と素っ気無い。 左目がおかしいなと思い鏡を覗き込んだところ ものっすごく厚ぼったい二重瞼になっていた。
07:40 20年来の親友が妊娠したことを知って、思わず飲んでいた 豆乳をPCにぶっかけそうになる。でも素直に嬉しい。 元々子供が好きだったし、心根が優しい彼女のこと きっといいお母さんになるんだろうなと思いながら あまりに嬉しくて彼女にメールを送る。 後で見てみたら、単にバカ騒ぎ好きな人間のメールに等しいが 多分彼女は許してくれる…だろう…なぁ。うん。
彼女を知る愚妹と、その話をする。 ついでに来週の挙式のことで会話していた時に、話の行き違いが発覚し 直後に実父からひどくパニクった電話。いきなり怒鳴られた。 無理矢理代わってもらった実母と話した直後にまた実父が出たので 『もうイヤ!!』と一方的に電話を切った。
11:00 試験。ちょっと自信ナシ。見直すほど時間が余ったことがその理由。
12:40 散歩がてら少し遠回りして帰宅。 桜の葉が半分近く落ちていることに今更気づいた。
15:00 家事が終わった途端、眠くなって毛布にくるまり惰眠を貪る。 小一時間後目が覚めたら左目の二重がすっきり直っていた。
16:00 短くなった頭にアメフラシ色の液体を塗りまくってカラーリング。 髪が短くなると、そういう意味ではちょっと面倒くさいと思う。 塗っていた間に実父から電話。午前の一件を謝られてPCの相談。
16:20 豆もやしとほうれん草と人参を、それぞれナムルにする。 本当に最近の野菜高には閉口…レタスなんか買う気が起きなくて ここ数日拙宅の冷蔵庫から消えている有様。 その代わり常備してあるのが野菜ジュース。
相方が休日出勤のお蔭で何かハッキリしない日曜日だった。 実際こう書き出してみても、平日の行動とさほど変わらない。
先日作った角煮の残りが2切れ。 手綱こんにゃくが5本と煮汁2カップ弱。
人参・干し椎茸・水煮の筍も一緒に全部刻んで一煮立ちさせ 冷ましてからお釜に仕込んで炊き込み御飯。
午後6時、部屋にものすごく香ばしい匂いが充満している。
用事の合間30分ほど時間が空いたので、隣町をブラつく。
昔5年ちょっといた薬屋があるためか、あまりこの界隈を ぶらぶらすることはなく、用事があれば行く程度。 それが、ちょっとした気まぐれを起こしてみたわけで。
さすがに8年も経てば商店街の様相も変わっている。 夕方、買い物客にモツ焼きを売っていた屋台は一軒の店になっていたし 確か洋服屋だったはずの場所は安っぽいクラブになっていた。 ラーメン屋があった場所は、ちょっと敷居の高そうな串焼き屋で 家具屋だった場所は小洒落た美容室。 でも、総じて飲食店が増えていた。
‥‥結構憶えているもんだと我ながら驚いていると、 以前、店の事務所があったビルにある定食屋のおばちゃんにばったり。 サングラス越しに目が合った瞬間 「あらぁ!久しぶりー!」 そのまま5分ほど立ち話。
お昼時だったせいか、その後顔見知りの方と出くわすことが多く 夜しか見たことない飲み屋のマスターやら いつも煙草を買っていたお菓子屋のご主人やら。エトセトラ。
最後に会ったのは、薬屋の店長。 「おう!○○さん(相方)元気?」 (職場結婚であったため、相方の同僚でもあるわけで) 相変わらずの調子ではあったが、駅前にできてしまった 大手チェーン店のお蔭で景気はさっぱりだと苦笑いして話していた。
しかしこうも昔の知人に会ってしまうと、 懐かしいというより先に気恥ずかしいような気がするのは、何故だろう。
最近ちょっと家にいることが少なくなったくせに、 手間のかかる豚角煮を作りたくなって下茹で2日目。 かなり脂も落ちてきた。
で、コンニャク2枚分を全部手綱に切っている午前5時。
何してんだ。私。
よーく考えたら、愚妹の挙式が再来週に迫っていた。 日付の認識はしていたものの、最近自分のことで手一杯だったせいか 着るものだの何だのを全く考えていなかったことに気づく。 おまけに相方も再び休日出勤が続くため、 一緒に買い物に出る日は今日くらいしかなさそうだと。
幸か不幸か、身内のフォーマルな席というものに殆ど縁のなかったもので その手のものを殆ど持っていない。 相方は一応スーツがあるにはあれど、これがまた10年ほど前に 作ったものだから何かヘン。やはり華奢な体にダブルは似合わない。 おまけに今日、髪を短く刈ってしまったので 試しに着てみたら弱っちいチンピラのようになってしまった。
