女の世紀を旅する
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2003年11月28日(金) 21世紀の世界大戦は中東から始まる

《 世界の火薬庫,中東から世界戦争が始まる 》

                    2003.11.28





「文明の衝突」がほとんど現実味をおびてきた。

この国際政局の混乱は日本にとって死活的な問題ともなりえる危険性をはらんでいるので,注意が怠れない。

いまや,中東紛争とイスラムパワーが人類文明の最大の試練として浮上してきている。

以下は,SAKAI TANAKA氏の大胆な近未来の「世界戦争」予想シナリオであり,中東が抱える問題点をわかりやすく説明しているので紹介しておきたい。

今後は,国際時局の動向を理解するためにイスラム世界の宗教・歴史・文化に精通しておくことがきわめて大切となろう。





●イラク3分割案の危険なシナリオ

 アメリカの中道派の総本山ともいうべきシンクタンク「外交評議会」から
「イラクを3分割すべきだ」という提案が出てきた。

 イラクはシーア派(人口の60%、主にイラク南部・中部に在住)、スンニ派(15%、主にイラク中部)、クルド人(20%、主にイラク北部)という3つの系統の人々から主に成り立っているが、政治権力や軍事力は以前から少数派のスンニ派が握っており、フセイン政権もスンニ派政権だった。米軍にゲリラ攻撃を加えているのもスンニ派の勢力である。そのため、反米傾向が少ない北部のクルド人地域と、南部のシーア派地域を分離して自治を与え、先に安定させるべきだ、というのが3分割提案の要点である。

 中部のスンニ派地域では今後さらにゲリラ戦の激化が予測されるので、米軍単独ではなく、国連の傘の下で(米軍を中心とした)国際軍に再編し、ゲリラを掃討する計画だ。

 イラクが建国された1921年からフセイン政権まで、イラクを統治していたスンニ派勢力の最大の財源は石油だったが、イラクの石油は北部のクルド人地域と南部のシーア派地域に集中しており、中部のスンニ派地域にはほとんど石油がない。そのため、南北を先に分離させれば、スンニ派勢力は財源を失い、弱体化してゲリラ戦を続行できなくなる。だからイラクを3分割すればイラクの戦闘は早く終わる、と提案されている。


 3分割案を提案したのは、外交評議会の名誉会長で外交専門家のレスリー・ゲルブ(Leslie Gelb)で、発表は個人名でなされている。だが、この提案が「石油利権の確保」を念頭に置いて作られていると思われることと、外交評議会は9・11事件以前に「イラクに対する経済制裁を緩和してフセイン政権の石油輸出を容認しよう」という趣旨の提案を行っていたことから考えて、アメリカの支配層の権益を重視する外交評議会の本流の考え方と一致している。



●印パ分離の悲劇の再来

 ゲリラ戦が止まらないため、イラクからの石油搬出はかなり滞っており、特にクルド人地域からトルコに伸びるパイプラインは破壊と修繕を繰り返している。今後さらにゲリラ攻撃が激化すると予測される中、このままでは安定した石油収入がいつまでも得られず、イラク復興の財源が作れず、アメリカの石油関連企業も儲からない。

 フセイン政権は、北部と南部へのスンニ派の移住を奨励する一方、シーア派やクルド人をもともと住んでいた地域から追い出し、貧民としてバグダッドに流入するよう仕向ける政策を続けていた。このため北部と南部には、かなりの数のスンニ派が住んでおり、彼らが米軍に対する抵抗勢力の中心となっている。パイプラインの破壊も、スンニ派ゲリラが行っている可能性が高い。

 こうした状況に対し、3分割案は「シーア派とクルド人に自治を与えるとともに武装させ、自治領域内のスンニ派武装勢力と戦わせる」という構想を掲げている。油田やパイプラインは独立を希求する地元勢力が命がけで守ってくれるので米軍兵士の犠牲が減るし、アメリカは安い石油を手にでき、少なくともイラクの北部と南部では「民主的な政権」ができて一石三鳥だ、というのが3分割案の主張だ。

 だが少し考えていくと、そんなにうまい話ではないことが分かる。クルド人地域にはかなりの数のスンニ派が住んでおり、一般市民とゲリラの見分けがつかない。キルクークとモスルというクルド人地域の2つの百万人規模の大都市では、人口の半分前後がスンニ派である。クルド人の自治を拡大し、反対する者は武力で制圧して良い、ということになると、内戦になり、何十万人というスンニ派の一般市民が死ぬ結果になりかねない。同様に、南部のシーア派地域にもたくさんのスンニ派が住んでいる。

 一方、スンニ派の多い地域であるイラク中部には首都のバクダッドがあり、
ここでは600万人の人口のうち300万人が貧困層のシーア派である。3分割案では「彼らを安全にシーア派地域に移住させる。移住の際の警備は米軍の義務となる」としているが、南に向かうシーア派と、北に向かうスンニ派の避難民の列が、相互に殺し合いを始め、米軍は危険にかかわりたくないので傍観するだけ、という事態が起こりかねない。

 こうした悲劇を、われわれはずっと前に見たことがある。インドとパキスタンの分離の際の悲劇である。インド植民地の宗主国だったイギリスが「次善の策」として行った民族大移動は、現在まで印パの対立として残り、インドでテロが続発し、アヨドヤの聖地でヒンドゥ教徒とイスラム教徒が殺し合い、パキスタンでイスラム主義組織が拡大する、という昨今の事態につながっている。




●もともと石油利権のために意図的に建国されたイラク

 3分割案では、イラクを分割する際「できる限り民族の境界線に沿って3つに分ける」ことを提唱している。だが、すでに複雑に混住が進んでいるイラクでは、明確な3分割は非常に難しい。分割後の地図が公式に発表された段階で、あちこちで戦闘が始まり、収拾がつかなくなると予測される

