最近やっと推敲できるくらいまで発言恐怖症が回復してきました。 あとは手直しと再構築と発掘と・・・まだまだリハビリが必要だなぁ。
突然ですけど、宗教ってかなり話題としてはシビアなものがあるようですね。 自分としては特定の団体の名前を指さない限りものすごく曖昧なモノなんですが。
宗教として残るような悟りを開いてみたいって言ったらどつかれました。 単にそんな高みに行く術が欲しかったんではなくてささやかな真実が欲しかっただけなんですけど。
そもそも、なんでこんな話になったかって言うと。
魂。 ってあると思うのですよ。 普通に、ただなんとなく。 それをカタチにしたくって。
自分にとって『魂』というモノが指し示すのは、 『思い』を集める『核』みたいなモノです。
『思い』というか感情とか好き嫌いとか。 ふとした瞬間に絶え間なく浮かんでくる気持ち。 紛れもなく自分の中にあるそれらは、自分の中からわき出てくる感覚ですが、 自分がよく思うのが実はそれらは自分の中で『生まれる』、『出ていく』のではないというコト。 むしろ、自分の中へと絶えず『集まってくる』という感じの。 喜怒哀楽とか、好き嫌いとか、それらの心の揺れというか。 それらはエネルギーで。 魂というのは恒星とかでいうところの核みたいなモノで。 心というのは核に向かって集まってる構成物質。
でもって。 魂が受け継がれるとか、無機質にも魂が宿るとか。 それらは文字通りそこに心を集める力があると、そういうことなんじゃないかなーと。
なんていうかね、物理エネルギーと同じに心のエネルギーにも似たような法則があると思うのですよ。 なんたって同じ世界を動かしてるんだし。
でも化学と宗教は交わらないと思う。
人の力ではどうにもならない流れがある。 けれどもその流れを作り上げているのは紛れもなく人そのもの。
流れを読む。 流れを掴む。 そんなコトが出来るヒトがいる。
流れる物を。 流れる先を。 そんなコトを見ているヒトがいる。
流れに任せ。 流れに漂う。 そんなふうに生きてくヒトがいる。
流れてゆく。 流されてく。 そんなコトさえ感じられない自分がいる。
万物は留まることがないというのはそれこそどうしようもなく。 だからこそ変わらないといわれることに価値があると。 変わりたくないと願っていた時期があった。 それも今は、過去形。
風も水も光も。 流れて行く先は果てではなくて。 還って行くと言えども始まりへ戻るのではなく。 過ぎて行った物は戻らない。 そして似て非なる流れが続いて行く。
時間が経つ。時が流れていく。 この日記も3週間近く放っておいてしまった。 すいません。
点は1次元であり線は2次元、そして立体は3次元。 過去現在未来。 物質を構成する、物質。 人と人との関わり。 大人と子ども。 その境は何なのだろう。 個と全体との境。
そんなことを考えるようになったのは、いつのことだったか。
時間が経つ。時が流れていく。 その境など、本当にあるのだろうか。
|