女の世紀を旅する
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2007年02月21日(水) |
映画「硫黄島からの手紙」に仏シラク大統領が感激 |
映画「硫黄島からの手紙」(監督クリント・イーストウッド.76歳)
●地獄の戦場・硫黄島の戦い
延べ3000機を越す空襲と二度の艦砲射撃にさらされて来た2万3000人が守る硫黄島に7万5000人のアメリカ海兵隊が上陸部隊が殺到したのは1945年(昭和20年)2月19日だった。日本軍は硫黄ガスが吹き出す60度近い地熱の地下坑道に潜んで,1カ月近い抗戦を続けた。
米軍が摺鉢山(すりばちやま)を占拠して星条旗を立てた写真は有名だが,実は地獄の攻防戦はその後から本格化する。栗林忠道司令官は上陸する米軍を水際で叩く帝国陸軍の水際作戦をとらず,米軍を上陸させてから,これを叩く作戦を採用した。19日の日没までに米兵3万が上陸したが,日本軍の猛攻は深夜から凄まじく,特に日本軍の速射砲部隊の反撃により多数の米兵が倒れ,米戦車20数両が破壊された。
硫黄島の日本軍は,寄せ集めの東京近辺の応召兵がほとんどで,年齢層もバラバラで,映画でも描かれていたように,パン屋や憲兵隊クズレもいた。それに対して米海兵隊は歴戦の将校や,20代半ばの選りすぐり兵士を送り込んできたが,この寄せ集めの素人の日本兵を奮起させて栗林中将は実に36日間にわたる死闘を繰り広げた。
栗林忠道は陸軍士官学校をへて陸軍大学校(陸大)に入り,2番で卒業した秀才。その後,留学と駐在武官として5年におよぶアメリカ体験があり,それゆえアメリカの国力を知っている彼は,対米戦には反対であったといわれる。弾薬・食料など圧倒的に不利な状況の中,彼の地略の限りをつくした戦いで,米兵の死傷者は1万7000人に及び,太平洋戦争の戦いの中で最大の損害をこうむった。
ノルマンディー上陸の際の死者をうわまわる犠牲を出したこの報を知ってアメリカのマスコミは騒然となったという。米海兵隊では,いまだに「史上最悪の戦闘」として語り継がれている。
そうしたこともあって,クリント・イーストウッド監督はずっと以前から硫黄島の戦いにこだわりを持ち続け,これを映画に撮りたいと思っていたという。記者会見で彼は,「栗林中将の顔写真を見たときに感じるところがあった。それでこの人を撮りたいと思った」と言っている。
この映画「硫黄島からの手紙」は,実はノンフィクション作家の梯久美子(かけはしくみこ)が新しい栗林像を描いた『散るぞ悲しき』(新潮社)から多くのヒントをえて作られていると,主演の渡辺謙が語っている。栗林中将は家族思いには熱いものがあり,妻と小学生の娘に硫黄島から多数の手紙を送っており,8カ月間で41通に及んだという。渡辺謙はこの本を読んで感動し,監督に栗林のエピソードを書き出して伝え,劇に生かされているという。
3月7日,坑道から投降した日本兵傷病兵は手榴弾を一発ずつ与えられて自決。捕虜となった212人を除いて,日本兵は全員玉砕した。映画でも手榴弾での自決のシーンが出てくるが,凄まじい迫真の場面であった。
●仏シラク大統領、クリント・イーストウッド氏を絶賛。レジオン・ドヌール賞を授与 【パリ/フランス 2月20日 AFP】
米国のベテラン俳優で、ハリウッドの映画監督、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)がフランスの名誉賞である「レジオン・ドヌール」を,フランスのジャック・シラク(Jacques Chirac)大統領から受け取った。
エリゼ宮殿の庭園内で行われたセレモニーに登場した76歳のイーストウッドは、グレーのスーツに身を包み、妻のディナ(Dina)さんと10歳の娘モルガン(Morgan)ちゃん、カイル(Kyle)君に付き添われた。
●「ハリウッドでもっとも称えられるべき人物」と絶賛
「この表彰は、俳優としての素晴らしい才能と世界の映画界において最も重要な地で監督として活躍している貴方の能力をフランスが称えるということです。フランスから、親愛なるクリント・イーストウッド氏、貴方をハリウッド一称えられるべき人物であるとして表彰する。」と、シラク大統領は述べた。