 もともとイラクは、第一次大戦でオスマントルコ帝国を倒し、中東の支配権を獲得したイギリスが、安定した石油供給を可能にするために、オスマン帝国下では3つの州だったものを1921年に一つの国にまとめ,ファイサルを国王に就任させた経緯がある(英から完全独立したのは1932年)。

※イギリスは、イラクの住民に「イラク国民」という意識を植え付けるため、国家の象徴である王室を作ることにして、第一次大戦でイギリスに味方してくれたアラブの盟主ハーシム家のフセイン(ヒジャーズ国王)の息子ファイサルを国王として招いた(イギリスは同様にトランス=ヨルダン王国(ヨルダン)を作り、ハーシム家のもう一人の息子アブドゥッラーを国王に据えた。英からの完全独立は1946年)。ハーシム家はムハンマド(マホメット)の血筋を引く名門である。

 イラクは、もともとイギリスの石油利権のために作為的に建設された国だった。

 イラクでは戦後,石油が発見されたが,一部の有力者に富が集中し,社会的不平等に貧困層の不満が高まった。また当時イラクは,反共のバグダード条約機構の中心国としてアラブ諸国の中で孤立した。1958年にエジプト・シリアによるアラブ連合共和国がナセル大統領の指導で発足すると,これに対抗するため,イラクはヨルダンとアラブ連邦を結成したが,これに反発してカーセムらの将校団が蜂起した。すなわち,1958年のイラク革命である。この結果,イラクのハーシム家の王族が皆殺しにされ、アラブ連邦も崩壊し,イラク共和国が成立した。

 その後、1960年代にアラブ民族の統一を掲げるバース党がクーデターで政権をにぎり,1979年からバース党のフセインがイラクの大統領になり,独裁的権力を掌握した。彼は,イラクを統一国家として発展させる方針を強め、スンニ・シーア・クルドという3つの系統を混合させ、逆戻りできないようにしようと、強制移住政策を続けた。フセインが混住政策を続けたのも、クルド人地域やシーア派地域にある油田をスンニ派主導のイラク政府が抑えておけるようにするためだった。

 つまり、イラクでは建国以来の80年間、3つの系統を一つの「イラク人」
という意識にまとめていこうとする国家的な努力が続き、今では多くのイラク人が「スンニとかシーアとか関係ない。みんなイラク人だ」という「国民意識」を持っている。シーア派の中で過激なイスラム主義を主張する人々に「イランのスパイ」というレッテルを貼り「イラク対イラン」という国民意識の対立軸の中でシーア派の過激化を防ごうとする動きもシーア派自身の人々の中に存在する。

 そんな風に「イラク人」という統一の国民的意識が人々の間に根づいてきた今になって、新たにイラクの「宗主国」となったアメリカの外交戦略立案機関が、またもや石油利権のために「3分割の方がいい。統一されたイラク国家を作るのが望ましいという従来の英米の方針は無理があった」と言い出しているのである。




●米軍が撤退しても中東の混乱は続く

 このようにイラク分割案は、中東が今でも英米という宗主国の間接支配下にある植民地で、宗主国の側で都合が変われば、いつでも中東の国境線や国家の枠組みを変更できる、という実態を示している。

 とはいうものの、イラクの現状からみれば、分割案はある程度現実的な選択肢であることも事実である。米軍は、もはやイラクで勝つことができない泥沼に陥っている。もし米軍がスンニ派のゲリラをすべて潰すことができたとしても、その後スンニ・シーア・クルドの3勢力が満足できる政治形態が生まれる可能性はほとんどゼロである。

 国政選挙をすれば、国民の60%を占めるシーア派が単独過半数の与党となるが、イラクはフセイン政権が倒れるまで何百年もの間、ずっとスンニ派による支配が続いてきた歴史がある。その経験から、スンニ派(旧バース党勢力)は高い政治的・軍事的な戦略技能を持っており、スンニ派はシーア派主導の政治体制に揺さぶりをかけ続けるだろう。シーア派主導の政府が出す条件しだいでは、クルド人も反旗を翻して分離独立していく可能性がある。

 米軍がスンニ派ゲリラを大して潰さずに出ていけば、再びスンニ派のバース党勢力がよみがえり、フセイン本人か、その一派のスンニ派の独裁者が政権を奪取し、シーア派とクルド人を無数に殺して独裁政権を打ち立てるだろう。

 結局、米軍がどこまで戦い続けても、イラクが安定して平和になる可能性は低い。不安を抱えながら統一を維持するより、早めに分割を決めてしまった方が内戦になる懸念が小さい、とアメリカの外交専門家たちが考えたのは理にかなっている。そもそもこんな戦争を起こしたアメリカが悪いのだが、それを責めたところで、現実論としては何も変わらない。戦争は、歴史を後戻りできない形で動かしてしまっている。




●中東地域の解体

 分割されて内戦になっても、それが「イラク連邦」の内部の問題にとどまっ
ている限り「国際社会」としては局地的な問題として処理できるかもしれない。
だが、アメリカの決定であれ、米軍撤退後の内戦の結果であれ、イラクが分割されていく段階で、中東全域が今よりもさらに不安定になり、戦争が他の中東諸国に拡大していく恐れが強まる。

 その一つはクルドとトルコとの戦争の可能性である。クルド人はイラクのほかトルコ、イラン、シリア、アゼルバイジャンなどに分散して住んでいる。第一次大戦のとき、クルド人はいったんは民族国家としての独立をイギリスなどから保証されたが、その後ロシア革命が起きたため、共産ロシアに対する危機感を持ったイギリスはオスマン帝国崩壊後のトルコ共和国をテコ入れする方針に転換し、トルコの統一を重視してクルド人国家に対する承認を取り消してしまった。

