女の世紀を旅する
DiaryINDEXpastwill


2002年12月31日(火) 2002年の日本と世界の十大ニュース

2002年十大ニューストップ(共同通信)   
                2002.12.31


●国内は日朝首脳会談・拉致5人帰国が1位  

【 国内編】
1 日朝首脳会談、拉致被害者5人帰国
2 日韓共催サッカーW杯
3 ノーベル賞初のダブル受賞
4 牛肉偽装事件、食品不正表示も横行
5 疑惑で田中真紀子氏ら4議員辞職
6 鈴木宗男議員逮捕
7 東電でトラブル隠し、原発停止広まる
8 デフレ対策決定、株価最安値(一時8303円へ)
9 倒産相次ぐ、失業率5・5%で最悪水準
10 住民基本台帳ネットワーク稼働
番外 毒物カレー事件で林被告に死刑判決  

【国内編・解説】


 (1)日朝首脳会談・拉致被害者5人帰国

 小泉純一郎首相は九月十七日、初めて北朝鮮を訪問し、金正日総書記と会談。金総書記は日本人拉致事件を認めて謝罪、両首脳は日朝平壌宣言に署名した。拉致被害者五人は十月十五日、二十四年ぶりに帰国。国交正常化交渉が再開されたが、北朝鮮側は五人の家族の帰国に応じず、核開発問題も絡んで難航している。



 (2)日韓共催W杯、日本決勝トーナメント進出

 サッカーのワールドカップ(W杯)が五月三十一日から六月三十日まで日本と韓国で共同開催された。両国の若い世代が相手国を応援し合うなど、複雑な歴史を持つ日韓関係に新局面を開いた。日本は目標の決勝トーナメント(ベスト16)に進出して列島が熱狂、ベッカム(イングランド)ブームにも沸いた。韓国はアジア勢史上最高の四位に。



 (3)初のノーベル賞ダブル受賞の快挙

 十月八日、東大名誉教授の小柴昌俊氏が「素粒子ニュートリノの観測」でノーベル物理学賞に、九日には島津製作所の研究者田中耕一氏が「タンパク質解析技術の開発」で化学賞に選ばれた。日本初のダブル受賞、科学分野で三年連続受賞で、日本の科学水準の高さをアピール。両氏の親しみやすさから広く関心を呼び話題になった。



 (4)牛肉偽装事件、食品不正表示も横行

 雪印食品が牛海綿状脳症(BSE)対策の国産在庫買い取り事業を悪用し、輸入牛肉を国産と偽って業界団体に買い取らせていたことが一月に発覚。詐欺容疑で同社の元専務ら七人が逮捕された。日本食品、日本ハムグループの牛肉偽装も事件化する中で、産地を偽ったり高級品を装ったりする不正表示も各地で相次いだ。



 (5)疑惑絡みで4議員が辞職

 社民党の辻元清美衆院議員は、元政策秘書の給与を事務所経費に充てていたことを認めて三月に辞職。自民党の加藤紘一衆院議員は元事務所代表の脱税事件の責任を取って四月に、田中真紀子衆院議員は秘書給与流用疑惑で八月にそれぞれ辞職。元政策秘書の公共事業口利き疑惑で四月に参院議長を退いた井上裕氏は、その後に議員も辞職した。



 (6)鈴木宗男衆院議員を逮捕

 国会の逮捕許諾を得て東京地検特捜部は六月十九日、五百万円のあっせん収賄容疑で鈴木宗男衆院議員を逮捕。八月には六百万円の受託収賄容疑で再逮捕し、最終的に計四つの罪で起訴した。国後島「友好の家」(通称ムネオハウス)など国会で噴出した鈴木議員をめぐる一連の疑惑では、鈴木議員のほかに外務官僚ら十一人が起訴された。



 (7)原発トラブル隠しで運転停止広がる

 八月、東京電力が原発の自主点検で損傷を隠していたことが発覚、社長らトップ五人が辞任した。東北、中部電力などでも国への未報告の損傷が判明。東電福島第一原発では国の検査でデータ偽装も発覚、運転停止一年と社員九人が処分された。安全確認のために東電の原発十七基すべてが止まるという電力供給上の異常事態になる可能性も。



 (8)総合デフレ対策決定、株価バブル後最安値

 政府は十月、金融機関の不良債権処理加速のため「金融再生プログラム」が柱の総合デフレ対策を決定。竹中平蔵・金融相が策定したプログラムは、公的資金注入による事実上の銀行国有化も視野に入れた。この「竹中ショック」で株価は銀行株を中心に下落、十一月十四日に日経平均株価終値はバブル後最安値の八千三百三円を記録した。



 (9)倒産相次ぐ、失業率5・5%で最悪水準

 佐藤工業や日産建設、大日本土木など一連のゼネコン破たんに加え、ゴルフ場運営会社の破たんも急増。製造業のほか居酒屋チェーン、家電小売り(第一家電など)にも倒産の波が広がり、デフレ不況が一段と深刻さを増した。五月以降に5・4%で高止まりしていた完全失業率は、十月には戦後最悪だった昨年十二月に並ぶ5・5%に再び悪化した。



 (10)住民基本台帳ネットワーク稼働

 行政機関が全国民の氏名、住所、性別、生年月日の四情報をオンライン上でやりとりする住民基本台帳ネットワークが、八月に稼働した。行政手続きで住民票の添付が不要になるなどメリットがあるが、住民票コードという番号を付けられることや、個人情報漏えいの不安から反発が強まり、東京都杉並区など一部自治体が参加を見合わせた。



※ (番外)毒物カレー事件で林被告に死刑判決
 和歌山市で四人が死亡、六十三人がヒ素中毒になった一九九八年の毒物カレー事件で、殺人罪などに問われた林真須美被告に和歌山地裁は十二月十一日、死刑判決を言い渡した。弁護側は直ちに控訴した。


