女の世紀を旅する
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2009年07月07日(火) 《 ウイグル暴動の背景 》

《 ウイグル暴動の背景 》



チベット暴動にしろ,今回のウイグル暴動にしろ,根本の要因に宗教が関係しているのは確かだろう。中国共産党は歴史的に宗教敵視政策を続けている。それゆえ,チベット仏教徒やイスラーム教徒は共産党員になれる資格をもたず,役職からも疎外されてきた。こうした宗教をもった民族に対する抑圧や偏見が続く限り,漢民族中心主義の中国に対する独立運動や暴動は今後も激化していくだろう。共産主義の思想は,マルクスが『共産党宣言』で語っているように,「宗教はアヘンである」という唯物論思想が土台にあることを忘れてなるまい。特に共産主義思想を学んだ中国人にとって,イスラーム教徒のウイグル人に対する偏見や蔑視は根深いものがある。宗教が対立の背景にある場合,民族の融和(漢化政策)は歴史的に成功したためしがない。チベット仏教徒(1959年独立反乱,ダライラマ14世がインドに亡命)に対する徹底的な弾圧を繰り返した共産党当局は,今回の新疆ウイグル自治区のウイグル人の暴動に対して,有効な解決策をもたない。これほどの犠牲者を出したからには,中国共産党の警察国家もいずれ大きな試練にぶつかるだろう。


● 中国新疆、住民と警官再び衝突 死者156人に
 【ウルムチ(中国新疆ウイグル自治区)7月7日共同】中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市内で7日、ウイグル族の住民数百人が、拘束された家族らの釈放を求め抗議するデモが発生、武装警察部隊側と衝突した。当局は暴動再発をおさえ込むため、厳しい警戒態勢を敷いて取り締まりに当たってきたが、ウイグル族側の不満の強さをあらためて示した。

 一方、新華社電によると、自治区警察当局は6日夜、ウルムチで5日発生した暴動による死者が計156人に上ったことを明らかにした。死者のうち129人が男性で、27人が女性。負傷者も計1080人となった。死傷者は漢民族が多いとみられるが、具体的な内訳は不明。拘束された暴動参加者は1434人に上った。

 7日の抗議デモに加わったウイグル族女性は娘を抱えながら「拘束された夫を返して」と要求。警官側につかみかかる女性もいた。

 当局側は、ウルムチだけでなく、自治区西部のカシュガルやアクス、北西部のイリカザフ自治州でも組織的な暴動を起こす計画があったとしている。また、カシュガルでは6日、地元の有名なモスク(イスラム教礼拝所)付近に200人以上が集まり、暴動を起こそうとしたが、警察に阻止された。(AP=共同)


●広東の衝突事件、15人逮捕=ウイグル暴動の引き金−中国警察
 【北京7日時事】7日の新華社電によると、中国広東省韶関市の警察当局は、同市内の香港系玩具工場で先月、漢族とウイグル族の労働者が衝突した事件に関与したとして、これまでに容疑者15人を拘束した。うち3人はウイグル族。
 この事件は、今月5日に新疆ウイグル自治区のウルムチで発生し、多数の死者を出した大規模な暴動の引き金になったとされる。
 香港各紙の報道などによると、事件は先月25日夜から26日未明にかけて発生。漢族の従業員100人以上が、出稼ぎに来ていたウイグル族の従業員を襲い、ウイグル族2人が死亡したほか、双方合わせて約120人が負傷した。
 「漢族の女性がウイグル族の男性に乱暴される事件が相次いだ」とのうわさが流れたことが発端だが、後にデマだったことが判明している。警察当局によると、15人のうち2人はデマを流した容疑で逮捕された。(2009/07/07-13:15)