 それ以来、数カ国に別れて住んでいるクルド人はトルコやイラクなどで分離独立運動を続け、イラクやトルコの政府は国内のクルド人の独立運動を弾圧した。今後アメリカがイラクのクルド人の事実上の独立を認めると、トルコのクルド人も独立の傾向を強めるかもしれず、トルコはクルド人を制裁するために北イラクに侵攻するかもしれない。トルコ政府が北イラクに侵攻したり、国内のクルド人を弾圧すれば、トルコのEU加盟が遠のき、経済的にマイナスとなる。どちらにしても、トルコは今より不安定になる。

 3分割案では「フセイン政権時代の末期の数年間、北イラクではクルド人の自治政府があったが、トルコはこれに対して特に攻撃しなかった」として、トルコ・クルド間の戦争は起きないと予測している。しかし、トルコがクルドの自治を容認したのは、それがフセイン政権を倒すためのアメリカの戦略の一環だったので楯突かなかっただけであり、フセイン政権なき今後は事情が違ってくる。

 一方、シーア派の自立については、イランとの連携強化が予測される。シーア派は、イラクではアラビア語、イラン(人口の95%がシーア派)ではペルシャ語やトルコ語系の言葉を話しており、母語が違うので民族が違うといえるが、イラクのシーア派が政治的独立を獲得し、民意で今後の方向を選択する状況になった場合「イラク人」「アラブ人」「シーア派」の3つのアイデンティティのどれを最も重視するようになるか、予測がつかない。イラクのシーア派の人々の間には、シーア派としての宗教アイデンティティを重視する政治運動が強くなっている。

 もし、シーア派の人々が政治を宗教化する方向に動いてイランとの連携を強め、両国の石油を使ってアメリカの好き勝手にさせないようにしようと試みたりすると、この方面でも外交的な危機が起きる。イランは核兵器開発の疑惑を持たれており、イスラエルがイランの核施設を爆撃するという脅しを行っている。

 イスラエルは1981年にイラクの核施設を爆撃している。しかし,イスラエル自身が核兵器を持っており、イランとイスラエルとの対立が深まると、核戦争の可能性が強くなるので,最大限の注意を払う必要があろう。




●戦争とテロの拡大化は必至

 イスラム教のスンニ派に属するのは、サウジアラビア(厳密にいえばイスラム原理主義のワッハーブ派が国教)、ヨルダン、シリア、エジプト、トルコ、パキスタン、アフガニスタンなど多数派を占めており、アメリカとのゲリラ戦争が激化した場合「イラクのスンニ派を救え」というイスラム主義運動が強くなる恐れがある。すでに不安定になっている対米追随のサウジアラビアのサウード王家が倒れる可能性も出てくる。

 このようにイラクが分割されると、中東全域に戦争が広がる危険が強まる。
アメリカがイラクを分割しなくても、内戦になって自然に分割され、同じ結果になる可能性もありえる。

 戦争の危険を外交で取り除くことも、ある程度はできる。最近欧米がイスラエルに対し、パレスチナ人との和平交渉を再開させようと圧力を強めているが、これはイランやシリアを攻撃して中東の危機を拡大させそうなイスラエルを抑止しておくための方策とも受け取れる。

 だが、戦争とは外交によって国際問題が解決できなくなったときに勃発することを考えると、アメリカがイラクに侵攻したことで、中東地域で保たれていた微妙なバランスをうかつにも壊してしまった以上、中東の問題は以前よりはるかに大きくなり、解決不能になって戦争の拡大に拍車をかける可能性が高まったとみてよい。

 エジプトからパキスタンまでの地域に戦争が広がっていくと、その周辺の東欧、ロシア、中央アジア、インドに影響が出る。インドネシア、フィリピン、マレーシアなど東南アジアのイスラム諸国にも飛び火する危険性もある。世界全体が不安定になるなかで、北朝鮮の問題も外交で解決しきれなくなるかもしれない。

 世界の現状は、第一次大戦の勃発期に似ているかもしれない。このことは改めて詳しく書きたいが、第一次大戦は、それ自体としては日本にはあまり直接関係なかった(日本の対アジア利権を拡大させた)が、その20年後に起きた第二次大戦につながり、結局は日本をも破綻させた。今は遠くで起きている戦争だが、長い目で見ると、東アジアに飛び火してくる可能性もある。

 少なくとも、中東で起きているこの混乱は今後2〜3年で片付く問題ではない。戦争はまだ始まったばかりで、今後数十年以上長引き、広がっていくのではないかという不安がある。戦争の発火点となったイラク侵攻がアメリカにとって不可避なものではなく、米政権中枢のイスラエル寄りのタカ派(ネオコン)によって引き起こされた謀略的なものだったことを想起しておきたい。すなわち,現今の紛争の原点は常にパレスチナ問題に収斂されるのである。それゆえ,今後の戦争や紛争の性格はイデオロギーの対立ではなく,宗教対立の要素をはらむものとなる。近い将来,国際政局はいよいよ複雑錯綜し,アメリカの国力の衰退が新たな世界混乱をまねくことになろう。


2003年11月24日(月) アルカイーダの東京攻撃声明

イラクへの自衛隊派遣にアルカイーダは東京攻撃で報復を声明

                        2003.11.24



中東各地ですさまじい,テロ攻勢が続いている。

米軍のイラク攻撃と,その後のイラク軍事占領は国際政局を非常に不安定なものにしてしまった。事態の収拾は難しく,テロ組織の広汎な反攻が開始されたことで,こんごの日本当局の出方,すなわち自衛隊の派遣などでは,報復として,アルカイーダによる東京攻撃も起こりえることを想定しておきたい。

