LORANの日記
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12月26日、クリスマスの翌日に、マグニチュード9.0という途方も無い大地震が発生しました。インド洋に巨大津波が起き、51,000人以上の犠牲者が出ました。まだまだ安否が確認できない所が多く、犠牲者の数は増えそうです。
中越地震から2ケ月余り、史上最高の台風上陸数を記録した災害の多かった年の終わりを飾るビッグな花火になってしまいました。
天地人は一つです。天地が荒れるのは人が荒れていることを映しているだけです。
人が自分の心から離れてしまい、モノやカネに狂って環境破壊を引き起こしています。
家庭崩壊、夫婦崩壊、学級崩壊、ソ連邦崩壊、政治崩壊、金融崩壊、年金崩壊、 と枚挙に暇(いとま)が無い状況です。
これらのことの原因はすべて、人心の崩壊にあります。 そして人心の崩壊は、個人の価値観の崩壊が原因です。
私たちはいつまで自分の問題を見つめることを避けているのでしょう?
まるでお酒か麻薬の中毒患者のように、いつまでもオカネとモノのに逃げ込んでいるのでしょうか?
いまのままでは未来はありません。 相次ぐ自然災害は、それを私たちに教えています。
昨夜はXmas イヴでした。 毎月3回の金曜日のリラックスワークがありました。 でも、イヴですから多分、殆ど来る人はいないだろうと思っていました。
PM 7:30 の定時には、いつもと同じ人数が集まっていて驚きました。 お手製のケーキを作ってくれた人や、飲み物を用意してくれた人などがいました。
最初に「どのような環境や境遇の人にも、等しく光が届いている」と話しました。 それから瞑想を私が誘導しました。 海を越えて、高い山脈を越えたところに荒野が拡がり、数万人規模の難民キャンプがありました。もうPM 8:00 を過ぎていますから、周囲は真っ暗でした。 上空で全員で手を繋ぎ、ハートの扉を開いて「愛の光」を放射しました。 私たちのさらに上空にすばらしい光があって、私たちを照らしてくれました。 光の中に天使たちが見えました。
すると、キャンプの人々のハートからすばらしい光が放射されてきました。 このような難民キャンプという厳しい環境の中にあっても、すばらしい「愛の光」を持っている人々に敬服しました。 わたしたちは彼らを気の毒な人々と思っていますが、実はとても勇気のある「愛に満ちた人々」であることがわかりました。
瞑想が終わって、皆で感想を話し合いましたが、殆どの人がキャンプの人々から送られた「愛の光」に感激していました。
彼らの境遇が少しでも早く改善されて、故国へ帰れる日が実現されることを希望します。
もちろんその後は、Xmas パーティになり、楽しく過ごしました。
今夜はXmasイヴですね。 それぞれのイヴを楽しまれることでしょう。 残り少ないこの1年間を振り返れば、様々な出来事がありました。
台風の上陸回数も被害額も史上最大でした。 中越地震以外にも震度4以上の地震が多く発生しました。
被災地で住む家を無くされたかたも多いことでしょう。 都会の公園でダンボールにシートを被せて、イヴを過ごしているかたもいます。
どんな人の上にも、光は届いています。 どんなに暗い夜も、いつかはきっと明けます。
冬至から3日目の今日がXmasイヴであることは、興味が深いです。 「一陽来復」の言葉の通りに、日が伸びてきます。 寒さはこれからですが、早咲きの梅は咲き出しています。
今年もあと1週間です。 すてきなイヴをお過ごしください。
昨日書いた日記帳の反戦ビラの訴訟は考えさせられます。
「A4判のビラは「自衛官・ご家族の皆さんへ いっしょに考え、反対の声をあげよう」という呼びかけだった。 判決は書かれた内容を「自衛隊員に対する誹謗(ひぼう)、中傷、脅迫などはなく、ひとつの政治的意見だ」と述べた。さらに「国論が二分していた状況で、ビラはさして過激でもなく、不安感を与えるとも考えがたい」と指摘した。 こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。 住居侵入に当たる行為ではあるが、配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない。判決はそう結論づけた。明快な判断である。」