映画界における貢献はもちろんだが、同氏は「硫黄島からの手紙」など近年の作品において反戦的スタンスを取っていることも、名誉に値するとシラク氏は絶賛した。この映画について、「ヒューマニズムについての素晴らしい教訓を与えてくれる。平和主義を掲げ弁論に留まるのではなく、単純な思考や強要によって導かれた姿勢が行き詰まらずにはいられないという事実を再確認させてくれる」と評価の弁を述べた。
●強さと弱さを併せ持った米国の複雑さを映画で表現
イーストウッド氏は、米国のイラク侵攻に対する反対姿勢を公に示していた。2003年、フランス大統領と同国政府はこの政策をなんとか防ごうとしたものの、米国は侵攻を行い、最終的には戦争を招く結果となってしまった。
硫黄島の戦いについての2作のうち、今回の作品は2つ目のもの。一作目の『父親たちの星条旗』は米軍側の視点から描いたものだ。この対戦で2万人以上の日本人と、7000人近くのアメリカ人が犠牲となった。
ニ作目の映画「硫黄島からの手紙」は、ストーリー中に日本語が使われており、アメリカGISと戦う日本軍の視点で戦いを描き、一躍話題となった作品である。また、今年のアカデミー映画、監督賞の主要候補としても注目を集めている。
2007年02月16日(金) |
格言の花束 〈人生について〉 |
格言の花束 〈人生について〉
● われわれは生涯の様々な年齢にまったくの新参者としてたどりつく。だから、多くの場合、いくら年をとっても、その年齢においては経験不足なのである。(ラ・ロシュフコー)
● 生きる技術とは,一つの攻撃目標を選び,そこに力を集中することにある。(アンドレ・モロア)
● 人生の最初の40年は私たちにテキストをあたえてくれる。それからの30年はテキストについての注釈をあたえる。(ショーペンハウエル)
● 宴会からと同じように,人生からも飲み過ぎもせず,のどが乾きもしないうちに立ち去ることがいちばんよい。(アリストテレス)
● 長生きするためには,ゆっくりと生きることが必要である。(キケロ)
● 人生における大きな喜びは,君には出来ないと世間がいうことをやることである。(ウォルター・パジョット)
● 生まれたときは泣き,生きているときは文句を言い,死ぬときは絶望する。(不詳)
● 人生は,それがどんなものであるかを知らないうちに半分過ぎ去ってしまう。(俚言)
● こちらで一日,あちらで一日といった人生は,まことに空虚な人生である。見聞することはほかでもない,自分が知りたくもないこと,そればかりだから。(ゲーテ)
● 生が夢で,死が目覚めであるならば,私がじぶんを,他のいっさいから別個に画された存在と観じているというその事実もまた夢幻にほかならない。(ショーペンハウエル)
● 人生――二つの「永遠」の間のわずかな一閃。(カーライル)
● 人生はそれを感ずる人間にとっては「悲劇」であり,考える人間にとっては「喜劇」である。 (ラ・ブリュイエール)
● 人生とは,くたびれていくひとつの長い過程である。 (サミュエル・バトラー)
● 人は多くを願うが,かれに必要なものはごくわずかである。人生は短く,人間の運命には限りがあるから。 (ゲーテ)
● 事件の渦中に入ってしまうと、人間はもはやそれを怖れはしない。 (サン・テグジュペリ)
● 会って,知って,愛して,そして別れてゆくのが,幾多の人間の悲しい物語りである。(コールリッジ)
● いかにして年をとるかを知ることは,知恵のうちの最大の仕事であり,生きるという偉大な技術におけるもっとも難しい数章である。(アミエル)
● 疑う余地のない純粋な喜悦のひとつは,勤労のあとの休息である。 (カント)
● もっとも卓越した天分も無為徒食によって滅ぼされる。 (モンテーニュ)
● 人間はただ労働によってのみこの世におちついて暮らすだろう。 だから労働しないものは,おちついていない。 (アウエルバッハ)
● いつもなぜ遠くへばかり行こうとするのか。見よ,よきものはかく身近にあるのを。ただ幸福のつかみかたを学べはよいのだ。幸福はいつも目の前にあるのだから。 (ゲーテ)
