構内保育園 - 2002年10月31日(木) 今日は細胞生物学の赤血球の酸素化と水素イオンの放出の実験が班のメンバーでうまく協力してスムーズに進んでよかった。 ++ (まず断っておくと、時々各種MLに投稿した内容をほぼそのまま日記にしていることがあります。ごめん遊ばせ) 本日、興味あることを小耳に挟みました。 私が在籍している滋賀医大では、 学園紛争以降設立の大学の例に漏れず、「大学生協」がありません。 が、このところ急速に大学生協加入に向けて(早ければ来年度春から) 動きが出ているようです。 その原動力が、なんと「上からの構内保育園設置の要望」なのだそうです。 教職員、研修医に女性が増えていることが理由ですが、利用者には *学生*もターゲットとしているとのこと。 大学生協加入と保育園設置がどうつながるのか(多角化経営???) 良く分かりませんが、 すでに大学当局と既存の売店の間で話はついているようです。 個人的には私も家庭と仕事の両立を実現したいと望んでいますし、 親の労働力はさほど期待できない状況にあるので、可能性はともあれ(実現には、、希望を失わないこと??うーん) 今回の生協の保育園設立計画の話は、実家の労働力が期待できないのに子育てしたいと思う私にはかなりの朗報でした。 目下の医療業界ではハンデかもしれませんし、読者の皆様からの異論反論は承知の上で、体力的な限界があるので、自分のペースや 生活を大事にしながら学び、働き続けられる方法を模索していきたいと思っています。 - - 2002年10月30日(水) 今日は時間割りが3限までで実習が早く終わった。 久しぶりに大学から歩いて帰った。秋の風景は、というより大学周辺は、何とも寂しい景色で、つらつらと寂しい人生だよ、などとまたまた思ってしまった。大学の最寄り駅の瀬田に引っ越したくないのはそんな思いも混じっているのかもしれない。グレーの空、グレーの湖。 勿論、いざとなれば大学近くに引っ越さねばならないかもしれない。2時間近くかけて通っている自宅生の友人は、自分にとっては移動している方が切り替えが出来ていいと言っていた。その気持ち、何となく分かる。ましてや家族と居れた方がいいだろうし。ともあれ、一番ハードだと言われるこの後期が乗り越えられたら、引っ越さなくても大丈夫だろう。 ++ モシの採点を、友人にまたまた手伝ってもらう。今回はちゃんとバイト料をお渡ししました。はかどってありがたかった。 今日の夕食。 豚肉とレタス、タマネギのコンソメ煮。 小松菜と油揚げの煮浸し。 友人の差し入れの具沢山のミネストローネ(じゃがいも、セロリ、トマト、ブロッコリー、いんげん、大豆、人参、にんにく、タマネギ) 三分づき玄米のご飯と鮭フレーク 夕方から在宅できると、仮に採点しててものんびりできるなぁと実感。 一人でいる時間も大切にしたいし、 誰かと共有できる時間や事柄も大切にしたい。 - - 2002年10月29日(火) なにがどうと言うわけではないのですが、学校がハード。仕事よりは楽だと思うんだけど。。今日はかえるを使って活動電位を測定。生体材料のせいもあるのか、なかなかデータが思うようにとれず気疲した。 その後さらにカテキョ。ついついうつらうつらしてしまってぼけたことを口走り恥ずかしい思いをした。当然カテキョから帰って来たらバタンキューでございます。 滋賀医の先輩で、優秀で真面目なのになぜか再試に引っ掛かり巻くリで周りの人が不思議がっていたと言う方がおられたようですが、あとでその先輩が週5日バイトしていたと聞いて、ものすごく納得したことがあります。体力的にそして時間的に勉強時間確保し難いものね。。 ほんとに何とかしなくっちゃ。 - 秋、針葉樹の森で - 2002年10月28日(月) 木枯らしが吹き、昨日から急に寒くなった。先週水曜よりセーター登場。 学祭の片づけで授業なし。たまたま仕事が休みの友人と紅葉求めて出かけるも、、、針葉樹が多いじゃないか!TVでみごろとは放映してたし、確かにそれは真実なのだが、、 当初は散策するつもりだったので、 お弁当持参した(炊き込みご飯と玉子とじ、小松菜とマイタケの煮浸し)。 寒いので室内の休憩所でお昼。 ++ この頃気温が下がって来たので、ようやく腐る心配が減り、 安心して自炊できるようになって来た。 ++ 「受験生の家庭教師して、、」と私のスケジュールを説明したら、友人に 「知力体力の限界に挑んでる感じ。」と言われた。 今までそう思わなかったけど、そうなのかも。。 確かに今は家庭教師してるより自分の勉強したいよぉぉぉ。 知力の限界の方は、テストが芳しくなってから言わせて頂きましょうか(笑) ++ 明日から授業再開、スケジュール的にハードになりそう。 今週はテストが唯一ないのが救い。 - 学園祭 / 1981 / 親心 - 2002年10月27日(日) 大学の学園祭に行ってみた。単科大の学園祭ってどんなんだろ、と思っていたら、和気あいあいと模擬店が。そして、出張ミニ動物園があってひよこやポニー、やぎ、うさぎ、たぬき、、など動物達がいたのにはびっくりした! ついで、初めて構内をぐるっと一周回り、池が3つはあるのを確認した。日本庭園になっているところもあり、かなり意外。一人になりたい時、佇むのには(あるいは晴れた日にお昼にするのには)いいかもしれない。 木枯らし一号が噴いたとはいえ、晴天で、秋らしい良い天気だった。 ++ なぜか昨日「そうね誕生石ならルビイなの」という歌詞が頭の中をぐるぐる回り(多分このごろTVをつけっぱなしにして寝てしまうことが多いからだと思う)、タイトルを思い出せなかったのでおしゃべり系MLで尋ねた。そしたら「ルビイの指輪」とすぐレスが!懐かしいデス。 