Experiences in UK
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2004年04月26日(月) 第37週 2004.4.19-26 イギリス人のアイデンティティ、St.George’s day

ロンドンもかなり暖かくなってきて、このところ最高気温が20度を超える日も時々あります。

(東京のプレッシャー)
ロンドンには沢山の日本人がいます。ロンドンに住む在留邦人の数は二万人以上にのぼり、観光・語学留学等の短期滞在者を含めると、三〜四万人近い数の日本人がいるかもしれません。
ロンドンにいる日本人を街で眺めていて不思議に思うことの一つに、多様な方言が話されているということがあります。東京で街を歩いている時に聞こえてくる方言は、ほとんど関西弁に限られました。私を含めた多くの関西人は東京でも変わらず関西弁を使用することが多いのですが、なぜか(また、残念ながら)他の方言はほとんど耳にしませんでした。しかし、ロンドンでみかける日本人の会話に耳を傾けていると、実に様々な方言が聞こえてきます。
そんな情景を見ていると、日本では「東京」への憧憬とその裏返しにあるプレッシャー(「東京」志向の高さ)というのがすごいのだろうなと想像してしまいます。

(イギリス人のアイデンティティ)
ロンドンで公共交通機関に乗っていると、多様な日本語とともに多様な英語と様々な国の言葉が聞こえてきます。観光や仕事で集まる外国人も非常に多いのですが、かつて世界中に存在した大英帝国・旧植民地からの移民が「〜系イギリス人」としてロンドンとその周辺で多数生活しており、それがロンドンにおける言葉のヴァリエーションをさらに豊かなものにしています。
そういうわけで、ロンドンでは人種(見かけ)からロンドナーであるか否かを判断することは不可能であり、誰もそんな発想は持っていません。渡英前にしばしば聞かされ、実際に自身で一度や二度ならず体験したのが、道行くイギリス人と思しき人から躊躇なく道などを尋ねられるケースです。こっちは「来たばかりの外国人(アジア人)に聞くなよ」と思うのですが、ロンドンにおいて人種というのは、道を尋ねる人を絞り込む際にほとんど意味のない条件になっているようです。
あるいはこうも言えるのでしょうか。ロンドンには、外国から訪れるツーリストはいても、人種的な意味での「外国人」は存在しない。「外国人」が存在しないのであれば、「内国人(自国民)」という概念も存在しないわけで、かれらの民族としてのアイデンティティは一体どうなっているのか、ということになります。
先日、興味深いアンケート結果を目にする機会がありました。少し古いのですが、「あなたが最も一体感を感じるのは次のどれですか?」(複数回答可)という質問に対する地区ごとの回答分布で、結果は以下のようになっていました(%)。
                  ロンドン その他イングランド  スコットランド   ウェールズ
地元共同体            33       44         39         32
地域管轄区            43      <49>        62         50
イングランド、スコットランド、ウェールズ  42       41        <72>       <81>
英国(Britain)           <50>      42         18          27
欧州                 21       16         11         16
Source: MORI/The Economist
Base: 923 British adults, 24-27 September 1999

「地元共同体」とは日本でいう市町村であり、「地域管轄区」とは県に相当すると考えられます。括弧を付けたのは各地区で最も回答比率が高かった項目です。
一見して分かるとおり、「英国」への回答率がもっとも高かったのはロンドンのみで、それでもわずか半数です。スコットランドやウェールズに至っては、「英国」と回答した人は2〜3割に過ぎません。かれらにとっての国家とは、やはり圧倒的に「スコットランド」であり「ウェールズ」であるということがアンケート結果に如実に表れています。このアンケートによると、「英国」という国は、辛うじてロンドンにのみ存在している、ということになります。
また、そのロンドンないしはイングランドに共通する特徴として、いずれの項目も半数以下の回答率にとどまっており、回答が各項目に分散している傾向が読み取れます。彼らのアイデンティティ形成において、やはり地理的・政治的な境界線の持つ意味はかなり低いようです。
ところで、「欧州」という項目は、いずれの地区でも1〜2割の低回答率にとどまっています。一般に日本では「英国は欧州の主要国の一つ」と認識されていますが、彼らイギリス人にとって欧州というのは別の世界のようです。実際に彼らは「休暇を取って欧州に出かけてくる」と言うのです。