●「ウイグル族解雇」は誤解=広東の襲撃事件で香港人経営者
 【香港7日時事】7日付の香港紙・明報によると、「香港の玩具王」といわれる実業家の蔡志明氏(旭日国際集団会長)は6日、広東省韶関市にある同社工場で起きた民族対立事件が新疆ウイグル自治区のウルムチで暴動を引き起こしたとされていることについて、工場のウイグル族従業員を解雇して同自治区に送り返したとの説を否定した。
 工場の事件では、漢族の従業員がウイグル族を襲撃し、多数の死傷者が出た。その後、ウイグル族の間で「加害者の漢族は誰も捕まらないのに、被害者のウイグル族がくびになった」とのうわさが広まり、怒りを買っていた。
 蔡氏によれば、この工場はウイグル族800人を雇用しており、1人も解雇していない。襲撃事件は、仕事のミスで解雇された漢族の従業員が扇動して起きたという。工場の事件もウルムチの暴動も、根強い漢族と少数民族の対立を背景に誤解が重なって起きたとみられる。(2009/07/07-16:01)



●ウイグル族とは
 8世紀ごろから現在の中国西部やモンゴル、中央アジアに住むトルコ系民族。ウイグル語を話し、その多くがイスラム教徒。新疆ウイグル自治区には約880万人が暮らし、自治区人口の45%を占める。区都ウルムチでは移住者が増加している漢族が7割を占めるなど、全体的にウイグル族の比率が低下している。


★新疆ウイグル自治区について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新疆ウイグル自治区


カタカナ転記: シンジャン(新疆の中国音)
自治区首府 ウルムチ市
最大都市 ウルムチ市

主要民族 ウイグル族 - 45%   漢民族 - 41%  カザフ族 - 7%
回族 - 5%  キルギス族 - 0.9%  モンゴル族(オイラト) - 0.8%
東郷族 - 0.3% タジク族 - 0.2%  シボ族 - 0.2%


●新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく)は、中華人民共和国の西端にある自治区。ウイグル族の民族自治区であり、その領域は、一般に東アジアの一部として定義されるが、場合によっては中央アジアのトルキスタン地域東部(東トルキスタン)と見做される事もある。ウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)など様々な民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれている。なお、中国国内には、北京の経度を基準に標準時を1通りしか公式に認めないため時差は存在しえないが、新疆では非公式に北京時間(UTC+8)より2時間遅れの新疆時間(UTC+6)が使われている。


● 歴史

伝統的には、テュルク系民族が多いことからペルシア語で「テュルク人の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれ、現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきた。一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いた。13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われた。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服された。

18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「新しい土地」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠(さそうとう)により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦後の1949年に再び中国の侵略により支配下におかれ、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、直後に開始された毛沢東の大躍進政策(1959年開始)とその影響による飢饉のため、自治区の経済及び住民生活は大打撃を受け、数百万人ともいわれる、大規模な死者を生み出した。1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡した。また、1966年には自治区内に文化大革命(毛沢東の権力奪回闘争.紅衛兵を動員)が波及し、モスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかった。

文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル人住民の中で、新疆における民族自治の拡大や、中華人民共和国からの独立を唱える動きが見られたが、1989年の天安門事件で中国共産党による自国民虐殺以降、こうした動きは当局の厳しい監視・取り締まりの対象とされている。


● 東トルキスタン独立運動

中国政府による取り締まりに対し、新疆における民族自治の拡大や人権状況の改善を目指す運動が中国内外で続いている。一部の運動組織は、新疆の中国からの分離独立を主張しており、新疆はチベットと並んで、中国の抱える民族問題のホットスポットの一つとなっている。911同時多発テロ事件以降は中国当局の治安体制強化もあって、中国国内では目立った騒擾事件は発生していないが、信頼できる情報源が少ないため、新疆の実情は必ずしも明らかになっているとはいえない。国外の民族運動組織は、中国政府による人権侵害事案をたびたび取り上げている。 東トルキスタン・イスラム運動などといった組織が独立運動を唱えている。 


● 地理

新疆ウイグル自治区の面積165万km2は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占める。(日本の約4.5倍)ただし、面積の約4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当する。総人口は約1,900万人で、その3分の2は漢族以外の少数民族である。省都は烏魯木斉(ウルムチ)。

新疆ウイグル自治区は、中国の最西部に位置しており、東部から南部にかけて、それぞれ甘粛省、青海省、西蔵自治区と省界を接している。また、インド、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、ロシア連邦、モンゴル国の8カ国と国境を接し、国境線の総延長は約5,700kmに達する。国境を接する国の数は、中国の行政区分で最大である。

