余裕。 無いですごめんなさい。
1週間以上書くのさぼってて第1声がコレかってな感じですが。 決してゆうちゃんのようにテスト前だから勉強してて 頭と時間がいっぱいいっぱいと言うわけでもなく 前回のお題が恋愛だなんておよそキャラでないネタだったから って言うのも少しはあるんですけどそればっかりではなくて かといって発言恐怖症が悪化したなんて事でもないんですが。 ・・・いや、ネタ切れじゃないですよ?
余裕が無いんです。 ヒマは持て余してます。 ・・・決してケンカ売ってるわけじゃないですよ。
気付けば空も見ていなかった日々。 言葉を扱う余裕が、無いです。
ごめんゆうちゃん、君の期待に応えるにはもう少し時間が要る と思うよ。
現実逃避始めたらある意味期待に応える文章書くかもね(苦笑)
かつて、「『恋するしか能のないバカ』はこの世でもっとも有効な生きる術を見つけた人ということになる」なんて言葉を見かけたことがある。 その時は何故そんな結論になるのか説明はされていたが全く理解できなかった。
今も、その言葉を理解することは出来ないが。
自分は恋愛を避けてきた感がある。 好きになることも好かれることもないと思おうとしていた。 それでもちらほらそういう話が出ることもあって。 そしてその度、自分は常に逃げ腰だった。
結果、その方面で全く成長していないと気が付いたのは最近。
歌にも本にもその手の話が多いように、それはごくありふれたことで。 人それぞれに、まさしくみんなに、縁遠いことではないと。 気が付くのが遅いんだよ、自分。
今まで全くと言っていいほど無視してきたツケのように、向き合うことが辛い。
このページは書き直すかもしれない。
名字、名前、PN、HN、あだ名、 合わせて10ほどの名前で自分は呼ばれる。
なかでも本名の下の名前で呼ばれるのが嫌いだ。 仲間でもない奴にそんな風に呼ばれたらまず間違いなく反感を抱く。 単に、身内にそれで呼ばれているので家族に対するコンプレックスの裏返しなんだろうが。 でもそれで呼ばれることがある。 そんなときは認識するための記号だと思ってやり過ごす。 昔は、呼ばれたとたん暴れていたが、さすがに今ではそんなことはしたくない。
どうも、名前と人との切り替えがうまくいかない。 特に自分自身で。 昔、居場所を無くしたような不安に駆られて情緒不安定だった頃がある。 1人になると、何も考えられなくなった頃がある。 今思うと自分の中で自分を切り替えようとしてうまくいかずに、思考がまとまらなかっただけのような気がする。
知り合いも何人か、いくつかの名前を持っている。 そんなとき、知っているだけの名前を混ぜて呼んでしまうときがある。 その名前全てがその子を指すという意識があるのだろう。 よく、怒られる。
自分が他人の名前を呼ぶとき。 ほとんど最初の呼び方から変えない。 変えるときは、大概敬称付けから呼び捨てか、くだけた調子にするだけ。 あだ名で紹介されたときくらいしか、あだ名は滅多に呼ばない。 逆にあだ名で紹介されるとあだ名で呼び続ける。
矛盾している? いや、いくつもある名前、それら1つ1つの呼び方の話だから。
それぞれの名前に、昔は執着していた。 今はどうだろう。 いつのまにかどの名前で呼ばれているのか、意識しなくなっていた。 それでも、考えると息苦しくなる。
まだ、自分の中で1つだけ。押し込めている名前がある。
自分には音を聞く習慣がない。 ウォークマンもコンポも持っていない。 ラジカセは持っているがラジオをつけたことは少ない。 カセットなぞ箱から出すことも少ない。 でも歌うのは好きだ。 「意外」と言われることもあるが、カラオケは好きだ。 しかし、うろ覚えや聞きかじっただけの曲を歌えるほど器用ではない。 けれども、音を聞く習慣ががないからレパートリーは一向に増えない。 それもいいかと思ってはいるが。
自分の耳はいい方でも無いと思う。 少なくとも絶対音感みたいな一種の特技は持っていない。 自分に向かって言われていることでも良く聞き漏らす。 これはむしろ聴覚よりも集中力の問題だが。
大きい音はうるさいが、聞こえるか聞こえないかの音もうっとうしい。 いろんな音が一度に聞こえて、結果何も聞こえないこともしょっちゅうだ。 だからよく通る声の人は好きだ。 そういえば、自分の声も独特でよく聞こえるらしい。 それには親が年で耳が遠くなっていることも関係しているのかもしれないが。
音を聞く習慣がない。 音を聞いていると疲れる。 もしかすると自分はおびえているのかもしれない。 少なくとも携帯の着メロには恐怖症になってる。
何事にも波はある。と、思う。 以前から、何となくそんな風に考えていた。 理系の学問を学んで、エネルギーとしての『波』を学んでからは、それと結びつけて考えることもしばしばだった。
(これは今日のお題から外れるからまた後日に詳しく語るのだろうが、自分にとって数学・物理系の学問と哲学はリンクしている、と思う。哲学をきちんと学んでから、もう1度考えたいものだ)
