ベルリンの足音

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2008年02月16日(土) 深まる孤独と戦う

常々このぐらいの年になってくると、人生どこまでも孤独がつきまうものだと実感する。

若い頃、実力以上の自信に支えられて、様々な可能性が目前に広がっていることは大きな快感だった。
辛い失恋を体験しようが、大失敗を犯して教授や上司に叱られ恥をかこうが、明日になればまた一からやり直せる。
そういう確実性があるうちは、孤独と折り合いをつけながら生きていくのはそう難しいことではないのかもしれない。

30の半ば頃だろうか、急に未来が狭まってしまったような間隔を覚えた。10年先にどうなっているか、さらに15年先はどうであろうか。そう考えた時、それはその道のりの上では様々な、予想の付かない出来事が起こるのであろうが、確実に現在と同じという事柄も多くでてくる。

家庭を持った以上、一応はパートナーと一緒にいることには変わりはないはずだし、子供がいればその子供は、確実に自分の下で育っていくのである。
学校へ送り出す作業や、解雇されるという事態に陥らなければ、仕事に行っている率も100パーセントに近い。
そうすると、日常にあまり変わりはないわけで、その中での可能性ということしか普通は考えられない。
それが心を息苦しくさせたのだろうか。

20代の頃のように、自分がまだ誰と一緒にいるのか、子供が出来るのか出来ないのか、果てはどこに就職するのかさえもわかっていない時代とは、はなはだその感覚に隔たりがあって当然だろう。

しかし、その頃からである。孤独感が募りだすのは。
孤独と引き換えに自由を手にすると先日書いたばかりであるが、今日は、自由が狭まった頃から孤独と対峙するようになったということを書いている。
結局、本当に自立した大人になって、人生の責任を全面的に自分自身で負うようになって始めて、自由の真価がわかるようになり、それと共に一人で人生を奮闘してゆかねばならない孤独に目覚めるのかもしれない。

とりわけパートナーとの間に感じる孤独感は、今の私の世代である40代あたりが一番強いような気がする。
見えなかった老いが、ちらっと見えたような気がしてくるのが40歳ではないだろうか。女性の場合、しわだとかたるみだとかいう問題が一番の現実かもしれないが、そういう身体的なことではなくて、自分が人生の折り返し点に立つと実感する時、老いという現実が遠目にだが向こう側に見えてくる。

仕事が満足がいかないから、方向転換したい。
そう思っても、今更大学に戻れる年でもない。生活上の責任ということもある。
パートナーと別離があったりして、一人でいるのが少し辛くなった。
そう思っても、とりあえずチャンスがあれば一緒になってみようという感覚で、取り組めるものでもない。
傷つくのも、つけるのも億劫だし、女性の場合は、それがやはりだめだとなった場合、時間をロスしたと痛みを感じるのではないだろうか。
さらに、やり直すといっても、もう子供を作って、本当の意味で家庭を築き直すということも生物学的時計の打つ時間というものが迫りつつある。

こういう現実を目の当たりにすると、老いという文字が急に映像化してくるような気がする。
そのときの孤独感は、夫婦で分かり合えないとか、子供と確執があるとか、そういう孤独感より更に一層深い。
命の限りを実感し、命の終わりが刻々と近づきつつある現実に対面した時の孤独感は、自分が一人の人間として、一人きりで地上に生まれ、一人きりで死んでいくだろう感覚を目覚めさせる。

ミッドライフクライシスという言葉の裏には、こんな深い孤独感、不安感が潜んでいたのかと、自分がその年齢に近づいてきてやっと理解できた。
ある意味、やけくそになったり、取り乱したりする人間もいるということすら自然に思えてくるから不思議だ。
それぐらい、ある人間にとっては、孤独感とは耐え難いものなのかもしれない。
しかし、所詮中年の危機で興した事業が成功するわけもなく、次から次へと新しいことへトライアルしても、それが本当に身につくのが難しいのが現実である。このあがきこそ、しかしまさに人間であることの証明かもしれない。
もう戻れない過去やもう持ち得ない若さへの、異常なる執着である。