このような簡単で明解なビラ配りであっても、「お上のご威光」に背けば逮捕され75日間も拘留され、8ヶ月もの訴訟になるのです。
国民が平成の惰眠をむさぼっている間に、権力は着々と国民への包囲網を何重にも かけていたのです。
沖縄がアメリカから返還されたとき、その費用を日本が負担するという密約をしま したが、それを国民に知らせずにいました。当時の秘書官が毎日新聞記者へ漏らす と、なんと秘書官は罰せられ、密約した本人はなんのとがめも受けませんでした。
いま、戦争放棄を憲法で明文化した日本がアメリカ、旧ソ連に次ぐ世界第3位の 軍事費を支出する軍事大国になっていることを、国民のどれほどが知っているので しょう。
中国や韓国がなぜ総理大臣の靖国神社参拝に神経質になっているのかと言えば、日 本は表面的には平和国家ですが、世界第3位の軍事大国であることを国民へさえ周 知させていない危険な国だからです。その軍事費は中国と韓国の合計より大きい のです。
イラクへの自衛隊派遣は憲法違反が明確であるのに、与党連合と民主党のなれあい 国会決議で認められました。 民主党はかって自民党のトップだった細川総理、羽田総理、海部総理と小沢幹事長 らが率いている政党ですから、思想や主張は自民党と同じです。 野党を看板にして与党の政治を目指すとても危険な政党と言えます。
私たちは政治は関係ないと思っていますが、いつの間にか戦争に組み込まれ、加害者にされています。
いま、しっかり目覚めなければ後世に大きな悔いを残すことになります。
2004年12月20日(月) |
イラク反戦ビラ配り判決 |
朝日新聞 12月19日付より
イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを防衛庁官舎の郵便受けに配り、住居侵入の罪に問われた東京の市民団体の3人に対して、東京地裁八王子支部で無罪の判決が言い渡された。
逮捕した警察、起訴した検察の全面的な敗北である。
そもそも身柄を拘束したり、起訴したりする必要のない事案だった。2月末に逮捕され、5月まで75日間も勾留(こうりゅう)し、公判は8カ月に及んだ。無罪の結論を出すのが遅すぎたくらいだ。
被告とされたのは、「立川自衛隊監視テント村」という反戦団体に属する男女3人。職業は中学校の給食調理員と介護会社員とアルバイトである。今年1月と2月、東京都立川市内にある防衛庁官舎の敷地に入り、宿舎8棟のドアの郵便受けにビラを配って逮捕された。
「イラク派遣が始まって隊員や家族が緊張している時期に、玄関先にビラを放り込まれるのは住人として大変不快であり、家族も動揺した」。証人として出廷した自衛官ら3人は口々に訴えた。
確かに、先遣隊、主力第1波、第2波と派遣が進み、各地の自衛隊にピリピリした空気が漂っていた時期だった。
A4判のビラは「自衛官・ご家族の皆さんへ いっしょに考え、反対の声をあげよう」という呼びかけだった。
判決は書かれた内容を「自衛隊員に対する誹謗(ひぼう)、中傷、脅迫などはなく、ひとつの政治的意見だ」と述べた。さらに「国論が二分していた状況で、ビラはさして過激でもなく、不安感を与えるとも考えがたい」と指摘した。
こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。
住居侵入に当たる行為ではあるが、配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない。判決はそう結論づけた。明快な判断である。
イラク開戦とそれに続く各国軍の現地派遣をめぐっては、世界のあちこちで大規模な抗議活動が繰り広げられた。欧州では、ベトナム反戦デモを上回るうねりとなった国も多かったが、日本では際立って低調だった。
滞在中たまたま日本の反戦デモを見た外国人たちはその規模の小ささ、若者の少なさに驚いた。理由はいろいろあるだろうが、ビラ配り事件にあらわれた警察の過敏な取り締まりも一因だろう。
自分の気に入らない意見にも耳を傾けてみる。それは民主主義を支える基本である。派遣を控えた自衛隊員にとっても、同僚や家族と全く違う意見を目にするのは無駄にはならないはずだ。くだらない意見だと思えば捨てればいい。
