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「子供一人ひとりのよさや可能性」を尊重する教育は、 百人の子どもがいたら百通りの「よさと可能性」を尊重した教育をめざすことになる。 だが、果たして学校にそんなことができるのか。 それが原理的に不可能なことは、論証するまでもない。 ところが、この論理的な矛盾を曖昧にしたまま、 できるだけ子供の主体性を尊重した教育を行なおうとする。 そうすれば、当然のことながら、 学校や教師が見なす限りでの「よさや可能性」を生かした教育にしかならない。 社会の維持、存続にとって必要だという合意のうえに、 伝達されるべきとされる知識やスキルを、 税金を使ってできるだけ多くの子どもに身につけさせようとする。 これが公教育の基本的な役割である。 この役割をはずしてよいのであれば、公教育は必要なくなる。 つまり、一人ひとりの子どもの「本当の自分」を大切に扱うレベルまで、 公教育には個別化した対応は求められていないのである。 そもそも「本当の自分」というフィクションを相手に、 税金を使って巨大な学校システムを動かすことなど無理ばかりか、 まやかしでしかない。(刈谷剛彦『なぜ教育論争は不毛なのか』)
「そんな普通の人生で良いのか? その他大勢に埋もれても良いのか?」
「僕は普通の幸せを願ったんです。だからもう、戻れません」
別のタイミング、 別の形で出会えていれば、 もっと深い関係になれたかもしれない。 そういう人が存在する。 そのタイミングや形が、 人と人との縁というものなのかもしれない。
「実は君には期待していたんだ。でも、仕方がないね。 もう決めてしまったんだから。私は強制できる立場にはない。 君がこれまで私とやってきたことは、きっと無駄ではないと思う。 それに、これで縁が切れてしまうというわけではないしね」 (2004/09/25)
「君が来たいと言えば、席を用意する。良い返事を待っています」 (2005/04/06)
一度あなたの元を去った僕を、 もう一度誘ってくれて、感謝しています。 今度は期待に応えたいと思います。
すべてを兼ね備えた会社というのはなくて、 行かないことに決めた会社でも、 非常に魅力的な側面を持っていたりする。
ある場所に決めた瞬間に、 それまで持っていた他の全ての可能性は失われる。
「一緒に働きたかったので、残念です。 他社にお行きになるということですが、 その会社がうらやましい。 是非、社会の中で活躍されることを期待しています」
君の砕け散った夢の破片が 僕の胸を刺して 忘れてはいけない痛みとして刻まれてく 花のようにはかないのなら 君の元で咲き誇るでしょう そして笑顔見届けたあと そっとひとり散って行くでしょう (浜崎あゆみ『Moments』)
2005年04月01日(金) |
NEO UNIVERSE |
おそらくこの一ヶ月の間に 今後の大きな進路が決まるだろう。 決断までの時間は もうあまり残されていない。
あなたは風のように優しく 鳥のように自由に この世界をはばたく 恐がらずに NEO UNIVERSE (L'Arc~en~Ciel『NEO UNIVERSE』)
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