ベルリンの私の住むこのボヘミアンな界隈では、多くの人間がこの30代後半から50代までの迷路に迷い込み、出口のわからぬままさ迷い歩いている。
しかし、どうも彼らは生物学的な若さを失いたいというより、孤独感に耐えられないと言ったほうが良いのかもしれない。
フリーランスでプロジェクトごとに仕事をして来た過去20年間。
家を買うでもなく、素晴らしい車に乗っているわけでもなく、もしくは結婚しているわけでもなく、子供がいなかったりする場合もある。
今まで一体、何を残して来たのであろうか、そう自分に問い続ける彼らに実感されるのは、深い言いようのない孤独感ではないだろうか。
それを肯定するために、彼らは頭脳を使った仕事をし、自分の存在価値を上げるために、自分にしかできない仕事をやり遂げようとする。
深い精神を持ち合わせてはいるが、自由と引き換えに孤独を買った人々である。それがこの時期になって大きな岐路に向かい合わなくてはならない。

家庭を持つなら今だろう。
財産を持ちたいなら今方向転換を決心する。
転職するなら今しかない。

様々な思いを抱えて、しくじったり成功したりするかわからない賭けに出る。
もしくは出ないのか。

しかし、孤独を抱えて自由の真価がわかるからこそ、自分自身と常に共にいることが出来るのである。
家族とか社会的システム、官吏システムなどに属して「安心」と「安全」と「共同体」という言葉を買わないからこそ、自分の魂を売る必要もないのである。
それが、根無し草といわれようが、自分勝手な生き方といわれようが、様々な生き方には、それなりの苦労があるわけで、決して非難できるという問題でもない。
自分自身といる人間は、自分に正直に生きていくことが唯一可能な人たちである。しがらみもなく、体裁も関係なく、経済的責任は自分ひとりにだけ課されたものであり、守るべき他の誰もいない。

彼らはそうして、更に孤独を貫く自由人と、孤独にこれ以上耐えたくなかった家庭遅れ組み、会社遅れ組みに分かれる。


自分の顔が毎日鏡の中で少しずつだが、確実に衰えていくのを見ながら、なんとなく沈んだ気持ちになるのは、身体的に老いる恐怖ではないようだ。

そうではなくて、刻々と狭まっていく人生の可能性の中に、自分の生きてきた意義、意味を見つけ出せるのか。
そう問いかける時の不安感である。
精神的な業績がよければよいという人もあるし、経済的成功の証明がなくてはだめだと感じる人もいる。

その内容はどうでも、これでいい。これ以外の生き方は無理だった。
そう言い切れる気持ちさえあれば、多少は救われるのかもしれない。

私は、それで問いかける。

これでよかったのか。
良かったという声と、もっと良いものがあれば、そっちを選択したいという二つの答えが聞こえる。
そういう複雑な基点に立っているのが今なのかもしれない。

ベルリンは来年で東西統一20周年を迎える。
しかし、私立ちの世代の人間は、未だに東ドイツ人、西ドイツ人という確実にわけ隔てられた意識を持ったまま、壁のない空間で共存している。
西の文化に順応しつつ、西のコンシューム社会を利用し楽しみつつ、それでも東の人間は東の人間が集まる飲み屋で一杯やることが多い。
西の人間は、旧東ドイツの人間と意見の食い違いがあると、彼らは東の人々だから…、という言い方をすぐにする。

いくら街が変貌を遂げ、時と共に新しく生まれ変わろうとも、人々の根っこは変わらないままだ。

結局本質は変化しない。
本質はどうしても覆い隠すことは出来ない。

孤独という本質を抱えている以上、私たちはそれと一生付き合っていくしかないようだ。
年々深まる孤独感に、あがいて対抗しようとする40代も、結局何時かは過ぎ去ってしまう。
孤独と自由、無常と普遍的本質など、世の中にはパラドックスなことばかりだと思う。