そんなところにまで警察が踏み込むのは危険きわまりない。判決はそう語っている。
2004年12月19日(日) |
第4回なごやすぴこん |
昨日は「なごやすぴこん」でした。 第1回と同じ国際会議場でした。すばらしい施設でした。 会場はゆったりとしていましたし、ご来店のお客様もすてきでした。
今回で3回目の「光の卵」のワークをミニ・ワークショップでさせていただきました。 30分という短い時間でしたが、皆様に「光の卵」を作って差し上げました。 その後、休憩室で8人のかたに差し上げました。
とても敏感なかたばかりで、光が入ってくることをよく感じておられました。
皆様に感謝するとともに、これからのご多幸をお祈りしています。
1929年、南ドイツ・バイエルン州で生まれたミヒャエル・エンデは29歳の時書き上げた処女作「ジム・ボタンの冒険」に始まり、43歳で「モモ」、50歳で「はてしない物語」を完成し、名声を不動のものにしました。48歳の時来日し、その時旅の伴侶をした佐藤真理子氏と、60歳で2度目の結婚をしています。66歳で亡くなりました。佐藤真理子氏は「はてしない物語」の共訳者でもあります。
「はてしない物語」は完成までに3年をかけた590ページにも及ぶ大作で、映画「ネバーエンディングストーリー」の原作です。
10〜11歳の記憶力も運動神経もあまりない平凡な太った少年が主人公です。 雨の日にいじめられそうになって逃げ込んだ古本屋で見つけた本を盗んで逃げて、教室の天井裏の倉庫で読み始めます。
本の中の世界と少年がいつの間にか一つになり、本の中の世界が崩壊寸前に少年が行って大きな働きをします。
お礼にその世界で望むものが実現することになりますが、実現する度に現実の世界の記憶が一つづつ消えていきます。 ついに記憶が最後の一つになったとき、少年はたいせつなことに気づくことによって現実の世界へ帰ってきます。
訳者・上田真而子氏の言葉を借りれば、 「エンデの中にある子ども、エンデの言葉でいえば、「永遠に子どもなるもの」が全身全霊で遊ぶとき、今そのときの心にあることがすべておのずから吐露(とろ)されるのでしょう。」
もし、まだ読まれていないならお勧めする1冊です。
「宇宙の法則」には「選択自由の法則」があります。
「どのような選択をしても自由である」という法則です。 なぜなら、その選択をすることで何らかの学びをするからでしょう。 結果が何であれ、その結果をその人生で得るという自己責任のことです。
「選択自由の法則」とは「創造自由の法則」と言い替えることもできます。
「創造」=「想像」です。
「想像」したことだけが「創造」されるのが、この宇宙の特徴です。
保育園や幼稚園の子どもたちは、とても豊かな想像力を持っています。 ですから、毎日、一瞬一瞬が楽しくて仕方がありません。思いっきり歓声を上げて走り回っています。だれも明日のことを心配している子はいません。
成長しおとなになると、現実という悲観的な世界を意識し共有することに同意します。 毎日毎日、心配の世界に生きることになります。 すべてを悲観的に見ることを求められているからです。 万が一を想定することが大切と教えられたからです。 その結果、万が一を想像し、創造することになります。
「O-157」が学校給食という最も管理された環境で発生したことも象徴的です。 教頭始め給食の主任以下必死で万が一を「創造」したのでしょう。 そして、見事にその「創造」に成功したのでしょう。
人類がいかに科学を発達させても、ネガティブな発想に基づいていたら、その結果はネガティブになります。
幼児のように心配しないで生きられたら、きっと人類はすばらしい未来を手に入れることでしょう。
江戸東京博物館で開催中の「oh!水木しげる展」へ行って来ました。
1922(大正11)年生まれですから、82歳になられます。 「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」という独特の世界を創られました。
ゲゲというのは氏の幼少時のあだ名だったとは、初めて知りました。
体が元気で、画を描くことだけが人生だったようです。