なお、歌詞やメロディーを忘れちゃったと言う方は、以下を御覧下さい! http://www.fukuchan.ac/music/j-folk3/rubinoyubiwa.html または、 http://www1.interq.or.jp/kunioki/song5.shtml 私的には、1981年、 滞在していたアメリカから帰国した時そこかしこでかかってた曲で、 小学校で低学年から中学年になり、 女子が男子を呼び捨てし、 女子のニックネームも大幅に変わり、 話題もマッチ(近藤正彦)とトシちゃん(田原俊彦)とどっちがいい、に始まり、 TVの話が多く占めるようになっていた、 そんな渡航前との浦島的な環境の激変と共に思い出される曲です。 ++ 親心というもの、大切な人、つまり我が子を思い遣る心、の機微が少しずつ分かるような気が私的はじめたこの頃。 近所のディスカウントショップで映画のビデオが380円で売り出されていた。ヒューマン系の作品で見たいのがあったら買いたかったのだけど、デカプリオさまが大半でなし。思わずヒュー・グラント様の「恋する予感」(1995年)を買ってしまう。まだ見てない作品。今よりずっと若い雰囲気でございます。見たら希望者には貸しちゃおう。お気軽に言って下さい。 - 「お見合い放浪記」所感。 - 2002年10月26日(土) 現在TV放映中の「お見合い放浪記」、人物の造型も今一つで、さしてwell madeな作品とは思わないが、自分にとって差し当たりrearlity のあるテーマだからチェックしてしまう。 主人公はお見合いを通してびびっと来るような出会いをして、熱烈な恋愛を経て結婚をしたいと願っており、お見合い回数も現在32回と記録更新しているのだが、 その世界では世界的権威とかいう父親の不倫疑惑その他を通して自分は結婚に幻想を持ち過ぎてきたのではないか、とはたと思う。が、愛し愛されることに憧れて何が悪い、とも思う。 主人公の気持ちのこの箇所は、私もよく分かる。 お互い気遣いあえる関係を持とうとして何が悪い。 確かに私も、夏に母、ついで京都のおばさま(一時居候させて頂くなどお世話になった北白川のおばさま)に口々に 「わかちゃん(あるいは、わかこちゃん)、結婚に憧れるのはいいけど、 結婚なんていいだけのものじゃないわよ。心のふれあいだから性急にどうにかなるものではないわよ」、そして「まずはがんばって日々を生きることから」と釘をさされた(註:おばさまとおじさまは齢70過ぎの素敵な御夫婦です)。 確かに、いいだけじゃないかもしれないけど、支えあったり力を合わせたりして何が悪いんじゃ。 心の中で反駁しながら、なぜ力をあわせることが素晴らしいと思うのだろう、とお見合い放浪記を見ながら主人公と一緒につらつらと考えた。 いまは余りそう見えないかもしれないけど、私自身、非常に人と共同作業を行うということが苦手で(体育のバレーボールとか、思い出されたし)、それは自分の意思をうまく伝えたり、スムーズに作業が進むよう身体を動かしたりすることが出来なかった。それゆえ、協調/協力して物事をすすめることっていいなぁと思うのかもしれない。それに、それは*一人では絶対出来ない*ことだ。 全然至りませんけど、それに見合った努力はするつもりで常にいるのに。 私と一緒なら幸せになる、と確信していても、私はいつも一番ではない。 ++ 寂しさを埋めるように求職中の友人が暇して京都在住してるのをいいことに、昨日に続いて今日もお昼、「おでんを作るからおいで」と食べ物をえさに呼ぶが、まぁそれは根本的な解決にはならない。 勿論、気軽に時間ができた時など声をかけてご飯食べたり散歩したりする友だちの存在は大事だと思うけど。ただなぁ、、彼女とは近い部分も多いけど、生き方の方向性が違うよなぁ、、(なんたって彼女は5年働いたてお金ためたあと1年旅行しまくって過ごしたという豪快な人ですから)、そして何より私はレズビアンではない。「好きなオンナと子ども育ててなにが悪いッ」とお互い思わない。母や妹は以前、彼女と暮らせばいいじゃないと言ったが、それは違う。そしてお互いそんなことは話題に出さない。 それにしてもどうして(というか当然というべきか。汗)、こうごちゃごちゃ考えずとも、私もフツーに恋愛したり家庭持ったりできてないんだろう。余り考えると涙が出て来るので止めるけど、自分が欠陥人間じゃないかとどれだけ思ったことか。。(確かに図書館で篭っていては出会いなんてほとんど限られてしまうので仕方ないとも言えるが。。)あーあ、、、 この日記を読まれた方は「あんたそんなんだから独りなのよッ」と思われるかもしれませんね(涙)。いい子なのにさ、ッて言ってくれる友だち、2人、妥協して最大限見積もって3、4人、かな(涙涙)。まぁ、これだけいれば十分と取りますか。 まだまだ改善の余地あるし、まずは再試をひとつひとつつぶしていくこと也。はぁ、ぼちぼちいきましょか。 - やなぎみわ個展 / ウツを巡る挿話 - 2002年10月25日(金) 学祭で今日は学校が休みだったので、のんびり朝寝できた。ただ、 昨日誕生日だった友人にお昼を作ってごちそうするといっていたのに、部屋の片づけどころか寝坊して外食にすることに。彼女のイタリア旅行の写真を沢山見せてもらった。景品であたったとかいうアウトドアジャケットまでもらっちゃった。 友人は求職中で、私に映画「モンスーン・ウェディング」と「ハッシュ」を勧めてくれた。前者は歌って踊ってのインド映画には珍しくインドのはでな結婚式を通じての人間関係の情趣が描き出されているそうだ。そして後者はイスラエルとパレスチナのドキュメント映画なのだそうな。 が、私の食指はどちらにも動かない。今は(偏狭といわれようが)人の結婚式なんか見たくないという心境であるし、後者は、、彼女が感情移入をするほど私にとってリアリティを持たなくて、かつて彼女と第二次世界大戦中慰安婦として連行されたオモニたちのドキュメント2部作や、ナチスの強制収容所のドキュメンタリー「ショア−」の9時間の大作を一緒に見た私は、いつの間にか私にとってのリアリティーは、むしろ、「about a boy」の新しい家族(?)