● 人生における無上の幸福は,われわれが愛されているという確信である。 (ヴィクトル・ユーゴー)
● お互いに生きることに疲れている病人だという自覚があって,はじめて家庭のささやかな幸福が見い出される。(亀井勝一郎)
●夫婦は親しきをもって原則とし,親しからざるをもって常態とす。(夏目漱石)
● 今日という日は、残りの人生の最初の一日。(映画「 アメリカン・ビューティー」
2007年02月12日(月) |
「遊びと賭け」について |
霜山徳爾(しもやまとくじ)著 『人間の限界』(岩波新書)からの抜粋
●遊ぶ
「人は遊ぶ時にのみ真に人間となる」というのがシラーのよく知られた言葉である。最近,レジャー時代ということに連関して,多くの遊戯論が書かれているが,「人間はいったい真に遊びえるのか」という問題に触れたものはない。週休2日制になったり,レジャー産業が盛んになったりしているが,人々は本当に遊びを楽しんでいるのだろうか。
どう見てもそれはしばしば退屈の変形のようにしか思えない。つまり多忙や疲労からのレクリエーションであるよりも,倦怠と無為からの逃避ではないのか。
人生の乏しさと貧しさこそ,同時に遊戯の前提でもある。
かつて「シベリアおもちゃ」という言葉があった。もう若い人は何のことだか判らないだろう。戦後,ソ連に抑留されて長い強制労働に服した日本人捕虜が,収容所内で拾ってきた小さな木片などを,たんねんにきざんでつくった櫛(くし)とか人形などの細工物のことである。「よほど退屈でひまをもてあましたのですね」とある学生はその話しをきいて言った。私は思わずこの体格の良い,マンガの本をかかえた若者の顔をまじまじと見てしまった。
捕虜たちは毎日の重労働で,ひまな時間などありはしなかった。あるのは飢餓と疲労だけで,手すさびなどするどころではなかった。それにもかかわらず彼らに「シベリアおもちゃ」をつくらせたのは何か。それは,このような非人間的な状況の内でも,なお人間でありたいという無意識の哀(かな)しい願いである。
たしかに遊戯的なものは人間にとって何か重要なものである。われわれになじみがないが,ヒンズー教の有する思想の内で,心をひかれるものに,この地上の一切の事象は「リラ」すなわち,神の舞踏のたまゆらの戯(たわむ)れである,という考えがある。
これはただれるような暑熱と烈しいモンスーンの風土における,考えられないような貧しさ,その内での多産多死,生誕と喪の慌(あわただ)しさから,何千年の間に,おのずから生まれた洞察だろう。この世で繰り返される毎年のような飢餓や重い疫病も,すべてそこでは神の戯れのまぼろしになる。
バートランド・ラッセルは,十歳の時から,たえず自殺へのいざないに抵抗しなければならなかったという。そうであればこそ,彼の言葉によれば「星と風と海原(うなばら)の世界」に住み,それと戯れることができた。一般に人間は現実が貧しいほど,ささやかな夢に酔い,はかない遊びに招かれ,おのれは歌うすべを知らなくても,何か不易(ふえき)の旋律のようなものにひきつられる。
およそすべての芸術には遊戯的な因子を欠くことはない。いわば人間の内から売られて天の俘虜となった詩人の憂愁の歌――これも一種の「シベリアおもちゃ」である。
遊戯には日常性の内にないあるまろやかさがあり,また遊戯はすべての陶酔がそうであるように,いわば永遠を欲する。それは疲労を知っているが,嫌悪を知らない。遊戯の象徴とされるものは,昔からきまって,球や毬(まり)であり,円環である。したがってしばしば指輪,腕輪,ネックレスなどによって表現される。これらをする習俗があらゆる民族に普遍的であることからも判るように,これらは単なる装身具ではない。無限の遊びにさそわれたい,という無意識的な願いの現われでもある。
ことにネックレスなどに使われる瑠璃(ラビスラズリー)石の色は,古代から,限りないものへの,人間のはかない夢の象徴である。また古代では,しばしば相互に尾をくわえて丸くなっている二匹の蛇の形態によって,遊戯の無限と英知を表現した。
