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■ お誕生日ベア+移植7
お迎えに行ったら寝てました。 抱き上げても起きなくて 風もあって寒いのに外に出ても寝てました。
洗濯物はきょうもいっぱい…。 昨日もいっぱいだったんだよっ。 私2〜3日に1回しか洗濯しない人なのに。
連絡帳に 「歌を歌ってトントンしてあげたら 寝てしまいました。 保育園では初めてのことです」 と書いてあった。
最近また寝る時に歌ってあげるようになったのでそのせいかな?
でも寝る時の歌なんて良くわかんない。 ねんねんころり〜とか歌詞わからんので ななつのこ・シャボン玉ほぼエンドレス。 ちなみに今日は30分ほど歌って聞かせてました。 寝てくれなかったけど…。
たぁはスナック菓子が好きみたい。 子供ってみんなそうなのかな? たぁはまだ赤ちゃんだけど。
キューピーのおやつシリーズを買ってあるのだけど それの『おやさいぽん』を良く食べる。 一緒に買った『ゴマクッキー』よりずっといいみたい。
母はゴマクッキーの方が美味しいと思うんですが…。
あとね、お誕生日のベアを貰いました。 Meijiのチョコのおまけの2002バージョン(?)。
妹1が初期のものをコレクションしていたのよね。 今はクマコレクターになりつつあって うちのくまのぬいぐるみを見て「もらっていいの?」 とか聞いてくるのよっ。 それはたぁちゃんのクマちゃんです!
で、妹1が自分のとしゅうとたぁのをゲットしてきてくれまして。
妹1のはパッチワークっぽい普通のクマ。
私の誕生日のベアはなんだろうな〜。 レアものだと嬉しい気がする。笑 ちょっと探してみたくなっちゃった。
* 移植 〜星になる〜 *
ごめんなさい。もう一つだけ。 この話も別の日記で書いたものでもあるんですけど。
2001年、夏。 妹と仲良くなった子Sちゃんが手術しました。
うちと同じ血液型違いの移植です。 提供者はやはり彼女の母上でした。
妹の手術って1999年だったんですねぇ。 今更ながらしみじみと思ってしまった。 もう3年も経つんだなーと。 2000年には妹が出来ちゃった結婚。 2001年には私が産んじゃった未婚。(オイ^^;) ここ3年の冬(出産は冬だし)は激動の年だったんですねぇ…。
Sちゃんの話に戻ります。
彼女は3人兄弟の末っ子で 確かに末っ子〜〜と思わせる性格をしていました。
でも人懐っこい子で嫌いではなかったです。
年は私より一つ下妹より一つ上でした。
彼女は6〜7年前突然腎不全になったそうで 大量の出血をしたりと大変だったようです。 私たちが出会った当時、彼女血液透析のほうをしていました。 ※透析は2種類。 病院に通院して行う血液透析 自宅で夜行う腹膜透析があります。 血管から入れるか腹から入れるかの違いなのかな。
腹膜の方は相性が悪かったらしく血液の方でした。
「私の血はほとんど他人のだよ」と言っていたと記憶しています。
家族は助かるのなら・少しでも良くなるのなら 提供したいと考えていたようですが 彼女は最初、移植に乗り気ではありませんでした。 リスクの大きさを考えればそれは当たり前の事です。
でも移植をして順調な妹の姿を見て 私もやってみようと言う気になったようで その年の夏に手術をすることになったのでした。
それを聞いたのは春に焼肉を食べた時。
SちゃんとSママとうちの妹と母と それからSママのお気に入りだったので私も行って 手術が終わったら温泉でも行こうね 今度はSちゃんちの方で食事しようね なんて話してました。
結果を言うと手術は成功しました。
術後も特に問題はなく 通院がてら妹はお見舞いにも行っていました。
暇そうだから今度はゲームのソフト持って行ってあげるんだ。 お見舞いから帰った妹はそう言って通院の時だけでなく 顔を出していたようです。 ※片道1時間なのでしゅっちゅういけたわけではないけど。 妹はこの年から専門学校に通い始めてたしね。
無菌室で1日のほとんどを一人で過ごすつまらなさ ベッドにつながれてるような状態でいる 妹はそれを良く知っていましたから。
それにSちゃんも妹の入院中に 何度も遊びに来てくれていましたし 二人とも仲良かったですから。
9月のある日曜日の朝。 そのSちゃんから着信がありました。
慣れない学校生活で疲れていた妹は その着信に起きてから気づきました。
まだ病院だよねぇ? 病院でも携帯使ってたけどさ。 でもこんな早くにどうしたんだろう?