(St.George’s day)
4月23日は、St.George’s Dayでした。聖ジョージは、以前にご紹介したとおり、イングランドの守護聖人で、イングランドにキリスト教を伝えて殉教した人のようです。
英国内の他の三つの国ではそれぞれの守護聖人の日が祝日になり、盛大にお祭り等を行うのに対して、イングランドにおいてだけは祝日にもならず、さほど認知もされていない何の変哲もない日です。私が聞いた何人かのイギリス人は、そもそも聖ジョージって何者?といった反応でした。上のアンケート結果にも表れているとおり、イングランド人としての一体感というのは、他と比べるとかなり希薄なものということが背景にあるのでしょう。
ただし、例外はパブです。ロンドンのほとんどのパブは、St.George’s dayにちなんで白地に赤十字のイングランド国旗を飾り立て、ビールのディスカウント・サービスをしていたようです。私はこの日は早々に帰途についたのですが、バスから街を眺めていると、ほとんどのパブの前ではビール片手に人々がたむろして盛り上がっていました。ただし、さすがにこの日のアイリッシュ・パブはひっそりしていましたが。


2004年04月19日(月) 第36週 2004.4.12-19 北ウェールズ

このところ観光シリーズになってしまっていますが、1泊2日で北ウェールズに行ってきました。

(ウェールズ Wales)
連合王国を形成する4つの“nation”の中でもっとも地味なのがウェールズです。
英国にそれぞれの「国民性」を表すこんなジョークがあります。山道で見知らぬ二人の男が出会った時にどうするか。スコットランド人は、金にしわいから互いに財布を握りしめる。アイルランド人は、血の気が多いから出会うやいなや喧嘩を始める。ウェールズ人はどうするかというと、互いに歌を唄い始める。ウェールズ人は、歌が上手で合唱が好きな平和な国民性で知られています。最後に、イングランド人はただすれちがう。なぜかというと、イングランド人は互いに紹介されない限り話ができないから、というのが「落ち」になっています。
ウェールズは、イングランドとの抗争の歴史に早い時期に終止符を打ちました。13世紀終わりにイングランドに平定され(法的にイングランドに併合されたのは16世紀)、その時の歴史的経緯により、イングランド(英国)国王の皇太子はプリンス・オブ・ウェールズと呼ばれるようになりました。英国の国旗ユニオン・ジャックは、イングランド、スコットランド、アイルランドの旗を重ね合わせたデザインになっているのですが、ウェールズ国旗のデザインだけはいちばん早い時期にイングランドに併合されたために取り入れられていません。

良くも悪くも華やかな話題に事欠くウェールズですが、私のイメージの中でのウェールズの主たる特徴は、次の二つです。
第一に、千年以上前の言語であるウェールズ語を今も大事に守っていることです。ウェールズ人は、5〜10世紀にゲルマン人などによって西方に追いやられたブリテン島先住民族のケルト人(ブリトン族)を祖先としていますが、今でもブリトン族の言語であるウェールズ語を使用しており、その保存を政策の一つに掲げています。現在もウェールズ人全体の20%がウェールズ語を話すことができて、特に西部と北部では第一言語として扱われているそうです(”The Official Year Book of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland 2003”より)。
ウェールズに入ると、道路標識や街の案内板の類はすべて英語とウェールズ語が並記されています。ウェールズ語は由来からして英語とは全く異なる言語なので、意味を解することはもちろん読むことすらできません。
第二の特徴は、豊かな自然です。ウェールズは、国土の4分の1が国立公園に指定されている風光明媚な土地として有名です。
イングランドに依存しきっているようでそれだけでもなく、英国内の血なまぐさい対立・抗争の歴史から一線を画して、豊かな自然環境の中で歌の好きな温厚な国民が平和に暮らしている国、と言えばなかなか魅力的な国に聞こえないでしょうか。