その他のことは、殆ど失敗したと言っておられます。
南方戦線で片腕を無くされて帰還し、紙芝居の絵描きをされていた頃が最も経済的にはたいへんだったそうです。
貸し本漫画家になってたくさんの作品を描きましたが、なかなか日の目を見ることができずにいました。 そんな時、講談社の依頼で描いた「テレビくん」がヒットし、「悪魔くん」、「ゲゲゲの鬼太郎」へヒットが続き出したそうです。
氏の展示会のテーマは、「なまけものになりなさい」です。
お化けや妖怪はなまけものばかりです。
「もっと人生を楽しんでみませんか?」と言っているようでした。
夢を見ない人はいないと言います。
右脳に損傷を受けると夢を見なくなるそうですが、そのような事故を除いては。
荒唐無稽な夢もありますが、とてもリアルな夢もあります。 もう亡くなってしまった人といる夢も見ますし、自分が死んだ夢も見ます。
夢の研究はフロイトの精神分析で有名ですが、彼の言うように性的な原因だけではありません。
夢を見ることで現実との均衡をとっているとも考えられます。
また、デジャヴと呼ばれる既視体験もよく夢に現れます。 その後になって、デジャヴで見た状況に出くわすと、話す人の順番や内容まで事前にわかります。
あまりにもリアルな景色を見ることがあります。
高いところから下の景色を見ているのですが、その一つひとつが遠いのにめちゃめちゃ鮮明で驚くことがあります。 これは、どこか他の次元へ行って見ているのだろうと思います。
現実と夢の違いはなんでしょうか? 夢が現実でないという証明はできるのでしょうか?
わたしは夢もまた現実であると思います。
現実の中でもいろいろな想像をします。 その多くはいろいろな心配でしょう。
また、宝くじを買うときには、1等が当たったらと想像しない人はいないでしょう。
その想像の中にいるあなたも現実のあなたに違いないのです。 それがたとえ、発表までのつかの間の夢であっても。
肉親や恋人を亡くした悲嘆の中にいる時も、その思いもまた夢と同じではないでしょうか?
周囲の人は昨日と同じ普通の生活をしているのに、なぜ自分だけがモノクロームの風景の中にいるのでしょうか?
いろいろな思いの中にいる時も、私たちは夢の中にいるのでしょう。
夢と現実は、きっと同じ世界にあるのでしょう。
「関係ない」という言葉を聞きます。
「関係ね〜じゃん」と若い人が言っていることがあります。
これは若い人だけがそう思っているのではなく、殆どの人がそう思っているのでしょう。 ただ若くない人は、あからさまには言えないのでしょう。
自分の人生で、自分に関係のないことが起こるでしょうか?
自分の人生は、自分の世界です。 自分が考え、自分が創造した世界です。 どんないやなことでも、受け入れられないことでも、自分が創造したのですから、 それを受け入れる以外にはありません。
もし、受け入れられなければ、自分が創造した事実と戦うことになります。 しかし、この戦いには勝ち目がありません。 なぜなら、自分の影と戦うのに等しいからです。 つまり、自分が死ぬまで戦い続けるのです。
自分との戦いをする人はいないと思います。ただ、気づいていないだけですが。 ですから、そこに自分以外の「いけにえ」をでっち上げます。
いわく、「親が悪い」、「先生が悪い」、「友人が悪い」、「恋人が悪い」、「会社が悪い」、「社会が悪い」、「上司が悪い」、「病気が悪い」、「事故が悪い」、「戦争が悪い」、「他の宗教が悪い」、「悪魔が悪い」、「方位が悪い」、「名前が悪い」、「相性が悪い」、「他の民族が悪い」、「他の思想が悪い」、「みんなが悪い」などです。
これらは、自分が原因であることを認めることができないことから起こります。
自分のせいより、他人のせいにした方がらくですから。
原因が自分にあることを認めないのですから、原因がなくなりません。 それで、一生、世を呪い、他人(自分以外)を呪って生きています。 その呪いの波動は病院などに満ちています。病人はそう信じていますから。
「関係ないこと」など、自分の人生には起こりません。
ただ、自分が受け入れられないことを創造することを止めればいいのです。
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