の姿の探究や、「ブリジット・ジョーンズの日記」のブリジットであり、そして知的障害者の父親が親権を巡って争うという「I am Sam」を見たいと思っている私は、その事実をどう受け止めたらいいのか心の上で弄んだ。 お茶して休憩したあと、大阪・心斎橋・キリンプラザで開催中のやなぎみわの個展へ。新聞に載ってたりして、興味を持っていたので誘いが嬉しかった。my grandmothersというタイトルで、イメージしていたのとは異なって写真のパネル展示だった。元SMの女王とか、スーパーモデルとか、賢者とか、パイロットとか、そんな具合でやけにいけてる元気なおばあちゃんが多いと思ったら、作者およびモデルの人たちの理想のおばあさん像なんだそうな。のんびり老後を、というイメージの写真はなかったなぁ。。 あと、芳名録に「上野千鶴子 東京大学」とあり、思わず騒いでしまった(汗)。 案内はこちら。11月2日まで、会期中無休。 http://www.kirin.co.jp/active/art/kpo/event/200209/miwa.html +++++ 個展のあと家庭教師に行った。 帰りの地下鉄の中で、たまたま隣に座ったオジサマ・・30代後半か40代かはたまた50代か、私には分かりかねたが、立派なオジサマである・・が涙をしきりと拭っていた。目から涙が染み出ているようだった。 このひとも、とても悲しいことがあったか、或いはウツの感情失禁に苦しんでいるのだろうな、と思った。 今日、私は差し出がましいことをした。出席必須の実習にきていなかったと思わず同級生にメールしてしまったのだ。ただ、すでに親しくしていた同級生が一人実質来なくなっている以上、看過し難かった。 ++ ウツは治るけれど、あまくみると一生を棒に振りかねない、そんなこころの風邪だ。私も文学部の大学院時代、それで調子を崩して留年している。その時早めに手当てをして留年しなかったならば、さっさと研究に身を入れて博士に進学する(!?????)か、はたまた帳尻を合わせるかのように就職していたのだろうか。それまで履歴書が「きれい」だった私のことだから、ものすごい勢いでエンジンをふかして帳尻を合わせて就職していたのかもしれない。 確かに、私は(小さなものではあったけれど)NGOから内定をもらっていて、就職してしまおうと思えばできたと思う。 ただ、私は論文が書けず(かく体力も気力も残っておらず)、そのくせ、論文を書かずに(修士を終了せずに)退学するという選択も思い付かなかった。したがって、早々に論文提出取り下げ願いをだし、留年を決めた(その年は、火事に遭った直後だったから同情されもしたというのもあった)。10月のことであった。そしてそのあと、バイト以外はひたすらウタウタと眠りこけていた。。。 その時、修士を終了していたらどうだったのだろう。 薬の力を借りて楽になっていたらどうだったのだろう。 単にそれは帳尻を合わせていただけかもしれない。 幸いに私はまだ(当時は)先に無限に近い未来が開けているように思っており、学生であることに保護されて、さらに学生である期間を伸ばし、将来の決定を先延ばししていた。心だけは常に焦っていて論文、論文、と思っていたけど。 結局、ギリギリまで文学部にいた。その時の気持ちは、水村美苗の「私小説」(新潮文庫)がとてもよく代弁してくれている。 文学部の外の世界に着地するために、その時間は私に必要だったのかもしれない。そしてそこを通らなければ、今の私はなかっただろう。 でも同時に、その時間はなくて済ませられればその方がよかった時間である様な気もする。あとになってまで、「私の20代を返して!!!!」と思わなくて済み、いや、それ以上に、死と隣り合わせの孤独の恐ろしさをさして味わわずに済み、そして今もその死と隣り合わせの孤独に脅え続けなくて済んだのだろうと思う。 心は風邪を引いて休みたかった。 だけど休みの代償は代償であり、どこか一か八かの危険な要素を含み、 あとから意味を見い出していくことも多い、そんな休みである様な気がする。 私にとって、ウツの経験とは一体なんなのだろう。 自分に心地よい生き方を身につけるまで/ための通過点なのだろうか。 - 静止膜電位の測定 - 2002年10月24日(木) 今日(10/25)は学校休み。相当疲れていたようで昨日から13時間は眠った。滋賀医のカリキュラムでは2年の後期が一番しんどいらしいけど、解剖実習が実際に始まるのはあと一月後だから、ほんと体力がもっと欲しい。。 昨日は生理学実習でかえるの筋の静止膜電位をはかったが、これが妙に手が余る実験で、教室が騒々しかったのもあって余計疲れが増幅した様に思う。 実験の終わりのディスカッションで静止膜電位の発生の要因が口頭で答えられなかったので復習。 1)細胞内にはマイナスチャージを持つ高分子が存在する。 2)ナトリウム/カリウムポンプの存在。 3)細胞膜はカリウム透過性が高い 以上。 - - 2002年10月23日(水) ちょっとした出来事があって、孤独感から体調を崩したり勉強が手につかなくなったりするのは私だけじゃないと少し気が楽になった。 その前まで、今日こそは相談にいって、留年の不安と卒後医師の職務に耐えられるか話にいこうと決意していたのだけど。 暗記に苦手感があるけど、テストは一つ一つ、かな。 その他のことは、結論を性急に出さずに決めていったらいいのかな。 ちょっと風邪っぽく、妙に眠い。気をつけよう。 バイト前、ミスドのホットティーで大分生き返る思いをした。暖かいお茶、いい! - フィオナみたいに。 - 2002年10月22日(火) 今朝は映画「about a boy」のシングルマザーのフィオナみたいに、朝からわんわん泣いた。このごろ、夜もそんなふうに泣く日が多い。不安定だ。 病院では、薬を増やすように言われた。季節との関係が指摘され、今後数年観察期間だと言われた。