Experiences in UK
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2003年12月29日(月) 第19-20週 2003.12.15-29 英国のクリスマス

(英国のクリスマス)
英国に来て初めてのクリスマスが終わりました。
12月に入ってから、多くのハイストリート(繁華街)はイルミネーションで飾られ、ホテルなどにはツリーが出現し、飲食店のメニューもクリスマス・メニューに差し替えられます。また、TVコマーシャルでもクリスマス・プレゼントを当て込んだものがどっと増えました。
英国のクリスマス・イルミネーションはほとんどが単色で、日本のように赤とか青とかの色は滅多に見られません。最初は地味な気がしましたが(実際、地味ですが)、単色でも凝ったデザインや大がかりなイルミネーションで飾ると、けっこう立派で上品な飾りになります。

また、この時期に近所のあちこちに出現したのが「クリスマスツリー屋さん」です。
英国人は、デパートでプラスチックのツリーを買うよりも、本物の木を買ってくるのが一般的なようです。うちも、ものは試しと、なまツリーを購入してみました。2m程の木が約£20(4,000円弱)でした。イルミネーションや各種オーナメントや息子が近所の教会(プレイ・グループ)で製作してきたげーじつ作品などを飾り付けて、頂いたプレゼントやサンタさんからのプレゼントを木の下に置いて完成です。
完成したツリーを見ていると本場のクリスマス、といった気がするものですが、イギリス人がクリスマスツリーを飾ったり、クリスマスを祝ったりする習慣は、必ずしも古いものではありません。ヴィクトリア女王の時代(19世紀後半)に、ドイツからやってきた夫のアルバート公の気慰みとして、ドイツから輸入したことが始まりだったといいます。
多くの知人の日本人は、この時期、ドイツなど大陸まで足を伸ばして「本場」のクリスマスを味わいに行っていました。

クリスマス・ウィークに入ると、週始めから市内の道はガラガラになり、普段は1時間かかるバスでの通勤時間が30〜40分でした。そして、ほとんどの店は24日の5時までに店を閉めてしまい、25日と26日はお休みです。25日は、バスも電車も止まってしまいます。公共交通機関まで止まるという意味では、日本の元旦よりもはるかに静かな1日ということになります。
車で街を走ってみたところ、営業していたのは、ガソリンスタンドと近くの韓国人街にある韓国食材屋と一部の日本食材屋くらいでした。

25日には、エリザベス女王による恒例のクリスマス・メッセージがTVで放映されます。ほんの10分間の番組ですが、女王が今年1年間を振り返って国民にメッセージを贈るというもので、番組の始まりと終わりに音楽隊の演奏があるだけで、ナレーションもなく、女王のメッセージ(録画)と途中に挟まれる関係者へのインタビューだけで番組は構成されていました。
今年はイラクへの軍隊派遣ということもあり、滅私奉公の精神(ボランティア精神)の尊さを話されていました。必ずしも通り一遍ではない内容を淡々と語られ、最後に一呼吸おいて「A happy Christmas to you all.」と締めくくられて終わりました。
クィーンズ・イングリッシュを含めて、英国上流階級の良質な部分に触れることができたような気がした10分間でした。

(クリスマスに関する日英の違い)
ところで、今年の英国でのクリスマスに関するごく個人的な感想として、山下達郎のクリスマス・ソング(♪雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう〜)を一度も聞かなかったことへの違和感がありました。これは、ホームシックに類する感情なのかもしれないと自己分析しております。毎年これでもかというくらいに聞かされ続けられるほどにあの曲が名曲だったということも言えるのでしょうが。
それはそれとして、あの曲に代表される日本のクリスマス・ソングで表現されるクリスマスに対するイメージは、この国のものとは少し違うような気がしています。
今年、私がこちらのメディアでよく耳にしたクリスマス・ソングは、ジョン・レノンのHappy Xmas(War is over)やバンド・エイドのDo They Know It's Christmas?、ワムのLast Christmasなどでした。これら日本でもよく知られたもの以外は気づかなかったのかもしれませんが、けっこう古い定番ソングがよくかかるなあという印象でした。これらの曲の曲調や歌詞の内容に共通しているのは、静かで社会性を帯びている点です。
一方で、日本の多くの定番クリスマス・ソングは、通常のポップソングと同様に、恋愛をベースにした高揚(とその反動としての孤独)を表現したものが多いように思います。
イギリス人にとっては、エリザベス女王の演説に象徴されるように、クリスマスが普段は考えないような社会的なことに目を向ける機会になっているのかなと思いました。だから上記のような静かなメッセージ・ソングが定番ソングとして定着しているのかな、と。
日本のクリスマス・ソングが薄っぺらいとは決して思いませんが、日本と英国におけるクリスマスの意味の違いが両国の定番クリスマス・ソングに如実に表れているのかもしれないと考えた次第です。