我々が訪れたのは北ウェールズのグウィネズ(Gwynedd)地方で、ロンドンからおよそ300キロの地にあります。

(スランベリス Llanberis)
ウェールズにある三つの国立公園のうちの一つ、スノードニア国立公園の観光拠点となる町が、スランベリスです。今回、我々は、スランベリスのB&Bに宿をとりました(地の利のいい場所に泊まれて、快適で必要十分なスペースの部屋にフル・ウエルシュ・ブレックファーストが付いて家族三人で60ポンド=約12,000円でした。英国のBed & Breakfastは非常に経済的です)。
スノードニア国立公園は、ウェールズ北西部の海岸近くにあり、イングランドとウェールズの最高峰スノードン山とその周辺部を指します。「最高峰」といっても標高は1085メートルしかありません。イングランドは、北部に行くと1000メートル内外の山がありますが、中央部以南はせいぜい600メートル級の山がぽつぽつあるに過ぎません。ウェールズにも900メートル級の山が2つ3つあるだけで、スノードン山が最高峰ということになります。
我々の泊まったB&Bから歩いて数分の場所に、スノードン山への登山口と頂上まで続くスノードン山岳鉄道の発着所があります。たかだか1000メートルの山なので歩いて登る人も多いのですが、子供連れには蒸気機関車を利用したこの山岳鉄道が大人気です。
山岳鉄道発着所そばの山麓には、程よい大きさと品のいい形状のスランベリス湖があり、この周囲を同じく蒸気機関車を利用した湖岸鉄道が走っています。絵に描いたような風光明媚な観光地スランベリスは、住宅、道路、その他公共施設(観光施設を含む)などのインフラもきれいに整備された清潔感のある街でした。

(コンウィ城・カナーヴォン城・ボーマリス城 Conwy,Caernarfon,Beaumaris)
イングランドによるウェールズ平定は、イングランド国王エドワード1世の時代(13世紀終盤)であり、エドワード1世はウェールズ北部にいくつかの拠点となる城塞を築きました。それら一群の城跡が現在も残っていて、まとめてユネスコ世界遺産に登録されています。
いずれの城も、ところどころに銃眼のある円筒形の石造りの塔が複数個とそれらをつなぐ回廊から形成されています。約七百年前の建造物にしては保存状態が良く、中央部の芝生などもきれいに整地されていました。
コンウィとカナーヴォンの城は、現存する城壁でぐるりと囲まれた町の中心にあります。カナーヴォン城は、現チャールズ皇太子がプリンス・オブ・ウェールズの叙任式を行った城としても有名です。ボーマリス城は、本土から橋でつながったアングルジー島の海辺にある小振りの城でしたが、「左右対称のデザインは北ウェールズで最も美しいと評されている」とガイドブックに書かれている通りの名城でした。
なお、アングルジー島には、「世界一長い名前の駅」があります。ウェールズ語でアルファベット58文字がずらずら連続して並んでいるのですが、我々にとっては暗号以外の何ものでもなく、発音することすらできません。

(ウェルシュ・ラム)
ウェールズは農業に向かない土地だったため牧畜が盛んで、羊の料理が有名です(特にこの時期は生まれて数ヶ月の子羊が供される)。町ではラム・バーガーなるものまで売られていました。
カナーヴォンの城壁内にあるレストランで食べたロースト・ラムは迫力満点の絶品料理でした。骨付き関節丸ごとの肉塊がそのまま大きな皿に載って出てきて(1人前)、特別なナイフで解体しながら食べるのですが、口に入れた途端にとろけるようなラム肉でした。
ラム肉が特段おいしいかどうかはともかく、野趣あふれる獣肉料理を堪能することができました。


2004年04月13日(火) 第34-35週(週末・連休編) 2004.3.29-4.12 英国の高速道路、ケンブリッジ、カンタベリー

(英国の高速道路)
イースター連休の後半に、イングランド東部と同南東部に出かけました。この連休期間中に計1,000キロ程度車を走らせました。無料でどこまでも行けて、渋滞の少ない英国の高速道路は実に有り難いものです。
英国の高速道路を走っていて感じることを少し。英国の高速道路を走る車は、全般的に日本よりもとばしています。米国ではスピード違反の取り締まりが厳しいために意外と安全運転ということを聞いたことがありますが(州による違いも大きいようです)、こちらは高速道路の車に限っては速いです。3車線道路の真ん中の車線で標準速度が時速80マイル(130キロ)くらいですから、追い越し車線だと150キロ以上は普通に出ている感じです。取り締まりについては、街中ではカメラが随所に設置されているなどけっこう厳しくて、英国人ドライバーもかなり気にして走っているようですが、高速道路ではあまり気にしないようです。ぼろい小さな車に乗ったご老人が信じがたいスピートですっ飛ばしていく様も、日本ではあまりお目にかからない光景です。
以前に書いたように路面の状態は日本ほどよくありませんが、もちろん走るのに支障があるわけではありません。ただ、外壁などにほとんどカネをかけていないからなのでしょうか、(かわいそうなことに)動物の死骸が非常に多く見かけられます。