私はテストプレッシャーその他が大きいと思っているのだが、、(治りかけのところに後期で忙しくなったのもあり、疲れてしまっている)それから自分に程よい生き方のペースを見つけるには数年かけていくのがよろしかろうと、、 ともあれ、わんわん泣いてひとまず先に休んで、今から明日の消化器の準備。できるところまで諦めず歩を進めましょうか。 - 月曜日。 - 2002年10月21日(月) また新しい1週間の始まりだ。 代謝生化学のレポートをだして・・取りかかれば恐れるに足りず速いじゃないか・・有機化学の再試を通してもらって・・不確かな覚え方をしているところがあったけど、満点の大問があって嬉しかった・・組織学の実習をして・・今日はスケッチ、異様にみんな残ってやってた。今日は上皮組織と筋組織。わいわいいいながらお目当ての組織を探すのは楽しかった・・帰り道、電車の乗り継ぎの合間にMr.ドーナッツの景品の秋のコスメグッズの2個目をもらって、家庭教師のおしえ子のモシの成績をみて・・英語は特に文法が進歩、古文漢文はこれからさらに伸びるかな・・彼女と美術話で盛り上がって・・いつもそれが楽しい・・そんな一日。 スケッチと美大志望の子とのおしゃべりで余り疲れも感じなくて済む、そんな一日の終わりかた。 あともうちょいと試験の準備をしてから休みましょうか。 - - 2002年10月20日(日) 昨日は夕方食材を買いに行って、 思わず常温保存可能なロングライフ食品のレトルトのおでん(一人前189キロカロリーなり)を買い占めてしまった。スープ入りでさつま揚げ、たまご、大根、こんにゃく、ごぼうまき、ちくわ、昆布の入っている優れもので、5分暖めれば良いようになっている。 あと、私はモチ入り巾着が好きなので、それも買った。 帰宅して、さっそく調理(といってもあたためるだけだけど。でもこの日はほうれん草も加えて一緒に茹でた)に取りかかった。 モチ入り巾着のパッケージを開けるためにふと見ると、なんと。原産国中国ではないか!慌てておでんのほうも見るとこちらは何も書いてないので新潟のメーカーが製造者という以外、詳細はよく分からない。 さすが食料自給率4割の日本だ。 タイムリーにもNHKで食糧問題についての特集を放送していた。生の根幹を成す食に対して、あぜんとするお役所仕事。基準がないから残留農薬の検査はしていませんでした、と。 地場産の食品を中心とした和食に切りかえれば、今のままでも自給率は8割になると何かで見た覚えがあるが、心がけて行くことが一消費者として出来る事なのだろうか。 ++ 例のごとく、またテレビをつけたまま日付変更線を越える頃眠ってしまい、矢井田瞳の大阪万博公園でのライブの大音量で目が覚めた。 彼女の音楽はアップテンポながらも独特の哀愁感が漂っていて、情動を揺り動かされて切なくなってしまった。リアルに他人の過去が想像されてしまって。 何もない寂しい人生、いや何もなくはないんだろうから単に寂しい人生としておこうか、それは私だよ。必要(?)を感じていながら・・でもこんなやつには誰も寄ってこなくて自然かもしれない・・今まで生きてきて伴侶にも巡り合わず、弱い人間だということは自覚しているけど(ぎりぎりまでがんばっていないのだろうか?)、今も一人で日々にあくせくするだけ。喜びとか悲しみとか、他人と分かち合うほうがどれだけ嬉しいだろう。 精子バンクの利用も半ば真剣に考えていて、シングルマザーへの説明事項なんか思わずまじまじと読んでしまった。そのためには経済力をつけるべし、なのだが。 http://www.osk.3web.ne.jp/~excelle/(←日本初の精子バンクらしい) ったく、ね。 - 美術展二つ+後期開始後三週間。 - 2002年10月19日(土) 今朝は開館と同時に岡崎の近代美術館の「スーラと新印象派展」へ。系統だてて展示してあって、技法的な面から点描画を見れて興味深い。抜けるような青い空の絵もあったりして心にしみる。なかなか良い展示だった。 そのあと向かい側の市立美術館の「メトロポリタン美術館展−ピカソとエコールド・パリ展」へ。こちらは押すな押すなの大盛況。週休二日で土曜日が休みの関係で中学生小学生も多い。有名どころの総花的な展示で、絵の好き嫌いもあるのだろうけど、私は余り、、という感じだった。人が多いのもあるせいか、スーラの方と客層も違う感じ。 ともあれ、友人の障害者手帳のおかげで、両方ただで梯子できたので感謝感謝。 朝、ちょっと美術館を梯子したり、山に登ったりということが京都は気軽にできるところが嬉しい。 ++ さてさて、課題、試験が急に増えて、、本当に知力体力気力的に不安です。 この一週間ですら、木曜金曜には疲れて(若い子も水曜過ぎると疲れてるらしいので安心したけど)たから。。 こんな状態でわたしは学生だけ、ひいては仕事だけ必死で続けていくんだろうか。。 この前読んだアエラの別冊の「職場のウツ病特集」には40前後のキャリア女性が それこそこのまま家族もいなくていいんだろうかと情緒的な孤独や仕事面での行き詰まりを感じると書いてあったけど、私は40を待たずして恐怖を感じてます。 彼女達の大卒後20年分の孤独はもう経験しちゃった気がする(20年分の仕事は全然してないけど。。それともまだまだ序の口??)。 まだ若いとかいうのは事実かもしれないけど、もうそれは言わないで。 若いから焦らなくていいと言うのと、今現在寂しい、辛い、と言うのは違う。 この日記は、こちらの精神状態がバレバレで些かきまり悪くもある。 なら書くな、公表するな、という話になりますが、自分を見つめる道具の一つだし、 単に私が泣いたり笑ったりしていることが励みになる友人もいる(!??)らしいし、日記はそのままにしてます。 時に怖くなると言うのは、一人で生きていること自体が怖い。 もちろん、独りでないといえばないし、人は一人で生きるしかなくもあるのだけど、誰も身近にいない怖さ。 ++ 同時に、長らく集団にとけ込めなかった私、あるいは今も集団がちょっと息苦しい。 案外そういうひと思ってたより多いのかなという気が最近ようやくして来た。