Experiences in UK
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2006年02月27日(月) 第132-133週 2006.2.13-27 カタリナ・ビット、五輪へのスタンスのちがい

(カタリナ・ビット)
トリノ冬季五輪、必ずしも熱心にすべての競技をウォッチしていたわけではない私でも、フィギュアスケート女子に関してはTV中継をしっかり見ました。
BBCの解説は、かつてのオリンピック金メダリストであるカタリナ・ビット(84年サラエボと88年カルガリー、東ドイツ代表)でした。フリー演技直前のビットの予想とそれをもとに作成されたBBCのビデオ特集は、完全にサーシャ・コーエン(米)とイリーナ・スルツカヤ(露)の話に絞られており、SPで好位置につけていた荒川静香や村主章枝については名前が挙がることすらありませんでした。両日本人選手は、日本国内はともかく、国際的にはダークホース的な扱いだったのでしょう。
それでも、荒川静香のフリー演技終了後、ビットが興奮を隠すことなく大絶賛していたのは印象的でした。

もう一つまったく違うことで印象に残ったのは、ブラウン管を通して久しぶりに見たカタリナ・ビットでした。
ビットが金メダルを取った88年カルガリー冬季五輪の演技を見ていた記憶があります。芸術性の高いスケーティングで二大会連続の金メダルを獲得したうえ、エキビジョンでは当時流行っていたマイケル・ジャクソンのダンサブルな曲をBGMに、革ジャンのコスチュームで踊っていたことを鮮烈に覚えています。高度なスケート技術と豊かな表現力、加えて美貌を兼ね備えたスケート選手として、当時の女子フィギュアスケート界に君臨する女王のオーラを存分に発揮していたスターだったように思います。
今回、40歳前後のビットにテレビ画面を通して再会したわけですが、やたらと元気でよく喋るおばさんでした。当時スケーターとして見ていた時に受けた印象とのギャップが大きくて、個人的には面白く感じました。相変わらず美しくはありましたが。

(五輪へのスタンスのちがい)
さて、今回の冬季五輪で日本は全体としては金メダル一個という成績に終わってしまいました。これに関して、日本選手団の団長による大会総括として、「メダルが1個という現実を重く受け止めている」という反省の弁が報道されていました。成績がパッとしなかったことは確かですし、所期の目標との落差も大きかったということでしょう。
ただ、当地英国はどうだったのかというと、実は日本以下の成績(銀メダル一個、女子スケルトン)でした。対照的に感じられたのが、英国選手団団長(British Olympic Association boss)のコメントでした。BBCの報道によると、「全体として満足だった。ただし、表面的な成績の背景についてはよく検討する必要がある」というものだったそうです。英国の場合、当初の目標が「メダル一個」という低いものであり(日本は「メダル五個」だったらしい)、それをクリアした満足感があったのでしょう。
今回、日本同様、英国にも惜しくもメダルを逃した選手が何人かいたらしく、それに対する解釈も日英で異なっていました。日本では、そのような「一歩及ばなかった」点こそが、今回の選手団に欠けていたものだという解釈が多いように感じます。一方、そもそも目標設定のレベルが違っていたという背景もあるのでしょうが、英国では次回バンクーバーに向けて更に良い成績を目指せる明るい材料として解釈されていました。

いずれにせよ、五輪の成績に対するスタンスにおいて、英国では日本のような切羽詰った雰囲気は感じられません。また、有力選手が少ないからなのかもしれませんが、報道をみていてナショナリスティックな盛り上がり方をする傾向があまり強く感じられませんでした。


2006年02月13日(月) 第131週 2006.2.6-13 「プライドと偏見」、「ラブ・アクチュアリー」

(「プライドと偏見」)
先週、映画「プライドと偏見」をDVDで見ました。
原作である小説「高慢と偏見」とBBCの大作ドラマ(2004年5月17日、参照)を踏まえての映画鑑賞だったのですが、正直言って物足りない感じがしました。
そもそも原作で文庫本たっぷり二冊分(邦訳)のボリュームがあるストーリーを二時間の映像に落としこむには、どうしても展開に無理が出てしまいます。しかも、この本作の場合、クライマックスに至るまでに様々な伏線が張られているために、それぞれのサイド・ストーリーを外せないという厳しい制約がついています。
更に言うと、本作品の真骨頂はタイトルにあるような主人公たちの心理的な変化の過程にあるので、その辺りを表現しようとすると、普通の恋愛ドラマ以上にじっくりとした展開、時間の経過、がどうしても必要になるのではないかと思います。
今回の映画では、原作の味わいを余すところなく伝えるというよりも、主人公の女性(主演女優キーナ・ナイトレー)をフィーチャーするという目的に絞り込まざるを得ず、その限りでは悪くない映画だと思いますが、原作の映像表現として評価するとどうしても物足りなさが残ります。公平に見て主人公=エリザベスのイメージは、BBCドラマの方が原作に近いと思います。キーナ・ナイトレーのリズはシャープ過ぎてあの家族の一員として浮いていました。