◇      ◇      ◇


★国際は国連のイラク査察が1位

【国際編】
1 イラクの大量破壊兵器疑惑で国連査察再開
2 世界同時株安の様相、世界的IT不況
3 中国・瀋陽の日本総領事館に北朝鮮家族が駆け込み、亡命
4 中国共産党が胡錦濤総書記を選出
5 米国(ブッシュ)が北朝鮮、イラク、イランを「悪の枢軸」と非難
6 バリ島でイスラム過激派による爆弾テロ、邦人ら約190人死亡
7 北朝鮮(金正日)が核開発継続を認めたと米政府発表
8 欧州単一通貨ユーロの現金流通始まる
9 パレスチナで反イスラエル闘争長期化
10 アフガニスタンでカルザイ大統領就任、新政権発足
 


【国際編・解説】


 (1)イラクの大量破壊兵器疑惑をめぐる国連査察4年ぶり再開

 イラク(サダム・フセイン)の大量破壊兵器開発疑惑に対する国連査察が十一月二十七日、約四年ぶりに再開した。無条件査察を求めた安保理決議を受け入れたイラクは十二月八日、大量破壊兵器開発計画に関する申告書を提出。国連は査察と並行して、申告書内容の精査に入った。虚偽が判明すれば、安保理決議違反に問われる。



 (2)世界同時株安の様相、世界的IT不況

 米景気の先行き不透明感やイラク情勢を背景に日米欧の同時株安に歯止めがかからず、十月九日のニューヨーク市場は一九九七年秋のアジア危機以来、約五年ぶりに一時七三○○ドル台を割り込んだ。情報技術(IT)不況も一向に脱出の出口が見えないままだ。経営難の米通信大手ワールドコムは巨額の粉飾決算が発覚し七月に経営破たんした。


 (3)中国・瀋陽の日本総領事館に北朝鮮家族が駆け込み、亡命

 北朝鮮を脱出した一家五人が五月八日、中国・瀋陽の日本総領事館に駆け込んだが、中国公安当局は全員を拘束。その際の館内侵入をめぐるウィーン条約(公館の不可侵)違反問題で日中が対立。人道優先の国際世論に配慮した中国は結局、第三国移送を決め、一家は空路マニラ経由で十五日ぶりに韓国亡命を果たした。


 (4)中国共産党大会が胡錦濤総書記を選出

 中国共産党は十一月、第十六回大会を開き、中央委第一回総会で胡錦濤(こきんとう)総書記をトップとする新しい指導部を選出、江沢民前総書記らを継承する第四世代の体制が発足した。来春の全国人民代表大会で首相昇格が確実な温家宝副首相、曽慶紅前組織部長とのトロイカで中国を率いる。江沢民は党中央軍事委員会主席に留任し、影響力を確保した。


 (5)米国が北朝鮮・イラク・イランを「悪の枢軸」と非難

 ブッシュ米大統領は一月の一般教書演説で、大量破壊兵器の開発で脅威になる国としてイラク、北朝鮮、イランを挙げ「悪の枢軸」と非難。対テロ戦とともに、大量破壊兵器の拡散阻止を最重要課題に据える姿勢を鮮明にした。米政府は九月、敵対国家には先制攻撃も辞さないとする新たな安全保障戦略を発表した。


 (6)インドネシア・バリ島で爆弾テロ、邦人ら190人余死亡

 インドネシア・バリ島の繁華街クタ地区にある外国人観光客に人気のディスコで十月十二日、大きな爆発があり、日本人二人を含む約百九十人が死亡する大惨事となった。同島の米国名誉領事宅近くなどでも爆発が相次ぎ、メガワティ大統領は連続爆弾テロと非難。同国警察当局は十一月、事件の主犯格とされるイスラム過激派の容疑者を逮捕した。


 (7)北朝鮮が核開発継続を認めたと米政府発表

 米政府は十月、北朝鮮が核兵器用のウラン濃縮施設の建設継続を認めたと発表。朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は十一月、核開発の完全放棄を求め、米朝枠組み合意に基づく重油提供を十二月から凍結すると決定。これに反発した北朝鮮は同月、核施設の稼働と建設を即時再開すると発表した。枠組み合意は崩壊の危機に直面。


 (8)欧州単一通貨ユーロの現金流通始まる

 欧州連合(EU)加盟十五カ国のうち英国、スウェーデン、デンマークを除く十二カ国で誕生した欧州単一通貨ユーロの現金流通が一月一日から始まり、ドイツ・マルクなど慣れ親しんできた通貨単位は姿を消した。ユーロは九九年一月から企業や銀行の帳簿上の通貨として使われてきたが、現金流通によりEUの市場統合が完成した。


 (9)パレスチナで反イスラエル闘争長期化、和平進展せず

 イスラエルの占領政策に対するパレスチナ住民闘争は九月で二年経過したが、パレスチナ側による自爆テロにイスラエルが攻撃を加え、報復の連鎖が続いた。シャロン政権は占領地撤退要求の国連決議を無視し続け、包括的和平の展望は見えないままだ。十一月にはケニアでイスラエル人を標的とした同時テロが起きた。


 (10)アフガニスタンでカルザイ大統領就任、新政権発足

 アフガニスタンで六月、最高意思決定機関の緊急ロヤ・ジルガ(国民大会議)が開かれ、暫定政権議長(首相)のカルザイ氏を国家元首に選出、同氏を大統領とする新政権が発足した。閣僚人事で民族バランスに配慮したものの、地方の軍閥支配が最大の障害。大統領暗殺未遂事件などが頻発、治安回復も急務だ。
-----------------------------------------------






