forget-me-not

2005年12月18日(日) 母と娘

やるまいやるまいと心に決めていて

やってしまった。

・・母との大喧嘩。そして、家出。(2泊3日)

私って、10年前と比べてちっとも成長していないかも・・と実感。

だって、自分達で出資する結婚式の招待客(親戚)を勝手に
断ってるんだもん。

招待状を渡していて、ずっと来て欲しいと望んでいた私の叔母。

最後に私が話をした時は、出席すると言っていたのに、
母が来なくていい、と電話した結果、「ああ、叔母さん欠席するって」。

・・あとどれだけ私の思いを踏みにじれば気が済むのかしら、この母は。

家出先は、もちろん旦那さんの家。すなわち私の家。
家出先は分かっているし、嫁入り前って言っても入籍済みだから、
さすがの母親の文句も言えずに大人しくしていた模様。

そして今日は、前から決まっていた彼の母親(私の姑さん)と
うちの母との食事会。

うちの母は、彼の母親の女優さん並の美しさにビックリ。

というかタイプがあまりにも正反対なので、幾分緊張すらしていた。

なんか途中、訳のわからないことを口走りだしたけど、
うまく話をそらして、なんとかうまくいった。

彼の母親が、変な印象をもたなかったらいいのだけど。。

その食事会の後、家出先から直行した私は、母と共にまた実家へ戻った。

まるで、何ごともなかったかのように・・。


まあこの人も、私のたった一人の母親だ。

こんな母も、確実に日々、年老いていっている。

何を言われても、何をされても

大切にしていかなくては。


母が、母の実家に帰った際、自分の小学校〜ハタチくらいの写真を
手に余るくらい持って帰ってきた。

今の母からは想像もつかないくらい、
白くて、細くて、笑顔が可愛い少女が微笑んでいた。

集団で写っていても、
客観的に見ても母の美しさが際立っていた。


「・・誰かさんに似てるでしょ」

と母は言った。

本当だった。

なんか、否定したくても否定できない何かがそこにはあった。

私は、自分はずっと父似だと思い込んでいた。


間違いなく、


私は母の娘だった。






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2005年12月11日(日) 12月のしあわせ

昨日、東北地方の出張から帰ってきた。

風に煽られて、地面でくるくる舞う小雪をはじめてみた。

でも人がそれはそれは温かくて、幸せな気持ちになれた。

雪も風も冷たいのだけど、
会う人会う人が温かくて
なんとも肌は寒いのだけど、心は寒い感じがしないのだ。

帰る時、予定していたフライトが欠航になってどうなるかと
思ったけど、きりたんぽ鍋を食べ、体もぽかぽかしてきた頃、
最終便で無事に帰れることになった。

ああなんたる幸せ。


・・日本には、私がまだまだ知らないよさがうんとたくさんある、と思った。

そして、ちょうど出張中に母が一時帰国で戻ってきた。

来年の結婚式まで日本にいる予定。

母が、なんだかんだ私の結婚を思いのほか喜んでくれているのが
伝わってきて、私もとても嬉しい。

菜穂香もそういえば主婦なのよね。。
今日は、旦那さんはどうしてるの??
忙しいからって、いつまでも別居しているわけにもいかないでしょう・・。

母と、なんのわだかまりもなく異性の話ができるようになった
はじめての瞬間。


・・結婚って思わぬ幸せを運んでくれる。


仕事は、相変わらず忙しい。

せっかく仕事を引き継げる新人さんが入ってきたというのに、
あまりの激務ぶりに二日目にして尻込みをしてしまった様子。

私より先に辞めてしまったら、それこそ一大事。。

なんだけど、なんとなく、彼女は辞めてしまうような気はしている。

なんかこう、適性があまり感じられない、とでもいうのか。

まあそれでも物事はなるようになっていくだろう。

私もここにきて、今の仕事に未練を感じている。

大変だけど、多くの人との出会いもあり、毎日新鮮な驚きや
学びがあり、これだけやりがいのある仕事もそうそうないだろう。

問題は、それが全て、自分の生活の犠牲の上にしか存在しえないということ。。

例えば、結婚式や生活基盤を築いた後に何らかの形で
復帰をしてもいいかな、とも思っている。

私がこの仕事にめぐり合えたのは
単なる偶然とはとても思えないから・・。

私は今も、この先もずっと死ぬまでチャレンジ精神と
向上心を忘れたくないと思っている。

でもその前に、結婚した以上はパートナーとの生活にもコミットを
していかなくてはならない。

うまくバランスがとれるように、

前向きにがんばっていこう。






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