2003年12月15日(月) 第18週 2003.12.8-15 ジョニー・ウィルキンソン!、英国の勲章制度

(ジョニー・ウィルキンソン!)
この週末、イギリスの年末特番で「2003 BBC Sports Personality of the Year」という番組がありました。BBCの年末恒例番組らしく、第50回とのことでした。今年のイギリス・スポーツ界を振り返って、活躍したスポーツ選手・団体に賞を与えるというものです。
当然、番組のクライマックスは、W杯を制したラグビー・イングランド代表であり、2時間番組のトリとしてジョニー・ウィルキンソンに大賞が授与されました(なお、次点はラグビー・イングランド代表チームのキャプテンであるマーチン・ジョンソン)。現在のイギリスで最大のヒーローは、まちがいなくウィルキンソンです(スポーツ界に限らず!)。先日は、24才の若さで大英帝国勲章(Member of the Order of British Empire, MBE)を女王陛下から授与されていました。

ウィルキンソンは、サーカー界の大スターであるベッカムとは好対照のヒーローです。頭の先から足の先まで派手好みで染まりきっているベッカムと違って、ウィルキンソンは自分だけが脚光を浴びることを極端に嫌っている典型的なreluctant heroです。ベビーフェイスと相俟ってそのような控えめな性格が、人気の一因にもなっているのでしょう(私はラグビー・プレーヤーとしての実力も、名声に恥じない選手だと思っていますが)。
こちらでは、一時期ウィルキンソンとベッカムが競演しているテレビ・コマーシャルが流れていました。ウィルキンソンがサッカーのゴール・キックを蹴り、最初は外すのですが2度目で鮮やかに蹴りこみます。次に、ベッカムがウィルキンソンのアドバイスを受けた後に、ラグビーのプレース・キックをするのですが、これが見事にポスト中央に決まり、その後一言「It's easy.」と決めゼリフを吐いて終わります。ラグビー・ファンからすると小憎たらしいCMでしたが、両者のキャラクターを反映させた面白いCMでした。

(英国のF1ドライバー)
さて、上記BBCの番組では、途中で過去の名プレーヤーが登場するコーナーが挟まれていました。その中でF1の名ドライバーということで何人かがスタジオ出演し、私の年代にとって懐かしいナイジェル・マンセルやデーモン・ヒルなどが登場しました。
マンセルは昔の感じから少し太ったという程度でさほど変わっていませんでしたが、様変わりしていたのがヒルです。髪を伸ばして髭を蓄えた容貌は、昔のヒッピーのようでした。
F1ドライバーについて、以前に「英国にはろくなドライバーがいない」と書いた記憶がありますが、よく考えると現役でもベテランのデビッド・クルサードがいましたし、若手ではジェイソン・バトンなどという有望株もいました。また、チームについても、ジョーダン、ジャガー、BARなど錚々たるチームがありました(先日、近所でBAR・ホンダチームのトレーラーを見かけました)。かつてのような、F1といえば英国という感じではないものの、やはり今でも英国はF1の中心国であることに変わりないのでしょう。

(英国の勲章制度)
さて、ウィルキンソンの叙勲の話に戻ります。今回、興味があったので英国の勲章制度について少しだけ調べてみました。大英帝国勲章(Order of the British Empire)とは、1917年に創設された勲章制度で、当初は戦功のあった人に贈られていましたが、今では学問・文化を含めた幅広い分野から選ばれるそうです。93年のメージャー政権期以降、一定の地位の保有者に自動的に授与する慣行をやめて、功績に基づいてより多くの適格な人々に叙勲制度を開放したそうです(以上、主に在日英国大使館HPより)。
叙勲の等級には1位から5位まであり、1位はGrand Cross(Grand Cross of the order of British Empire, GBE)、2位はKnight(女性の場合はDame, KBE/DBE)、3位がCommander(CBE)、4位がOfficer(OBE)、5位がMember(MBE)となっています(以上、英国Cabinet OfficeのHPより)。
もっとも一般的でポピュラーな勲章が、OBEとMBEです。今年、ベッカムがOBEを授与されており、ウィルキンソンはMBEを授与されました。日本人でも、かつて当地でシェークスピア劇を演じて好評を博した真田広之がMBEを授与されたりしています。もっと古いところでは、1965年にビートルズにMBEを授与されたことがちょっとした事件になりました。