【2002年.訃報】
【2002年1月】

桂歌之助(落語家)2002/1/2、55歳

アルフレッド・H・ハイネケン(オランダのビール会社ハイネケンの元会長)2002/1/3、78歳

アンリ・ベルヌイユ(仏映画監督)2002/1/11、81歳

新島淳良(元早大教授、中国現代史)2002/1/12、73歳

永昌子(放送作家・タレントの永六輔氏の妻)2002/1/6、68歳

川野純夫(作家、田辺聖子さん夫)2002/1/14、77歳

ペギー・リー(米ジャズ歌手)2002/1/21、81歳

橋本清子(故吉村雄輝・日舞吉村流四代目家元の妻、俳優・池畑慎之介=ピーター=氏の母)2002/1/22、76歳

遠藤誠(帝銀事件主任弁護人、連続射殺事件の永山則夫元死刑囚国選弁護人)2002/1/22、71歳

【2002年2月】

海老一染太郎(太神楽の曲芸師)2002/2/2、70歳

舟越保武(彫刻家、文化功労者)2002/2/5、89歳

石橋広次(石橋ボクシングジム会長)2002/2/7、71歳

マーガレット王女(エリザベス英女王の妹)2002/2/9、71歳

館野守男(アナウンサー、元NHK国際局長)2002/2/28、87歳

白鳥邦夫(文芸評論家)2002/2/28、73歳

ハーバート・ホーク(戦艦大和を撃沈した元米海軍飛行士)2002/2/24、86歳

2002年3月】

半村良(作家)2003/3/4、68歳

今井俊満(フランスで活躍した世界的な画家)2002/3/3、73歳

はせさん治(俳優)2002/3/8、66歳

新倉俊一(東京大名誉教授、中世フランス文学)2002/3/7、69歳

佐川清(佐川急便の創業者)2002/3/11、79歳

古山高麗雄(芥川賞作家)2002/3/14、81歳  ラオスで終戦をむかえ,戦犯容疑者としてサイゴン中央刑務所に収監.その体験をユーモラスに描いた「プレオー8の夜明け」で1970年に第63回芥川賞を受賞

ビリー・ワイルダー(映画監督、脚本家)2002/3/27、95歳  映画「アパートの鍵貸します」

エリザベス皇太后2002/3/30、101歳


【2002年4月】

菊池章子(歌手)2002/4/7、78歳

安東次男(詩人、俳人、仏文学者)2002/4/9、82歳

高橋圭三(元NHKアナウンサー、参院議員)2002/4/11、83歳  NHK「私は誰でしょう」など人気番組の司会,53年から9年連続て紅白歌合戦の司会を務めた.

