観能雑感
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2006年07月29日(土) |
セルリアンタワー能楽堂5周年記念 ―宝生― |
セルリアンタワー能楽堂5周年記念 ―宝生― PM4:30〜
チケット発売日、開始時刻から30分後くらいにようやくつながり、その時点で中正面は観難い席ふたつしか残っていなかった。しかし当日は脇正面、中正面ともに空席が少なからずあり、複雑な気持ち。
解説 三宅 晶子
本日の番組についての解説。熊野の本尊については興味がないのか、かなりなおざり。専門外ということなのだろう。
仕舞 『春日龍神』 金井 雄資
狂言 『秀句傘』 シテ 山本 東次郎 アド 山本 泰太郎(実際には則秀)、山本 則重
近頃流行している秀句というものを自分も習いたいと思い立った大名は、太郎冠者に適任者を探しに行かせる。居合わせた奉公先を探している笠張り職人が傘の秀句なら出来るというので連れて帰り、大名の前で秀句を披露させるが、大名には何のことか解らず怒り出す。太郎冠者からあれが秀句というものだと言われると、今度は一言言うたびに扇、太刀などを与え続け、ほとんど丸裸の状態になってしまう。 当事者はそれぞれ真面目なのだが、話が噛合わないまま進行。訳もわからないまま傘職人の秀句を褒める大名の様子が滑稽。職人からもらった傘を手にして小唄を舞い謡い、秀句とは寒いものだとつぶやく姿は可笑しさと同時に哀れでもある。見栄ははらない方がよいということか。一番賢いのは、褒美をもらったらこれが潮時と素早くその場を後にした笠張り職人であろう。 代演についての掲示、アナウンスは一切なし。なぜこういう基本的なことができないのか。
能 『巻絹』 シテ 三川 泉 ツレ 大友 順 ワキ 舘田 善博 アイ 山本 則重 笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 柿原 弘和(高) 太鼓 観世 元伯(観) 地頭 小倉 敏克
大友師、カマエの重心が後ろにあるように見え、少々気になる。謡は粗があるわけではないが、道行の風景が浮かんでくるまでには到らず。 シテの幕内からの呼びかけはさすがで、ただならぬ気配が少しずつ押し寄せてくる感じ。水衣に腰帯、大口という男性的な扮装が基本の観世流とは異なり、長絹姿。烏帽子をかけているのは同じ。面は解説でも触れられていた泣増で、冷たい硬質な美しさ。クセのあたりでウトウトしてしまった。 解説では神楽で徐々に神懸りになっていき、神舞で神が憑依するというような意味の説明があったが、シテは登場時から音無明神が憑依した巫女であり、巫女そのものの人格が表にでることはないままである。よって曲趣を考慮すると、神舞になおらない総神楽こそ相応しいのではないかと思う。とはいえ、速すぎず、軽すぎず、見事な位取りの神舞であった。 憑依が解け、弊を捨てるところは観世流のように放り出すという態でなく、正先で立って両手を挙げた状態から自然に後ろに落としており、本人の意思とは関係なく憑依され、また解放されるという精神状態の在り様を示していた。 地謡前列は五雲会のシテもまだつかないほどの若手。精進していってもらいたい。 目に留まる箇所はあれども、引き込まれることがなく、この方としてはいまひとつの出来。体調が思わしくないようにも見えた。
公演が割高なためあまり来ない能楽堂だが、今回改めて気になった点は施設上の不備である。照明は徒に明るく、色調もよくない。空調は半袖の上から長袖のカーディガンを着ていても寒さを感じるほど。堪らず配っていた毛布を受け取る。そもそも夏の演能事態本来無理があるので、演者のことを考えると見所が少々寒いのは致し方ないが、少々行き過ぎている。そして最も気になるのは音響の悪さである。伸びが悪く、舞台の上だけで音が行き場なく渦巻いている感じ。新しく作られた舞台なのに、惜しいことである。