自分の中でちょっとずつ距離をとって自分を守って生きてる人多いっていうのかな。 ひとつには、推測でしかないけど、母を常に恐れていて(?) 物事へちょっとした距離、離人感というと言い過ぎかな、を持っていて、 ナニカ集団へ没頭しにくかったのかな。醒めた眼で一歩引いて身構えてるみたいな。 いつ怒り出すか、機嫌が変わるか分からない。 私が高校生ぐらいの時からそんな母じゃなくて気持ちが安定して、今は包み込んでくれるようになったけど。 一人の女性としての母の辛さは推測できる。 いろいろ、鬱屈していたと思う。 昨日は母の誕生日だった。 ++ 二時間睡眠で起きて課題。山積みだ。美術館で気分転換したことでもあるし、明日はバイトデーだから今日できるだけ片付けよう。 - 週休3日希望なり。 - 2002年10月18日(金) 身体がもう週末を欲していて、午前中授業よりも睡眠をとってしまいました。今日はそのあとも妙に眠たかった。 消化器のスケッチを計10枚書いて、そのあとまたまた家庭教師。。仕事があるのが幸いとはいえ、自分の体力的限界上、泣けてくる。。気分的なこともあるし、必要以上に自分に負荷をかけたくないんだけど、、しかしなぁ、向こうも受験生だし。。 ほんとうに、これで体力勝負の解剖になると、本当についていけるか怖い。授業を中心に据えて体力を温存しなきゃ。。。 「解剖学アトラス」のハンディ版、内臓編を買った。 消化器の試験資料をコピーした。 - 疲れている。。 - 2002年10月17日(木) 妙に疲れている。 授業のフォローをしたいところだが、、 今日は家庭教師の帰り、JRと地下鉄と両方、眠りこけていてひと駅ずつ乗り過ごしてしまった。こんなことをするのは初めてだ。 目の前のことすらきちんと出来ず、 そのくせ半ば死と隣り合わせの孤独感に時折苛まされる。 これで自分の家庭なんて遠すぎて、お笑いぐさですね(苦笑)。 消化器の組織のスケッチだけはテキパキやったけど。。 もうわかこは人生に疲れてしまったよ、そんな気さえする。 - 泣きながら勉強する私、を受け入れよう - 2002年10月15日(火) 今日も大分しゃくりあげて泣いた。 疲れているのか、涙がよく出た。 泣きながら勉強する私を受け入れよう。 効率は悪いかもしれないけど、ゆっくり前に進もう。 時に襲われる身を切るような孤独感と 再試スパイラルへのもどかしさと焦燥感。 これが今の課題だ。 孤独感の方は、単に寂しいというのを私の場合は越えていて、 死と隣り合わせの底なしの淵だ。 大学院の冷たさ(文学部時代)と、その時期に軽トラックに跳ねられたこと、火事に遭ったことが、一人でいることへの恐怖を時に引き起こす。 再試スパイラルの方は、一言でいえば勉強しないことに原因があるのだが、それにはいくつかの問題がある。逃げることと時間の確保ができにくいことが共存していて、ゆえに焦りがつのり自分にかけるプレッシャーが大きくなる。今日も解剖学のテスト(生殖器と泌尿器)だったが、今回は完全に再試だな。落ち着いて準備できれば良いのだが。前日の晩、家庭教師で三時間指導しながら、人の勉強より自分の勉強、とは思ったが生活費の財源でもあるし、、難しい。なら箱根に行くなという話もあるが、私の生活から楽しみを奪わないで! うーん、重み付けが下手なのかな、、前倒しと時間の管理となるべくゆとりを持つように何でもしようとしないことか、、 その上で、気持ちを安定させて日々を送るために、一体どうしたら良いんだろう? - three days - 2002年10月14日(月) 1012 talking over the wine glasses 夕方鎌倉につき、鎌倉のオネエサンのお邪魔しました。 お土産はなんとMr.ドーナッツのドーナッツ新商品10個。 おかげで景品の「組曲」のコスメボックスをゲット!ニコ☆ 夜、グラスを傾けながら鎌倉のオネエサンに「寂しい人生です」といったら 「あなたは友だちがたくさんいて、関東にこればこうして寄る先もあるし、 一緒に北海道に旅行する友だちもいる」 と言われました。 確かに。 でも、大人なら当たり前のようにみな自分の生活があって、、 オネエサンは次いで「何かあった時電話で駆け付けてくれる人はいる?」と聞いてくれた。「いない」と答えました。寂しいのをちょっと納得して貰えた。 何かあった時電話して駆け付けてくれる人、 (逆にいえば自分が駆け付ける誰か)はいない。 私が心を閉ざし過ぎているのでしょうか? 伴侶が欲しいと私がいうのに対して(なんと22歳の時から断続的に私はそう言っている)、 なぜそう思うようになったのかという話になった。 まだ若いのに、とよく言われる。 でも一人なのは私にとっては死と隣り合わせの恐怖感がある。 大学院の冷たさが未だこたえ(私はそこでうまくやれなかった)、 それは(勉強面での)はじめての思うにならない挫折だったからなのか、どうなのか。。 1013 to Hakone 朝からミニ・ク−パー君に乗って箱根へ。 友人の勤める新しく開館した美術館、「ポーラ美術館」がお目当てだ。 結構道路が混んでて、予定より出発が遅れたのもあり、着いたのがお昼前。 ポーラ美術館は、個人がよく集めたなぁという作品の多さです。 民間でよくここまでやってると言う感じで設備もよかった。 モネの絵が結構ありました。 そのあとまた渋滞している道を芦ノ湖へ。 箱根は紅葉にはまだ早いけど、すすきが綺麗でした。 手持ちのお弁当のご飯(お芋ご飯と茸ご飯)に、ローソンでおかず(おでんなど)を買い足して芦ノ湖湖畔で遅めのお昼。ローソンはなかなかいけてる。ローソンのおでんでここまで幸せになれる私は幸せだ。 芦ノ湖では日が沈むのを見ることができました! そのあと大湧谷へ。一つ食べると7年長生きするという(?)黒いたまごを食べました!さらにカンポの宿で温泉に。こちらにも黒いたまごが売ってて10日間くらい日持ちするとのことだったので、また買ってしまいました(ゆえに売店のおじさんに気に入られてしまいました)。 