【2002年5月】

バーバラ・カースル(英国の女性政治家)2002/5/3、91歳

エフゲニー・スベトラーノフ(ロシアの指揮者、作曲家)2002/5/3、73歳

宮本征勝(1968年メキシコ五輪サッカー銅メダリスト、Jリーグ鹿島アントラーズ初代監督)2002/5/7、63歳

デービッド・リースマン(米国の社会学者)2002/5/10、92歳

白石晴二(劇団角笛会長)2002/5/10、73歳

ジョゼフ・ボナンノ(米マフィアの実力者)2002/5/11、97歳

柳家小さん(落語家初の人間国宝、落語協会最高顧問(前会長)、本名・小林盛夫=こばやし・もりお)2002/5/16、87歳

清川虹子(女優)2002/5/24 89歳 喜劇女優として榎本健一,伴淳三郎,有島一郎らと共演.最期の言葉は「喜劇を守ってね」

石原郁子(映画評論家)2002/5/27、48歳


【2002年6月】

近藤和彦(プロ野球解説者、元プロ野球大洋ホエールズ選手)2002/6/10、66歳

ナンシー関(消しゴム版画家)2002/6/12、39歳

村田英雄(演歌歌手)2002/6/13、73歳  古賀政雄作曲の「無法松の一生」「王将」が大ヒット

室田日出男(俳優)2002/6/15、64歳  悪役一筋に生きた「無頼派」人生

山本直純(作曲家、指揮者)2002/6/18、69歳  ヒゲの指揮者.「男はつらいよ」など多くの映画の主題歌を作曲.クラシックの大衆化に尽力


【2002年7月】

向坊隆(東大学長、原子力委員会委員長代理)2002/7/4、85歳

ジョン・フランケンハイマー(映画監督)2002/7/6、72歳  映画「ニュルンベルク裁判」

高野斗志美(文芸評論家、三浦綾子記念文学館館長、旭川大名誉教授、近現代文学)2002/7/9、73歳

ロッド・スタイガー(アカデミー賞受賞の米俳優)2002/7/9、77歳

林美雄(TBSアナウンサー)2002/7/13、58歳

日向あき子(詩人、美術評論家、本名・坪井富美子=つぼい・ふみこ)2002/6/25、72歳

佐伯清(映画監督)2002/7/16、87歳

小川和男(ロシア東欧経済研究所長)2002/7/19、67歳

草柳大蔵(評論家、ジャーナリスト)2002/7/22、78歳


【2002年8月】

藤本敏夫(自然農法家、歌手・加藤登紀子さんの夫)2002/7/31、58歳

伊藤信吉(現役最高齢の詩人)2002/8/3、95歳

野村泰治(元アナウンサー)2002/8/4、79歳

渡辺茂(童謡「たきび」「ふしぎなポケット」の作曲家)2002/8/2、90歳

市川浩(哲学者、明治大学名誉教授)2002/8/17、71歳

秋月恵美子(元OSK大阪松竹歌劇団トップスター、本名・金子三枝子=かねこ・みえこ)2002/8/16、85歳

武上四郎(野球評論家、元プロ野球ヤクルトスワローズ監督)2002/8/23、61歳

朴貞子(パク・チョンジャ)(韓日女性親善協会名誉会長、韓日協力委員会諮問委員)2002/8/23、74歳

【2002年9月】



内山安二(漫画家)2002/9/2、67歳

林重男(写真家)2002/9/1、84歳

川端秀子(ノーベル賞作家、川端康成氏の妻)2002/9/7、95歳

キム・ハンター(米女優)2002/9/11、79歳

菅谷禎高(日本中央競馬会調教師)2002/9/11、64歳

池田三男(1956年メルボルン五輪レスリングフリースタイル・ウエルター級金メダリスト)2002/9/12、67歳

田熊健(詩人、日本ペンクラブ・日本詩人クラブ会員、日本未来派編集委員)2002/9/11、79歳

アーマ・フランクリン(米国のソウル歌手)2002/9/7、64歳

奈良林祥(ベストセラー「HOW TO SEX」シリーズの著者、性医学評論家)2002/9/12、83歳

小沢さくら(指揮者・小沢征爾氏の母)2002/9/23、94歳

藤原麗子(元女優)2002/9/24、69歳

鮎川哲也(本名・中川透=なかがわ・とおる、推理作家)2002/9/24、83歳
56年に「黒いトランク」を発表.90年に推理作家の登竜門「鮎川哲也賞」を創設


【2002年10月】

由美あづさ(=本名・深江佐知子、人気劇団「劇団笑いの王国」・女優)2002/8/13、77歳

平凡太郎(コメディアン、本名・平正美=たいら・まさみ)2002/10/4、69歳

ジョン・ワイツ(米国のファッションデザイナー、作家)2002/10/3、79歳

和田俊(立正大教授、元朝日新聞論説副主幹)2002/10/5、66歳

辛基秀(朝鮮通信使研究家、青丘文化ホール代表)2002/10/5、71歳

鎌田憲英(元日本宗教連盟理事長、元浄土真宗本願寺派宗会議長)2002/9/20、101歳

三鬼陽之助(経済評論家、財界研究所創業者)2002/10/5、95歳

橋口倫介(元上智大学長、西洋中世史)2002/10/7、81歳

関屋綾子(元日本YWCA会長)2002/10/13、87歳

日野啓三(芥川賞作家)2002/10/14、73歳

笹沢左保(本名・勝=まさる、推理作家)2002/10/21、71歳 「木枯し紋次郎」など著作は377冊におよぶ

李 媛媛(中国の映画女優)2002/10/20、41歳

草場敏郎(元三井銀行《現・三井住友銀行》社長、会長)2002/10/23、85歳

リチャード・ハリス(アイルランドの映画俳優)2002/10/25、72歳

山本夏彦(コラムニスト・作家)2002/10/23、87歳  15歳で渡仏し,ユニヴェルシテ・ウブリエールで学ぶ.「週刊新潮」などに辛辣,そして軽妙な名コラムを掲載

坂本多加雄(学習院大教授(日本政治思想史) 2002/10/29、52歳


【2002年11月】



田中正俊(東大名誉教授、中国史)2002/11/4、79歳

秦野章(元法相、元警視総監)2002/11/6、91歳

范文雀(女優)2002/11/5、54歳  69年にテレビドラマ「サインはV」で人気をえる.寺尾聡と結婚するが,74年に離婚.

孫基禎(1936年ベルリン五輪男子マラソン日本代表)2002/11/15、90歳

江上波夫(考古学者)2002/11/11、96歳

疋田桂一郎(元朝日新聞論説委員、編集委員)2002/11/15、78歳

ジェームズ・コバーン(米俳優)2002/11/18、74歳

高円宮憲仁親王殿下(三笠宮崇仁殿下の第三男子、天皇陛下のいとこ)2002/11/21、47歳 「サッカーの宮様」ワールドカップの試合にあわせ,皇族として初めて韓国を公式訪問

サンダー杉山(元プロレスラー、本名・杉山恒治=すぎやま・つねはる)2002/11/22、62歳

アルベール・アルノー(フランス文学者、朝吹登水子氏の夫)2002/11/28、73歳

大森文子(元日本看護協会会長)2002/11/29、90歳


【2002年12月】

中村光哉(染織家、東京芸大名誉教授)2002/11/9、80歳

家永三郎(東京教育大(現筑波大)名誉教授)2002/11/29、89歳

吉原幸子(詩人)2002/11/28、70歳

吉川逸治(東大名誉教授、西洋美術史)2002/12/5、93歳

千葉茂(プロ野球元巨人軍選手)2002/12/9、83歳 56年に巨人引退.59年から近鉄の監督に。意外なことにカツカレーを発明したのはこの人で,空腹だった千葉氏が銀座の洋食店でカツをカレーにのせたのが始まり

伊藤叔(声楽家、桐朋学園大教授)2002/12/8、63歳

福田定良(哲学者、元法政大教授、本名・瀬川行有=せがわ・ゆきあり)2002/12/11、85歳

笠原和夫(脚本家)2002/12/12、75歳

有明夏夫(作家、本名・斉藤義和=さいとう・よしかず)2002/12/17、66歳

松井やより(ジャーナリスト、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク代表)2002/12/27、68歳

ジョージ・ロイ・ヒル(米映画監督)2002/12/27、80歳  映画「明日に向かって撃て」「スティング」







2002年12月16日(月) 北朝鮮の悲劇(9):強制収容所の実態

北朝鮮の悲劇(9) 強制収容所の実態  
               
                 2002.12.16






 そもそも「どういう理由で収容所送りになるか」という設問自体,実は,北朝鮮の恐怖政治の現状からみればナンセンスである。

 「ひとことでも,体制を批判するような言動をしたら,親子三代が殺される」 このことに恐怖心を抱かない人はいまい。それだけでも充分に恐ろしいことなのだが,それよりもはるかに恐ろしいことに,国家安全保衛部(秘密警察)に目をつけられたら,おしまいなのだ。

 儒教文化の影響なのだろうが,朝鮮半島の人々は家族を非常に大切にする。もし,本人だけを収容所に送ったら,必ず家族の恨みを買う。ならば,家族まるごと,三代まとめて,収容所に送ってしまえ,こういうことなのだろう。「家族ごと拘束してしまえば,体制転覆はない」 もし金正日がこういう発想でいるとしたら,いつか自分の家族もそういう報復を受けることになるだろう。





●帰国運動のお膳立て

 1959(昭和34)年12月、北朝鮮の清津港に、975名の日
本からの帰国者を乗せた最初の船が到着した。その時の模様を、
朝鮮中央通信社は「祖国同胞6万余が港に出迎う 歓迎のどよ
めき清津をうずめる」との大見出しで、こう伝えた。


 帰国運動の発端は、この年の8月11日、神奈川県川崎市の
在日朝鮮人グループが祖国に集団帰国する事を決議し、受け入
れを要請する手紙を金日成主席に送った所から始まる。翌日、
この決議は東京で開かれた在日朝鮮人の中央大会で帰国実現決
議として採択され、9月8日には金日成が平壌で開かれた共和
国創建10周年記念慶祝大会で「共和国政府は、在日同胞が祖
国に帰り、新しい生活がいとなめるようすべての条件を保障す
る」と演説した。