少なくとも、今まではこのようにしか生きられなかったと言い切れる自分は、まだ良い方なのだと思うことで、締めくくるしかないらしい。






2008年02月12日(火) 女のバランス

女として生きるのは、結構大変だなと改めて思う。今になってこんなことを言い出すのは、もしかすると女として生きていくのに少し疲れたからかもしれない。

少女時代、同世代の男の子からからかわれて、よくスカートめくりなんていう遊びがあった。今から考えるとすごいセクハラだ。私だって何度も被害者になったことはあるが、被害者だなんていうのが気が咎めるほど日常茶飯事だったのと、相手の方も子供だったわけだ。同世代の遊び、嫌がらせ程度で済んでしまう事柄だが、思い出してみれば、なんとなく傷つくような屈辱感があったのは今でも覚えている。女の子がわたしのスカートをめくることはない。男の子なのだ。そして何色のパンツをはいているか、ブルマーをはいているか、そんなことを大声で言いふらされる。無邪気な遊びだが、本当に子供というのは残酷だと思う。

それが女として生きていく上での苦労に入るかどうかは、また別の問題だが、少なくともせいの違いによるハラスメントにあふれた未来を予感させるものがあるような気はする。

女性の美はとても重要で、紅一点や、女性の存在が花を添えるなどと言う表現もある。女性と言うのはふんわりした雰囲気につつまれ慎ましやかな存在であるほうが、社会的な受けはいいのかもしれない。そういう社会の見えない圧力、と言えば大げさだが、期待に沿うようにして私も大学時代をすごしたような気がする。綺麗な身なりをして、ダイエットに励んで、ほっそりとした身体に憧れ、男の人からは可愛いと思われたかった。本当の自分の中に、一体どんな性質が潜んでいようが、社会の期待に沿うほうが、当時の私には重要に思えたのだ。自分への評価がなされるような実績もない学生時代、手っ取り早く可愛いとか綺麗だといわれることで、自分を肯定したかったのだろうか。今になって思えば、おかしいほど子供じみているが、あの頃はそういう時代でもあった。

結局、よい結婚をしたいと言う単純な希望がずっと心の中にあり、まさか白馬の王子が来るとは夢にも思っていなかったが、恋におちてそれで結婚すれば、あとのことはそれから考える。

それ以上の思考は無かったような気がする。

その後学業生活を終えるのが惜しくて、大学院に行くという発展が、あまりにも私という像には模範的な方法に思えたので、心のどこかから湧き出てくるマゾ的な衝動によって留学することにしてしまった。無意識の中に、本当の自分を引き出してもっと独立した考え方をしないといけないという気持ちがあったのかもしれない。

女と独立と書くと、本当に何か矛盾した居心地の悪さを感じる。これはもしかすると私の内面の対立なのかもしれないけれど。

しかし、私の周囲の友人を見る限りでも、彼女達も同じ課題を抱えているのがわかる。保守的に育てられた私たちの世代が、大学時代バブルの最中に、羽ばたいていくという夢や希望を実現することが出来るようになった。キャリアウーマンという言葉が翻弄していた頃で、三高という言葉も生まれた。

みんな何らかの仕事に就き、それから結婚退職した人もいるが、昔よりはるかに子供を持たない友人達も多い。男との経験も少なくなく、それなりに仕事もしつつ適当に遊んだ後に、とても良い結婚をした人たちもいる。

でも、子供達を育てながら、キャリアを積み、素晴らしい夫に支えられながら、自分の道を貫いている、という友人が今、頭の中に浮かばない。

ベルリンの私の住む界隈には、こんな夢のような人々もちらほらいる。このような生活を試みた人、夢見ている人、という範囲にまで広げれば、90パーセントといっても良いのではないだろうか。子供を持ち、育児休暇を三年とった後に、同じ職場の同じポジションに戻れるという人は、ここでもかなり幸運である。さらに、子供を預けるシステムも日本とは比べ物にならないほど発達している。

それでも、人々は子供を持つか持たないかという問題を心の問題というよりは、経済的な思考によってごく理性的に判断しようという傾向が強い。

実際に、政治のシステムが子供を持つことを経済的に可能にしてくれないとか、共働きでなくては家族を養って行かれないという実際問題が、決して裕福ではないベルリンでは、当たり前の声となっている。