人間はホモ・サピエンス(知恵者)であると同時に根源的にホモ・ルーデンス(遊戯者)である。ニーチェはその病誌によれば,遊びが逝(い)ったために早く失われた幼年時代を,ふたたび取り戻したいという望みをもっていた。彼は『ツァラトゥストラ』の内で「一切の身体が舞踏者であり,一切の精神が鳥になること……これが私のアルファであり,オメガである」と述べている。貧しい運に逢い,幼少時に遊ぶことも許されない逆境にあった人間は,人格の形成の上で大きなハンディをもっている。
今日でも早期幼児自閉症に対しては,遊戯療法が主力になっている。遊戯はここでは心を広げさせる何ものかであり,何か故郷的なものである。遊戯は過去を担(にな)い,未来を先取りするものではなく,こどもの存在様式にも似て,「現在的」である。過去にとらわれ,未来におびえる成人は,もともと遊べないのである。そうであるばこそ,遊戯における享受は,この現在性と結びついて,人をいざなうのである。もともと遊戯は跡をとどめず,失うために求められ,終わるために始められる。しかし,蜉蝣(かげろう)のいのちであろうとも,せいいっぱい生きられる「現在性」の一瞬の充実感こそ,人間にとって切実に必要なのである。
「ああ,今の瞬間の豊かさよ,汝はまことに限りない。どうしてお前のうちにとどまらずにおられよう」 ――これは西欧のある聖者(スピランのマリア・テレジア)の言葉である。このけじめが分明でなくなると,遊びは汚され,頽廃してしまう。遊びは空しい夢であってこそ意味深く,深い山林からきた漂鳥のように消えてこそ,精神的なものへと濾過される。しかし,実利や実用の世界がくればただちに脆(もろ)くも崩れてしまう。
遊戯には,正常と異常とがあるだろうか。ロジェ・カイヨワはその『遊びと人間』の内で,遊戯の原則的な四つの類型をあげている。すなわち
「競争」(さまざまな球技のスポーツ,将棋,碁など)
「僥倖(ぎょうこう)」(ルーレット,その他のギャンブリング)
「擬態(ぎたい)」(こどものゴッコ遊び,演劇など)
「めまい(目眩)」(スキー,スケート,回転遊びなど)
そして,その異常として「競争」は規則無視の攻撃となり,「僥倖」は迷信に,「擬態」は分裂病に,「めまい」は薬物嗜好になるとしている。後の二者の異色ある指摘は興味深い。しかし,これらは異常というよりも,遊戯が自然に行きつくところの果てであり,限界なのである。
●賭ける
こどもの遊びは「これこれと遊ぶ」という形から始まり,まもなく「これこれして遊ぶ」こと,および「これこれを得るために遊ぶ」ことへ発展する。こどもの場合には,成人のような執着はまだ始まらず,諦念の日々も遠いから,遊ぶことに心のすべてを傾けることができる。あらゆる種類のごっこ遊びにおいてこどもは真に熱情的に遊ぶ者でありつづけ,いきいきした生命の充実感を味わい得る。重い疲労の日,粉飾された倦怠の夜,を繰り返す成人と異なり,こどもがそのことに成功するのは,こどもが「信頼する」被保護性の雰囲気の内に遊んでいるからである。
一般に「信」の成立は人間性の良い発展と結びついている。恵まれたこどもは,その信じる成人から決して見棄てられることはないという思うゆえに,安んじて遊ぶし,おのれにたのむところを得るのである。信ということは,常に一つの「賭(と)する」ことである。なぜならば,信とは,前もって他者の誠実さを先取りすること,だからである。したがって,信はその本質上,いわば盲目なものである。前もって見たり識ったりしていることは,知識ではあっても信ではない。
ビンスワンガーはその名著『人間存在の基本形式と認識』において「人間存在における遊戯の意味は,世界へ堕する……転落する……ことから解放されたいという実存的な傾向の現実化である」としているのは興味深い。しかもこの現実化は真剣に「賭すること」によってのみ求められるのである。
現在の遊戯の一部は長い歴史をもち,古い呪術的な典礼の名残りでもある。舞いの遊びには元来,明らかに多くの宗教的な意味があった。独楽(こま)も賽子(さいころ)も由来をたずねれば,もともと古い神事において,隠された宿命を問い,あるいはそれに影響を与えようとする手段でもあった。もとより遊戯は宗教的な典礼とは異なる。聖なるものは超地上的であり,遊戯的なものは脱地上的である。宗教的なものは畏敬と不安にみたされているが,遊びは明るい,軽やか解放である。