 こうした矢継ぎ早の動きから、張明秀は,その著『裏切られ
  た楽土』の中で帰国運動は北朝鮮から朝鮮総連への指示による
  ものと考えている。この時期、北朝鮮は日本以外にも帰国を呼
  びかけ、サハリンから約2千名、中国東北地方から数千名の帰
  国を実現させた。

 当時の北朝鮮では、56年からのフルシチョフによるスターリ
ン批判が波及し、金日成の個人崇拝に対する批判が党中央委員
会で噴き出し、中ソも介入してきた。金日成は大規模な血の粛
清でこの危機を乗り切ったのだが、その後で起死回生を狙って
自分の個人的名声を内外にアピールするイベントとして、この
帰国運動を仕立て上げた、というのが張秀明の推察である。




●「地上の楽園」

 帰国実現決議を採択した中央大会では、朝鮮総連議長の韓徳
銖が、記念講演で次のように述べた。

「 1961年度には電力、石灰、セメント、化学肥料、漁獲高
など重要産業の人口一人当たりの生産量で、発展した日本
を凌駕することになり、穀物生産では人口一人あたり2石、
服地は20m以上、住宅は440平米、先進的工業・農業
国家として発展する。」

 総連の宣伝部が作成した「帰国者のための資料」では、次の
ような記述がある。

「その昔、絹の着物を着て、白米に肉のスープを食べてく
らしていたのは一部少数の千石君(大地主)の金持ちであ
ったが、今日ではすべての人民が万石君に劣らない生活を
しているので、北朝鮮を「地上の楽園」と呼ぶのも決して
偶然ではない。」

 このようなパンフレットを用いて、一年たらずの間に日本各
地で2万余の大小集会が開かれ、帰国運動の大キャンペーンが
展開された。

「楽園」幻想を広める上では、日本人も加担した。日朝協会理
事の寺尾五郎は、北朝鮮に招かれて、賓客として大切にもてな
した。寺尾はそれを「三十八度線の北」という訪問記として出
版し、それを総連が「日本人が書いた客観的な本」として、帰
国運動に最大限に利用したのである。

 また社会党や共産党も帰国運動を積極的に支援した。共産党
の機関誌アカハタは「この運動を支持し、協力することは日本
人民の義務であり、人道上の立場から速やかに解決すべき問題
である」(58年11月29日)とぶちあげた。大江健三郎は、
帰国者のテレビドラマを見て涙を流し、「自分には帰るべき朝
鮮がない」と嘆いた。

 このように金日成の指示のもと、総連を中心に、社会党・共
産党、マスコミ、進歩的文化人が一体となって、9万3千人以
上もの人々を帰国船に乗せたのだった。




●「オペラを通じて両国民の理解と友好を深めたい」

 帰国者の中には、日本で成功して、自分の技術や財産で祖国
の建設に尽くしたいと志す人々も少なくなかった。その中に当
時藤原歌劇団で活躍した,日本一の美声と言われたテナー歌手
  金永吉(永田絃次郎)がいた。金永吉は昭和35(1960)年1月、
  日本人の夫人と4人の子供を連れて、帰国船のタラップからお
  別れに「オーソレミ」を歌って、祖国に捧げた。出発直前に、
 「新潟日報」の記者によるインタビューでは金永吉はこう語った。

「妻は日本人ですが、4人の子供とともに同行してくれる
ことになりました。一番上の子は、上野学園大のピアノ科
3年生ですが、平壌に国立音楽大学があるから心配ありま
せん。

 両国のオペラが自由に交流できる時期は1,2年後に来
ると思います。・・・オペラを通じて両国民の理解と友好
を深めたいと思います。」

 金永吉の帰国は総連が直接、説得したものだったという。オ
ペラ歌手まで帰国するという宣伝効果を狙ったのだろう。




●消えた5人家族

 金永吉は、帰国後、平壌で高級住宅と乗用車をあてがわれ、
「功勲俳優」の称号を与えられた。しかし、帰国の2ヶ月後、
平壌での「金永吉帰国独唱会」で早くも一悶着が起こった。党
から革命歌20曲を歌うことを要求され、金永吉はこれを拒絶。
さらに生活費のために出演料を党に求めた所、「ブルジョア根
性」と非難された。

 やがて金永吉は地方都市の海州市に追放され、そこで大阪か
らの帰国者が生活苦を訴えたために、どこかに連行され、さら
にその日本人妻が服毒自殺を遂げる、という事件を知って、党
に抗議をする決心を固める。金永吉を先頭に約30数名の帰国
者が平壌の党中央本部に抗議に押しかけた所、全員が逮捕され
てしまい、金永吉はそのまま消息を絶った。

 続いて平壌音楽大学に在学していた長女は退学処分となり、
しばらく平壌芸術劇場で切符売りをしていたが、やがてどこか
に連行された。ついで、夫人、次女(18歳)、三女(13
歳)、長男(16歳)と一人ずつ連行されて、ついには家族全
員が姿を消した。

 90年以降、北朝鮮からの脱出者が急増して、帰国者たちの
消息も少しずつ分かってきた。平壌市内にある勝湖里収容所で
10年間収容されていた黄龍水が、91年に中国に脱出して、そ
の証言から、金永吉が60年代の中頃から、同じ収容所の別の
棟にいた事が判明した。四半世紀も、収容所暮らしを続けてい
た事になる。
 



●「全財産を没収し、家族を移住させる」

 92年8月、中国経由で韓国に脱出し,『北朝鮮脱出』を著わ
  した姜哲煥(カンチョルファン 当時24才)は、帰国者の孫
  だった。祖父は京都市と福知山市でパチンコ店を3軒経営し、
  朝鮮総聯京都府本部幹部であった人で,祖母は戦前から日本で
  共産党に加わっており、「祖国ではいい地位が準備されている」
  との総連議長・韓徳銖の勧めで、一家を挙げての帰国に踏み切
  った。

 当初は、平壌の中心街の高級幹部用住宅を割り当てられ、日
本での財産のお陰で、自家用車やテレビ、ピアノまで持ってい
た。金正日の銅像建設の際には、5千万円もの寄付を行った。