連日,爆弾テロがおびただしく発生し,悲惨な時事ニュースに事欠かないが,予想どおり,米軍のイラク駐留にはイスラム勢力のすさまじい反発が連日のテロ攻撃を生んでおり,今後のイラク暫定政府の樹立もそう簡単にはいかないことを示唆している。アメリカの同盟国・日本も忠節を誓って,近々自衛隊を派遣することになるが,この実施が日本に災いを招く危険性があることも当然考慮しておいてよいだろう。

イラクなど中東諸国・トルコ・アフガニスタンで爆弾テロが激増。
特にイラク駐留の米軍へのテロ攻撃など,いよいよ中東地域は「テロ旋風」に突入し,連日,各地で死傷者が絶えることのない状況。自衛隊のイラク派遣も,こうした危険な状況下で間近にせまっており,いよいよ日本もテロ攻撃対象になるかもしれない。

以下,最近の時事ニュースを記載しておきたい。




●イラク治安悪化で空・海自先行派遣論が浮上 

 イラクへの自衛隊派遣について、政府・与党内で、陸上自衛隊の派遣を当面見送る一方、航空、海上各自衛隊を先行派遣する案が浮上してきた。治安悪化で陸上部隊展開は困難さを増しているが、「対米公約」を果たすには先送りを続けるのも難しいという事情からだ。しかし、自衛隊機の派遣先であるバグダッド空港では22日、民間機を狙った攻撃も起き、「空は安全だから出せるという状況ではない」(首相周辺)との指摘もある。

 政府関係者によると、空海自先行派遣は防衛庁で浮上し、既に派遣の選択肢として首相官邸に提示している。

 自民党の額賀福志郎政調会長は23日、NHKの番組で「派遣はよくよく見極めなければならない。しかし空からの人道的な物資の支援はできないか、港から物資を運ぶことはできないか、あらゆることを考えていくことも大切」と語った。

 政府はこれまで「人道復興支援に力点を置く姿勢を示すことが重要」(防衛庁幹部)として、陸自部隊を南部のサマワに展開して給水や医療などの人道支援を実施し、米軍物資も積む空自のC130輸送機はその後派遣する方向だった。

 このため、空自を先行派遣した場合も、当面は医薬品や食糧などの輸送に限る案が有力。クウェートを拠点にバグダッド空港などに空輸する見込み。海自はイラク警察に提供する車などを運ぶ案が浮上している。

 派遣時期について、政府は専門調査団の報告などを踏まえ慎重に判断する方針。防衛庁には「空自なら年内も可能」との声もあるが、政府・与党内では「年内は困難」との見方が依然支配的だ。 (11/24 07:50)





●日本もテロの標的になる恐れ、米国務省副報道官が見解

 エアリー米国務省副報道官は21日の定例記者会見で、国際テロ組織アルカイダの幹部を名乗る人物が自衛隊のイラク派遣を牽制(けんせい)する声明を出したことに関連して、「彼ら(テロ組織)は、自分たちの憎しみと暴力のメッセージを信じない者は誰でも標的にする」と述べ、脅しに屈するべきではないとの見解を示した。

 副報道官は「自由勢力はテロ勢力と戦争状態にあり、戦争は全世界に広がっている。テロリストの活動家は世界の至る所にいて、考え方が異なると思う人はだれでも攻撃しようとしている」と警告。「中立でいようがいまいが、標的になる」と述べ、自衛隊派遣の有無にかかわらず、日本も攻撃の対象になり得るとの見方を示した。

 アルカイダの幹部を名乗るアブムハンマド・アルアブラジという人物が21日、アラビア語の雑誌「アルマジャラ」に「日本の兵士がイラクに足を踏み入れた瞬間、アルカイダは東京の中心を攻撃する」という趣旨の声明を寄せている。この人物が日本に警告する声明を出したのは16日に続いて2度目になる。 (11/22 11:17)





★国際ダイジェスト★


▼11月16日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
◎日本がイラクに自衛隊派遣すれば東京でテロとアルカイダが警告 
○台湾 爆竹工場で爆発 3人死亡 10数人負傷
○ローマ法王 イスラエルの分離壁建設に強い懸念表明
○セルビア共和国大統領選 投票率が50%下回り3度目の無効に

○アフガン・ガズニ州 UNHCR職員が射殺される
○イラク 旧政権ミサイル開発責任者がイランに亡命
○イラク・キルクーク 副市長が銃撃され負傷
○パレスチナ首相 イスラエルとの和平で過激派と交渉の用意
○パレスチナ・ハマス指導者 対イスラエル攻撃停止の用意

○UAEメディア イラク元大統領の肉声テープを放送 徹底抗戦呼び掛け

▼11月17日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
○中国 チベットで軍事演習を実施
○台湾 気孔集団メンバー7人が前中国国家主席らを告訴
○韓国国防相が米国防長官と会談 イラク追加派兵の方針表明
○インドネシア・ジャワ島 無料配布のコメ求める行列が将棋倒し 1人死亡

○米韓安保協議 在韓米軍配置見直し問題など協議
○メキシコ・アルゼンチン・ブラジル・チリ首脳 FTA構想推進を確認
○メキシコ 米批判発言の駐国連大使を解任へ
○露外務省 イラク統治評議会と連合軍の新政権樹立合意を批判
○EU外相理 イラク当地評議会と連合軍の新政権樹立合意を歓迎

○チェコ 放射性物質所持の2人を逮捕
○独外相が米国務長官らと会談 イラク人への早期の主権移譲求める
○仏南ア大統領会談 イラクの政権移譲の前倒しを米に要請
○伊反グローバリズム団体 イラク武装勢力へ支援金送金の考え
○イラク中部 内務教育省幹部が銃撃され死亡

○イスラエル首相 パレスチナ首相との数日中の交渉再開に期待表明
○イスラエル・モサド長官 イラン核開発疑惑は最大の脅威
○エジプト特使がパレスチナ指導部と会談 過激派休戦模索で一致

