どうか、一筋の光を。
二泊三日で東京へ。 不安と緊張とが其々一握りずつあって、残り大半を占めているのは妙に冷静で無機質な何か。ホテルに着いたら、もうこんなことは言ってられないのかも知れないけれど。――奇妙な感じだ。
試験――というものは、特殊であるように感じる。殊に、入試なるものは。合格後には必要としないものを要求されることがある、其れは、基礎学力と言えなくもないけれど。出題側の意図を――意図が、何処にあるのか、何に向いているのか、受験側はきっと考える必要がある。検定試験だってきっと同じことなのだろうけれども、此の国では意図や意義や目的が、全部ひっくり返ってしまっている。
外国語ならば基礎学力、或いは今後の文献読解力。 小論文ならば己の思考を記述する力、或いは過去の知識力。 ……二択なら、私はどちらを選ぶだろう。どちらを選んでも自分を知って貰うには物足りないだろうな、と思う、けれども、私は後者を選択したのだから、文字上で知って貰うしかないのだ。私が、三年半に渡り遣ってきた事を。 これだから、試験って嫌だ。勉強は嫌いだ。学ぶことは、好きなのだけれども。
帰りの機内では、翻訳をしよう。ずっと考えていた。私は、遣りたいこと、遣ってみたいこと、色々あるけれども、只管に取り込んでいくのではなく、本当は、少しずつ消化していきたい。
悪夢の続きへと延びている、道を、歩んでいく。
大学の、普通教室(ゼミ部屋)で、豚汁・たこ焼き・焼肉。 ゼミは4限、卒論が5限。終了後から懇親会の予定で、私を含めた四年生女子三人は昼前――2限から下準備を始める。5限終了は六時なので、焼き物は当然その後からということになる。豚汁だけは、三年生に一足早く準備して頂いて。
何千円か払ってお店に行き、飲み放題で出された料理を食べるだけというのは楽なのだろう、非常に。然し、私の所属ゼミは、成程、確かに変わっていて、昼からアルコール無しでトランプ大会といったゼミコンを過去に開いている。会費は一人頭千円以内で収まる。 お店を予約するのではなく、ゼロから企画して、作って、後片付けまで――こういう懇親会は、楽しい。確かに楽しいだろう――多くの参加者は。数人の女子だけが莫迦を見るのだ。概ね、この損をする女子というのはアルコールを飲まない。
言って良いことと悪いことがある。 考えてはいても声に出してはいけないこともなる。 不特定多数の前では口にしない方が良いこともある。
無礼講なんて、本当は存在しないのだ。
皆は喜んでくれたけれども。 企画者である友人と私は、こういう懇親会を開く時は気をつけなければいけないね――と、密かに言い合った。とある男性先輩を、(私は以前から好いてはいなかったけれども)彼女は二度と信じないだろう。こういうことがあるから、私は男性不信になるのだ。
多和田葉子氏の『文字移植』は絶版本(の筈)だが、彼女の作品を幾つか読んで、そうして自分が翻訳なるものをし始めて、初めて彼女が『文字移植』で 書/描 いていたことが、少しだけ、理解できた気がする。翻訳は、受験英語を遣って来た私の英語感覚とはまるで違うところに位置しているのだ。
文字移植。
多分、其れは翻訳だけに限ったことではなくて。そう、人と人との間には、必ず或る種の翻訳行為が生じるのだ。だから、人は人を理解できない、人は人から理解されない、そうして他者を理解しようと努力したり、しなかったり、するのだろう。
文字 移植。
会話、対話、通話、手紙、メール、チャット、……。 絵画、音楽、造形、……諸々の表現方法。 其れら全て纏めて、移植 する/される。
文 字 移 植。
身を削って、言葉を傷つけて、作品を破壊して、音も旋律も崩壊させて、命さえも削って、人は、移植行為をするのだろうな。
何時だって切れるって思ってた。 帰宅したら切ろう、夜になったら切ろう、そう思ってた。
切りたい時も、切りたくない時も、切れる時も、切れない時も、ある。