最近の多くの祭りのように,宗教から聖なるものが失われ,儀礼的なものだけが残っている時に,遊戯的なものになるというべきであろう。しかしそれは遊戯的なものの価値を減らすことには少しもならない。遊戯はやはり「世界へ堕すること」,あるいはあえて言えば「超地上的なものへ堕すること」に対する不安を軽くさせる方法である。現代の人間も,古代ギリシアの人々と同様に,運命(モイラ)の前に投げ出されている。運命はもと「定数」といったように,いわばきまったものであり,理非もなく,正邪もない。それは非情で,かつ常に残忍である。
人間は幸せというものがどんなに空しいか,そして哀(かな)しみごとは迅速に,限りなく来ることを識っている。この日常のありふれた経験が,人間を「賭けること」に――人生の一回限りの使命に対してであれ,あるいは手段を選ばぬ賎しい金もうけであれ――呼びかける。人間はあえて危険を冒したいのであり,それは適当な節度をもって,あるいはまた際限もなく,行なわれる。極端な例は,とどまることを知らないギャンブリングである。
いったいこの「賭すること」は何のためであろうか。われわれはすでにその答えを自分の体験から知っている。それは克(か)つことであり,獲得の勝利であり,僥倖(ぎょうこう)の喜びであり,かりそめの幸福感である。ここに遊戯のもつ明るさも理解され,またある英国の生理学者が自分の専門の学問を「世界でもっともすばらしいゲーム」と呼んだのに共感することができる。
日常性のマンネリズムに陥ち込んでしまうかわりに,人生の賭けでは,失われた,あるいは隠された意義を思い切って発見しようとする生命の充足感が求められる。しかしそのようなことがわれわれの賭けに恵まれることはまことに稀である。
人生の半ばを過ぎた,疲れた市井の人が,団地の狭い一室で寝ている時,きまったように屈葬の形をとっていることが多いのは哀しい。彼も人並みに何かに賭けたのであろう。しかし獲たものは色あせた平凡な結実(みのり)だった。人生のゲームはあたかも決して守られない約束のようなものである。そうであればこそ,人間はますますそれへと駆り立てられ,東漂西泊の心労を癒(いや)したいと思う。
ここでわれわれの注意を,ある種の人間に向けてみたい。その人間というのは,普通あまりかんばしくない風評を立てられ,たとえば「山師」「博打打ち」「ほら吹き」「冒険家」「流れ者」のごときである。それは事実「堅気な」市民ではなくて,その人間としての存在が全く情熱的にある「賭けること」に身を売り渡しているような人間である。それはドストエフスキーの作品によって,われわれが知っているような人物である。しかし,われわれも,彼と恐らく共通するあるものをもっていないだろうか。
もしわれわれが虚心におのれの内面に耳を傾けるならば,遠い昏(くら)い潮騒のように,おのれの内にひそむ一人の冒険家,ひとりの犯罪者,一人の賭博者が呼ぶ声が聞こえないだろうか。そのことは,われわれが,すべての社会的制約や市民性の常識から自由になり,ひとりの作家の眼をもって,このようなアウトサイダーたちを見る時に,われわれの内に生じてくる,あの不思議な,切ない共感からも明らかである。
今日では,人が現代社会によく適合すること,リスクのない「幸福な」マイホームということのみ説かれ,人生への不敵な挑戦,すなわち「賭ける」ということは過小評価されている。人間はアメリカ人がよくいう「心の平和(ピース・オブ・マインド)」だけしか求めないものなのだろうか。リルケやハイデッガーなどの賢者が,なぜに「深淵に向かっておのれを賭する」ところに人間性の本質を見たのだろうか。
しかし,真に求められているものは,めくるめく勝利の享受よりも,実はむしろ「賭ける」ことの戦慄それ自体なのだ。賭けることの意味は必ずしも成果,勝利,獲物ではなく,問題であるのは緊張と弛緩,侵襲と恍惚,戦慄と陶酔,限定より無限へ,ということである。これこそ澱(よど)んだ日常の限界を何とかして破ろうとする努力であろうが,しかしやはり末期の破滅は予定されている。
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