▼11月18日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
○国連 2004年に30億ドルの人道支援を要請
○UNHCR アフガン南部と東部から外国人職員撤退 治安悪化で
○台湾 中国の訪問団を強制退去 「勝手な行動」を理由に
○KEDO事務局長 北朝鮮に軽水炉建設工事中断について説明

○比大統領 イラク治安情勢が悪化すれば派遣部隊の撤退も検討
○ミャンマー軍政 受刑者58人を釈放
○スリランカ大統領・首相 政争解決へ委員会設置で合意
○加首相 12月に辞任することで自由党次期党首と合意
○米軍 アフガン・パクティカ州での誤爆を否定 死亡者はゲリラと主張

○米マサチューセッツ州最高裁 同性婚を認める判決
○チリ ベネズエラ大統領の領土奪還発言に抗議し大使を召還
○EU米外相会議 イラク問題など協議
○アフガン・タリバン UNHCR職員射殺を認める
○イラン反体制組織 IAEA未申告の核施設の存在を主張

○イラク首都 日本大使館に銃弾十数発 負傷者はなし
○イラク・ティクリート 米軍が旧政権勢力掃討作戦を継続 大規模な空爆
○イラク南部 ウクライナ部隊の大尉が自殺 理由は不明
○イスラエル 入植地付近でイスラエル人2人が銃撃され死亡
○コンゴ共和国 エボラ出血熱で11人死亡

▼11月19日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
○中国国防相が北朝鮮武力次官と会談 核問題など協議か
○北朝鮮 金剛山観光開始5周年で記念式典を開催
○越ホーチミン 米軍艦船が寄航 ベトナム戦争後初
○スリランカ国会議長 国会を再招集 大統領の措置は「違法」と宣言

○印カシミール 国軍とゲリラが戦闘 兵2人負傷
○米中外務次官協議 北朝鮮核問題6か国協議について意見交換
○英ロンドン 米大統領訪問に抗議し数百人がデモ 警察が30人逮捕
○トルコ 自爆テロ容疑者2人の氏名を公表
◎アフガン 日本支援の道路工事現場付近で現地スタッフが銃撃され死亡

○イラン安保会議事務局長 IAEAがウラン濃縮技術開発中止強制なら拒否
○イラク旧政権勢力と見られる勢力が占領軍への抵抗継続の声明
○イラク・ラマディ 地方評議会建物で自動車が爆発 7人死亡
○イラク 米軍が旧政権ナンバー2に1千万ドルの懸賞金
○イラク北部 米軍機がゲリラ拠点を攻撃 掃討作戦を継続

○イスラエル・ヨルダン国境 銃乱射で観光客ら5人負傷 犯人は射殺
○イスラエル首相 パレスチナ過激派の停戦が実現すれば暗殺停止の考え
○パレスチナ首相 ハマスら各派指導者と会談 対イスラエル停戦へ協議
○パレスチナ ハマスとイスラム聖戦が対イスラエル和平協議参加で合意
○エジプト大統領 議会演説を体調不良で中断 健康問題は否定

▼11月20日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
○安保理 トルコ爆弾テロ非難決議案を採択
○IAEA理事会 英仏独がイラン核開発非難決議修正案を提出
◎日米豪 テロ対策協議を開催
○台湾行政院 中国は台湾に干渉する権利ないとの見解

○南北米34か国貿易相会議 自由貿易地域実現へ柔軟な枠組みで合意
○米英首脳会談 トルコでの爆弾テロを強く非難
○グルジア中央選管 議会選で与党が第1党に
○ラトビア外相 欧州通常戦力条約へ早期加盟の意向
○英政府 トルコでのさらなるテロを警告

○英ロンドン 米大統領訪問受け10万人が反米デモ
○トルコ・イスタンブール 英総領事館前など2か所で爆弾テロ 27人死亡
○アフガン 米軍がNGOへの銃撃を認め謝罪
○イラク・キルクーク クルド愛国同盟事務所付近で自動車爆発 3人死亡
○イラク・ラマディ 米軍車両付近で爆弾爆発 米兵1人死亡 2人負傷

▼11月21日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
○安保理 仏独露がイラク暫定政権発足へ国連主導の会議開催を提唱
◎日本モンゴル首相会談 北朝鮮問題など協議
○シンガポール内相 東南アジアでJIのテロが再発する可能性を警告
○印マハラシュトラ州 モスクで爆発 イスラム教徒26人負傷

○米政府 海外の自国民にテロ警戒を呼び掛け
○露 国際宇宙ステーション計画で各国に財政支援求める
○グルジア 野党勢力が議会選の不正を訴え国会を占拠 大統領辞任求める
○トルコ 爆弾テロ容疑者数人を逮捕
◎アルカイダ 日本が自衛隊をイラクに派遣すれば東京を攻撃と警告

○イラン・テヘラン 英大使館で手製爆弾爆発 負傷者はなし
○イラク首都 石油省ビルが砲撃され炎上 ホテルにもロケット弾
○イラク首都 酒店に手りゅう弾 子供ら4人死亡 20人負傷
○イラク・ムサンナ州 蘭軍への攻撃計画容疑で男を拘束

▼11月22日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
○米国防総省年次報告 米軍は柔軟性と迅速性が必要と改革訴え
○米ケネディ元大統領暗殺40年で式典開催
○パラグアイ イラクに兵1500人派遣の用意
○グルジア大統領 非常事態を宣言 議会選挙はクーデターと批判

○トルコ 各地で大規模な反テロデモ 原因は米と訴え
○アフガン タリバンメンバー60人を釈放
○アフガン首都 政府高官ら宿泊のホテルにロケット弾 負傷者はなし
○イラク 2警察署で自爆テロ 18人死亡
○イラク 民間機がミサイル攻撃受けたが無事着陸 負傷者はなし