北国は早足で秋が通り過ぎてゆく、其の真只中に佇んでいて、上着を持たずに外出は出来ないほどの気温になっている。半袖一枚では過ごせない。――今なら誰にも見つからないよ。そう囁くのは、自分自身。 気力が無いのは秋の所為? 季節の変わり目、夏バテの名残、迫り来る冬への準備として、私達は空を見上げる。高い、高い空の、金色の風。背に翼を持たない此の身は、只管に見上げるだけ。
一週間後の今頃は、首都。久しく――神経質になっている。
多忙と疲労の間で板挟みになる。
多分、本当は、もうこんなことは辞めたくて。でも辞められない、辞めてはいけない、そういう義務のような上からも下からも襲い来る圧力に、プレッシャーに、押し潰されそうで。――情けないなぁ。そう、思う。
不用意なことは、為ないように、言わないように。
門限がまだ私にとって鎖か枷でしかなかった頃、私は早く其処から解き放たれたいと、其れだけを願って止まなかった。大人になれば解き放たれるだろうか。大人と子供の境界線は何処にあるのだろうか。此処を出てゆけば解き放たれるのだろうか。何時になれば此処を出てゆけるのだろうか。何時か、此の背に翼が在りますように。そんな取り留めの無いことを日々心に抱きつつ、早く早くと願って已まなかった。 今だからわかる。昔為し得なかったことが、今出来得る筈もない。 何時からか門限は拒絶の理由と化した。私の家、門限早いから。厳しいのよ、門限破りなんて許されないわ。事実門限破りなどしようものなら待ち受けるものは恐怖以外の何物ではなかった。私は、ただただ怖かった。 恐怖が、潜んでいた。
今の私が大人と呼べるかどうかは此の際問わないことにして。 未だに鎖だの枷だの、そういうものから解き放たれていない私は、以前は容易に出来た筈の先読みが出来なくなり、苦手になり、嗚呼、年を重ねるごとに失われていくものというのは確かにあるのだと、思い知らされている。
一軒の本屋が潰れて、同じ場所に本屋が入ったというので冷やかし半分に立ち寄ってみると、なんと去年の十一月に出版された本(発売当初書店を巡ったけれども店頭には無くて在庫も無くて重版されていないのでお取り寄せも出来ませんよ、って断られた本)が、何と、あるじゃないか! 奥付けを見ると「第五刷」って……。何も買う予定ではなかったのに、即レジに持って行った。凡そ一年越しの入手。思わぬ収穫だ。
……。 …………。 ………………………………。
9月16日が終わると、毎年ほっと胸を撫で下ろす。
嗚呼、そう、丁度、自分が生きていることを後ろめたく思う感じ。居た堪れない想い。そういうものに似ている。だから、此の日が終わるとほっとするのだ。 早く。早く、講義が始まれば良いのに。そうすれば、きっと此の思いも、すぐに忘れられる。凍り付いてしまう。そう、もうすぐ其処まで、冬は近付いているのだから。
2006年09月16日(土) |
Geburtstag |
其れは君、愚か者の証拠だよ。
今日は年に一度の、多分、特別な日で、特別でありながら(特別であるからこそ、か)、毎年毎年あまり良い想い出は無い。何時の頃からか――特別は、特別ではなくなってゆく。 幾つかの小さな包み。開けると、ひとつにはパルファムの小瓶、ホワイトリリィの清かな香りが広がって。ひとつには銀のペンダント、愛の象徴と共に、薄桃色の小花があしらわれて。ひとつには小さなビーズのリング、赤いローズが添えられて。
朝から何やら微妙な忙しさが続いた一日で、夜まで其の微妙な忙しさは続いていて、矢っ張りこういうときは心境も微妙なのだ、何だか落ち着かない。左足首の痛みも相俟って、苛々しさえする。
「生まれてから四半世紀経ちました。」
此の台詞を言える日は、まだもう少し遠い。
部屋の整理――をしていたわけではないのだけれども、薄らと埃を被ったファイルを取り出しては中身を確認。 ……出るわ出るわ、中学時代の遺物が。もう笑うしかないようなものが。
