奇跡を信じて〜あれから〜
R



 

今朝、会いに行くと
苦しそうでも痛そうでもなく幸せそうな顔をしながら
Hは眠っていた
じっとHの顔を見つめていると
涙がHの頬をつたい流れていった
どんな夢を見ているのだろう
今日は少し長い時間病室にいる事ができた為
Hの心の変化をゆっくりと観察してみた
少し気持ちが暗い部分まで落ちている様子で
軽い鬱状態であると感じた
当然
全てはないにしてもある程度の事を告知しているわけで
こうなるのも当然である
痛みが軽くなってきたとは言え
身体が自由にならないわけで悲観的な感情が出てきて
当然だと思う
「辛いよ」とHは言う
元気だった頃はバリバリ仕事をこなしていただけに
今の自分の姿はHにとっても周囲にとっても悪夢なのである
「辛いよ」と聞いても私は励まさない
どんな言葉を繕ってみても
きれいごとにしか聞こえないだろうし
相手の気持ちを考えると
励ましの言葉は厳禁であると思う
Hの楽しみは唯一お風呂に入る事
Hが望む事をお手伝いさせて頂く
必要以上に気を使うと
その事すらHの負担になるかもしれない
お見舞いに来てくれる友人達には
Hは自分の状況を隠さず話す
それでもHの知っている事は全てではない
Hの古くからの大切な友人には
帰りがけエレベーターの所まで送った時に
「また会いにきてあげて下さい」と
Hの知らない部分の状況を話したりする
「驚いたでしょ?」とか
「Rちゃん(私)は強いよね」と言われる事があるけれど
驚くひまもなく『覚悟』をする事と『奇跡を信じる事』を
同時にしただけで強くはありません
ただ、ひたすら奇跡が起こる事を信じてる

2002年01月31日(木)



 そして、転移

Hの身体の外側から見える腫瘍は小さくなったものの
顎に転移しているらしい事を
今日、医師より告げられた
放射線による治療は今日で終了した
また違う場所には放射線治療を開始する予定とのこと

2002年01月29日(火)



 詩篇23

今日も私は「祈りの手」のキャンドルに火を灯し
詩篇23を読んでます

神は私の牧者
私は何も不足しません
神は草の多い牧場に私を横たわらせ、水の十分にある
休み場に私を導いてくださいます
たとえ死の影の谷を歩もうとも、私は何もおそれません
あなたがわたしと共にいてくださるからです
あなたのむち棒と杖は私を慰めてくれものなのです
あなたは、わたしに敵意を示す者たちの前で
わたしの前に食卓を整えてくださいます
あなたはわたしの頭に油を塗ってくださいました
わたしの杯はあふれんばかりです
確かに善良と愛ある親切がわたしの命の日の限り
私を追う事でしょう
わたしは長い日々にわたって、神の家に住むのです

2002年01月28日(月)



 漢方薬投与の意味

Hが現在飲んでいる漢方は
抗がん作用のある物と
化学療法の抗がん剤の副作用を防ぐものである
白花蛇舌草と三稜は抗がん作用がある
化学療法抗がん剤の副作用軽減には十全大補湯に加え
紅花、桃仁、牡丹皮、莪朮を煎じて飲んでいる

私は解剖生理学を学んだ後
西洋ではなく東洋医学に惹かれていた
その中でも最近では中薬学を学び
先週受験した所だ
必要な時には必要な物が巡ってくるのか
今日、私の手元に届いた1通の書留は
中医師(漢方医)の合格通知であった

しかし私が学んでいた事と
Hが漢方を飲んでいる事の関連性はない
Hの入院している病院は漢方外来があるだけの事だ
西洋医学に漢方を取り入れている病院は
数少ない事だと思う
鍼治療も入院患者に対しては無料で行っている
鍼治療もHはとても気に入っていて
治療後は痛みも軽減され心地良いそうだ

他に飲んでいる物は友人からのお見舞いの品のプロポリス
弟が購入したスギナ茶
流石に昨年、ガン学会で促進の恐れがあると
発表されたアガリスクは飲んではいない
何でも飲めば良いというわけではなく
「○○さんが飲めと言ったから」などと
人のせいにしないのがHらしいところである

今、私が注目している物は
抗酸化ビタミン剤とCoQ10、キャッツクロウなどである

2002年01月27日(日)