しかし、この傾向が、女性の独立という発展とまったく関係ないという風にも思えない。愛する人との間に子供が欲しい。この原始的な希望は、しかしごく自然ななり行きで、誰が不思議にに思うこともないだろう。しかし、子供は欲しいけど、自分の今の生活の安全や、自分のステータス・クォを失いたくない、という思考に発展していくのは、社会的問題ということと、女性性のあいまい化ということもあるのではないだろうか。

今の時代、私の周りの女達を見ていると、女は一体幾つの役割を演じればよいのだろうかと、ふっと疲れを覚えることがある。

彼女達の多くは、結構イカシタ格好をしているが、実に実用的なファッションが多い。昼間はバリバリと仕事をこなし、キャリアウーマンのように部下を従えていないとしても、立派な家計の稼ぎ手の役割を受け持ち、社会的な責任を果たして、税金も払っている。新聞も読めば世の中のことにも詳しく、政治的意見もはっきりと持っている。

午後になると、子供達を学校の託児所に迎えに行き、音楽教室やスポーツクラブと実に教育熱心な母親になる。この役割を素早く変える作業は、内面的に仕事上の自分をシャットアウトすることであり、良い気晴らしになることもあれば、それがなかなかできなくてストレスを感じることもある。

夜になると、夫が疲れて帰ってくる。多くの夫達は家事分担に慣れており、まるで遊んでいるかのような軽快さで、子供達をベッドに連れて行くことが出来るかもしれない。

しかし、その後、妻はさらに女の顔を取り戻さなくてはならないのだ。

理想的にいえば、社会にさらされている時のような合理的な考え方捨て、自分のキャリアに対するプライドも捨て、子供達と一緒にいるときに見せる母性も捨て去り、裸の女になって夫に甘え、誘惑できるとしたら、こんなすごい女はいない、と男達は喜ぶのではないか。

経済的にも自立してくれているし、子供達もしっかり教育しているが、僕と二人に時は、僕のものという欲求を満たしてくれる。

私の見る限り、この辺で自転車をかっ飛ばしている彼女達は、殆どこれに近い日常を過ごしている気がしてならない。

このロールプレイでは、ジェンダーの境界線はすっかり取り去られているのである。

更に、恐ろしいことに、母子家庭では、この女性は時に父親という生理的に越えられない境界線を少なくとも精神的には超えて、しっかりと演じなくてはならない。

この時代、女として生きるのは、本当に楽じゃないと実感するのも無理はないのではないだろうか。今では、もはや良い男性を見つけて結婚をしたいと言えば、アナトール地方出身のトルコ移民の男性でも見つけろといわれそうなのが、このベルリンの空気である。


2008年02月11日(月) 自由はやはり孤独なのか

私の夫はとても留守がちである。一年の半分はいない。二週間タクトで帰宅し、また出てゆく。行き先は欧州内であったり、日本までということもある。

そんな生活をもうかれこれ二年ほど続けている中で、私自身も変化せざるを得ない状況にあったのはいうまでもない。

私は現在四十歳をちょうどすぎた頃であるが、この世代の女性は、多かれ少なかれ保守的に育って来たのではないだろうか。たとえ自分に職業があろうとも、やはり家事一般を受け持ち、子供が出来たら自分が産休をとり、生活費を稼いで来てくれる夫に、それなりの感謝を覚える。

私もそんな女性であった。過去形にするのはどうかと思うが、今現在自分が置かれている状況は、それとはまったく違った位置にあるという意味で、過去形にしたが、その道のりは一進一退を繰り返しながらの、茨の道であった。

そもそも、男を男らしいと思う感覚に、権力という部分がまったく含まれていないというのは無理がある。

やはり能力がある男、責任感がある男、感情面でも発達している男となれば、稼ぎも悪くなく、よって頭脳も悪いということもまれである。感情面の発達などと遠まわしな言い方をしたが、家庭でも妻をしっかり満足させ幸福感を与えることの出来る男と言えばよいだろうか。

そういう男性理想像を時代と共に植えつけて来た私は、現にそのような男性と結婚したり関わったりして来た。住んでいる場所が、私の専業主婦という立場に対し疑問を投げかけて来たことなど無い。

ところが、ベルリンに引っ越してきた当時、私は心の中にかなりのプレッシャーを感じたのを覚えている。東側の話に限らせていただくが、子供達のクラスに仕事をしていない母親が片手に数えるほどもいないのである。働いていない、専業主婦であるというステータスは、それに何らかの理由をつけなくてはならないほど、何の立場も無いも同然であった。幸い、私は再び大学生として在籍していたので、学問に専念している外見を保つことが出来たが、内心の焦りは、毎日私に新しい課題を投げかける。

学問などしている場合か?

