働かざる者くうねるあそぶ(←懐かしい…) - 2004年10月29日(金) 彼の地では俄に”救援物資余り”が問題となっているようで…。送っている方は善意なだけに、何ともはやビミョーな感じです。贈り物って難しい。ほんとうに、難しい…。 一番良いのは、落ち着いて来た頃にあちらに行って、沢山お金を落として遊ぶことかも知れません。越後湯沢温泉に豪遊の旅。すてき〜(うっとり)時間を作って是非行きたい! 小千谷縮の一着を誂えるのもいいかも。染めの麻帯と一緒に(うっとり) ↑いつ着るの?という無粋なツッコミは受け付けておりません。悪しからず。 いやぁ、今日は実にヒマでした。 ええ、もうびっくりするほど働かなかったですとも。 〜レイナ女王様のある優雅な一日〜 8:30 受け持ち患者さんをひとりで回診。今日は皆落ち着いている 9:15 病棟回診スタート。ガーゼ交換・抜糸・洗浄なども 11:00 病棟回診終わり。病棟業務だ 11:20 病棟業務終わっちゃったので早めの昼休み。仮眠室に寝に行く 12:30 目覚める 12:40 医局にて昼ご飯の途中、上級医Mi先生の患者さんがいよいよ…との連絡を受け、病棟に向かう。でもまだしばらく大丈夫そうだった 13:00 腹腔鏡下胆嚢摘出術の第二助手。ああカメラって難しい…(鬱) 15:00 仕事がないのでサマリを書きにカルテ室へ。しかし事務員のおばちゃんにつかまり話に付き合わされる 16:30 流石に嫌になり切り上げる(サマリは2つしか完成しなかった!) 16:35 ちょっと休憩(仕事してないけど…) 17:00 受け持ち患者さんを回診。いつもよりゆっくり時間をかけよう 18:00 カルテを書きながら同期Y先生にちょっかいを出して遊ぶ 18:40 余りにヒマなので受け持っていない患者さんのカルテまで読む 19:00 医局にてひたすら糸結びの練習。『暗いぞ』とツッコまれる 19:20 同期のY先生と麻酔科ローテ中のS先生が来たのでお茶 19:30 何故か消化器内科オーベンのH先生まで混じってた 20:00 帰る 今日手術の予定だった患者さんが複数人、熱を出したり検査の値が思わしくなかったりで手術延期になっちゃったので、このような具合だった訳ですが。改めて書き出すと、マジでさぼり倒してますね、私(呆) ま、こんな日もありますわよ。おほほほ。 今日のしわ寄せは来週の月・火に…。いや、考えない!考えないぞ!! タイトルネタ。 『くうねるあそぶ』 日産セフィーロのCMのコピーでしたね。 当時私は中学受験の準備中くらいだったかなあ。うーん。随分昔ですね。 それから少し時間が経って、二十歳前後になってからの事。 とある悪友(♂)がこう宣いました。 天変地異雑記 - 2004年10月24日(日) 最近、大きな自然災害がいくつか相継いで起こりましたね。本当にどうしてしまったのでしょうか。被災された方と被災者につながる方、それぞれが心を痛めておられることと思います。 何も出来ない自分が歯がゆいですが、どうぞ、ご自愛くださいませ。 とある、阪神淡路大震災を経験された方が、日記に書いていらしたこと。 それにしても、報道関係者だけは地震や水害の直後にヘリを飛ばすのを止めてほしいです。倒壊した家屋の下敷きになった人の声がヘリの騒音で聞こえなくなるのですよ。 阪神大震災の時にもこれで助けを求める人の声がかき消されたんだから・・・。 うーむむむ。なるほど。 近畿圏に居ながら、それに気付かなかった想像力の欠如を、深く反省。 災害医療を考える際、抜きにして語れないのがトリアージ(※注1)です。 〔※1:triage。えり分ける、分類するという仏語から来ています。負傷者が同時発生した場合、患者さんの状態に応じ、搬送先を決定したり、治療の優先度を決めることを言います。〕 世の中にはトリアージ・タグ(※注2)というものがありまして。 〔※2:こんなのです。