 夢の中で

昨日からハードスケジュールの私である
朝、病院へ行き昼食の差し入れをし仕事に向う
仕事をしながらもHは買って来て欲しい物などを
携帯メールで送信してくる
そのメールは膨大な量だ
今日は午後1時30分から昼食の休憩に入った
タイミングよく電話が鳴る
通常、私はカウンセリング中は
誰からの電話も出ない様にしているのである
それが向き合ってるクライアントへのマナーだとも考えている
Hは「弟が迎えにきてくれたから家に帰ってきたよ」と言った
私はホッとした
Hが一人ぼっちでいるのではない事に安心した
仕事が終了した後Hの自宅に向った
夕食後に「お風呂に入りたい」と言うH
左手で杖を突き右手を私の肩に掛け移動する
1ヶ月前のHからは想像できない
Hが迷子にならない様に
左手にビーズブレスレットをしてみた
何処かへ一人で行くわけではないから
迷子になるはずはないけれど
夢の中で道に迷わないよう
夢の中で道に迷っても私が見つけてあげる事ができるように

2002年01月26日(土)



 白血球

相変わらず病院食を食べないH
今朝は昼食時に食べられる様にとオニギリを持って行く
あまり話も出来ないまま私は仕事に出掛けた
Hの母は風邪をひいたらしく来なかったらしい
弟も仕事が忙しいらしく今週は顔を見せなかった
抗がん剤の投与後1週間の血液検査では
まだ白血球の減少も見られない事で一安心
明日は外泊予定
今日は熱が38℃2分まで上がった
一時期は和らいでいた痛みが
昨日から又痛くなった様で口数も少ない
最近は病室を出る時に
「いってきます」と出かける事にしてる


2002年01月25日(金)



 久しぶりの入浴

夕方、顔を出すとHは不機嫌だった
午前中に腹部CTの為、絶食だったそうだ
右の脇腹が痛むらしいが
特別な異常は見られなかったとHから聞いた
医師から聞いたわけではないので定かではない
昨日は楽そうだったのが
今日は足や腰の痛みがあるようで
食欲もないようだ
お風呂に入ると痛みが和らぐ時もあるので
「お風呂に入ってみる?」と聞くと
Hは嬉しそうだった
私は早速、着替えボディーシャンプーを用意した
一人で入浴させるのは心配なので
いつも私は長靴を履きエプロンをして手伝う事にしている
少しでもHが心地良く過ごせるように思う
毎日、仕事と病院の往復の日々が続いているけれど
時間が許す限りは病院にいたいと思う

私の仕事は簡単に言えばカウンセラーである
毎日色々な方々と接しているが
最近、特にディープな悩みを持つ人と接する事が多い
ディープな悩みを持つ方々のほとんどは身体の不調も訴える
心と身体は密接なつながりがある
話を聞くだけでは何の解決にもならない
それをどの様な方法を使えばその人の心が癒せるのか
それを見極めるのが私の仕事だと考えている

2002年01月24日(木)



 腫瘍が小さくなった

Hが「見て!」と嬉しそうに背中を見せる
腫瘍が小さくなった様だ
痛みも和らいでいるらしく
前よりは少し長く座っていられる様になった
とても嬉しかった
癌細胞をなくす事は不可能かもしれないが
治療の効果が見えてきた事で
Hは少し元気になった
Hの笑顔に癒された

2002年01月23日(水)



 病院の食堂

午前に病室へ行くと
ポンカン(みかん)の皮がゴミ箱に捨ててあった
相変わらずHは病院食を嫌い食べないのであった
放射線治療後に
「下の食堂で五目ラーメン買って来て」と言う
やっと何か食べたくなったのだと思えばラーメン(^^;
まぁ、いいっか!
私はお持ち帰り様の五目ラーメンを買いに行く
午後は仕事に出かけ
夜には又、病院へ向うのが私の日課となっているが
途中Hから電話が入り「冷やしタヌキ買って来て」ですって(^^;
また麺類?
食後、お風呂に入れてあげようと
浴室のスケジュールを見にいくが空いていなく
Hはがっかりしていた
「又今度にしましょうよ」と言いながら
今週の私の仕事のスケジュールを見る限り
今度はいつの事なのか約束はできなかった
残念

2002年01月22日(火)



 

朝から沢山の雨が降っていた
病院へ電話を入れストレッチャーを下まで持ってきてもらう
また今日からHは病院へ戻っていった
「もう病院食は食べたくない」と言う
それもそのはず
Hはコンビニのお弁当でさえ食べる事を嫌う人だから

2002年01月21日(月)



 試験

今日は試験だった
毎日、落ち着く事もできず仕事とHの看病の往復で
ほとんど試験勉強はできなかった
正確に言えばしたくなかったのだ
昨日から一夜漬けの様に取り合えずは勉強してみた
試験から戻るとHは
「できた?」と聞く
「思ったよりはね」と答える
偶然にもHの飲んでいる漢方薬が
口頭試問に出題されたのだった
1週間以内に書留にて合否通知が届く

2002年01月20日(日)



 外泊

自宅に戻れば少しは食欲が出るかもしれないと思い
外泊許可書を申請する
今は歩く時期ではない事から
ストレッチャーに乗せ正面玄関まで看護婦さんに送ってもらう

私はクリスマスイブに自分の車を手放した為
Hの車に乗ってます
Hが大好きな車
それを私は預かっている
いつか又、運転できる日が来ると良いね

2泊3日の外泊と言えども荷物は多かった

2002年01月19日(土)