1931年8月11日、新疆ウイグル自治区北部でM8の地震が発生。地震研究のための貴重な資料として、当時の地震断層や地形の変化がそのままの状態で残されている。2007年4月19日、断層の保護作業が終了した。

また、新疆ウイグル自治区ではロプノール核実験場の付近を中心に、1964年から46回の中国による核実験が行われており、放射能汚染による地域住民の健康状態や、農作物への被害が指摘されている。研究者の推計によると同地域で19万人が死亡しており、健康被害者は129万人とも言われている。


● 住民

自治区内の住民は、ウイグル族、漢族のほか、カザフ族、回族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)などの様々な民族で構成される。また、カザフ族、キルギス族、タジク族、ウズベク族など、隣接する旧ソ連領中央アジア諸国と国境を跨って居住する民族も少なくない。

自治区の北部、東部を中心に居住する漢族は、1954年に設立された新疆生産建設兵団を中心に、1950年代以降に入植した住民が大半を占め、急速にその数を増やしている。中国政府の公表する人口統計には、軍人の数が含まれていないことから、実際の人口比では、漢族の人口はウイグル族を上回っていると推測されている。


● 経済

中華人民共和国の成立後、新疆では1954年設立の新疆生産建設兵団などによって、ダム・用水路の建設、防風・防砂林の造成などが行なわれ、新しい耕地が開拓されてきた。第一次産業としては、小麦、綿花、テンサイ、ブドウ、ハミウリ、ヒツジ、イリ馬などが主要な生産物となっている。特にこの地域で生産される新疆綿といわれる綿は、エジプト綿(ギザ綿)、スーピマ綿と並んで世界三大高級コットンと呼ばれ、繊維が長く、光沢があり高級品とされており、日米欧に輸出され高級シャツ、高級シーツなどに利用される。

また、新疆は石油と天然ガスの埋蔵量が豊富で、これまでに38カ所の油田、天然ガス田が発見されている。新疆の油田としては塔里木(タリム)油田、準葛爾(ジュンガル)油田、吐哈(トゥハ)油田が3大油田とされ、独山子(トゥーシャンツー)、烏魯木斉(ウルムチ)、克拉瑪依(クラマイ)、庫車(クチャ)、塔里木の5大精油工場で原油精製も行われている。

新疆の石油と天然ガスの埋蔵量は、それぞれ中国全体の埋蔵量の28%と33%を占めており、今日では油田開発が新疆の経済発展の中心となっている。特に、西部大開発政策開始以降は、パイプライン敷設や送電線建設などが活発化している。これには、中国国内最大の油田であった黒竜江省の大慶油田の生産量が近年では減少してきたために、新疆の油田の重要性が相対的に増していることも関連している。

石油とガス開発以外にも、今日の新疆では鉄鋼、化学、機械、毛織物、皮革工業が発達しており、主要な工業地域として烏魯木斉、克拉瑪依、石河子(シーホーツ)、伊寧(イーニン)、喀什(カシュガル)が挙げられる。

このような工業化の進展は、新疆に道路を中心とする交通網の整備をもたらし、烏魯木斉などを拠点とした道路が新疆のほとんど全ての郷・鎮を結び、更には青海省、西蔵自治区、カザフスタンなどとも道路で結ばれるまでになった。また、1962年には蘭州と烏魯木斉を結ぶ鉄道の蘭新線が開通し、1990年には阿拉山口への延伸によってカザフスタンの鉄道に接続されたことで、中国各省と中央アジアを結ぶ鉄道の大動脈が通ることとなった。また、1999年にはコルラ-カシュガル間の南疆線も完成し、自治区最西端すなわち中国最西端までの鉄道が開通した。

更には、面積が広大なことから航空への依存度が高まり、烏魯木斉の空港を中心として十数の自治区内の主要地を結ぶ航空網が整備されていった。その為、今日の烏魯木斉空港は、北京、上海、広州の空港とともに、中国5大空港の一つに数えられる程の拠点空港となっている。また西アジア、アフリカ、ヨーロッパとの国際線が発着することから、中国西北地域の玄関口としての役割をはたしている。


カルメンチャキ |MAIL

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