(サー・マイケル・ジャガーの誕生)
今年ウィルキンソンとともに、60才にしてKnightの爵位(「サー」の称号)を授与されて話題になった人物にミック・ジャガーがいます。上記のように爵位の授与というのはかなり格上なのですが、ミックは当初予定されていたウィルキンソン叙勲と同日の爵位授与を嫌ってわざわざ日をずらせたというこぼれ話があります(ミックは「ウィルキンソンに悪いから」と言っていますが、本音は明らかに自分の話題が食われるのを嫌ったのでしょう)。ミックの思惑通り、当日のニュースでは「サー・マイケル・ジャガー」の誕生をどのメディアも大きく取り上げていました。
本件についてキース・リチャードは痛罵しているとのことですが、多くのストーンズ・ファンにとっても、往年の反体制ヒーローがうやうやしく「サー」の称号を下賜されるという事態に複雑な思いのようです。
私は、時代遅れの(時代背景まで背負い込んだ過剰な思い入れのない)ストーンズ・ファンの一人なので、今回の叙勲はもう少し冷静に眺めることができます。むしろさらりと「サー」になってしまう方が、ミック・ジャガーらしいという感想です。ミックは、叙勲に際して「かつて我々が知っていたような『体制』(Establishment)なんて今は存在しないと思うよ」と軽くいなしているそうです。私の感覚では、この発言の方が彼らしい印象です。
ただ、ニュース映像で、バッキンガム宮殿に同席した90何歳のミックのお父さんまで見せられると、ちょっとイメージが揺らいでしまいますが。


2003年12月08日(月) 第17週 2003.12.1-8 英国議会の開会式、優勝パレード

ロンドンはどんどん暗くなってきています。参考までに、BBCのウェッブ・サイトから、本日(12月5日)発表の週間天気予報に記載されているデータを紹介します。
 日の出 7時50分前後
 日の入り 15時50分前後
 最高気温 4〜11度
 最低気温 0〜11度

(英国議会の開会式)
さて、少し古い話になりますが、先月26日、英国議会が開会されました。英国議会の開会式は、伝統に則った儀式を現在も受け継いでおり、「英国らしさ」がもっとも典型的かつ大々的に表現される機会です。
当日の朝、執務をしていると、いきなり街に号砲の音が響きわたってびっくりさせられました。これは、女王と王冠などを載せた馬車がバッキンガム宮殿から議会に向かうのに併せて打たれる大砲の音で、合計30発くらいが打ち鳴らされます。この間、馬車が通過する場所(ロンドン中心部)の交通はストップされます。オフィスは、議会やバッキンガム宮殿の近くではあるのですが、「すわテロか」と思うくらいに迫力満点の音が街中に響き渡ります。

エリザベス2世女王が貴族院(House of Lords)本会議場の所定の場所に着席すると、使者が女王の到着を下院(House of Commons)に知らせに走ります。しかし、使者はいったん下院議場の扉の外で中に入ることを拒絶されます。この儀式は、国王が強権を発動して下院議員を逮捕したという17世紀の事件に由来したものとのことです。その後の下院議員(庶民=国民)と国王との間の権力闘争の歴史(立憲君主制確立への歴史)を経て徐々に国民が権力を獲得していったわけですが、この儀式は国王の使者を下院にみだりに入れさせないということを象徴しているそうです。
やがてブレア首相をはじめとした下院議員がぞろぞろと貴族院・本会議場に到着すると、やおら女王が所信表明演説(State Opening)を読み上げます。女王は、内閣の作成した演説原稿を読み上げるだけなのですが、演説を作成した方のブレア首相たちはそれを議場の周辺で立って聞いている(下院議員は貴族院の議場に入れないため)という摩訶不思議な場面が展開されます。女王や貴族院議員などの衣装は、由緒ある独特のものであり、まるで時代劇の一場面をみているような気にさせられます。
ただし、ブレア政権になってから、このような茶番を縮小・廃止する方向での検討が始まっています。すでに一部の時代がかった衣装は現代風に変更されたのですが、8日付当地メディアの報道によると、与党・労働党は女王による所信表明演説自体の廃止を検討しているそうです。外国人としては非常に興味深い儀式であり、廃止は残念な気がしますが、王室の位置づけの問題など様々な要素が絡み合って廃止が検討されているようです。

