朝早く、お友達に送ってもらって空港へ。 セルビア楽しかった、また来るねとお別れをして、 スロ行きの飛行機に乗った。 ただいま夫、帰ってきたよ!
たった1時間少し北上しただけなのに、 スロはとっても寒かった。 セルビアに戻りたい。
朝から子供達になつかれる。
彼らは私の名前を覚えられないため、 「トトロ」と呼ぶことに決めたらしい。 親しみをこめてそう呼んでいるのは分かる。 しかし私は「ヘンな生き物」ではないのです。多分。 多少モニョったものの、 訂正するのも何なので、そのままにしておいた。
午前中は市場へお散歩。 午後は日が傾いてから、 近所のドナウ川まで出かける。
プラハで見る、穏やかなそれとは異なり、 セルビアのドナウは何だか男らしかった。 釣りに興じるおじさん達、 水着姿で頭を洗い、 シャンプーだらけのまま川に飛び込むおばさん達、 裸んぼの子供にお供の犬、 そんな人たちを全部包み、 しかし知らない顔で川は流れていた。
朝から雨。 ホテルをチェックアウト後、 4時間の暇をどうやってつぶすか考える。
まずコーヒーと本で1時間ねばる。 その後美術館で1時間を過ごし、 ちょっと疲れたので休憩しようとベンチに座ったところ、 突然見知らぬ女性から話しかけられた。
「こんにちは(←かろうじて分かった)、@□★ж♪▼」 「ちょ、すみません、セルビア語は全然わからな」 「★○%&#☆△!Й◎〓$〜ёβ」
1時間つぶれました。…ラッキー。
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そんなこんなでめでたく待ち合わせ時間となり、 セルビア出身のお友達と合流。 彼女のお家に向かう。
ベオグラード郊外の「グロツカ」という町は、 昔から果樹栽培が盛んなのだそうだ。 その影響で、町の外側は見渡す限りの果物畑。 霧に煙る緑の木々でも十分美しかったが、 春はいっせいに花が咲くそうで、 その光景は見てみたい。是非。
二泊することになるお友達の実家では、 家族総出の歓迎を受け、 ドナウ川でとれたという魚料理をいただいた。 レストランを経営しているため、 料理は最高においしかった。 満腹のまま就寝。
朝食はホテルで。 客室の様子、接客態度のよさから、 かなり期待して行ったのだが、 残念ながらコーヒー用のミルクが悪くなっていた。
予定より少し早めに出て、 ミハイル公通りのカフェで仕切りなおし。 がっつり濃い目のエスプレッソが目を覚ましてくれた。
それにしても、セルビアはトルココーヒー圏だと思っていたが、 案外イタリア式を出すところも多かった。 時代のせいかしら。 喫茶店をやっている両親へのお土産に、と目論んでいた トルココーヒーセットも見当たらず、ちょっと残念。 やっぱりボスニアまで行かなきゃだめなのかな… (素直にトルコに行けという話)
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ベオグラードに赴任している、 夫の先輩にご挨拶するべく、 1時間ほど歩いてその職場へ。 橋の向こうは新市街になっており、 背の高いオフィスビルや団地が立ち並んでいる。 同じようなスタイルの建物の林の中で見事に迷い、 先方に電話で泣きついてナビをもらい、 やっとのことで到着。 昼食をご一緒して、お互いの国について色々とお話した。
帰りもまた徒歩で橋をわたり、 何か買い物でもしてやろうと、 ミハイル公通りを北端からせめる。
が、いわゆる「お土産の店」がほとんど無く、 またもやコーヒーを飲んだだけで退散した。 思うに、観光産業はまだこれからという段階にあるのかも。
「モンテネグロが独立して海がなくなっちゃいましたし、 観光資源と言っても何があるのかなあ…」
とは夫の先輩の言葉。 ちょっと悲しい響きがあった。
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夕食時、折悪しく土砂降りの雨。 歩いてすぐのマ○ドでお持ち帰り。 昨日買っておいた缶ビールと一緒にもぐもぐやっていたら、 夫から電話があった。
「今日はTさんちで夕食だったの〜。それがもうおいしくt」
切ってやった。
朝、ホテルのレストランにて、 日本でやってるらしいバスケの中継。 ちょうどセルビアの試合中で、 客も従業員も一緒になって興奮していた。 残念ながら僅差で負けてしまったけれど、 終わったときは健闘をたたえて拍手が起こっていた。
ベオグラードには昼頃に到着。 参加者の方々とお茶をいただき、 シチリアへ帰るAさんとはここでお別れしてホテルへ。
部屋はかなり古びている上に、徹底的に狭い。 しかし掃除は行き届いており、好感がもてた。 夜行からの疲れが出て、少しお昼寝。