生活力をつけて、立派に働くのが当然ではないだろうか?

私の現在の夫は、定職が無かったり、あっても収入が無かったりと、金には一切縁がないのではないかと疑うほど、不安定な人生を歩んでいる。

私がベルリンに移って来た後すぐに、会社を止めてしまい、収入が途切れた。私は学生の身分で子連れであり、本当に苦しい時期であった。

しかし、誰一人、稼がない男を珍しがるものはいない。男が稼がなければ、女が稼げば良いだけの話である。極端に言えば、そういうことになる。

それとこれと関係が歩かないかは、また別だが、子供達のクラスで両親が離別していない家庭は、一つ、二つであり、さらに殆どの家庭はステップファミリーという形態をとっている。

愛の名の下に、厳しく生活の問題が食い込んでくる。外国人として、いくらドイツの大学を一度卒業しようとも、一体どんな職に就けるのか。

さらに、権力を含んだ男性性を認められないパートナーに、どのようにして、「保護されている、よって愛されていると感じ、尽くしたい、愛を返したい」という図式を打破し、自分たちの人生の状況に見合った愛情を生み出してゆけば良いのか。

それを私は、手探り状態で試すより仕方なかった。

その私が、ベルリンに移り、夫と一緒になって五年たった今、二つの職業を掛け持ち、もうすぐ前夫からの養育費と合わせれば完全自立できる経済力をつけ、一年の半分夫不在な生活に、本質的な文句を言うこともなく、もう二年以上も生活しているのである。

あらゆる価値観がひっくり返った感がある。南ドイツやスイスにいた時には、誰も、どの社会からも、そんな要求を突きつけられたと感じたことは無かった。むしろ、専業主婦であるステータスは、夫の経済力、すなわち権力を物語るものであったのである。

それが、今は、自分で立つことに大きな誇りを覚え、ある種の解放感さえ感じ始めている。

冬のにおいのする湿った晩に、夫と肩を並べて散歩をしながら、私はそんな自分の感覚を伝えたくなった。

生きていく上での責任を自分の手中に止めておく。

その代わり、自分は誰が来ようと、また去っていこうと、自分の人生が崩れてしまうことは無いという義務のない関係の中に生きていくことができる。

一緒に住む、けれど、経済的には綺麗に別々に生きる。

愛し合っている、けれど一緒には住みたくない。友人との時間を削りたくはない。

「など、色々な自由と解放が可能な男女の関係というのがある。けれど、私が今考えているのは、それを失わないために、では何が犠牲になるかということ。

それをしっかり理解せずに、自立や責任を自分「だけ」で負う人生を選んだり、選ばざるを得なかったりする場合、やはり孤独の渦の中に巻き込まれてしまうのではないかしら。何が犠牲になるのか、しっかり自覚している者のみが、この七面倒くさくて拘束された関係を放棄してもなお、充足感があるのかもしれない。」

確かに愛情関係では、この自立と解放感を保った形態の中では幾つかの無理を生み出すのはやむを得ないと思う。ある程度、互いが自分のために生きていくしかない。義務や条件のない関係では、相手に愛情から費やす時間や労力が生み出すものは、変化の中にある生活のある一定の時期に味うことのできる幸福感というだけかもしれない。子供が生まれようと、男も女も依然、彼らの人生のある部分は永遠に彼らの手中にあるままで、共有されることはないのである。言い換えれば、侵してはならない領域が、愛情関係におけるパートナーの中にあるということに他ならない。

おそらく、この関係で払うことになるプライスは、孤独であろう。無論、人間は一生孤独であるが、それは時に、共有で所有するものとか、共有する目標とかいった類のもので、ある程度孤独感を下げることは可能である。またそれ自体が、愛の目的であるといっても良いくらいなのだ。