(キュー・ガーデン)
週末の日曜日、快晴の天気に誘われて(ただし、めちゃめちゃ寒かった)、キュー・ガーデンに出かけました。キュー・ガーデンは王立の植物園で、広大な敷地内に無数の植物標本が収集・展示されていて、250年以上の歴史があるそうです。先般、ユネスコの世界遺産にも登録された美しい植物園です。当家から車で15分程度のところにあります。
数時間ではとてもすべて見て回れないくらいの広さで、いくつかの温室にはサボテンなどの砂漠地帯や熱帯の植物が展示されており、簡単な水族館も併設されています。豊かな自然環境の中で、様々な鳥が歩き回ったり、泳いだり、飛び回ったりしています。多種多様な動植物を面白く見て回れるようなディスプレイの工夫もなされていて、大人も子供も飽きずに時間を過ごすことができました。
また、日本庭園など各種の庭園も造成されていて、美しい庭園として回っても十分に価値のある場所だと思います。園内にはちょっとした遊具や軽食のとれるレストラン、スーベニヤー・ショップなどもあり、まる1日かけて遊べる場所でした。入場料は、大人1人が£7.5です。

(優勝パレード)
月曜、W杯で優勝したラグビー、イングランド・チームの優勝パレードが行われました。マーブル・アーチを起点として、オックスフォード・ストリート、リージェント・ストリートからピカディリー・サーカスを経てトラファルガー広場に至るというルートで、まさにロンドンのど真ん中を通るパレードです。寒い日でしたが幸い好天に恵まれ、9時前くらいから街中は人だかりができはじめていたようです(パレードは12時スタート)。
私はというと、選手の投宿先であり、かつパレードの本当の起点(バスに選手たちが乗り込む場所)がオフィスすぐ近くのインチーコンチネンタル・ホテルだったので、11時半くらいからホテル前に見に行きました。ホテル前には大勢のファンやプレス関係者が陣取っており、大変な盛り上がりになっておりました。やがて大歓声とともに監督や選手たちがオープンバスに乗り込み、ゆっくりとマーブル・アーチを目指して出ていきました。
その後のパレードの模様は昼休みにTVで見ました。選手を乗せたバスは騎馬警官隊に先導・護衛されてロンドン市街を進み、彼らが到着する頃のパレード終点のトラファルガー広場は、まさに興奮のるつぼといった状態でした。ウィークデーというのにもの凄い人出(BBCによると75万人!)と熱気で、見ていた私はあっけにとられてしまいました。
トラファルガー広場では、選手たちを目の前にしてイングランド・ラグビーの応援歌「Swing Low Sweet Chariot」が繰り返し合唱されました。W杯の試合前に歌われたのはおなじみ「God Save the Queen」でしたが、イングランドのラグビー・ファンにとっての「六甲おろし」はこの曲です。そして当然、無数にうちふられている旗もユニオン・ジャックではなくて、イングランドの旗です。壮観でした。
イングランドの人々にとって文字通り悲願の優勝であり、決勝戦の名勝負とウィルキンソン人気がこの盛り上げに大いに貢献していたのでしょう。私のW杯興奮体験も、これで一段落です。
なお、同日夜のBBCニュースでは、パレードの模様を伝えつつ、「イングランド人にとっては、英国人としてのアイデンティティーよりもイングランド人としてのそれの方が大きい」という社会学者のコメントを挟んでいました。複雑な国ですね。


2003年12月01日(月) 第15-16週 2003.11.17-12.1 フランス小旅行、ロンドンとパリ

(パットニー・ヒースの朝)
28日金曜のロンドンは、この冬一番の冷え込みでした。朝9時でも気温は5度だったらしいです。
このところのロンドンは、朝7時でもまだ真っ暗です(ちなみに、夕方は4時台に真っ暗になります)。私は、ようやく明るくなり始めた7時30分から8時の間くらいに家を出ます。家から歩いて30秒くらいの場所に、パットニー・ヒースの片隅に位置するバス停(バスの溜まり場)があり、ここからバスに乗り込みます。パットニー・ヒースというのは、芝生が延々と広がる原野で、そこにちょっとした林程度に木が植わっています。
金曜朝のパットニー・ヒースは、ちょっと幻想的でした。芝生に霜が降りて一面真っ白に輝いており、地面から腰の高さくらいまで乳白色の霧が立ちこめていました。朝の弱い日差しの中でそれが見はるかすかぎり続いており、白い霧が立ちこめた原野の中を通る小さな人影は、雲海の仙人のように思えます。また、上空に目を転じると、ヒースロー空港に着陸しようとする飛行機がかなり低空まで下降してきていて、BA(ブリティッシュ・エアウェーズ)の赤と青のマークが朝日を受けて輝いています。
季節に応じて情景ががらがら変わるパットニー・ヒースの朝は、四季を表現した舞台セットをみているようで、1日の始まりを楽しい気分にさせてくれます。