○イラク・キルクーク 石油会社のロケット弾 7人負傷
○パレスチナ イスラエル印警備員2人が襲撃され死亡

▼11月23日▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
○グルジア大統領が辞任 議会選挙巡る混乱で
○アフガン 元兵士らが国防省庁舎に押し掛け警備兵と銃撃戦 1人死亡
○イラク北部 米軍への襲撃相次ぎ兵3人死亡 2人負傷

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★ 時事補足 ★

 ◆トルコ・イスタンブールでは、英国総領事館で大規模なテロが再び発生、27人が死亡、400人以上が負傷した。これを受け同国内では、反テロデ
モが各地で行われたが、参加者は米国らをテロの原因として非難した。

 ◆グルジアでは、11月2日に実施された議会選挙の結果を巡り、野党勢力が不正があったと主張して国会を占拠した。シュワルナゼ大統領は、非常
事態を宣言したが、その後、辞任する意向を表明、事実上の無血クーデターとなった。

※グルジア→黒海東部に位置。91年に旧ソ連から独立を宣言。人口約530万人。
約7割はグルジア人で,ほかにアルメニア人,ロシア人など。宗教はグルジア正教,イスラム教スンナ派など。スターリンの故郷。元ソ連外相シェワルナゼが95年に大統領選に当選。99年の選挙では,与党が議席の3分の2を占めたが,大統領が公約した「経済復興」は一向に進まず,市民の平均月収は25ドル(日本円で約2700円)で,ロシアの7分の1。また,大統領の親族や,役人の汚職がはびこり,「世界屈指の汚職国」(国際NG0)に数えられるようになった。国民の不満と怒りを追い風に,最近の地方選挙では野党が連勝。今月2日の議会選挙をめぐり,野党勢力は「政府が有権者名簿を改ざんした」と非難。シエワルナゼ大統領の退陣を求めて,11月22日には議会に突入し,議会を占拠。このため,非常事態宣言が発せられた。






2003年11月01日(土) 欧米と闘ったマハティール首相の演説「日本なかりせば」

《 欧米と闘ったマハティール首相の演説「日本なかりせば」》

                     2003.11.1








 2003年10月31日に,1981年から22年間,首相をつとめたマレーシアのマハティール氏(77歳)が退任し,新たに副首相であったアブドラ氏(63)がクアラルンプールの国王(スルタン)宮殿で首相就任宣誓式をおこない,同国の第5代首相に就任した。
 
 マハティール首相の辞任を機に,なぜ彼が欧米に歯向かい,アジアの結束を働きかけてきたのか,そしてその中心に日本をすえようとしたのか,を概観しておきたい。





●マレーシアの苦難の歴史

 マレーシアは,15世紀にマレー半島南端に栄えていたマラッカ王国(東南アジア初のイスラム教国)の時代からイスラム教を奉じ,インドネシアと並ぶアジア有数のイスラム国家である。

当時,東南アジアにイスラム教を布教したのはデリースルタン朝時代のインド商人たちで,その多くはイスラム教のスーフィズム(神秘主義.神アッラーとの一体化を説く)の信徒であった。

19世紀にオランダ(インドネシア支配)に対抗してイギリスが東南アジアに進出し,1895年にマライ(マレー)連邦を樹立したが,1942〜45年に日本軍がイギリス軍を破り,マレー半島とシンガポール島を占領した。

日本敗戦後の1946年再びイギリスの支配下におかれたが,1948年からマラヤ共産党など華人を主体にしたかつての抗日人民軍が,完全独立を要求してゲリラ闘争を開始。このためイギリスは戦時中,日本軍に協力したマレー人を味方にして共産党軍を討伐した。1957年にイギリスはイギリス連邦内の独立を認めてマラヤ連邦が誕生し,親英派のラーマンが初代首相に就任した。ラーマン首相はイギリスとはかって,1963年に,マラヤ連邦にシンガポールと,イギリス領北ボルネオ(サバ)・サラワクを加えてマレーシア連邦を建国したが,華人が多いシンガポールは65年に分離独立した。

ラーマン首相は人種間の妥協による国民統合を期したが,69年の総選挙で与党マラヤ連盟党が後退し,華人・インド人の政党や,極右のイスラム政党(イスラム再生運動を推進)が躍進すると,5月13日に首都クアラルンプールで祝賀の華人デモと,連盟党支持のマレー人とのデモが衝突し,48時間にわたる史上最悪の人種暴動(5.13事件)となり,多数の死者が出た。

1970年に首相となったラザクは,憲法を改正し,人種間の経済格差是正のため,90年までに資本所有・雇用におけるマレー人のシェアを30%に拡大するブミプトラ政策(マレー人優遇政策)を採用した。82年に首相となったマハティールは,イスラム再生運動の政治化や,ブミプトラ政策強硬派の巻き返しを食い止める一方,日本の産業技術・労働倫理を導入しようとのルック・イースト政策を推進し,欧米に対抗するためアジア経済共同体の結成を働きかけてきた。

 



●マレーシアの人種対立

マレーシアの国内事情を理解する上で欠かせないのが人種の問題である。住民はマレー人が45%で最も多く,ついで華人(中国系)32%,インド人9%となっている。19世紀末からイギリスはマライ連邦のゴム園の労働力としてインド人(タミール系が多い),錫(スズ)の鉱山開発のため中国人労働者を多数連れてきたことが背景としてある。彼らが,それぞれの社会習慣,文化,宗教を融合させずに複合社会生み出していることが,今日のマレーシアの重大問題となっているのである。

