ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2015年06月30日(火)

元同僚がお亡くなりになった、と聞いた。

半年ほど前の事だという。
ご家族の意向で、内々に済ませたとのことで、今聞くことになった。
私より一回り上だが、それにしたって若い。

最後に会ったのは数年前の同僚の送別会だと思う。
みんなたくさん飲んだそのときに、
「うーん、好みで言うと正直あなたじゃなくてAさん(既婚)のほうなんだよね、
でも一度は何かあってもよかったかもしれないと思う」
と面と向かって言われて、あーまあそうですよね、と妙に共感したのを覚えている。

昔の会社の仲間に連絡するのがどれだけ気が重かったか。
久しぶりの連絡があまりいいお知らせでないことが。
なにか「結婚したってよ!」でもいいし、「私結婚するんだけどね!」とか、
そういう連絡がしたかった。

前の会社から長い間一緒に働いていた同僚に連絡をしたら、
どうにもしみじみしてしまった。

後輩に連絡した時にも気が重かったが、それ以外の近況報告では、
後輩のあまりのカスっぷりに笑えてしまい、ちょっとそれが救いになった。
ちょっとだけだけど。



2015年06月11日(木)

少し前にわずかな昼休みの時間に母と会った。

私が実家に忘れていたものを届けにきがてらドライブをしたらしいが、
私と話したのは母だけで、父もいたが父は車から出てこなかった。

あとで母が大きい車を運転していて大丈夫かと聞いたら、
父が車を運転していたと母は答え、
その場にいたじゃないか、とムッとした父の声が聞こえてきた。

母はいつもより優しく、あわただしくして帰って行った。
母からもらったおにぎりがとてもおいしくて、会社に戻る車で涙が少し出た。
食物をたくさんもらってとても嬉しかったが、帰宅が夜遅すぎて夕飯が入らない、
そんなこんなで全部食べきることができなかった。

そんなことで、もう帰りたい、もう無理だ、と思う。
心が安らぐところが、今の場所にはあまりない。
誰と接しても軽い話だけで、それが救いになることも多々あるが、
今は趣味(でも忙しくて通えない)が辛うじて今の場所にとどまる理由で、
それが忙しくてできないとなると、こんなつらい場所で何を楽しめと。

昼休みの短い時間に母と話したことや、姉と旅行に行って話したこと、
そんなことを考えていると今の場所にいる意味が分からなくなりつつある。

仕事をしている時の充実感はそのときの一瞬はそれでいいが、
それ以外の私に何が残っているのかがさっぱりわからない。


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襖 [MAIL]