曰く、周期がある。 1つの波は+と−が等しく振れ、0に戻る時が一定の周期で来る、と。 それは1つの理であり、全ての波にあてはまる。 そして自分は思う。 たとえそれが光であろうと音であろうと電波であろうと時間であろうと心であろうと。 エネルギーとしてその理はそれら全てが持っているのではなかろうかと。 それらの中のどれか1つがたった1つとして存在するとき。 0に戻るときは来る。確実に、そして絶対に。
けれど。 エネルギーは、波は、干渉し合う。 たとえ全く同じ物であろうと2つが合わされば1つのときとは変わってしまう。 合わさる物が違うのならばなおさらだ。
だから0になるときはそうそう来ない。 けれど、いつ来てもおかしくはないのだ。
普通。まぁ、『普遍的に通用する』という意味なのかもしれない。 反対語には『変わっている』がよく使われているように思う。
自分は、よく「ひすいってひすいだよね」と言われる。 つまりは自分は変わり者なのだろう。自分でもよくそう思う。 自分のとある友人もそう言われることが多いようだ。 でも自分からすれば普通の人だ。 自分にとって、普通とは、『自分が普段通りでいられる』ということだからだ。 隣にいて、言葉を交わす。 そのことに何の違和感もない。 たとえその人が過去にハードな人生送っていようが今現在苦しんでいようが満面の笑みを浮かべてノロケまくってくれようが。 自分は、普段通りにその隣にいるだけだ。 隣にいる。 人付き合いの理由なんてそれで十分だ。 言葉を交わす。 同じ言語を使っていても、理解できないなら出来ないなりに、それでも言葉を使って伝えることは大事だと思う。 そして、伝わってくるその言葉に違和感を感じないのなら。 自分は、普段通りに隣にいるだけ。 そうありたいと、ずっと、願ってきた。 その願いがどこまで現実に出来るのか、そんなことはわからない。
でもまとまらない。答えが出ない。 だからまた考える。 少し、まとまる。何か言葉を見つける。 その、繰り返し。
以前は、考えていたことを忘れてしまうのが惜しくて、でも忘れてしまうから、書き留めるのに必死だった。 けれど、いつのまにかそれをやめていた。 ネットに書いたことは見られる。 見られることを意識しすぎて、ネットで書けなくなった。 そうしたら、なぜか、見られるはずのないメモ帳にまで、書くことをやめていた。 落書きさえ、ほとんどしなくなった。 そしてある日、人と語り合うことさえしてないことに気付いた。 話はする。 けれど、自分1人では答えの出ないことを人に聞いたり、自分の思うことをぶつけたり、しなくなっていた。 語らない言葉は宙に浮いて消えてしまう。
だから、また、書き留めようと思った。
それが、もう1つの日記を書き始めた理由。
日記といっても、ウェブで公開している日記のこと。 ネットをふらふらしていてよく思うが、日記にもいろいろあるけれど、それらを「日記」と「ネタ帳」に大別出来るような気がする。 「日記」は単に日々あったことを記し、「ネタ帳」は思ったことを語る。 見ている人に訴えかけて共感を得るという意味では全て「ネタ帳」でもあるかもしれないが。 ちなみに、ココはバリバリ「ネタ帳」バージョンだな。
で。 初回にも書いたけど、この日記を書き始めた理由。 書けないことが増えすぎた。 事実は公開してもなんら問題はない(もちろん何事にも限度はあるが)と思うけれど、主観を公開すると波風が立ちやすいと思う。 主に人間関係で。 だから基本的にネットの外の知り合いには教えず、書いていこうと思う。 バレたらバレたで考える。 あの人が見るかもしれないが、それはあえて考えないでおこう。 書き始めなので、お題を「日記」にしてみた。 はれてゆうちゃんと「姉妹日記」になったことだし。
よろしく。
ゆうちゃんに書いてみて欲しいと言われたので、作った。
とりあえず、知り合いに教えることなくバレたらバレたで書いていくつもり。 というわけで、ココは知らない人の方が多いだろうから、自己紹介。
HN:ひすい HP:この日記のHPはまだない。管理だけなら5つほど。 メールアドレス:とりあえずフォームはつけました。 生年月日:1980年代最初の刃物の日。 身分:学生 性格:人見知りの激しい人当たりのきっつい奴。
この日記書き始めたわけ: 別口でもう1つ書いている。が、あんまりにもネットの外の知り合いに 見られているので書ける事が減りすぎた。 もともとの日記も発言恐怖症のリハビリのつもりで始めたんだが…。 エンピツを使って日記を書いているゆうちゃんに誘われて、エンピツで 日記を書き始めてみた。という次第。 この日記の方向性: 日々の出来事はもう1つの日記で書いている(事実は公開に値する) なのでこの日記では日々の中からお題をみつけて語る場になると思う。 『問わず語り』という言葉の似合う日記になればいいと願う。
では、以後お見知りおきを。
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