元々物持ちは良い方で、というか物を棄てるのが苦手で、意外と昔のものまでそっくり其の侭残っていたりするのだけれども、様々に書き綴ったものやら書き殴ったものやらが出てくると、こう、懐かしくていけない。昔は良かったなぁ……なんて、思ってみたり。 当時から現在まで交流のある友達とか、今はすっかり御無沙汰している友達とか、色々思い出す。中には既に社会人であったり、フリーターであったり、ニート街道まっしぐらであったり、するわけで。私くらいなものかしら、モラトリアムを続けようとしているのは。……研究者って、永遠のモラトリアムだよね、って思う。教授陣の自由なこと。羨望。
捗らない受験勉強は兎も角、学びたいという意識(或いは意欲)は違える事無く、其れに関しては自信を持っている筈なのに、如何にも上手くいかないこともある。意欲的な人を前にすれば「自分も頑張ろう」と思うし、堕落した人を見れば自分もやる気を失くす。案外、私は他者に影響されやすいのかも知れない。
そんなことより何より、中学時代から其の保管場所が変わっていないということに、驚き。……自分で幾度となく整理しては再び同じ場所に戻していたのね。
京都日帰り、遂行完了。
之以上ないほどに慌しく、本当にこんなことで然もかなりの金額をかけての日帰りで、何か得るべきものがあったのかと問われると私は頸を傾げてしまうのだけれども、そうではなくて、無理矢理にでも私は何かを得なければならなかったというだけのことだ。どんなに拙いことでも、掘り出して、私は此の血と肉とにしなければならない。之が、私に課せられた義務であり、運命。ずっとそうしてきた、そうしてこれからもそうしていくのだ。
何処か一箇所に執着しているわけではない。何処に行っても、きっと私はやっていける。でも、何処に居たって、其処は私の居場所ではないのだ。生まれ育った此の北国も、自分の部屋でさえも、私の安住の地ではない。安住の地なんて、何処にも無い。わかっている。 私は決して安住の地を求めているわけではないのだと思う。理解していても受け容れられないことがある一方、理解できないのに受け容れられることもあるのだ。其れを、認識しているだけ。
昼下がりに黒糖羊羹と珈琲を用意する。纏わりつく甘味と其れを排除しようとする苦味が、妙だ。 窓の外には、雨の匂いが充満している。
不安定になると、無性にピアノを弾きたくなる。 このところ、ずっとピアノに向かう日々が続いている、だから、きっと今が不安定な時期なのだろう。今日はバッハ、昨日はショパン、一昨日は……ドビュッシー。明日は、弾けない日、鬼が居る日なので。
尊敬、していた筈の――少なくとも自慢ではあった――兄の、堕落振りに私は幻滅し、其の堕落振りから目を背けている。狂った、と言うよりは、螺子が一本飛んだ、と言った感じの姿。フリーター? ニート? 違う、パラサイトだ。 私はと言えば、そうはなりたくないと思いながらも、他方ではそうである兄を羨望しているわけだ。羨望している――といっても、矢張り「そうなりたい」というわけではないのだけれども。誰だって、楽して生きられるなら其の道を選びたいという、そういう意味合いでの羨望だ。だからこそ、私は其れを――そうしている兄と、其れを羨望してしまう自分さえも――許せないのだけれど。
気がついたら既に長月で、私は最初の受験まで一ヶ月を切っているわけだ。殆ど――勉強らしい勉強をせずに、此処まで来てしまった感がある。卒論も執筆に入っているし、霜月第一週には大学の文化特別週間があるし、遣ることは山程あるのに。手が付かないのは、私が怠惰なだけなんだろうな。
週末、土曜日は日帰りで京都へ。朝一便で神戸に降り立ち、最終便で関空から舞い戻る。
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