さらに大観山や2つ程のスポットで夜景を見ました。満点の星空で、とても嬉しかった。月もきれいな半月でした。箱根からは富士山が綺麗に見えました。 帰り、江ノ島の入り口でトンコツラーメン。これがまたおいしかった。 ささやかな幸せに満ちあふれた小旅行。 ドライバーさん、ありがとうございました! それから、神奈川は住みやすそうで良いなと思いました。 1014 meet the parents... むちゃくちゃ楽しい三日間でした。ありがとうございました!!! - 10/12-14 - 2002年10月12日(土) 鎌倉、箱根でリフレッシュして参ります。 秋晴れの良い天気ですね。 皆様はどんな秋の日をお過ごしですか? - 一週間。 - 2002年10月11日(金) あっという間に一週間が終わった。高校生活の一週間も早く過ぎたものだが、それと比べてどうだろう? スケッチ、試験、講議、慌ただしいお昼、バイト、復習しなきゃという気持ち、、そんな一週間だった。スケッチは結構好きだが、今の人体組織のスケッチも今日で半分終わってしまったらしい。この授業、二年の前期にやっても良いよね、とつくづく思う。生理学や生化学の知識や理解を必要とするものじゃないからね。 発生学はギリギリ通ったらしい。ちゃんと勉強して受ければ良かったけど。。 医用工学は、レポートを二週間以上(!!!)遅れて出したにもかかわらず、優をつけて頂いた。感謝だ。おかげで自然科学系の基礎学の単位は揃った。問題は有機化学(生化学で挽回すれば良いらしい)、統計学(過去問をゲットしておくべきだった!或いは、マトモに勉強しておくべきだった!<こちらの方が正攻法ですな。汗)、細胞生理学(今になってからの方が生化学とリンクして理解しやすい)だ。そして、解剖学の循環器の範囲。。 日記の内容が、社会や生き方についての思索に耽りつつ、「勉強時間がどうのこうの」と書いていた受験生時代みたいになってることにふと気付く。 ++ 家庭教師の教え子に買っていった問題集とその進め方(その場で復習して定着させる)が彼女に合ってたみたい。良かった。連休中計画表を立てて渡して自主性に任せてみようかと思うが、ともあれこれでしっかり定着させて何とかしたいところである。。 - 10-9&10 - 2002年10月10日(木) ・昨日は学校のあと家庭教師いって帰って来て一時間程で眠ってしまい、日記を書きませんでした。おまけに7時半近くまで眠ってたし。。 勉強時間を確保したいというのと、あと平日の家庭教師を間引かないと(私の場合、今のように授業が連日びっしり朝から夜まで入っていると翌日に疲れが蓄積していくのもあり)いかんなというのと、、痛切に思っております。 ともあれ、授業が医学部らしくなって来ました。 ・ノーベル賞化学賞、ノーマークの企業研究者の受賞というところが良かった。さて、日本人は30年後、あるいは40年後もノーベル賞を受賞しているのだろうか?? ・幸い今日はバイトがないので、予習復習&採点バイトができそうです。 - 今日はテストだというのに。。 - 2002年10月08日(火) 去年の前期からの悪いくせで、再入学してるんだからチャンとやらなきゃとか(そして苦手感と相俟って)どこかで思ってるらしく、テスト勉強が手につきにくい状態になっている(なので結果としてちゃんとできていない)。なんとか克服というか改善しないと。。これから受験生の比でなく(?)テストの嵐だというのに。。完璧主義は捨てて、やることをそれこそ限らないと。。 おまけに、見ず知らずの28歳の学士入学の医学部の学生の方が春に結婚して夏に出産したとかいう知らせに、全く関係ないのにまた泣いてしまった。うらやましくて、かな。このままだと私はタイミングを逃してしまう、と。 卒業してからなんて考えただけでもゾッとする。学生の今でさえあっぷあっぷしかけてるのに。。(ならましてや結婚や出産なんて無理よ、といわれたら仕方ないけど、でも私はシングルタスクな傾向がある人間なのだ。卒業してからなんて。。想像するだけでも忙しそうでゾッとする) 私にはそもそも恋愛したり自分の家庭を持ったりすることは無理なのかなと思うとものすごく悲しくて悲しくて、貪臭い自分がいやになってくる。私も普通に結婚したかった。普通に子育てしたかった(まだ過去形にしてしまう必要はないかもしれないけど)。家庭生活を送りたかった。 体育の授業で逆上がりが出来なくて、あるいは跳び箱が飛べなくて、居残りをしている気分だ。 今日はテストだというのにね。頬を伝わる涙と付き合ってる暇はないのにね。 ++ で、テストの出来はイマイチ。。 直前に詰め込んだのが一つでたのは良かったけど。。 いやぁ、反省、もっと自分で再現できるような覚え方をしよう。 そして今日が唯一今週3限で終わりだったので(あとは全て一応5限まで組んである)、帰り美容院に寄ってリフレッシュ。それからようよう家庭教師の教材の本を買う。 100円ショップも覗いたけど、今一つ欲しい収納用具がなかったのでパス。 - エトセトラ - 2002年10月07日(月) 明日は人体構造論の第一回目のテスト。結構量が多い(?)。総論と循環器だ(心血管系+リンパ系)。 今日は泌尿器系の組織のスケッチをした。 やはり図説があると大分便利だ。 ++ このまえ某氏がプレゼントしてくれた「いやな気分よ、さようなら−自分で学ぶ「抑うつ」克服法」デビッド・D・バーンズ著、野村総一郎ほか訳、星和書店、愛情からの自立というところ、ちょっと論法に反感を感じてしまう。確かに私には依存的なところがあるかとは思うし、また、欧米はカップルでいることへの圧力が強いから、逆に一人でも悪くないんだよという本の必要性が出て来るのだと思う(「一人で生きるためのポジティブシンキング」講談社+α文庫など)。 でも、善し悪しではないと思うが、一人でいることと2人以上は全然違う。