 帰国して16年後の77年7月、平壌市経済委員会の副委員長
をしていた祖父が、仕事に出かけたまま帰らなくなった。職場
に問い合わせると「出張に行っている」という。近隣では帰国
者3世帯が次々に行方不明になっていたが、「うちは莫大な献
金もしているから、大丈夫だろう」と話し合っていた。

 翌8月、拳銃を持った国家保衛部員8人が土足のまま家に上
がり込んで、祖母に「お前の夫は祖国と民族に対し、死に値す
る罪を犯した。全財産を没収し、家族を移住させる」と言い渡
した。保衛部員たちは、腕時計などをポケットに入れ始めたの
で、事情の分からない8才の妹の美湖が「どうして家のものを
持っていくの」と聞くと、殴られた。翌朝、一家はわずかな衣
類と炊事道具だけを持って、ソ連製のトラックに乗せられた。
 




●帰国者5千数百人の強制収容所

 一家が運ばれたのは、平壌の東北100キロの地点にある政
治犯強制収容所だった。67平方キロもの広大な土地が電気鉄
条網で囲まれ、1キロ間隔で機銃を備えた監視塔がある。ここ
では約5万人の政治犯が収容されているという。

 一家を乗せたトラックは、高さ3mもの鉄の門をくぐってか
ら、さらに3,40分も走って「十班」と名付けられた集落に
着いた。住まいは土と石灰で作ったブロックを重ね、板葺きに
した長屋。一家5人が横になったら一杯になってしまう一部屋
と、かまどのある土間の二間しかなかった。

 十班には1棟に5世帯ほどが入居したこのような長屋が、5,
6百棟あり、日本からの帰国者ばかり5千数百人が住んでいた。
この収容所だけで9万3千余人の帰国者のうち、二十分の一以
上が収容されている計算となる。北朝鮮にはこのような政治犯
収容所が15カ所ある。

 十班では、祖母の日本での顔見知りもかなりいた。互いに抱
き合い、「どうしてここに来たのか」と言いながら泣いた。自
  分がなぜ収容所に入れられたのか分からない人がほとんどだった。

 一家は翌日から農作業、山菜採取、金鉱山発掘などの作業に
従事させられた。朝6時の人員点呼から夜8時まで、途中30
分の休みを2回とるだけで、ぶっつづけに働かされる。午後
10時から一時間「金日成の徳性談」について思想教育があり、
午後11時にようやく眠るという生活だった。




●食事は一日トウモロコシ550グラム

 食事は成人で一日当たり550グラムのトウモロコシを1ヶ
月分まとめて支給される。副食はドングリで作った味噌をスプ
ーン1杯分。週に一度だけ塩がついた。いつも腹を空かせてい
て、カエル、ヘビ、ネズミ、雑草など手当たり次第食べる。姜
哲煥は13歳の時に、トウモロコシ畑でネズミの巣穴を見つけ
た時の嬉しさが忘れられない。掘り進むと4匹もネズミが見つ
かり、焼いて食べた。

 他の収容者からも「半チョッパリ(半日本人)」と蔑まれ、
厳しい生活に適応できずに早死にする人も多かった。77年から
79年までに、日本人妻だけで新たに14人が入所したが、その
うち12人は肺病や飢えなどで死亡、無事に出所できたのは2
人だけだった。

 飢えと重労働から逃れるために、逃亡を図る人も少なくない。
しかし、栄養不足で体力のない収容者は、険しい山間にある外
壁にたどりつくことすら難しかった。逃亡を図って捕まったり、
保衛部員を殴るなどして者は、毎月の「公開処刑」で銃殺され
た。



●10年目の出所

 強制収容所は、いずれは外に出られる「革命化区域」と、終身刑
に相当する「完全統制区域」の2つに分かれていた。後者に収容さ
  れた人々は「一度入ったら死ぬまで」,いや「死体となっても出ら
  れない」地獄と言われる。前者の「革命化区域」は反革命分子の家
  族を収容しているものである。

   姜哲煥の一家が収容されていた革命化区域では、毎年2月16日
  金正日の誕生日に、入所者を集めて、釈放される人の名簿が発表さ
  れる。

 入所10年目の1987年、ついに姜哲煥の一家の名前が呼ばれ
た。皆で喜びと悔しさが入り交じった涙を流す。全員で金日成、
金正日万歳を叫んだ後、所長が「お前たちの未来は燦然と開け
ている」と述べたが、これはまったくの嘘だった。一度政治犯
収容所に入ったものは、一生、そのレッテルを貼られ、国家保
衛部の監視のもとで暮らす。

 一家は、収容所からそう遠くない地域に家を持ち、農業をし
ながら暮らし始めた。しかし、10年の苦労がたたったのか、
父親は89年12月胃潰瘍で死ぬ。その半年後には祖母も病死し
た。祖母は20数年前の党大会で、金日成と並んで写真をとっ
たことがあるほどの信奉者だった。その祖母は亡くなる前にこ
う言った。

「死ぬ前に一度、済州島に帰りたい。お前たちを死なせる
ために、ここに連れてきたようなものだ。金日成、金正日
に騙された。韓徳銖をこの手で殺してやりたい。」

 祖父と生き別れ、今また父や祖母を失って、姜哲煥の心に自
由になりたいという思いが芽生えていった。ある日、韓国のラ
ジオ放送で録音したヒット曲「釜山港に帰れ」を聞いているこ
とを密告され、国家保衛部から呼び出しを受けた。残された道
はただ一つ、中国から韓国に脱出することだけだった。

 無事脱出できた姜哲煥は、ソウルで張明秀の取材に「日本に
  は今でも総連はありますか?」と尋ねて、あると張が答えると、
  「あるのなら、手榴弾を投げつけ、絶対、復讐してやる」と怒
  りをあらわにしたという。


 朝鮮総連ばかりでなく、「楽園」への帰還事業を翼賛した日
  本の共産党・社会党も、マスコミも、進歩的文化人らも、自己
  の責任を頬被りし続けており,その贖罪は大きい。