というわけで、私としては原作の素晴らしいストーリーを堪能するためには、小説を読むかBBCドラマを見ることをオススメしたいところです。今回の映画と比べるとよく分かりますが、BBCドラマは、キャスティングといい、それぞれの味わい深いキャラの立ち方(脚本)といい、本当によくできていたと思います。

(「ラブ・アクチュアリー」)
今回、あわせて購入したDVDが「ラブ・アクチュアリー」でした。数年前に日本でも話題になった映画だと思うのですが、ついでに見てみることにしました。
こちらは予想以上に楽しい映画でした。クリスマス・シーズンにおける様々な人々のエピソード集という作りであり、それぞれのストーリーは単純でよくある筋立てなのですが、細部にみられる場面設定、捻り、ユーモアがイギリス風で味わい深いと感じました。やはりイギリス風としてのキーワードは、ちょっと控えめな感じ(understatement)ということになるでしょうか。
メッセージはストレートでありながら、表現方法に関してアメリカ流のど真ん中直球勝負という感じではなくて、少しずつ真ん中からずらせた配球になっている感じが、とてもイギリス的だと思いました。

さらに、ロンドン滞在者にとっては、ロンドン市内の映像がたくさん出てくるのも楽しめますし、アメリカ人とイギリス人がそれぞれの英語を比較するくだりも面白くて興味深い場面でした。人間関係やストーリーが絡み合っているので、ウェブ・サイトを先にチェックしてからみると、より楽しめるかもしれません。

(ワーキング・タイトル社)
実は、先週、もう一本、日本で買ってから見る機会を失っていた映画「ブリジット・ジョーンズの日記」も見てしまいました。公開当時はそれなりにヒットしたようですが、こちらは私の趣味にはあまり合いませんでした。ラブ・コメディは大げさな料理を施すよりも、短くあっさりと上品にまとめたものの方が楽しいような・・・。

ところで、映画事情について疎くて後で知ったことですが、以上の三本の映画は互いに密接な関係があるようです。
最大の共通点は、ワーキング・タイトル社という英国の同一会社によって製作された点です。同社は、90年代後半以降の映画界において、英国流ラブ・コメディのヒットを立て続けに飛ばした、近年もっとも成功している欧州の映画製作会社のようです。
イギリス映画というと、古典的大作主義の重厚なものを想像しますが、上記の三本はそんな感じがまったくしないお洒落で軽快な作りになっています。当然のことながら、監督、脚本、俳優などで三作品には多くの共通点があります。ワーキング・タイトル社映画の系譜に属する他の作品として、「ノッティングヒルの恋人」「フォー・ウェディング」などがあるようです。

また、「ブリジット・ジョーンズ」のストーリーは、小説「高慢と偏見」のパロディになっています。その名も同じミスター・ダーシーをコリン・ファース(BBCドラマ版でのダーシー役)が演じています。ダーシーの役どころまでが「高慢と偏見」をなぞっているという徹底したパロディぶりです。それが面白いと感じられるかどうかはともかく・・・。

そんなわけで、言われてみれば、最近、英国が舞台で似た感じのラブ・コメディ映画をよく見聞きすると思っていましたが、それらを供給していたのがワーキング・タイトル社という同じ英国の会社だったという発見をした週末でした。


2006年02月06日(月) 第130週 2006.1.30-2.6 グリーンスパン氏の転身、グリーンスパンとブラウンの相違点

ラグビーのシックス・ネーションズが始まりました。初戦でイングランドは、昨年の同大会で完全優勝を果たしたウェールズに大勝しました。テレビで観戦しましたが、今回のイングランドはかなりチーム力が高いように感じます。

(グリーンスパン氏の転身)
2月1日は、世界各国を眺め回しても比較的平穏に過ぎた一日だったと思いますが、世界経済という観点から考えると歴史のページが変わった大きな区切りの日でした。
この日、米国の中央銀行に相当するFRBの議長がアラン・グリーンスパンからベン・バーナンキに交替しました。グリーンスパン議長は、1987年の就任後、異例の長期間にわたってFRB議長を務めてきました。この間、金融政策において絶妙の舵取りで米国経済の繁栄をもたらしたとされ、古今東西でもっとも偉大な中央銀行総裁の一人として確実に名前を残す人物です。
90年代以降の世界経済は米国を中心に回ってきたので、グリーンスパンの退任は世界経済にとっても非常に大きな意味を持つ出来事でしょう。