(ケンブリッジ Cambridge)
大学で有名なケンブリッジの街は、ロンドン東側から北に伸びる高速道路M11を小1時間走った場所にあります。数学者・藤原正彦氏が1年間のケンブリッジでの研究、生活体験をまとめたエッセー「遙かなるケンブリッジ」を読んでいたので、この機会にその舞台を訪ねてみることにしました。
ケンブリッジ大学の創設は13〜14世紀に遡ります。オックスフォードで生じた大学と地元住民との間の激しい対立が引き起こした暴動騒ぎから避難してきた学生たちが、ケンブリッジ大創設のメンバーです。その後、図式的にいうと、理科系のケンブリッジ、文科系のオックスフォードとして勇名を馳せてきたのはご存じの通りです。
よく知られているようにケンブリッジ大学というのは、そのような名前の一つの大学があるわけではなく、約30に分かれて存在する「カレッジ」をひっくるめたものを指します。なかでも最も広大な敷地と巨大な建造物を誇るキングス・カレッジは、かのイートン校を創設したヘンリー6世が卒業生の進学先として設立したのが始まりでした(1441年)。キングス・カレッジの礼拝堂は、着工から約100年の歳月をかけて完成されたもので、巨大でかつ息をのむような凝った細工が印象的でした。当時の技術の粋を集めて作られたとのことです。

(ラヴェナム Lavenham)
ケンブリッジから東に約50キロのサフォーク県にあるラヴェナムという小さな町は、「傾いた家(crooked house)」で有名です。この町のほとんどの家は本当に傾いて建っています。15世紀頃に建てられたチューダー様式(露出した木組みと漆喰が特徴)の木造家屋で、わざと傾いて建てたのではなく、500年の歳月がもたらした自然の摂理で傾いているらしいのです。町を歩いているとちょっと奇妙な感覚にとらわれます。
また、この町はアンティークの町としても知られているらしく、アンティーク・ショップがあちこちにありました。我々が訪れた日は、たままた町の小学校らしき建物でアンティーク・フェアが開催されていました(目の利かない我々にとって、半分は町のがらくた市といった感じでしたが)。
町の中心には、環状に建物でぐるりと囲まれた小さな広場があります。周囲の建物のうちの1軒にパブ兼B&Bがあり、店の前のテーブル席には、のんびりとおいしそうに昼下がりのビールを飲んでいるおじさんたちがいました。パブ・サインのエンジェルに誘われるままに(店の名前がAngel)、いつしか私の足もカウンターの方に向かっておりました。
小さな田舎町でしたが、ちょうどいい加減の広さのエリア内に歴史的な風情を満々とたたえた味のある町でした。
帰ってから気づいたのですが、「しっぽだらけのイギリス通信」(安河内志乃著、文芸社)にもラヴェナム訪問記があります。

(イースト・ベルゴット East Bergholt)
ラヴェナムから車で30分ほど南下したところにあるイースト・ベルゴットという村は、ナショナル・トラストに保護・管理されている村です。
英国ナショナル・トラストは日本でもよくその名が知られていると思いますが、1895年に立ち上げられた自然・文化遺産の保護を目的とした組織です。特徴は、保護対象を買い取り、ナショナル・トラスト自身で管理する点にあります。これまでに我々が訪れた場所の中にも、ナショナル・トラストの保護下にあるところがたくさんありました(エイブベリー、ストーン・ヘンジ、セブン・シスターズなど)。セブン・シスターズをはじめとした英国南東部の一連の白い岸壁(ホワイト・クリフ)については、数十年前にエジンバラ公(エリザベス女王の夫君)の肝煎りで始まったネプチューン計画という大規模な海岸線買い取りプロジェクトの下で保護対象に入り、開発されることを免れて現在もその美しい姿をとどめています。
ナショナル・トラストの所有地(プロパティ)に共通している点として、観光客は多くても実に静かな環境にあることがあげられます。これは、ナショナル・トラストが周辺地域一帯を丸ごと買い取り、管理しているために、無粋な土産物屋の類は言うに及ばず、景観を壊すような建物なども一切建てられないようになっているためなのでしょう。正直に告白すると、日本にいる頃はナショナル・トラスト運動に対してちょっと偽善っぽい印象を持っていたものでしたが、当地に来て実際にそのプロパティを訪れ、運動の意義深さを思い知りました。