生き方云々の認知方法を変えることは良いかもしれないが、そこにある違いを認めないのは釈然としないのである。 ちなみに私はちょっと今自信を喪失気味でして。。 仕事や勉強もズバズバ刀を振るっているとは言い難いとは思うけど、、 プライベートで、恋人や家族を作る能に欠けているんだろうかと悲しく諦め気分になったりしているわけです。。 あるいは人間的、もしくは女性としての魅力に欠落しているとか。。 後期が始まって疲れてるのかなぁ。。 はぁ。。勝手ですが、励ましていただけると喜びます。。 - 少し暑めの秋の土曜日 - 2002年10月05日(土) 今日買った本。 思わず目についた「3D写真で目が良くなる本」栗田昌裕著/王様文庫. 写真を見ているだけで十分面白い。ただし私は立体視が相当弱いみたい。自分でも良く見えてないなぁと思っていたから、やはりそうかと言う感じ。眼が良くなるといいな。 授業で使う、「図説組織学」。人体の組織の標本の写真が沢山載っていて、授業の実習でスケッチするのもこのような標本のプレパラートのものだ。染めてあるのでこれが存外きれいなのです。 ++ 部屋が散らかっていて、一昨日、泊まりに来た妹を余りにも喜ばせてしまったので、本日は一念発起して(汗汗)バスタブを久々に磨いた。おお、ピカピカになるではないか!わお! お皿を洗うのがさっぱりして快感であるのと同じように、部屋の片づけに熱を上げられたらいいのだけど(笑)。これはホームパーティーでも開いて片付けるか? ++ 今日こそは家庭教師の教え子に思いきって彼女の現在の学力と希望のギャップを指摘した(学校側はなんら有益なアドバイスをしていない模様)。 教え子はやる気はあるのだが。。 ただ、今日数字を見せ、その内容を分析しながらきつく言ったのに対して、生徒が過度に受け止めず、へこんでなかったのがすくい。 以前勤めていた高校、あるいは自分の母校では、余りに学力偏重主義の気がして反発を感じないでもなかったが、高校の役目を学力をきちんとつけること、とするのであれば、熱心な先生方が工夫して、仮に寺小屋方式だとしても、学力伸長と言う意味では成功していたと思う。また、聖徒の学力を伸ばしつつ、現実と希望を調整して行く進路指導の手腕は、価値の押し付けが全くないとは言えないだろうが、大したものだったと思う。学力は伸ばし、希望は最大限実現する補助輪の役目を果たすとしても、学力のノビシロは見極めないといけない。そういったことを放棄した進学指導はいささか無責任ではないだろうか。 ともあれ、仮に学校でモシを受けさせるのであれば、その手当ての仕方や結果の(数字の)見方も提示すべきである。渡しっぱなしでは学校で受けさせる意味もない。学校のあり方のある部分について、時折指導しながら考えさせられる。 ++ ドラマ「ロッカーのハナコさん」のあと、「阿川佐和子のお見合い放浪記」講談社+α文庫がドラマ化されて放映される。原著では阿川さん、20代から35歳くらいまでだったのだが、いきなり今回は31歳、フリーのフランス語翻訳家が主人公という設定だ(ちなみに、まったく意匠は異なるが、奇しくもロッカーのハナコさんも31歳であった)。31歳が生き方に揺れる*ビミョーなお年頃*であるらしい。たしかに、今やこの話、27歳とかそういう設定では視聴者にそっぽを向かれるんだろう。ううむ。それを思えば私はまだ若いってか? モラトリアム期間が年々伸びていることを喜んでいいのか悪いのか良く分からないが、ともあれ、アリーmy ラブのアリーや、「ブリジット・ジョーンズの日記」のブリジットだって31−2なわけで、今やどうも、30越えてないと*ビミョーなお年頃*と言えないようだ。ましてや、現在劇場公開中のヒュー・グラント主演「アバウト・ア・ボーイ」(about a boy)は、本音本であるところが共通すると、男性版「ブリジット・ジョーンズの日記」との触れ込みだったが、こちら主人公殿38歳。男性の場合は限り無く40ですか。 おそらく、30過ぎがビミョーな、というのは女性の場合、腰を据えて高齢出産をする覚悟をきめるか否か(あるいはパートナー探しにおいての諸々の価値観あるいはチャンス)というファクターが一つには・・もちろん、個々人によって事情も価値観も全く異なるのは承知の上で・・あるんだと思う。しかし今や39歳で結婚した山田邦子もフツーに「次は子どもを。。」なんて会話を親子でテレビでするように、子ども産み育てたい人も含めて、40前後までいける、みたいな風潮になって来ているのも事実である。 と、予告編を観ながら、妙なところで感心してしまった。 ともあれ、ちょっと今度は「ハナコさん」より地味めな感じの映像に見えた。 まぁ、かく言う私は相変わらずで、格別に洗練されているわけでもなく、 気がつけば髪の毛もまたパサパサしかけて来ていて、 相変わらず、きれいなオネエサンは私の憧れである。 - 後期3日目 - 2002年10月04日(金) ひとまず昨日壊れた携帯は朝いきなり復活した。めでたい。全く同じ妹の携帯も怪しい感じ。ソニーなんだが、お洒落デザイン優先なのだろうか。 ++ 生化学、人体構造学に続いて、臓器生理学の授業が始まる。前期の細胞生理学よりも、身体のことなので馴染みやすい。そして格段に分かりやすい。聞き流していただけだったが、今までの授業も無駄ではなかったのかな? 人体構造学は今日はリンパ系の器官のスケッチ。今日始めて学士編入の方々を交えてあいうえおの名簿順に並んで座った。一年生の時のクラス別と雰囲気が変わって、ちょっと緊張感あり。 総論までの時は小テスト楽勝と思ったけど、心血管系、リンパ系と進むにつれて量が増えて来て、テストの範囲が限られているとは言えちょっと大変そう。あと、先生が日本語名を仰らなくなって来たので、これは英語名を覚えておけと言うことか。 ++ 採点、その他、遅れがちで反省(重み付けが下手なことと連動?)。 昨晩泊まっていった妹、私があげた水色のフリルの襟の7分袖のブラウス(i.n.e)は持って帰ったくせに、昨日着てた同じく水色の長袖ブラウス(vert dense)は忘れて行った。