さて夕食はどうしよう。 近くに「スカダルリヤ」という、 レストランやカフェが立ち並ぶ通りはあるのだが、 コージ苑は一人旅の時には、 なぜかちゃんとした食事をしない。 よって、トルコ風のカフェに入ってEFESビール一杯と、 いかにもレンジでチンしました風のパスタを一皿。 通りを行きかう人たちを眺めたり、 持参した推理小説を読んだり。 こういう無言の時間が旅行気分を盛り上げるのだ。
良く考えたら、 やってることは自宅とあまり変わらないんだけど。
早朝、ベオグラード駅に到着。 まずは朝食をとって、脱「腹ぺこあおむし」をはかる。
待ち合わせ場所のホテルは、 各種店舗がたちならぶ「ミハイル公通り」にあり、 早朝からたくさんの人が行きかっている。 まだカフェは開いていなかったものの、 パンを売るスタンドが出ていたので、 適当にひとつ買って近くのベンチに座り込んだ。
睡眠不足の頭があまり働かないこともあり、 ぼーっと周囲を眺めていると、 明らかに自分より眠そうな日本人が前方からやってきた。 よくよく見ると、同行する後輩のAさんである。 聞けば、予約上のトラブルでホテルをたらいまわしされた挙句、 泊まった場所の裏手がカラオケボックスで、 朝まで素人ノド自慢大会を聞かされる羽目になったとか。
「やけ飲みしちゃいましたよ!…炭酸水を…」
ビールは高かったらしい。 泣ける。
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今回「出張」半分だといったのは、 顔つなぎと視察が目的のひとつだったため。 セルビアのY先生が行うワークショップに、 とある詩人がゲスト参加するのだ。 先の職場、L国でもお会いしたその方を 是非スロにもお呼びしたい!とかねがね話していたコージ苑、 この情報を聞いたときに、 職業意識と個人的興味が爆発したというわけ。
ということで、同行の方々と落ち合い、 南部の地方都市へ出発。 マイクロバスで3時間ほどの道のりは、 しじゅうガタガタゆれて寝るどころではなかった。 ああ、どんどん睡眠時間が削られてゆく。 隣のAさんは「ランナーズハイです」と半ばやけ気味。
ワークショップ自体のことは長くなるので割愛。 難民センターの子供、老人の方々など、 多くの人たちと一緒に動き、笑い、声を出した。 日頃「ボランティア」とは関わっていない自分だけれど、 今日会った人達全てにとって楽しい思い出になるようにと、 そんな風に思った。
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帰り道、列を成したポーランドナンバーの消防車とすれ違う。 ギリシャの方で山火事があり、 おさまる気配を見せないので近隣諸国から応援が来ているとの事。
出張半分、観光半分でセルビアへ行くことになった。
21時の夜行で出発。 翌日は朝からぎっちり予定が入っているため、 睡眠確保を当て込んでベッド座席を予約した。
しかし、夜のうちに国境を二つ越える、 イコール各2回+αの5回起こされる、 イコールろくに眠れない、という悲しい図式。
かつては国境がなかったその地域には、 見えない線がたくさん引かれています。
この一週間は外食続きで、 夫婦ともども胃腸がお疲れのご様子。 今晩はおなかに優しい献立にしようと思います。
玄米ご飯 糠漬け アジのひらき 豆腐とあさつきの味噌汁
…ここで出来ないものばっかり…(号泣)
一日中自宅にこもって発表準備。 息抜きにもならない「息継ぎ」の瞬間、 あるいは昼寝の誘惑に打ち勝つには 飲み物が欠かせないので、 コーヒーをアホかっつうほど入れる。
で、何か得体の知れない既視感を感じたので 過去の日記を見てみたところ、 ちょうど一年前の同じ学会の直前、 やっぱりコーヒー飲みながら準備してるけど 眠いのよね、という記述があった。
見事なほど成長しとらん…
同居を始めてから一応続いている夫のお弁当。 といっても朝10分で作るものなので、たかがしれている。
何かで味付けたご飯、 適当に加熱した野菜と動物性タンパク、 以上。 これを手ぬ…もとい、清貧といいます。
そろそろ週末だし雨は降るしで、 今朝は野菜の在庫が乏しかった。 豚肉ソテーのつけあわせに、 あるものを刻んで酢醤油で炒めて、 何とか量を増やして夫を送り出した。
昼、突然の電話がなる。
夫「からい!からいよぅー!!」 コ「…なにが?」 夫「お弁当からい!!」
あ、やっぱりきつかったか。 ピーマンが足りないので青唐辛子、入れたんだ。
夫は辛いもの好きなだけに 残さず食べてしまったらしいが、 正直すまんかった。
「時をかける少女」を観てみたいのですが、 ここにいる以上DVDまではお預けなので、 午前中は松任谷○美の同名の歌を聴き、 午後は手持ちのDVDを見ようと思います。
うーむ、なんと有意義な一日なんだろう。
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