2002年12月12日(木) 北朝鮮包囲網の形成と韓国の大統領選挙

《 北朝鮮包囲網の形成と韓国の大統領選挙 》    

                2002.12.12





 北朝鮮が核開発を認めてから2ヶ月余、日米韓中ロ5カ国が開発放棄を求めて足並みを揃えた。IAEA(国際原子力機関)も査察を要求する決議を採択した。米国は燃料用の重油供給を停止し、国際社会も食糧支援を手控えている。これに対し、北朝鮮は査察を拒否し、核問題は米国の捏造と主張し始めた。追いつめられた国家は自暴自棄の挙にでるというのが歴史的教訓である。いよいよ,対決激化は必至の情勢となっている。



●核開発放棄で北朝鮮包囲網の形成

 中国の江沢民、ロシアのプーチン両首脳は12月2日、北京で会談したあと共同声明を発表し、「北東アジアの安全保障にとって朝鮮半島の非核状態の維持と大量破壊兵器の不拡散が大切である」と強調した。北朝鮮を背後から支えてきた中国とロシアが日米韓3国と歩調を合わせ、核開発の放棄を要求したのである。アーミテージ米国務副長官は12月9日、東京で記者団に「日米韓中ロ5カ国が北朝鮮を包囲した」とこの動きを評価している。

 並行して北朝鮮に対する圧力も増した。ブッシュ政権は11月のKEDO理事会の決定を経て12月から燃料用重油の供給を停止した。一方、IAEA(国際原子力機関)も11月29日の理事会で、北朝鮮に対して査察の要求を満場一致で決議した。また、特使をIAEA本部に派遣して事情を説明するよう要求
した。

 国際社会の世論も北朝鮮に厳しくなった。WFP(国連食糧計画)は02年度の食糧支援61万トンを国際社会に呼びかけたが、11月までに集まったのは目標の半分である。また、03年度は51万2000トンを呼びかけているが、申し出は3万3000トンしかない。このままでは配給が来年早々から大幅にカットされ、市民数百万人に影響が出るのは必至だ。

 ブッシュ政権は02年度、15万5000トンを拠出したが、03年度については未定という。日本も11月に来日したWFPのモリス事務局長に対して、国交正常化後でなければ援助はできないと伝えた。一方,社団法人の日本外交協会がビスケットを送ったとして激しい非難を浴びた。拉致問題などでとても支援を約束できる雰囲気ではない。




●北朝鮮は査察を拒否、核開発は米国の捏造と主張

 北朝鮮の白南淳外相は12月2日、IAEA理事会に手紙を送り、査察と特使の派遣を拒否した。理由はIAEAが「北朝鮮を孤立させて圧殺しようとする米国に操られて、一方的にわが国の核開発放棄と査察要求を決議した」というものだ。同時に北朝鮮は米国に認めた核開発計画についても前言をひるがえし、核問題は米国の捏造と主張するようになった。

 ケリー米国務次官補によれば、北朝鮮が最初に核開発を認めたのは10月4日、同次官補と姜錫柱第一外務次官の会談の席だった。同次官補が前日の会談で米情報機関が収集した証拠を突きつけると、姜第一外務次官は初め否定したが、翌日になって認めたという。しかし、その後北朝鮮の関係者の発言やメディアから核開発を認めるような表現が次第に消えるのだ。

 北朝鮮の外務省スポークスマンは10月25日、「北朝鮮は核兵器だけでなく、他のより強力な兵器も持つ権利がある」と述べ、核開発を認めるともとれる発言をした。しかし11月2日になると、同スポークスマンは「相手(米国)の侵略・脅威が現実化している状況のもとで、わが方がすべての手段を動員して各種兵器を製造し、武装するのは当然」と述べ、核兵器という言葉を落とした。

 さらに11月28日の朝鮮中央放送は「米国はありもしないわが方の核問題を持ち出して引き続き騒動を繰り広げている」と強調し、核開発を「ありもしない」と否定する。また、同30日の労働新聞は「わが方の核問題とは、米帝がわが共和国を孤立させ圧殺するためにつくり出した完全な捏造品である」と主張した。核開発問題は、ケリー次官補の訪朝時の説明とは百八十度違う捏造という主張になってしまう。




●テポドン・ミサイルの発射実験再開を示唆

 この北朝鮮の姿勢の変化は、ミサイルの発射実験問題にも現れる。外務省スポークスマンは11月5日、「わが国の当該部門がミサイル発射凍結の延長措置を再考すべきだという意見まで提起している」と述べ、発射凍結の約束を取り消すかのような示唆をした。この一週間前マレーシアで行われた日
朝国交正常化交渉で、日本側の姿勢に不満だったことが背景にあるのはいうまでもない。

 同スポークスマンは11月16日にも、「日本が拉致問題にかこつけて過去清算の約束を蹂躙し始めた以上、我々もミサイル発射問題でこれ以上雅量を示す余地はなくなった」と述べ、ミサイル実験の再開をほのめかした。

 ミサイル発射実験は1999年秋のミサイル危機の際、北朝鮮が2003年まで実験を凍結すると約束。さらに9月17日、小泉首相が訪朝して調印した平壌宣言で、2003年以降も凍結を延長すると約束した。訪朝の成果の一つと評価されたが、北朝鮮側はこの約束を反古にし、発射実験を再開すると脅しているのだ。




●米には不可侵条約を条件に核放棄を提案

 その一方で、北朝鮮は10月25日、外務省スポークスマンの談話を発表、米国と「不可侵条約を結び、核問題を解決する」という提案をした。その理由として同談話は「米国が不可侵条約を通じて、わが方に対する核不使用を含む不可侵を法的に確約するなら、わが方も米国の安保上の憂慮を解消
する用意がある」と説明している。

 北朝鮮は11月初め、ニューヨークの国連代表部を通じてこの米国との不可侵条約の提案を米メディアに配付し、「核開発計画の放棄も含めすべてを交渉の対象にする」と強調した。しかし、11月後半北朝鮮が核開発は米国の捏造と主張するようになってからは、メディアは不可侵条約に対する各国の反響などを伝えるものの、北朝鮮当局者の発言は伝えられなくなった。

 これに対し、ブッシュ政権はこの不可侵条約も含め、北朝鮮とのすべての交渉を拒否している。現状で交渉に応じれば、核開発という条約違反に褒美を与えることになるという理由だ。そして、北朝鮮が明確に検証できる方法で核計画を放棄することが先決と主張している。