能楽座自主公演 ―八世観世銕之亟七回忌追善―
昨年に続き追善公演の能楽座。もう七回忌なのかと時の速さを思う。 平日の夜の公演のため指定席を取ったが、正面席の地謡座寄り最端で残念。能楽堂の座席はどこに座っても一長一短で、この席の良いところは揚幕をほぼ正面から捉えられることであろう。 プログラムには出演者による銕之亟師の思い出が綴られ、中でも片山九郎衛門師のものは、ご当人の置かれた立場に由来する複雑な感情が表出し、胸に迫って来た。 W杯の余波で睡眠リズムが狂いまくり。歩いていても眠気を感じるような状態。今年最高の暑さとすさまじい湿度でぐったり。以下簡単に。
舞囃子 『当麻』 片山 九郎右衛門 笛 藤田 大五郎(噌) 小鼓 曽和 博朗(幸) 大鼓 山本 孝(大) 太鼓 金春 惣右衛門(春)
九郎衛門師の舞姿を観ていると、身体を捩って向きを変えるという、その一点を取っても表現になるのだ、ということを強く意識する。ベテラン揃いの囃子だが、段が進むにつれて飛翔していくような早舞の感覚を得られず。
小舞 『景清』 野村 万作 『楽阿弥』 山本 東次郎
地謡の能力の差が明白に表れた。山本家は隙なく一曲を構成。
一調 『松山鏡』 観世 銕之丞 太鼓 観世 元伯
仕舞 『鐡輪』 粟谷 菊生 『綾鼓』 近藤 乾之助 『羅生門』 宝生 閑
宝生流は地謡を中堅以上で構成。安定感あり。乾之助師が脇座に近づいてくる姿は恐ろしく、女御でなくとも身動きとれなくなりそうな迫力があった。
一調 『琴の段』 観世 榮夫 小鼓 観世 豊純
計らずして、一調の面白さを実感した。
一管 『平調音取』 松田 弘之
雅楽と同じく、能楽にも各調性に音取があることは、玄人でも知る人はほとんどいないとか。音階楽器は能管のみという事情がそうさせるのではないかと思う。このように舞台での演奏を耳にする機会は皆無と言っていいので、今回非常に貴重。松田師はこの音取をとても大切にしていらっしゃる模様。平調は秋の調子。一瞬秋の山の中で風に吹かれているように感じた。
独吟 『狐塚』小歌 茂山 千作 『小原木』 茂山 忠三郎 『私が一番きれいだったとき』 茨木のり子 詩 茂山 千之丞
千作師の謡に労働歌の中にある楽しみというものをふと感じた。千之丞師はこの現代詩をどう謡うのだろうかと興味があったが、狂言の発声はそのまま活かされていて、大仰にならず。最後に虚無が漂った。
能 『恋重荷』 前シテ 大槻 文蔵 後シテ 梅若 六郎 ツレ 梅若 晋矢 ワキ 福王 茂十郎 アイ 山本 泰太郎 笛 藤田 六郎兵衛(藤) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 安福 健雄(高) 太鼓 三島 元太郎(春) 地頭 観世 榮夫
前後でシテが変るのは、役者の登場機会を番組を延長することなく増やすための措置だろうか。前シテが登場し、重荷を持ち上げようとするあたりでとうとう眠気に勝てず、気が付けば退場間際。素早く二歩進み立ち止まって振り返る姿に怨みの深さが見て取れる。 後シテが近づいてくるも、恐怖のあまり身動きとれない様子をツレが上手く出していて、緊張感が高まった。
芸熱心な出演者が多いせいか、幕の隙間や見所の後方から他の出演者の舞台を見ている姿が散見された。
W杯についても書きたいけれどどうなるか不明なので、カンナヴァーロについてのみ一言。カンベエ様流に言うならば「惚れた!」「そなたの腕にな!!」というところ。素晴らしかった。
こぎつね丸
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