スカートとヘアバンドも。なんか笑えるねぇ。 ドラマ「ロッカーのハナコさん」最終回。ハナコさんが消えなくて良かった! - 専門っぽくなって来たかな?? - 2002年10月03日(木) 昨日より調子が悪かったので午前中受診しに行ったところ、予約がないため一時過ぎるとのこと。それでは困るので、薬だけもらって(それもこまるのだが)帰った。大学病院は融通が効かない。できれば転院したい。 仕方ないので勝手に薬を飲む間隔を狭めて自衛している(!??) 今日は人体構造学でスケッチが始まった。スケッチは楽なのだが、 英語の単語の日本語訳は予習で調べておくようにした方が良い様な気がした。 某人から「いやな気分よ、さようなら−自分で学ぶ「抑うつ」克服法」デビッド・D・バーンズ著、野村総一郎ほか訳、星和書店がプレゼントで届いた(先々週あたりのアエラの「ウツの認知療法」の記事で取り上げられていた本の一冊)。私のウツを心配してくれているのはよく分かる。でも。。と反ばくしてはならないのだろうか。 携帯電話が壊れた。 ひどく不便×ブルーだ。 - 人生は戦いである - 2002年10月02日(水) 後期授業が始まる。試験もしょっちゅうあるし、、と怯えていたが、そう深刻になりすぎなくてもよさそう。 でも、授業中涙が出そうになるのをハンカチで押さえるのに必死だった。 疲れているんだろうか? 部屋で夜しゃくりあげて泣いてしまった。恐ろしいまでの孤独の淵、文学部の院生だった時、思い出してしまった。もう嫌だ嫌だ嫌だ。一人は嫌だ。 クリムトの絵に「人生は戦いである」という、金箔もきらびやかな絵がある。私の二十代はほぼ戦争で、孤独の中(文学部の院生は机もなかった。自分の居場所、がないというのか)必死で生きることが戦いだった。もっと肩の力を抜けば良かったのかもしれないが、抜く場所も差し当たり見つけられなかった(そんな人間に魅力があるか、と自問すれば・・汗)。しかし、それを偉いと言われても困る。辛いが、ただ独りであったと言う事実でしかなく、偉いわけではない。心の支えになるようなナニカ、この世界につなぎ止めるナニカ、があれば良かったのだろう。それを大きなものへ自分を捧げよ、と言った人もあり、確かにそれは大事だと思うが、私は日常の幸せがまずほしい俗物である。 私の戦いに、ひとまず終止符を打ちたいのだが。。 まず自分の手で、一人を楽しみ、張り合いを持たせよ、と言うのか。 - 診察室で - 2002年10月01日(火) 気が付いたら十月になっていた。明日から後期授業が始まる。 歯の検診、解剖の予習、部屋の片づけ、バイト先へのわび、シフト変更報告など、沢山すべきことがある一日だったが、起きてても涙が止まらないし(久しぶりに自分の部屋でこれだけ泣いた)、調子も余りよくなくて、贅沢ではあるが一日眠って過ごしてしまった。 ニューフェース氏達に会うのに疲れてしまったのは、一つには、私が一見快活で愉快で、かつ話の裏表を考えなくていい肩の凝らない女の子に見える(私にそういう部分があるのは事実である)ことと、自分に極めて内省的な部分があることのズレに疲れてしまったのかもしれない。 取り繕うのも嫌だったので、「調子が悪い」と約束を断った某氏に率直に理由を話したが、とてもそんなふうに思えなかったと言われた(どう受け取ったかは知らないがひとまず話を聞いてはくれた)。説明に電話で14分で済んだから、実は診察室でも空いてる時なら話せることなのかもしれない。 診察室でも私はもはやウツに見えないらしく、薬を持っていて安心だろうけど飲まなくて良いものは飲まなくて済むように、と言われている。しかし、なかなか慌ただしい大学病院では、過食の話が出来なかったように、ウツの原因はなかなか話しづらい。 先日購入した、野村総一郎著「精神科にできること」(講談社新書)によれば、「ウツは癌の次に苦しく」、「継続的な服薬が再発予防につながり」、 カンジャには「物事の判断の重み付けが苦手な人が多い(だから全て手を抜かずやろうとして日々過労、張り詰めている)」とのこと。自分の状況を把握する助けにはなる。 この優先順位がつけられないというのは非常に思い当たる節がある。 あと、憂鬱感はほんとに、思うように仕事もプライベートもできず、生きる喜びや原動力を奪うので嬉しくない。花の二十代をどうしてくれる、と恨めしい。 こんな状況でとりあえず診察を受け投薬を受けているわけだが、 この前診察室に入った時、思い出した。 ウツは強いストレスで誘引され、大学院の時2回治療を受けた時は、ストレス原因は論文(あるいはゼミの発表)だった。 大学院生の時の2回目のウツの時、先生にホント力になって頂き、 治療室で、自分もこういうふうに、 弱ったり迷ったりしている人の、ちょっとした手助けがしたいと強く思ったこと。他にもいろいろ理由はあったけど、 それが踏み出したきっかけとしては一番強い。 もちろん、表向きはこう言わない。面接でも、そうでなくても、受けが悪い。教員をやっていて心の問題に向き合いたいと思いましたとでも言っておいた方が余程いい。 ちょっとしたenpowerment。それを職とするために医学部に入り直したのだが、どうなのだろう。これから必要とされる労力に私は堪えうるのだろうか。 果たしてどうなのだろう。やってみるしかないと言えばそれまでだけど。 目の前のことに手一杯になっている間に、あっという間に40になったりするのだろうか。それだけは嫌だイヤダいやだ。 また20代のようなとろ臭さを繰り返すのはもう嫌だ。 もう嫌だ。 もう一人でいるのも嫌だ。 でもこんな私に魅力があると言えるだろうか? テレビをみてて、醜いと言われた自分のことも笑いにできる山田邦子は強いと思った。私はそこまで強くない。 -
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