そんな事を言いながらかけなおした妹。
その電話の後、妹の口から出た言葉は 「Sちゃんが死んだって…」でした。
携帯にかけなおしてみると出たのは彼女の兄弟で かけたのもその人だったようです。
しつこいようですが手術自体は成功していました。
けれど無菌室から出るのが少し早かった彼女。 ちょうどその頃、何日か冷え込んだ日があって その時に風邪をもらってしまったようです。
菌に極端に弱くなっているその時期に。
彼女の最後は壮絶だったと聞きました。
血が、止らなかったそうです。 穴と言う穴から流れ続けていたのだそうです。
色白だった彼女を思い出しました。 それをただ看取る事しか出来なくなってしまった 彼女の家族は身を切るより辛かったと思います。
彼女の葬儀には母と妹が参列しました。
その場では声をかけることは出来なかったようですが (旧家なので人がいすぎて近づくことも出来なかったようです) 後日、彼女のお母さんから電話があって その時に色々話したようです。
Sママは少し後悔していたようです。 参列した方に言われた一言で。
「手術をしなければ生きていたかもしれないのに」
確かにしなければ生きていたでしょう。 人より少し不便な生活を続けていくくらいで たまに入院が必要になることもあるくらいで 今は生きていられたでしょう。
けど、移植は彼女の希望でもあったのですから それは違うと母は言っていました。
Sママは誰かにそう言って欲しかったのかもしれません。
==============★*=====
移植について長々書いてきましたが 決して移植を勧めているわけではありません。
リスクも伴いますし、家族の負担だってあります。
私は心的負担が大きかったと思ってますしね。
もしダメだったら婿をとって跡をついで… 父から移植をして、とか。 手術前の私は元気で前向きでしたが 実際は駄目だった時のプレッシャーもありました。 最悪の場合、妹も母もダメって事か?と。
Nは何か感じたようで、大丈夫なのかと聞かれました。 「全部終わったらさなが死んじゃいそうな気がする」と。 言われて初めて自分が無理していた事にも気づいて 不覚にもぼろぼろと泣き出してしまいました。
話は変わりますが 私はドナーカードは持っていません。
ドナーになるなら自分の身内に対してなりたいと思ったからです。 妹が移植をする前にもう一人の妹と そういう話をして持たない事にしました。
私も妹も将来母になる事を考えて。
産まれた子が健康ならば問題はないけれど そうでなかった時に自分達もまた 母と同じ道を選ぶんだろうなと思ったからです。
ドナーカードは絶対的な強制力は持ち合わせていませんが でももし自分に何かあった時に 他の誰かに差し出してしまうのなら…と思っていました。
実際は何かあったとしても 移植に対応する病院は限られていて 提供するまでに至る事もなく… と言うケースが多いそうですけど。
現在進行形で移植に踏み切るかどうか悩んでいる人もいると思います。
移植手術を受けさせるのは、子供が小さくて 自分の意思で受けるのでなければ、それは親のエゴでしょうね。
それがいけない訳ではないけれど。 親のエゴだと思って悩む人もいると思います。
治るものなら治してあげたい 変われるものなら変わってあげたい と思うのは親としてごく自然な感情だと思います。 私もそう思っていましたから。
けど、限りある命を全うさせてあげるのも 親として出来る事なのではないかもしれません。
幸いな事にたぁは何の障害もなく産まれ 今もすくすくと育っていますが 時々考える事があります。
もし今と違う未来に私とたぁがいて 移植するか否かに直面していたら 私はいったいどっちを選んでいるんだろう?
答えは永遠に出てこないのでしょうけど。
==============★*=====
サブタイトル「星になる」は3重の意味を込めてつけました。
一つは月並みですが星になってしまったこと 二つは彼女の名前に「星」の字があったこと 三つは私のお腹にいた小さな子供の事。
私が出産を決めた理由の一つに星のカードがあったせいです。
****** 移植のことについての日記で 不快感を感じた方がいらしたらごめんなさい。
エゴとか書いてますけど 手術を受けさせる親を非難している訳ではありません。
2002年11月28日(木)
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