一定学年以上の医学生なら誰でも知っている筈。国試にも出る。〕 黒い印は『死亡群・不処置群』とされています。生きていたとしても、助かる見込みの無い人に対しては、何もしないのですね。 学生時代、初めてトリアージについて習ったとき、納得する一方で、例えようもない違和感を感じたことを思い出します。非常時だから仕方ないけど、放置するの…?という、すこぶる感情的な反応です。 医療をおこなう立場としては、プラグマティズム(ん?ユーティリタリアニズム?) 的にならざるを得ないのですが、昔から『命というものは尊くて、平等な物だよ』という教育を受けて来たことが、それを選別するということに対して、罪悪感(のようなもの)を抱かせるのかも。 尤も、公平であろうとするからこそ、”助かるか否か”という明確な基準に従って、トリアージをするのであろうとも考えられますけれど。 最近この辺にあまり違和感を覚えなくなってきたのは、成長の証し? フツーの感覚を忘れた人種が出来上がる構図、だったりして。(あーあ) 先日の台風23号で、同期のひとりY先生@一緒に外科ローテ中のおうちが、床上浸水の被害に遭ったそうです。 いえ、実家ではなくて下宿のほう。大阪市内のマンションのしかも6階です。 …ん?6階?? …Y先生(※注3)(泣)…。 〔※3:彼女の名誉のためにおことわりしておきますが、Y先生は非常に能力の高い優秀な研修医です。でも、それを鼻に掛けたり、人を見下したりは決してしません。いい子だー。何より、ネタも一杯提供してくれるしね(笑)〕 ... 医者の不養生(ベタ) - 2004年10月20日(水) ぷち・ぐち - 2004年10月19日(火) 病院というのは、お薬や機械なしにはやっていけないところです。 てな訳で、製薬会社や医療機器メーカーから、新製品やイチオシの商品のプレゼンをしに来てくれることが結構あります。 (※宣伝なのである種フィルターは掛かっていそうですが、最新の知見を聞けたりして、結構タメになります。営業の方は、当然とはいえ、よく勉強しておられて凄いなぁと思うのです) プレゼンの資料と一緒に販促の為の”グッズ”が入っていたりして、小さな幸せを感じます(←単純)。ついでにお弁当やクッキーの箱がついていたりすると、お腹をすかせた研修医には感涙モノ。大喜びです。 初体験・ア・ゴーゴー - 2004年10月14日(木) わたくしも先日やっとIVHカテーテル挿入の機会に恵まれましたん♪ ※IVHに関しては10/4の日記をご参照あれ。 それは当院某科よりの依頼から始まりました。 要は食欲不振の患者さんにIVHを入れて欲しいということだったのですが、周辺の事情が色々とあって、依頼を受けた外科の医長のひとり、A先生が大激怒なさいまして。 『馬鹿にしてんのか?(※注)あんなもの基本の手技やないか!』 〔※まあフツーは自分の科で入れますね。どうしても難しい患者さんだったり、全身管理をあまり行わない科であれば外科に頭を下げて頼む事もあり得るので、そんな怒らなくても…とは個人的に思うんですが。まあ、本当に色々あった(詳細は控えますが…)し、仕方ないかな。依頼元の先生は常識的に考えたらIVHをマスターしてて当然の科と経験年数だし〕 『よっしゃ。1年目研修医でもちゃんと入れられるって見せたるねん。レイナ先生、キミにやって貰うから本読んで勉強しといてな』 …何か嫌がらせの道具として利用されている気がしますが、チャンスではあります。慌てて手技書を繙き、手順を復習。 かくて、初体験はギャラリー6人(依頼主の先生含む)という奇妙な雰囲気の中、進められたのでした。手技そのものはA先生の丁寧なご指導のもと無事一回で成功。 『よっしゃ入ったな!オレが入れるより遙かに早いぞ!天才的や!!』 …先生、コワイです…。当てつけ過ぎですってば…。 