さて、冷え込みのきつい日のロマンチックな話はここまでで、ロンドンの現実は甘いものではありません。こんな寒い日に限ってバスのヒーターが、故障か何か知りませんが、作動しておらず、バスの中でも吐く息が白いという状況でした。コートの襟をあわせながら芯から冷える状態のまま1時間バスに揺られるというのは、やはり公共サービスを受ける身としては何か理不尽なものを感じざるをえませんでした。

(フランス小旅行)
先週(19〜23日)、英国に来て初めての海外旅行でフランスを訪ねました。
4泊5日のうち真ん中の2泊はユーロ・ディズニーで、その前後1泊ずつがパリ市内です。ロンドンからの往復(ウォータールー〜パリ)はユーロ・スターを使いました。
フランス滞在中は一度も雨に降られることなく、ほぼ予定通りに観光を満喫することができました。子供連れでスーツケースを引きずりながら非英語圏を旅行するのは骨が折れましたが、パリの街に精通した知人の親切かつ効率的な案内により、充実した旅行になったと思っています(ありがとうございました!)。
ユーロ・ディズニーも、前評判で聞いていたほどしけたものでもありませんでした。息子も大喜びで丸1日楽しんでおりました。季節はずれのウィークデーだからということもあったのでしょうが、人の入りはイマイチでしたけど(それでも、最近はかなり盛り返しているらしいですが)。

そんなわけで、22日のラグビーW杯決勝戦は、家族の許可を得たうえでユーロ・ディズニーのホテルでの観戦となりました。イングランドのラグビー(のスタイル)に対する評価は分かれるところでしょうが、歴史に残るような決勝戦になったことは間違いなく、個人的にはイングランドが悲願の優勝を果たすことができてよかったと思っています。
フランスはセミ・ファイナルで敗退しましたが、W杯のテレビ中継は熱が入ったものでした。しかし、イギリスとは番組の作りや実況の雰囲気がかなり違っているように感じられたのが面白いものでした。イギリスのラグビー中継は、試合前に引退した名プレーヤーと評論家らしき人たちが真面目な戦略論を戦わし、かなり重々しいムードで始まります。対してフランスの中継は、(何者か知りませんが)タレントまがいの人がおどけた様子で番組を盛り上げていて、実況の感じも何となく軽いような気がしました。こんな所にもお国柄の違いが現れているのかな、と感じました。

(ロンドンとパリ)
日曜の夕方に英国ウォータールー駅に戻ると、ロンドンは雨が降っていて冷え冷えとしていました。
家路を急ぐ途中に妻が漏らした一言は、そのような天候とも相俟ってたいへん説得力を持って聞こえました。曰く「食べ物がおいしくて、町並みがきれいで、立派な歴史的建造物もあちこちにあるパリと比べたとき、ロンドンの観光都市としての魅力っていったい何なのかな?」確かにそのように考えると、時間に限りのある観光客が、訪問先としてパリではなくてロンドンを選ぶメリットはあまりないような気もしてきます。でも、その伝で言うならば、京都や奈良の方が観光地としてずっと優れていると個人的には思わなくもありませんが。
一つだけ、今回の旅行を通じてパリではなくてロンドンに軍配を上げたくなったのはタクシーです。
車両の快適度合い、ドライバーの態度・運転技術、いずれを取ってもロンドンのタクシーは素晴らしいと改めて思いました。パリは、タクシーに限らず車の運転が乱暴な印象を受けました。大きな道ではひっきりなしに激しくクラクションが鳴っていて(ちなみに、パリほどではありませんが、イギリスでも意外とクラクションが多く鳴る印象はあります)、ドライバー同士が交差点で喧嘩している様子を目撃しましたし、ダイアナ妃の死亡事故が発生した現場近くの道で信号待ちをしていた時、ちょうど我々の目の前で追突事故が発生しました。
フランスの車は右側通行の左ハンドルでもありますので、この国で車を運転するのはちょっと気が引ける思いがしました。


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