そんな歴史的な代替わりを「海の向こう」の出来事としてロンドンの職場でのんびりと横目で眺めていた昼下がり、英国財務省のメーリング・リストから受信した一本のメールはまさに「へ〜」といった内容のものでした。「グリーンスパン氏がゴードン・ブラウン財務大臣の名誉顧問(Honorary Adviser to the Chancellor of the Exchequer Gordon Brown)に就任する」という内容のプレス・リリースを英財務省が発表したというものでした。
議長退任後のグリーンスパンが、ワシントンでコンサルティング会社(Greenspan Associates)を始めるという話は以前から伝わっていましたが、ブラウン財務大臣の顧問に就任するという話はほとんど知られていなかったのではないでしょうか。

(グリーンスパンとブラウンの関係)
中央銀行総裁を退いた後に、外国の財務大臣の顧問に就任するというのは奇妙な話にも思えますが、どうやらこれは二人の個人的な関係によるもののようです。
フィナンシャルタイムズ紙によると、「二人はつねづね多くの問題に関して個人的なやり取りをする親密な間柄だった」そうです。具体的には、ブラウンが財務大臣に就任する1997年よりも前から、中央銀行の独立性などの経済問題に関し、ブラウンはグリーンスパンから個人的な助言を受けていたそうです。

二人は今では、互いに尊敬しあう極めて近い関係になっているとのことです。確かに、言われてみると近年の二人の言動の中にそのような関係をにおわせる場面がありました。例えば、去年、ブラウンはアダム・スミスを輩出したことで知られる名門・グラスゴー大学にグリーンスパンを案内したことがありましたし(ゴードン・ブラウンの母校は同じスコットランドのエディンバラ大でした←2月7日修正)、昨年暮れにロンドンで開催されたG7会合でも退任を間近に控えたグリーンスパンのエスコート役をブラウンが一生懸命に務める姿がニュース映像で流れていました。
最近の二人の公式発言からも、両者の親密な関係がうかがえます。グリーンスパンはブラウンについて「世界各国の経済政策担当者の中で比類ないほど優れた人物(without peer amongst the world's economic policymakers)」と表現したのに対し、ブラウンはグリーンスパンのことを「世界中でもっとも傑出した経済政策担当者の一人であるのみならず、彼の年代でもっとも偉大なエコノミスト(not only one of the world's most outstanding economic policymakers but the greatest economist of his generation)」と誉めそやしていたそうです。

なお、グリーンスパンは英国政府からの報酬は一切受け取らず、定期的にブラウンと経済問題に関する意見交換や助言を行うことが「名誉顧問」としての職務内容だそうです。

(グリーンスパンとブラウンの相違点)
本件に関する英米のメディア記事をひとわたり見てみたのですが、事実以上のことを伝える記事が少ない中、米ワシントンポスト紙(2月2日付)、英フィナンシャルタイムズ紙(同)、ガーディアン紙(同)がちょっと詳しい目の記事・論説を掲載していました。
これらの中で一番面白い視点を紹介していたのは英ガーディアン紙の記事(コレコレ)でした。
保守党筋のコメントを引きつつ、ブラウンとグリーンスパンの経済政策に対する考え方は実は正反対であり、グリーンスパンの助言はうまく活かされない可能性があるということを指摘するものです。すなわち、前者が税制などの制度設計において細部にわたっていじりまわすのを好む傾向があるのに対し、後者はシンプルな制度を好む傾向があるということです。
英国流の皮肉な斜め読みと取るのが正解だと思いますが、両者のキャラクターの違いに関しては本質を突いているとも思います。

少し敷衍すると、個人的な意見として、グリーンスパンの経済観の本質は「市場原理」主義だと思っています(「市場」原理主義ではなく)。端的な例は、「資産バブルの解消は、基本的に市場の自浄作用にゆだねるべきであり、バブル崩壊後に市場原理が作用しなくなった時にこそ政策当局が出動する余地が生まれる」という考え方にみることができます。
政策担当者としてそれを実践するには、平時には腹をくくって状況を見守る覚悟が必要であり、いったん非常時と判断された時には果断に動く瞬発力が要求されます。つまり、卓越した経済分析の能力とともに徒に慌てない冷静な状況判断(cool headとgreat calibre)が要件となるわけですが、ブラウンが優秀な財務大臣であることを認めるのに吝かではないものの、右の要件(特に後者)を備えた人物かというとやや疑問なような気がします。もっとも、そんな日露戦争時の東郷平八郎元帥を髣髴とさせるような大人物は極めて稀少だとは思いますが。

エコノミストとしてのバランスの取れた分析能力のみならず、経済政策を担う人物としての器の大きさこそが、マエストロ=グリーンスパンの真骨頂だったのかもしれないと、ふと思いました。


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