ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2004年01月11日(日) また移転します

ひとまず、移転します。新しい日記の場所は、
襖日記
です。ここは私の足跡として、またenpitu日記の読者としても必要なので残しておきます。こうして移転ばかり繰り返すと、ただでさえひっそりとした日記が、ますますひっそりとしてしまうので淋しいです。



2004年01月10日(土) 疲れ

どうしたらいいのかわからない。

一体何がしたいのか、今の状況がどう変わったら気分がすっきりするのか。
人にどうして欲しいのか、自分はどう動くべきなのか。
考えるほど苦しい。
勝手に一人で苦しがる性質を何とかしたいとは思うけれど、どうにもならない。

誰もかも何もかも全てが嫌になって、車で崖にでも突っ込んでしまえたらいいな…と思う事がたまにある。でも私の周りでは、姉も義兄も甥も母も父も皆今の状況で必死で生活をしている。周りがそんななのに、自分だけ楽をしようなんて甘いし、自殺者が身内にいる、そんな重荷を背負わせてはいけない。死ぬとなったら痛いのは嫌だ。死ぬこともできないし、生きているのも申し訳ない。まともに物が考えられない。涙もろくなった。



2004年01月07日(水) それは単なる思い過ごし

昨日の日記を読み返してみた。
よく考えてみたら、相手は私との関係など本当にどうでも良くて、私のほうだけが勝手に仲間だと思い込んでいたのだ、と思う。だから私が「弁護してやってんのに」と勝手に思うことも、内心うざったいなあと思っていたのかもしれない。もしも私が逆の立場だったら、「弁護してやってんのに」とお節介を言われたら、猛烈に腹が立つような気がする。

見返りを求めるのもよくなければ、勝手なお節介などなおさら良くない。
もうちょっとドライに人と接することはできないのだろうか、自分は自分、他人は他人、と割り切って考えられないものだろうか。

人との距離のとり方が、この歳になってもわからない。だから、一人でいて淋しいと思っても行動に移せない。本当は、沢山人と接することで自分は磨かれるはずだし、人を介して世界が広がっていくはずなのだ。なのに、人が怖いから一人で良いか、と思う。そうかと思えば、いったん身内意識が芽生えるととんでもないお節介焼きになる。

難しい。手詰まりだ。



2004年01月06日(火)

同期の子が結婚したのを、会社の友人に私が出した年賀状の返事で知ったという(つまり人づてにわかったということですね)事が、少し腹立たしい。

別に、彼女が先に結婚したのが面白くないのではなくて、ついに年賀状程度のやり取りの人にまでそっぽを向かれた、というのが面白くない。みずくさい、とか言うつもりはないが、義理立てしておいた人から義理が返ってこないというのは淋しい事だ。人の結婚はめでたいことで、それにけちをつけるつもりはない。が、そんな人のことを、今まで同期だから、まあ変人だけどいい人だから、とほかの人に対して弁護していた私は何だろう。
人に見返りを求めてはいけないのだろう。

会社では虫の居所が悪かったおばはんに当たられて、むかむかしながら帰宅したのだが、家に帰ってみたらこんなだ。何か見捨てられた気分だ。



2004年01月05日(月) 少し遅めの初詣

少し遠い神社まで初詣に行ってきた。
一度車をお払いしてもらったことがある神社なのだが、いざ自分ひとりで行こうとすると場所がわからない。今回はひとりで地図を見つつ迷いつつ何とかたどり着いた。

二礼二拍手一礼をして(本当にあってるのか?)賽銭を投げ入れた。順序が逆だと思うけどまあいいかと思いなおす。それにしても願い事はたくさんあるはずなのに、いざ賽銭箱の前に立ってみると、願い事を忘れて一心不乱に二礼二拍手一礼をしていた自分に気づいた。おかしい。

おみくじをひく。吉。
要するに「一見華やかに見えるが実を伴わないので浮かれないこと」ということらしい。華やかに見えるのならまあいいか。今の状態は派手な運勢からは程遠い。何か浮き足立つようなことがあるのならそれでいい。足元は頑張って見続けるようにはしたい。