出先にて。 男性は楽でいいなとつくづく思った。 買うものはスーツと靴の2つに決まっていたので、 計1時間もかからなかったが問題なのは私の方。 最初はパンツスーツでいいやと気楽に構えていたのに、 いざ探してみるとピンとくるようなものが見つからない。 相方をひきずり回すこと約4時間、こっちも段々頭がボーっとしてきた。
結局選んだのは黒のワンピースとシルバーグレイのショールに ビーズ使いのハイヒール。 ここにたどり着くまでに何回試着室のカーテンを開けたことか。 さすがに相方の目も充血していて、返事も虚ろになっている。 『どう?』と聞いても最初こそ多少言葉数が多かったものが 最後には『ああ。』しか言わなくなった。無理もないが。
夜。 夕食を作る気力もなく、かといって外食する気も起きず 買い置きのレトルトカレーとワインで夕食を済ませた。
先日急逝した友人の葬儀から帰った実父は、実母にこう言ったという。 「俺が死んだら、棺の中は身内以外に見せないでくれ。」と。
何でも本人は見たくなかったのに、つい見てしまった友人の顔は 全くの別人に見えた上、やけに鼻の穴が大きく見えたそうだ。 それを見た時『こいつ、こんな顔してたっけ?』と 今までの記憶の中にあった顔に疑問が生じたらしい。 そのせいで自分の死に顔は見せたくないと、そういうことなのよと 実母は笑って話していた。
そこから何故か父方の祖父母(共に他界)の話へ。
私は小学校1年の時に亡くなった祖母も中学1年の頃に亡くなった祖父も、 どういうわけだか両方の死に顔というのを、まだ鮮明に憶えている。
祖父の場合はともかく(年齢もある程度いっていたので) どうして憶えているのか解らないのは、存命中の記憶が全然ない祖母。 写真ではその祖母に抱かれて笑う私がいるのだが、 いかんせんその写真当時の私は2歳前後で その後祖母とは長患いのため、殆ど会うことはなかった。 いわば久しぶりに会った祖母は既にこの世の人ではなく 私が生まれて初めて見た『死に顔』というのが、この祖母だったせいだろうか。 祖母の記憶というのは哀しいかな、この顔しかない。
そんな話をしていたら、実母は『両方共忘れたわよ、そんなの』と あっさり言ってのけた。
「そんなの憶えてたら、生きてる頃の顔なんて消えちゃうでしょ。 忘れなさい、そんなのは。」
それができたら苦労しないと言うと、間髪入れずに切り返される。
「だから○○○(私)とお父さんは年中胃が痛いとか言ってんのよ。 私と○○○(愚妹)なんて、そんなことないもんねー。」 ‥‥いつの間にか、死に顔談義から血液型談義に移行していたらしい。
ちなみに実父とその生き写しのような私はA型、 実母と愚妹はO型である。
話は月曜まで遡る。 何事もなく一人夕食を済ませた2時間後、鳩尾の辺りがちくりときた。 暫くすると憶えのある鈍痛を感じ、そのまた2時間後激しい嘔吐 ・・・直前に飲んだ鎮痛鎮徑剤も全く意味がない。 脂汗をかきながら、いつものよりちょっとひどいなと思い 我慢すること数時間。やっと午前2時頃に痛みがおさまった。 翌日、出勤前にいつもの先生に診てもらうと一言。 「今年、(胃)見てたっけ?見てない?あ、そう。 じゃそろそろやっとこうか。」
ここ10年以上、毎年必ずといっていいほど激しい胃痛が起きるため その都度胃カメラを飲んできている。 どうやら潰瘍のできやすい体質らしく、年一度は検査を勧められている。 一昨年は気まぐれで胃のレントゲンを撮ったが、 バリウムに懲りてもうあれはしたくないと思った。 先生も『どっちでもいいよ』とおっしゃってたし。
で、今日は出勤前に胃カメラを飲んできた次第。 お蔭様で今回は潰瘍も見つからず、単なる胃炎ということが分かって 少しホッとした。(写真を見ると胃壁が全体的に充血していた程度) 他は嘔吐の際に己の胃酸で食道に炎症を作ったことくらい。
もう一つ今回の検査で分かったこと。
本当は検査当日の水分摂取はいけないのだが、 少量であったせいか何なのか、飲んでもバレなかった。ついでに煙草も。
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