さて、イースト・ベルゴット村もまた素晴らしく美しい景色の村でした。ただ、何があるというわけでもなく、その素晴らしさを文字で表現することはほとんど不可能です。延々と広がる草原に牛が放牧されていて、草原の脇をきれいな小川が流れ、川面には白鳥や水鴨がおり、周囲の林からは様々な鳥のさえずりが聞こえてきます。草原には、フット・パスが設けられており、見えなくなるまで延々と続いています。この村の人たちとナショナル・トラストは、あるがままの風景が村自身の財産と考えており、それを維持・保存することに莫大な情熱を注いでいるようです。
確かに、事実としてこの村の風景は芸術に昇華されています。この村で生まれ育った風景画家コンスタブルが描いたイースト・ベルゴットの風景画は、数少ない英国産の絵画芸術作品として広く知られています。彼らは、18世紀に描かれた風景画の景観をそのまま保存しようという途方もないことを考えているのです。

(カンタベリー Canterbury Cathedral)
カンタベリーは、ロンドンから約100キロ南東に位置し、風光明媚な自然環境で有名なケント県にあります。中心は、英国国教会(英国では正式宗教が法的に定められています)の総本山であるカンタベリー大聖堂です。カンタベリーの大主教は、英国国教会における最高位の聖職であり、上院議員の資格も有します。
また、カンタベリー大聖堂は、ユネスコ世界遺産に登録されている由緒正しき文化遺産でもあります。「英国で最も古く重要なゴチック様式の傑作と言われている」(在日英国大使館HPより)大聖堂は、15世紀頃に完成しました。ケンブリッジの礼拝堂なども同様ですが、これら何百年もの時を刻んだ建造物は、間近で見ると石の壁が風化していたり黒ずんだりしていますし、木製の椅子や柱は数十年の歳月では不可能なすり減り方をしています。

(ドーバー城 Dover Castle)
カンタベリーから車を小1時間走らせると、大陸欧州との玄関口であるドーバーの港町に着きます。
玄関口であると同時に国家防衛の要衝でもあるドーバーには、紀元前後にローマ人が軍事施設を設け、12世紀にはイングランド国王ヘンリー2世が港を見下ろす丘の上に城塞を築きました。これが、現在も残るドーバー城のはじまりです。
ドーバー城内からは、ドーバーの白い岸壁(ホワイト・クリフ)やドーバー海峡が一望でき、霞の向こうにフランスの陸地を確認することができました。城内には、1216年のフランス軍によるドーバー城攻囲を再現したアトラクション施設などがあります。また、ドーバー城は1960年代まで陸軍が所有しており、第2次世界大戦中に実際に作戦会議を開いていた秘密の地下司令室がありました。この地下室は、最近になってようやく公開されるようになったそうです。


2004年04月12日(月) 第34-35週 2004.3.29-4.12 耳ざわりな英語、プーさんの森、セブンシスターズ

英国では、9日からイースターの4連休が始まりました。

(耳ざわりな英語)
外国で生活してみて初めて分かったことの一つに、単に生活しているだけでは英語はまったく上達しないということがあります。ロンドンのような英語圏の大都市であれば、「慣れ」だけで十分に生活をしていくことは可能です。ただ、最近強く感じるのが、食べて、飲んで、仲間と遊んで、街をぶらぶらしているだけなら、野良犬と同じだなということです(もっとも、英国の街にあまり野良犬はいませんが)。
英語に関しては、最低限の人間らしい暮らしができるよう「努力」をしないといけないと改めて思う昨今です。

ところで、少し古い話になりますが、3月24日付のTIMES紙1面に英語に関する面白い記事が出ていました。記事のタイトルは、"Is this the most irritating paragraph you will ever read?"というもので、Plain English Campaignという団体が発表した「耳ざわりな英語・ワースト10」に関する記事です。
日本語にもありますが、あまりにも多くの人が安易に連発してしまっている言葉とか、言葉の本来の意味や文法的な正確性を無視して乱用されている表現とか、いまやあまりにも陳腐になってしまっている比喩表現などのワースト10です。
栄えある(?)1位に輝いたのは、「at the end of the day」(結局のところ)でした。確かに頻繁に耳にします。慣用句といえばそれまでですが、大袈裟な表現ですね。2位以下は、「At this moment in time」(現在)、「like」(まあ、その)、「With all due respect」(ごもっともではありますが)などでした。
これらは全世界のPlain English campaign賛同者に対するアンケート結果なので、いわゆる米語もランクインしています。私が判断するところですが、以上の他で特に英国で多用される英語としてランクインしていたのは、「basically」(基本的に)、「absolutely」(絶対に)などでした。
オリジナルの調査結果は、http://www.plainenglishcampaign.com の3月23日付プレスリリースで閲覧することができます。