お守りを買う。(確かこれって買うっていわないような気がするけど)
何種類かのお守りがあるのでどれにしようかとラインナップを見る。縁結びのお守りが欲しかったのだが、この神社はそういう場所ではないのだろう、気を取り直して普通のお守りを選んだ。

少しだけ、今年も頑張ってみようかという気分になった。



2004年01月04日(日) 怖い

たった2時間半ほどの車の運転中に、3回も「制限速度マイナス20km/h」の速度で走行する車の後ろについてしまった。そのうち2回は高速道路。

何も高速道路を60km/hで走ることないでしょう。確かにあなたは安全かもしれないけど、私も含め周りが事故を起こしそうでとても怖かったです。あと、その車を追い越すことができないために、その後ろにぴったりとくっついて走ったあなたも同罪です。車線変更が困難なほど道路が混雑していたわけではなく、むしろほかの高速道路より車が少なかったぐらいだったのに。

ほんとうについてない。



2004年01月03日(土) 悩み多き年頃

友人から年賀状が届いた。
彼女への年賀状に「2003年は思うところが多かった」と書いたのだが、彼女からの年賀状に「2003年は悩んだ」と書いてあった。お互いに去年が苦しい一年だったことが伺えて、少し心強く思えた。一人で苦しんではいるけれど、誰かに解決してもらうようなものではないけれど、本当の意味では一人ではない。そんな救いが見えたような気がした。

まあでもお互いに「苦しい苦しい」と思っているのなら、私が「どうして私がこんなに苦しいのに誰もわかってくれないのよぉ」と思うのはよろしくないな。それより何より、友人が何に苦しんでいるのかをちゃんと話を聞かないといけない。自分だけ苦しいとぶちまけるのではなくて。

年賀状本当にありがとね。少し泣いたよ。



2004年01月02日(金) 大丈夫なんだろうか?

初夢は酷いものだった。こんな初夢ならいらない。

なぜか忍者屋敷みたいなところに私と某若手女優がいるのだが、彼女が顔(口の辺り)を負傷してしまう。その負傷を、立ててあった鏡で見た彼女は、ぎゃーっと言いながら鏡を割ってしまうという恐ろしい夢だった。

鏡を割る夢、顔を負傷する夢、暗い忍者屋敷が出てくる夢。どこをどうとっても良くなさそうだ、厄払いでもしないといけないと本気で思い始めた。



2004年01月01日(木) 食正月

テレビをぼけっと見ていたら2003年が終わってしまった。そのあとは気がついたら炬燵でうたた寝、気がついたら朝だった。

姉家族も帰省せず(大人の事情があるのです、でも関係自体は悪くない)、弟からはここ何ヶ月か音信すらない。なので親子3人というとても地味な年越しをしたのだ。友人との接触が全くない年末だったが、これで私が2年参りに行っていたなら、両親二人だけの年越しだった、ということを考えると、これでよかったのだろう。こんなのんびりとした年越しを、今年の暮れにまた味わえる保証はない。

テレビで氷川きよしを良く見かけたが、彼の髪型(ここ最近の短めの)が私の今の髪型とほとんど同じで、何ともいえない気分になった。氷川きよし自体はかっこいいと思うけど。

食べるか寝るかしかしていないので、体を動かそうかと思って近所のスーパーの初売りに出かける。いくら食べることが睡眠よりも何よりも大好きな私とはいえ、食肉養成マシーンのような生活を続けることは難しい。スーパーには同じようなことを考えた人間が湧いた様に集まっていて、人に酔ってしまった。やはり人ごみは苦手だ。体をたくさん動かしたわけではないのに疲れた。こういう疲れは肥満の元になる。よろしくない。しかも家族連れ恋人連れが異様に多い。一人でいると人ごみの隅に追いやられてしまう。

両親が明日はお出かけだと言ってウキウキしていたので、明日は洗濯でもしてみよう。両親がいると洗濯も自分の思うままにいかないので、どっさりとためた洗濯物を明日片付けてしまおう。あとは読書、音楽。ひとりで優雅に贅沢に過ごすことにしよう。

今日は初夢を見たいのでちゃんとした時間に眠りにつけるといいなと思う。


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襖 [MAIL]