メタモルフォーゼ...葬月

師 走 - 2017年03月30日(木)

社会復帰してから皆勤で、何とか正月休みを迎える事が出来た。

降圧剤のせいで相変わらず昼は貧血気味でフラフラな感じだったけど、夕方になると血圧上がって焦ったり。



年末に毎年恒例の忘年会があった。

中学の時の同級生達と二十歳から続いている年末イベントだ。

皆から「やつれてない?」と言われて、救急搬送されて入院していた事を伝えた。

地元の友人には言ってなかったので、責められた。

席が埋まるとJが来ていない事に気付いた。

そして幹事からJの死を聞かされた。

昨年も不参加だったJが、一昨日無くなったとの事だった。

具合が悪いと検査を受けたときは、直腸ガンのステージ4だった事。

本人の口止めで、家族以外で知っていたのはKだけだった事を聞かされた。

KはJの弟の上司なので知らされていたそうだ。

幹事も今日知らされたと言っていた。

みんな会いたかっただろうな。

Kも黙っているのは辛かったと思う。



家に帰ってから泣いた。

思い出がいっぱいで涙が止まらなかった。

最後に会いたかったな。。。

この日の夜は退院してからの最高血圧を記録した。



翌日はJの両親の希望で親しかったメンバーで会いに行った。

久しぶりに訪れたJの家。

Jはもう目覚める事のない眠りについていた。

長い闘病生活の割には元気だった頃と顔は変わりなかった。

本人の希望で家族葬との事だった。

色々と最後まで自分で段取りして、旅立って行ったそうだ。

両親に「Jがきっと喜ぶから、皆で思い出話をしてやってください。」と言われた。




Jは余命宣告され徐々に悪化していった。

助からないと分かった瞬間に何を思ったのだろうか。

辛いなぁ。

俺は死にかけたけど、その瞬間がピークで回復に向かった。

Jと逆なんだよな。

友人を事故や事件で何人も失っているけど、病死は初めてだった。

ただJの気持ちも分かる気がした。

俺もきっと誰にも知らせない様にするんじゃないかなって思う。

弱ってるところは見られたくないし、気を使わせたくないし。

ただ、絶対にバレる気もするんだけどさ。









遠くに逃げよう。
















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1/365 - 2017年03月26日(日)

毎年一日だけ連絡をくれる人がいる。

出会った日だったり、別れた日だったり、誕生日だったり。

毎年同じ日に連絡をくれる人たちがいる。

たったそれだけの繋がりなのだけれど、一日だけでも思い出してくれる人たち。

去っていった人、突き放してしまった人、もう二度と会えない人たち。

元気なのだろうか。

幸せにしているのだろうか。

そんな相手が365人いれば毎日寂しくないのかな。

買い物に行った店でKOH+の『最愛』が流れていた。

何だか切ない気持ちになった。







親が放射線治療を受ける事になった。

何だか疲れたなぁ。





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復 帰 - 2017年03月22日(水)

退院してからの静かな日常。

とにかく歩いてリハビリをした。

倒れる前は車での移動ばっかりだったので、同じ道でも景色が違って見える。

目線が高いからか、速度が遅いからか分からないけれど色々な発見があったりもした。



そして11月21日から社会復帰した。

9月15日 急性大動脈解離で救急搬送。

10月15日 退院

11月21日 社会復帰

2か月以上会社を休んだのは椎間板ヘルニア以来かな。

降圧剤の影響で車の運転とか機械の操作は注意らしい。

仕事はまさにロボットや機械のプログラム組んだり操作したり。

大丈夫なのか。。。

先の事を考えると不安しか生まれないので夢中で仕事をしていた。

そのうち薬も弱くなってフラフラするのも少し楽になった。

あの気が遠くなるような感じに気持ち良さを覚えてきたけどさ。








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眩 暈 - 2017年03月20日(月)

そんなに変化も無い入院生活も終わりの時が来た。

4週間目の造影CT検査で退院の許可が出た。

退屈だったので退院は嬉しかったけど、ICUから一般病棟に移った時の様な心細さは何処かにあった。

退院前日のリハビリで倒れてストレッチャーで病室に戻ってきた。

視界が暗く狭くなって座っているのも無理だった。

血圧が上がらないようにって事だけ気にしてたのに貧血状態とは・・・・

リハビリも程々にしないと危ないと思ったよ。


退院してからは毎日歩いた。

午前が7キロで午後が10キロ。

利根川の河川敷を毎日歩いた。

血圧は毎日測定した。

朝は上が120くらいでいい感じだけど昼は100くらいで低い感じ。

そして夕方は140くらいまで上がって寝る頃にはまた120くらい。

強い降圧剤なので昼はふらふらする時が多かったけど、薬はちゃんと飲んだ。

腰から下は相変わらず痺れていた。

夜になると痙攣したりしたけど、そのうち気にしなくなった。



時々『命』について考える様になった。

助かったとはいえ動脈硬化はどうなるのか。

年を重ねれば誰でも硬化は進むだろう。

今の時点で大動脈解離になったって事は長生き出来る気がしない。

その時が訪れた時、後悔が少ないように考え方を変えていかないとなって思った。





この時点ではまだ知らなかった。

もっと長い時間身も心も苦しんで、静かに戦っていた友人がいた事を。








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登 山 - 2017年03月09日(木)

10月に入ると心電図のセンサー以外は外された。

シャワーも許可が下りて、リハビリは毎日になった。

歩く速度も距離もアップしていった。

リハビリの担当とは趣味の話で盛り上がった。

車が好きだったりルアーの釣りが趣味だったりで共通の話題が多かった。



一般病棟に移ってもICUの時みたいに、病室の出入りが激しかった。

年寄りばかりの病棟だったので、新しい入院患者が来る度に「若いのにどうしたんですか?」

そう聞かれて面倒だった。(そんなに若くもないけれど)



LINEのタイムラインで前の会社の後輩が登山を始めた事を知った。

レスしたら誘われたけど、無理だろうなぁ。

母親が若い頃は山ばかり行っていたので昔勧められた事もあったけどこの体じゃな・・・

むしろ登山中に倒れなくて良かったとポジティブに考えようかな。



『Over the Mountain』聴きながら山登りしたかったなぁ。







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