(プーさんの森 Ashdown Forest)
イースター休暇の1日を利用して、イングランド南東部のケント県、イーストサセックス県を訪れました。イングランドにおける県(county council)とは、首都圏(Greater London)と6つの大都市圏(Metropolitan Area)を除いた地方圏の自治体の単位のことです。現在、イングランド内には34の県があります(時々、州と訳されることもあるようです)。イングランド南東部は、東からケント、イーストサセックス、ウエストサセックス、サリー、ハンプシャーなどの各県で構成されています。
うちから車で1時間半ほど南下したところにあるハートフィールドという村は、「クマのプーさん」の原作者ミルンが住んでいた場所であり、プーさんの物語の舞台にもなった典型的なカントリーサイドです。ハートフィールドの南にある広大な「アッシュダウンの森」はプーさんワールドの中心です。我々は、息子の体力と相談して、駐車場から往復1時間程度の「プーさんの棒投げ橋」という木橋までの散策を楽しみました。
ハートフィールド村にはPooh Cornerというプーさん専門店があります。名物プーさん博士が店長をしているプーさん・フリークの聖地のような店らしく、天井に頭がつきそうな小さな建物の中にありとあらゆるプーさん関連商品が並べられています。
妻が店内を徘徊している間、息子を連れて隣のプライベート・ガーデンで日向ぼっこをしていた時、英国人男性と1〜2才の女の子の親子が入ってきました。少し話をしたところ、私と全く同じ状況で奥さんの徘徊が終了するまでの暇つぶしをしているとのことでした。私の泥だらけのウォーキング・シューズを指さして「棒投げ橋に行ったな?」と聞くから「そうだ」と答えると、「僕は15年ぶりに訪れたけど、この辺もずいぶん観光客が増えたものさ。プーさんで人寄せにご執心のようだからな。もっとも、ここの自然はなんにも変わってないけど。15年前もあのmuddyな道を通って僕の靴もあなたと同じように泥だらけになったものさ」と語ってくれました。ちょっとニヒルなものの見方が英国人らしいなあと思いながら聞いていたのですが、プーさん目当ての一観光客としては少々ばつの悪い思いをしました。

(アルフリストン Alfriston)
ハートフィールドから真っ直ぐに南下して海岸まであと少しのところにアルフリストンというこぢんまりとした町があります。車を運転していると、イングランドにしては比較的アップ・ダウンのきつい田園風景が続く中で、忽然と現れるといった感じの町です。大型の車ではすれ違うのに苦労する程の細い車道をはさんで十数軒の商店が続いているだけのハイストリートが中心の町で、歩道や建物に赤れんがが多用されている点が特徴的です。また、町をあげてクラシック音楽好きというのもこの町の特徴らしく、パブやティールームのBGMがすべてクラシック音楽とのことです。
町のたたずまいにひかれて、車を止めて少し町歩きをしました。何があるというわけでもないのですが、落ち着いた景観と上品な雰囲気、周囲の自然風景が絶妙にマッチしていて、不思議に魅力的な町でした。

(セブンシスターズ Seven Sisters)
イーストサセックスの海岸沿いには、セブンシスターズという魅力的な名前を冠された景勝地があります。石灰石でできた白亜の岸壁が延々と続いている場所で、7つのうねりがあるところからセブンシスターズと呼ばれるようになりました。
写真で目にされたことのある方もいらっしゃるかもしれませんが、青い海と空が広がる中で、太陽の光に照らされた剥き出しの白い岸壁が7つのうねりを見せながら続く様は見事であり、一見の価値有りの観光スポットです。
セブンシスターズそれ自体の圧倒的な自然美もさることながら、そこにたどり着くまでのなだらかな起伏とともに果てしなく続く草原の風景などこの辺り一帯が、雄大な自然の魅力を存分に感じさせてくれる場所でした。海岸沿いに1軒だけあるホテルからセブンシスターズの幾つ目かの峰の上にある灯台まで、片道30分程度の草地を徒歩で登っていけるようになっています(このようなウォーキング・ルートをフット・パスと言い、英国内には無数のフット・パスが設けられています)。その頂から海側をみると湾曲して美しくうねる一連の岸壁群が見渡せ、反対側に目をやると羊が点在する緑の大地に一筆書きのように車道が続く眺めが広がっています。
岸壁の上のフット・パスは端から端まで延々と続いているのですが、半日かけて踏破してみるのも悪くないかなという気がしました。


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