しかし、二人でありながら一定の孤独領域を保ちながら生きる方が、共有性をモットーとした関係より、孤独感が強いのは当然であろう。

先日も、行きつけのバーで、年のころが同じ女優二人が、変化することを止めない人生に疲れたような顔をして、どうせアルバイトと大して変わらない女優という職業について嘆いていた。

見栄えも最も悪いはずもなく、自意識がしっかりと発達した大人の女性達である。しかし、舞台女優として自立し、それを邪魔するような男や出来事を辛くても切り取って生きて来た彼女達が、四十を目の前にして感じているのは、唯一つ深い孤独感だけである。三十五から五十までの女優に仕事はこないという。役付けが出来ないらしい。子供も無く、老いという文字を初めて職業柄感じざるを得ない状況で、寄り添うパートナーは、どこまで腕も伸ばしても絶対に自分の鞘には納まらない。逆に、自分とて、今更もう誰の手の中に収まっていることも出来ないのである。

孤独は募る。自由と開放感と自己責任を基本とした生き方は、この孤独感にあっても、しっかり自分の足を地に付けたまま歩み続けるということに他ならない。

結局自分を可愛がってやるしかないということになる。

愛情関係に影が落ちないわけがない。

その生き方に、自分が片足突っ込んでしまったようで、私は夜の散歩道を踏みしめながら、なんとなく足をすくわれるような恐怖を覚えた。私がこの道を選べば、彼もそれを選らぶしか他に方法はない。そうなったら、本当に二人でいる孤独に私は耐えられるのか。

今でも、答えの出ないまま、すっかりそういう道を歩んで何年にもなる人々の間をさ迷いながら、この先ももうちょっと歩いていくしかないのだ。どこへ行くかもわからずに。


2008年02月10日(日) はじめに

長い間、「モモリーネの思考的ゴミ箱」から「日々のマドリガル」に至るまで、個人の日記を書き綴ってまいりました。数少ない読者の方にも、定期的に訪問していただきましたが、ブログをはじめたことをきっかけに、こちらのサイトの更新が滞りがちになっておりました。
もともと、心の声を発信するような、内向的な内容でしたが、今回は新しい題名と共に、ベルリンに限った話を綴って行きたいと考えております。
私的な視点から離れて物事を書くことが出来ない私ですが、どうかその辺はご了承ください。今後ともよろしくお願いいたします。
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とても親しい人が、ベルリンの生活はハードだから、時に外にでると本当に辛いと言った。

この言葉には、本当にいろいろな意味が含まれている。彼は日本人ではなく、欧州人なのであまり生活習慣や言語の問題を言っているわけではない。そうではなくて、もっと肌で感じるハードさのことだと思う。

ベルリンは、欧州でもかなり北の方にある。寒さはそれほど厳しくないというが、南西ドイツやライン川沿岸の地方に比べれば、冬の寒さは厳しい。十一月は、一番降水量の多い月とされ、気温が日々低下するのに加えて、霧雨が降り続くことも少なくない。クリスマスに向かう頃になると、夕方四時にすっかり日が暮れてしまい、朝は八時半頃まで日が昇らない。春や夏の気候の素晴らしさは格別だが、冷夏に終わることも多い。決して恵まれた気候ではない。
さらに、ベルリンは、今や確実に世界の大都会の仲間入りをしている。大都会とは、ある種の匿名性と手を繋いでいるようなもので、人ごみに埋もれながら自分の世界を築いていったり、一生懸命保っていくしかない。結局それは大人になればアイデンティティーと対面することを余儀なく要求されるわけで、その対峙を無視する方法をとろうが、しっかり向き合う方法をとろうが、自分を見失わずにしっかり歩いていくしかない。

簡単に言えば、恵まれない気候の中で、孤独感を抱えながら、とつとつと歩く姿を漠然と心に描いて、その友人はこんな言葉を吐いたのかもしれない。幾人かの人々には、全然理解出来ない発言かもしれないし、また別の人々には、その心に響く言葉に聞こえるかもしれない。でもベルリンには、刻々と移り変わるこの首都の人ごみにまみれつつ、自分と自分の人生と取っ組み合いの付き合いをしながら、確実に一歩先へ続く道を探している人々が大勢いる。私には、決してこの人たちの心とこの街の辿って来た激動の歴史との間に何の関係もないとは思えない。