 ことに華人社会が,貧困者が85%に達するマレー人社会をしのぐ勢いにあり,マレー人指導者から恐れられている。華人社会も貧富の格差は大きいが,上層の華人は錫(スズ)鉱山やゴム園の大地主となり,商業・貿易を支配し,法曹界その他各界を牛耳っている。太平洋戦争中,日本軍はマレー人が抱く対華人恐怖を利用してマレー,シンガポール作戦に勝利し,華人圧政の政治をしいた。シンガポールでは華人青年を約2万弱を虐殺したが,その理由はイギリス軍が組織した抗日のダルフォース義勇軍に多くの華人が加わった報復にあった。

マハティール首相が日本に接近した背景を理解するには上のようなマレーシアの歴史を知ることが大切であり,また欧米のキリスト教文明圏やイスラエル(ユダヤ教徒)に対する反発の根底には,マレーシアの伝統的な宗教であるイスラムの視点を忘れてはならないだろう。戦争中,日本軍に協力したマレーシアとインドネシアがどちらもイスラム教国家だった点,欧米のキリスト教文明に対する反発,そして華人の経済支配への反発がマハティール首相のルック・イースト政策の背景にあったとみることができる。 





●村山首相と土井たか子議長への一喝

平成6(1994)年8月下旬、社会党の村山首相は訪問先のフィリピンとシンガポールで戦争責任問題について謝罪した。その村山首相をマレーシアに迎えて、マハティール首相は冒頭こう切り出した。

「 日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして欲しい。」

また村山首相の6日前にマレーシアに到着した社会党の土井たか子衆議院議長が「二度と過ちは繰り返さない」「歴史への反省」などと口にしたのに対し、「過去の反省のために日本が軍隊(PKO.国連平和維持活動)の派遣もできないのは残念だ」と切り返した。
「ダメなものはダメ」とおよそ非論理的な姿勢でPKOに反対する土井議長に対する痛烈なパンチであった。

「 世界の富から利益を得ていながら、世界に対して責任を負わないということはできません。経済大国・日本にとっては、世界を安定させ、第3次世界大戦のような惨事が引き起こされないようにすることが重要だからです。

国際貿易で膨大な利益を上げながら、半世紀前の戦争への反省を口実に、ODA(政府開発援助)をばらまくだけで、世界の安定に対して何ら貢献もせずにいる日本は、「世界に対する責任」を果たしていないとマハティール首相は一喝する。





●「ルック・イースト」政策

マハティールは、1925年、インド出身で上級会計検査官の父とマレー人の母の9人兄弟の末っ子として生まれた。1941年、16歳の時、日本軍が初めてマレーの支配者・英国軍を打ち破ったのを目の当たりにし、またその規律の良さに強く感動した。我々にもその意思さえあれば、日本人のようになれる、自分たちの手で自分たちの国を治め、ヨーロッパ人と対等に競争でき
る能力がある、と考えるようになった。

けっして裕福とは言えない家庭のため、マハティールは働きながら、医科大学を卒業する。卒業後は、医師として地方の医療活動に専念したが、患者の多くは貧しいマレー人の農民で、その惨めな暮らしぶりになんとかしなければ、との思いに駆られた。64年、下院議員に当選し、政治家としてのスタートを切る。

近代社会における後進性とは貧困を意味し、それが教育の遅れをもたらし、さらに教育の遅れが貧困を永続させる。どこかで、その悪循環を断たなくてはならない。

1973年に訪れた日本で、その悪循環を断ち切る解を得たようだ。街にあふれる高品質の製品も、秒単位の正確さの新幹線も、質の高い教育がもたらしたものである。1981年、首相に就任すると、「ルック・イースト」政策を打ち出した。

怠惰、無気力な植民地根性をたたき直し、日本を見習って、マレー人に労働倫理と技術を身につけさせ、エレクトロニクス産業や自動車産業を発展させて、経済成長を実現しようというのである。

ゴムや錫の原材料輸出国から脱皮して、日本などから積極的な外資導入を図った。96年には一人あたり国民総生産が4370ドルに達し、中進国の仲間入りした。3〜4LDKレベルの住宅を大量・廉価に供給し、生活水準も急速に向上している。躍進する東南アジアの旗手にふさわしい経済発展を実現してきた。




●「日本なかりせば」

マハティールの世界観は、92年10月香港で開かれた欧州・東アジア経済フォーラムでの演説「日本なかりせば」から窺い知ることができる。

「 日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。・・・」

貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。・・・」

「南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるをえなかったからにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。・・・」

「また日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けていただろう。・・・

もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。」





●自由貿易体制を守るために

この演説を聴いていた欧米の記者の中には怒って席を立つ人もいたそうだが、マレーシアをゴムとスズの原材料輸出国から、近代工業国家に脱皮させたマハティール首相の実績を背景とした発言には重みがある。

この演説は単なる日本賛歌と受け取るよりも、南側諸国が「発展する権利」を発揮するには、欧米支配の近代世界システムのくびきを脱して、自由な国際競争を実現する必要がある、という世界観を示したものととらえるべきだろう。

欧米の世界経済支配を排し、自由貿易体制を守るためには、アジア諸国が結束して、強い発言権を持たなければならない。そのための第一歩としてマハティールは「東アジア経済圏(EAEG)構想」を90年12月に発表した。日本をリーダー格にして、ASEAN6カ国(マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、フィリピン、ブルネイ)、インドネシア3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)、さらに中国、韓国、香港が団結しようという壮大な構想である。

「私は閉鎖的な地域主義を信奉しているのではありません。開放的な地域主義の重要性を信じています。しかし、マレーシアのような小国が国際貿易における意思決定にほとんど影響を及ぼさないことにも気づいたのです。国際的な影響力を持つためには、もっと大きなグループをつくる必要がある。・・・」

「アジア諸国の大半は貿易国なので、世界貿易が自由に行われるときに最大の利益を得られます。だから、我々も結集し、ヨーロッパ諸国や南北アメリカが域内市場を保護しようとしている現在の傾向に対抗して自由貿易体制を守らなければならないと考えているのです。