●ブッシュ政権のジレンマ

 ブッシュ政権は北朝鮮との交渉は拒否するものの、核問題を外交的手段で解決するという当初の姿勢を崩していない。アーミテージ国務副長官は12月9日、東京で記者団に「日米韓中ロ5カ国の共同歩調を基礎にして平和的解決をはかる」と強調した。しかし、この姿勢は同政権がイラクに対し
てとっている強硬姿勢にくらべ、弱腰すぎるとの批判が米国内には強い。

 12月4日ホワイトハウスのフライシャー報道官の記者会見で、記者団から「北朝鮮が核開発を認め、しかも査察を拒否したのに、なぜ米国はイラクと同じような強硬策をとらないのか」という質問が出た。これに対し同報道官の答えは「イラクは過去10年間に国連決議を16回破ったが、北朝鮮は
違う」という、北朝鮮弁護と聞こえかねない歯切れの悪いものだった。

 ブッシュ大統領自身は金正日総書記に強い不信感を持ち、体制転覆も辞さずと考えていることはすでに周知の事実となった。同大統領が8月20日、ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者のインタービューに答え、「この男(金正日総書記)を倒さなければならないのだとしたら、誰がそれをするのか」と述べ、米国主導で体制変革が必要だとの考えを強く示唆したのだ。

 同時にブッシュ大統領は「北朝鮮に対して急いで行動する必要はないと言う人たちもいる。経済的負担も膨大だと言うのだ」とも述べた。この人々がだれを指すのか、同大統領は明らかにしていないが、米国内の一部や韓国、日本などで、性急な行動を戒める意見が強いことを指すとみてよいだろう。

 ブッシュ政権が北朝鮮の体制転覆を目指して強硬策に出れば、第二の朝鮮戦争になる可能性も否定できない。在韓米軍、韓国軍に多大の犠牲が出るだけでなく、韓国経済が大打撃を受け、影響は日本にも及ぶだろうし,戦後の復興に膨大な経済的負担がのしかかる。強硬策の危険を考えれば、日本や韓国が慎重になるのは当然である。しかし,米国としてはいずれにしろ,このまま国際社会に歯向かう北朝鮮の脅威をほっておかないだろう。




●カギを握る韓国の次期大統領

 もう一つ、ブッシュ政権の政策に今後大きく影響するとみられるのが、韓国の大統領選挙の結果である。与党新千年民主党の盧武鉉候補、野党ハンナラ党の李会昌候補の2人が立候補している。投票は12月19日だが、どちらが勝っても不思議ではない接戦だ。しかも、選挙戦と並行して反米デモが全土に拡大、その成り行きが選挙結果を左右することが確実な情勢なのだ。

 反米デモの原因は女子中学生2人が米軍装甲車にひき殺された事件にある。韓国政府は運転していた軍曹2人の身柄引渡しを求めたが、米軍は公務中の事故を理由に拒否した。11月20日、米軍事法廷は2人に過失なしと認め無罪釈放を言い渡した。これに韓国世論が猛反発し、各地にハンストとデモの波が広がった。

 このデモで有利になったのが、ほかならぬ与党の盧武鉉候補で,金大中大統領の民族主義的傾向を継承し、北朝鮮融和政策(太陽政策)を主張している。ブッシュ政権の強硬策とは相容れないが、これが沸き立つ反米世論の支持を獲得して一時の劣勢を挽回し、親米の野党李会昌候補を支持率でリードしている。

 ブッシュ政権は金大中政権の太陽政策に非常に不満で、親米的な野党の李会昌候補に期待している。同候補が次期政権を組織すればブッシュ政権と共同歩調を合わせることは確実と思われたからだ。しかし、選挙戦の現状では、与党が政権を維持し、現在の北朝鮮融和政策を継承する可能性が高い。核開発問題も対話と和解の精神を重視することになりそうだ。ブッシュ政権が強硬策をとろうとすれば、韓国新政権がブレーキ役になりかねないのだ。
そうなればブッシュ政権にとってジレンマとなろう。




●来年春、核問題は国連安保理へ

 北朝鮮が核開発の放棄に応じず、査察を拒否し続ければ、IAEAは次の手段として問題を国連安保理にゆだねることになる。今のところその時期は来年の3月以降とみられている。これを機に、ブッシュ政権は北朝鮮の核疑惑の包括的な解決を目指すことになる。

 北朝鮮は今回の核開発計画の他、1994年の米朝枠組み合意以前にもプルトニウムを抽出、その後これで核爆弾1〜2個を製造したと米情報機関は断定している。この件について、北朝鮮は枠組み合意締結の際、建設する軽水炉の重要部品の引渡し前、IAEAの完全な査察を受けて疑惑を解消すると約束した経緯がある。このため、IAEAは今年初めからこの約束の履行を要求しているが、北朝鮮は拒否し続けている。ブッシュ政権はこの問題も含め、国連安保理で包括的な解決を目指すことになるとみられるのだ。

 問題は、北朝鮮が今後安保理の決議も無視して査察の拒否を続けた場合の対応だ。現在、ブッシュ政権は外交手段での解決を目標に掲げている。しかし、北朝鮮が核開発を放棄しない場合、米国内には軍事行動を視野に入れた強硬策をとるべきだとの主張が出るのは確実である。

 一方、北朝鮮と国境を接する韓国、中国、ロシア3カ国は戦争につながりかねない強硬策には同調しないだろう。日本も米軍基地をかかえ、万一の場合には軍事行動の一方の当事者にかりかねない。現在の日米韓中ロの包囲網にも限界があるのだ。

 韓国次期大統領の有力候補盧武鉉氏は12月10日、ロイター通信の質問に答え、「核問題は圧力ではなく、時間がかかっても期限を切らず、対話で双方の脅威を削減しながら解決する」と述べ、強硬策に反対している。

 しかし,ブッシュ政権にとっては韓国の太陽政策の破綻をなんとか現出させ,強圧的に北朝鮮の体制打倒にもっていきたいだけに,今度の大統領選挙の行方に重大な関心を払っているはずである。



カルメンチャキ |MAIL

My追加