女王様、外来にてコーハイちゃんを縫う - 2004年10月12日(火) 世の中は3連休だったそうですが、あんまり実感のない今日この頃、皆様お元気ですか? ま、何せ入院しているのは手術した(する)人ばっかりですもの。仕方ありませんね。 でも、外科の先生って本当にタフね…(遠い目) 火曜日の朝〜午後は指導医Mi先生@4年目・新婚!の外来に付かせて貰っています。処置・小手術など沢山見ることが出来て、勉強になります。 さてさて。勤務先の某病院は、私の出身中・高からほど近く、何というか”某校御用達病院”の感じすら漂っています。 昼前、保健室の先生から電話がかかってきました。 『中2の男子がガラスで両手をざっくり切ってしまったんです〜』 おまけに眼にも何か入った様子だとか。あらららら。可哀想に。 して、彼は眼科外来を受診の後、外科に来ることになったのでした。 本日の外来、最後の患者さんです。 心配げな保健室の先生とお母さんに付き添われてやって来た後輩クン、縫われるほどの怪我は初めてとあって、緊張気味。気を逸らしてあげたくなって、自分も某校の卒業生であることを明かし、学校トークをしながらの処置となりました。 細かい傷はイソジンで消毒、右手の大きな傷はナイロン糸で縫合します。 Mi先生がすいすいと4針縫って突然、 『じゃ、最後の一針は先生が掛けて…マットレス縫合、器械結びな』 『(ひえっ)はい…』 ポイントポイントを指導されながら、どうにかこうにか…。 いやぁしかし、10年以上も経つと学校も色々と変わる物ですね。やっぱり。 一方で、よく知っている先生が今も居られたりして、少し懐かし気分。 ※おいおい処置中だったんじゃ… その後輩クンの学年の学年主任は、何と私が中2の時担任だった先生で、 『あら、じゃあ、よろしく伝えてね〜(笑)』なんて言ってた訳ですが。 女(わたし)には向かない職業(おしごと) - 2004年10月04日(月) 10月最初の月曜になりました。いよいよ外科ローテ(3ヶ月間)の始まりです。 外科。気付いたらスーパーローテ制度が始まり、必修科として廻ることになっていた訳ですが…。正直、外科に所属するなんて、自分でも意外。 だってわたくしって―― (1)体力がない。それはもう圧倒的にない。 (2)伝統的体育会系ノリには(恐らく)馴染めない(と思われる)。 (3)立体構造物の把握が出来ない。典型的『地図の読めない女(※注)』。 〔※まあ、わたくしの場合は話も聴きませんけど。おほほほほ。〕 学生時代の臨床実習で、とある外科系の科に馴染めなくて、辛い辛い一週間を過ごした後、実家に帰って父@実は外科出身に思わず 『お父さん、私、外科には進まないと思います…』 っと弱音を吐いたら、 眠れる森の美女(若しくは三年寝太郎) - 2004年10月03日(日) スタートは週明けが良いだろう、ということで突如頂いた3日間のお休み。 金曜日は丸一日同期の女医Y先生@超天然エセ京都っ子とお買い物&ごはんでデート。学生時代に戻ったようなただただ楽しい一日でした。 で、疲れたわたくしは、帰宅してすぐ眠ってしまったわけですが。 翌日(土曜日)起きたら時計が8:00を指しているんです。 でも、どことなーく窓の外が暗いわけです。 賢明な読者の皆様ならお分かりでしょう。 夜8時だったということを…。 連続睡眠時間22時間。その間一度も目覚めず。びっくりです。 しかし、私はまだまだ疲れておりました。 疲れの正体は不明ですが、とにかく身体が休養を欲していました。 というわけで食事とトイレのみ済ませ再び眠ったのですよ…。 目覚めると今度は、 日曜日のお昼でしたとも。 ええ。 さらに連続睡眠時間14時間。先の睡眠と足せば36時間。 もはや意味不明。…ってか病気? …ええと、まあ、お陰様で、かなり楽になりました。 が、折角の連休、何か損した気がするのは私だけ? いえ、いいんですけども。。。 ...
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