●欧米との闘い

マハティールの突出した提案は、ASEANの長老格スハルト・インドネシア大統領の反発を招いたが、その顔を立てて、スハルトがイニシアティブをとる形で、EAEGをEAEC(東アジア経済協議体)という話し合いの場にする事とした。
他のASEAN諸国もおおむね肯定的で、91年には域内で合意が得られ、次に日本を取り込もうという段階になった。

しかし、これに強硬に反対したのがアメリカである。べーカー国務長官は、東京で宮沢首相相手に気色ばんで「どんな形であれ、太平洋に線を引くことは認められない。マハティール氏の提唱する構想は太平洋を二つに分け、日米を分断させるものだ」とまくし立ててた。日本が参加しなければ、EAEC構想をつぶせると考え、強硬に圧力をかけたのである。

マハティールも負けてはいない。アメリカのお膝元、ニューヨークの国連本部で演説した際には、「欧米が自分たちだけ経済のブロック化を推進しながらEAECを阻止しようとするのは、アジア人に対する人種差別である」とぶち上げた。

しかし、日本政府はアメリカの圧力に屈して、EAEC参加を見送ってしまう。その一方で、タイなどのASEAN諸国は、EAECをより積極的に支持するようになっていった。欧米が、人権、環境問題、労働条件を改善しろとASEAN各国に要求し、反発を招いていたからである。マハティールは、こう反駁した。

「ヨーロッパはすでに保護主義的貿易ブロックを選択している。彼らは自分たちの高い生活レベルと生産コストを守り通すために、東アジア諸国との競争を拒絶しようとしている。(欧米は)あらゆる問題であら捜しををして私たちに対する差別政策を正当化しようとするだろう。彼らはその口実として民主主義、人権、労働条件、環境破壊、知的所有権などといった問題を持ち出している。NAFTAやECの登場でこのような差別による排除はますますひどくなるだろう。




●クリントンへの「NO」

1993年1月にスタートしたクリントン政権は、その4年前に創設されたが、ほとんど機能していなかったAPEC(アジア太平洋経済協議体)を土台にして、アジア太平洋諸国をすべてカバーする巨大な経済ブロックを作ろうとする構想を発表した。ASEAN諸国との対立を避けるためにEAECを容認するが、同時に、それをAPECの中の一機構として、あくまで盟主ア
メリカの影響下に置こうという戦術である。

クリントンは、同年11月にAPEC全加盟国の首脳をシアトルに召集して、拡大首脳会議を開くと発表した。アメリカはそれまでAPECを軽視して、前年のAPEC閣僚会議には一人も閣僚を送らず、また首脳会議をやるなら94年インドネシアでという了解があったのを一切無視して、いきなり全首脳を召集するという盟主ぶったやり方に、マハティールは筋が通らないと反駁した。そしてアメリカは緩やかな協議体であったAPECを、自らを盟主とする経済ブロックに移行することによって、EUに対抗しようとしている、と批判した。

クリントンは、面子にかけてマハティールをシアトルでの拡大首脳会議に参加させようと、貿易上のアメ玉まで持ち出して説得したが、マハティールは一蹴した。欠席の理由は、「身内の結婚式に参加するため」である。わざと刺激的な表現を使って、アメリカのエゴに対して、「NO」と言える政治家であることを、国際社会にアピールしたのである。

 太平洋・東アジアを包括する巨大な経済ブロックなど具体化できるわけがない、というマハティールの読み通り、APECはその後勢いを失っている。またEAEC構想はアメリカの画策によりつぶされたが、1997年のASEAN結成30周年を期に、10カ国に拡大したASEAN+3(日中韓)の毎年の首脳会議が定着してきている。東アジアが結束して世界への発言権を持つべきだ、というマハティールのビジョンは、姿を変えてしぶとく命脈を保っている。




●「マハティールなかりせば」

1997年7月のタイ・バーツ暴落から始まった通貨危機が、マレーシアにも波及した。そのわずか2週間前に、IMF(国際通貨基金)のカムドシュ専務理事は、マレーシア経済を「健全な財政システムを維持しており、他国が手本とすべき国です」と賞賛していた。


それが経済危機に襲われた途端に、欧米マスコミは一変して「縁故主義」「不透明」「政治腐敗」などと、マレーシア経済の長年の「構造的欠陥」を書き立てるようになった。

マハティールが通貨危機をもたらした国際的投機集団を批判し、適切な規制を訴えると、欧米マスコミはさらに「マハティール首相を、自国の金融・財政政策の失敗を人のせいにする」「自由市場を冒涜する無知な指導者」などと、バッシングを繰り返した。マハティールは屈せず、IMFからの支援申し出を拒絶し、非居住者の通貨取引を規制した。
その後、ロシアの経済危機でアメリカの投機家集団が大損をし、米国政府が巨額の資金を使って救済する事態が起こると、ようやく欧米諸国でも通貨取引安定化のための監督強化が合意された。

2001年7月、マハティールの首相としての在任期間は20年を超えた。この間、アメリカからはEAEC構想で目の敵とされ、また民主選挙によって選ばれているのに、欧米のマスコミからはあたかも独裁者であるかのように批判されてきた。それにも屈せず独自の発言を続ける姿勢は、英首相だったサッチャー女史も印象に残るアジアの政治家の筆頭にあげている。

「マハティールなかりせば」、国際社会におけるアジアの発言力は、今よりもはるかに弱いものになっていたろう。マレーシアのような小国の首相にすら、これだけの言挙げができる。そのマレーシアの6倍の人口と、50倍の経済規模を持つ日本は、なぜアジアのリーダーとして言挙げをしてくれないのか?アジアの大国として「世界に対して責任を負ってほしい」とい
うマハティールの日本への願いと期待は裏切られ続けている。


カルメンチャキ |MAIL

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