来年で壁崩壊から二十年が経過したことになる。人々は口をそろえて信じられないという。そして私は、少なくとも私たちの世代においては、心の中では未だに東西の壁が崩れていないと言う気がしてならないのである。もちろん、長い歴史がその風貌を変えるには、世代を重ねた時間がかかる。そういう意味で、ベルリンはまだ本当の一致を成し遂げはおらず、本当の自己を築いてはいないともいえるのではないだろうか。

現に私自身がこの街に住み着いて以来、年を重ねているにもかかわらず、むしろ自ら変化を求め、さ迷えるアイデンティティーを抱えたこの若い街の鼓動と共に、変貌を続けているとしか思えない道を歩いている。それが時々、私の中に耐え難い孤独となって苦しみを与え、時には言いようの無い開放感となって私の中の「未知」に形を与えようとする。

十年も住まぬうちに、いつしか私の心の中に「故郷」という言葉が自然に浮かんでくるようになった。一番長く住んだ南西ドイツの街でも、ベルリンよりは長く住んだスイスの街でも、私は常に根無し草であり、故郷と言う安らぎを与えてくれない土地では、根無し草のままでいたいという欲求が私の中にもあったのだ。

ベルリンには、故郷の与えてくれるくつろぎなど、これっぽっちも無い。しかし、この街は迫ってくる。私に、私が一体誰で、どう生きたいのか、常に休むことなく尋ね続けてくるのだ。それは私が外国人だからではない。他の土地に外国人として長く住んでいた時だって、もちろん私自身は誰で、なぜこの土地に外国人であるにもかかわらず、住む必要があるのかという質問を投げかけられている圧迫感はあった。しかし、それは目的意識をはっきりさせれば解決する程度の社会的存在理由に近いものがあった。

でも、ベルリンではもはや社会的存在理由とは関係なく、まるで個人的に質問を突きつけられたような直球の勢いを感じる。そしてそれは外国人というカテゴリにいる私だけに突きつけられた質問ではない。私の隣人も、私の友人知人も、皆が同じように泳ぎきろうと似たような取っ組み合いを続けている。もしかすると、この根底を流れる見えない連帯感が、私にここを故郷だと思わせるのかもしれない。

嘘をついて生きても良い、嫌なことに蓋をして生きても良い。しかし本当は人間は、自分から逃げることだけは出来ない。それは誰しも、自分だけが知っている事実である。享楽に生きても、それがさめれば、必ず人間はまた自分を鏡の中に見るしかない。人種や生き方が種々雑多な大都会の匿名性の中で、ある種の自由を手にすることは簡単だ。その自由を手に持ちながら、どう操るか。そんな挑戦的な態度の街、ベルリンが私は大好きである。

「枠は無い。好きなようにやって良いが、お前が自分で歩け。」
そして、私は今でも、日本で言えばいい歳をした今でも、老いてゆく自分を毎朝鏡に見つつ、それでも前進することを止めないでいる。その際、どこへ行くかは重要ではない。どこかへ着くのだと信じ続けることすらできないこともある。でも、あれでよかった、自分がここまで歩いて来ただけで満足なのだと思えるようにという希望を持ちつつ歩いているだけなのかもしれない。

東西に分裂していたベルリンの、旧東側に住んでいる私は、まだまだ残る灰色の建物や時折漂ってくるコークスの匂い、あるいはファッショナブルな店やカフェが軒を連ねている並木道とそこに集まるモダンな若者達に挟まれながら、この街の魅力や、そこで生き延びて行こうとする姿を生々しく書いてみたい。そんな風に思ったのだ。

自分の人生からしか物事を見つめることが出来ないのは、私の悪い癖だが、あくまでも主観的視点に基づいたテーマは、常にフラグメントとして書かれている。余計な説明が過ぎることなく、ベルリンそのものがそうであるように、恥や外聞とは関係なく、直球で思いを吐き出す私の稚拙な断片的文章から、背景にある生き生きとした街やその住人の表情を読み取っていただけたら幸いである。


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