 抗がん剤の副作用

抗がん剤の副作用のせいかHは食欲がない
病院食を見るのも嫌だと言う

2002年01月18日(金)



 抗がん剤と放射線

今日から抗がん剤の点滴と放射線の治療がはじまった
Hは「髪の毛抜けるのかな?」などと気にしている

医師の言葉を少しづつ思い出す
「お若いですから進行が早すぎて」・・・
Hは30代
抗がん剤に耐えることができると私は思いたい

2002年01月16日(水)



 漢方と鍼

漢方医師より処方箋を受け取り薬を頂きにいく
昨日は鍼治療をしてもらい心地良く眠れたようだ
抗がん剤の副作用防止の為に漢方を飲む事になった
Hは「どんなに辛くて苦しい治療でも頑張るから」と頼もしい
こうして私は病人のHから元気を与えられ
また癒されていた


2002年01月13日(日)



 外泊

来週から抗がん剤の投与がはじまり副作用の心配がある為
当分外泊できなくなるかもしれない
Hの希望で一時帰宅する

2002年01月12日(土)



 城の見える部屋

婦長に大部屋から個室への移動をお願いする
少しでもHのストレスを軽減させてあげたい
部屋を移動すると
そこは城の見える部屋であった


2002年01月11日(金)



 桜の咲く頃には

医師から説明を受けた時に
「このままの状態では桜を見ることはできないでしょう」
と言われた
「治療をして半年でも1年でも延命させてあげたい」
とも言われた
私が願う事は、まずは痛みからの解放である
モルヒネシロップの服用で痛みのコントロールの効果が
どれだけ期待できるのだろう

2002年01月10日(木)



 モルヒネ

痛みのコントロールにモルヒネシロップを服用する事になった
まずは5mlから開始する事になる
夜、脳ルーチンの検査の為Hを車イスに乗せて移動するが
検査室に着いた時には痛みがひどく
検査を受ける事ができなかった
車イスの移動が辛かった様で
病棟からストレッチャーを運んでもらい移動した
坐薬を入れ1時間後に検査は行われた
昨日の説明をHの弟は母より上手く伝わらなかった様子で
改めて私が説明をする
検査を終えたHが病室に戻った後
弟は「本人に会うのが辛いから明日また来ます」
と言って帰っていった
私達の感情はこの際、二の次であると私は思っている
本人は癌と戦うと決意しているのだ




2002年01月09日(水)



 告知

午前Hは気管支内視鏡の検査
検査後、病室に戻るが麻酔の為、話す事はできない
後ろ髪を引かれる思いがしながらも
私は仕事に出掛け夜、病院へ戻る
Hの母と3人で医師から説明を受ける事になっていたが
私は看護婦さんに呼ばれ
先ずはH抜きでカンファレンスルームに行く様に指示された
私は廊下の時計を見た
17:53
病室に戻るのがあまり遅くなるとHは心配するだろう
カンファレンスルームにて
O医師とT医師から以下の説明を受ける
病名は「肺腺癌」
肺の左側、左の肺動脈、左のリンパ節に腫瘍が見られる
左肺2,5cm×1,5cmの腫瘤
左肺門に左上幹上区枝を閉塞する形で6cm大の腫瘤
肝臓 全肝に大多数の腫瘤があり多発肝転移
脾臓 6cmの腫瘤があり転移
左副腎 8mm大の結節 転移
右副腎 4cmLDA
腸管、胃体部 リンパ節転移
左腸骨 2,5cm大の腫瘤
右胸壁下部、膵部の右横、左陽骨部の皮下に結節を認められ
転移の可能性がある
左頚部、右鎖骨下、左腋、全身悪性リンパ腫の可能性
左第1,3肋骨、右第10肋骨はじめ右臼がい
左大腿骨転子部、骨幹部転移

溢れ出る涙を抑えながら
「本人には肺腺癌である事への告知」を
医師から告げて頂ける様にお願いした
本人は薄々気付いている
そしてこれからの治療の為に・・・
足、背中、腰などの痛みから恐らく転移している事に
本人も気付く事から
骨への転移のみ知らせて頂ける様にお願いした
他の部分に関しては自覚症状がない以上は知らせる必要がないと
私は判断した
本人へ告知した後は痛みのコントロールに
モルヒネシロップを開始する
来週からは抗がん剤の投与と放射線治療に入るとの事

医師から説明を受けたHは
「小細胞癌」だと思い込んでいたらしく
腺癌であると聞きホッとした様子だった

2002年01月08日(火)



 骨シンチ

2002年1月4日
午前Hは骨シンチの検査
明日、明後日は外泊

2002年01月04日(金)
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