ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

望むのは、 - 2010年03月12日(金)

『吉井さん、吉井さん、
あなたは、お空の高いところにいて下さい。
高い、高いところで輝いていて下さい。』
それが今の私の素直な気持ちだ。

この一週間くらい「人間失格」を読むとか読まないとか
モバサイトでの書き込みを見ていて、ずっと
何だかもやもやしていた。
私も最初は、太宰治の「人間失格」は、
吉井和哉にとって危険じゃないのかなあ、等と
勝手な心配をしたりしていた。
その後、「ブラックホール時代のニューヨーク」で
撮ったという黒コート姿のYOSHII LOVINSONのフォトを
出して来て『ある種の「文学的」とか
デカダンとかもう僕には関係ないのかも』
『その数年間で本当に僕は強くなったと思う。
今年の夏、本格的に次のアルバムの制作に
取りかかります』との言葉がとても頼もしくて嬉しかった。
それなのにその同じ日の夜に、寝タバコ?で
右下まぶたを火傷して『ひりひりします〜』?
ひりひりしてるなら携帯で写メってる場合じゃなくて
もっとしっかり冷やさなきゃ。
第一、火事を起こしたらどうする。
煙草を止められないのはもうしょうがないのだろうけれど、
こたつ布団に焼き焦げだとか、寝っ転がって煙草とか、
あまりに危機管理が無さ過ぎる。
火事は、人の命も大事な物も色んな喪うものが多過ぎるのに。
続いて書き込まれたのが『今のうちにもっと甘えとこ』!?
こういう判っててやる男って本当に怖いわ(笑)
案の定、モバBBSでは、優しい可愛いファン達の心配するメッセージが
溢れていた。
吉井和哉ファンは、本当にあったかくて良かったですね。
私ももっと優しいピュアなファンだったら良かったのに、
今回は、何だか「違うんじゃないのかなぁ」と思って仕舞った。
昨日の昼間の『うちのガジュマルさんも気持ちよさそう
妖精さんがいるでしょ』っていうのも、とても柔らかで
ロマンティックな風景だとは、思うけれども。
そして極めつけは、深夜の
『「人間失格」はあまりにも共感してしまいそうな気がして・
やっと立ち直ったので
でも、またいつの日かどん底に落ち込んだ時が来るなら
その時には必ず読んでみたいと』
『そしてその時彼と同じように
自ら命を絶つようなことがあるとしたら
もはや失格も合格もないような気がします』
一体、自分の影響力を何だと思っているのだろう?
例えだとしても《自ら命を絶つ》
などという言葉を使って欲しくない。
『家には他にも読んではいけなさそうな本が何冊か、
本棚に何年も』あるそうだけれども、
『実はそこに書かれてるのが、自分の人生のテーマだとして
あっさり答え合わせをされたくない気持ちがあるのか』?
自分の人生の答え合わせが、自分を知りもしない他人の本の中で
出来る訳ないじゃないですか?
『人の数だけ人生がある』でしょう?
読んでもいない本にいつまでも引き摺られるくらいなら、
性根据えて読んで仕舞えば良いんだわ、と思う。
43歳のミュージシャンが大勢のファンに「可愛い、守ってあげたい」などと
言われてちゃダメだ。
私も普段直ぐそういう事を自分のサイトに書いているから
偉そうな事は、言えないんだけれども。
最近の吉井和哉は、ファンに歩み寄り過ぎる。
かなり以前にある雑誌の編集者さんが、THE YELLOW MONKEY時代の
吉井和哉のことを「つーん、シャナリしゃなり」と形容していらして、
その情景が目に浮かぶようだと感じ入った事を思い出した。
その「つーん、シャナリしゃなり」の後には、
物凄く人懐っこい笑顔もみせるんだけれども、また次の場面では、
オーラが違うという話だった。
私が惹かれるのは、手を伸ばせば届きそうなところにまで
下りて来た来たひとではなく、高い空に燦然と輝き続けている
ロックスターだ。
ミステリアスでいて欲しいとは思わないけれど、
(言葉は悪いかも知れないが)
ファンを必要以上に刺激しないでいて貰いたい。
ただでさえモバBBSというのは、距離感が掴み辛くて
苦しんで仕舞う人を生む危険があると思うから。





別冊カドカワ「レミオロメン」特集号を読んで - 2010年03月05日(金)

「レミオロメン」10周年を祝しての吉井和哉インタヴューを読んだ。
『(吉井和哉が)子供の事を思って「JAM」を書き、
その子供が彼らの「粉雪」を買ってくるというのは、
音楽の素敵なところ』だと語っている。
『イエローモンキーは「被害妄想と書いて
イエローモンキーと読む」って言うぐらいの感じでしたよね。』
上手い事言うなあ。
というか、それを言うなら、
「被害妄想と書いて吉井和哉」がより相応しいでしょうに(笑)
そして一番印象的だったのは、
吉井和哉がレミオロメンの「アイランド」という曲が
『自分のライブでカバーしようとした』ほど『あまりにも好き』と
発言している事だ。
『「CALL ME」という曲を作った当時の僕の気持ちと似ている』
のだそうだ。
レミオロメンの「アイランド」を聴いてみた。
藤巻亮太が音楽活動の中で思い描いていた夢への
理想と現実の狭間での戸惑いやジレンマという内面を
歌った葛藤の中から生まれた名曲だと思う。
「CALL ME」を作った頃のYOSHII LOVINSON君の状況・・・
確かに相通じるものがあるのだろうねえ。
レミオロメンは、本当に誠実で良いバンドだと思う。
これからもずっと続いて欲しいと私も思う。
けれど『休止はしても、解散はせずに続けて欲しい』
というメッセージに、「この人はまたこう言うんだな」と
何だか少しやるせなくなった。
何故だか中島みゆきの「帰れない者たちへ」の
“帰れない歳月を 夢だけが溯る
 足跡も探せずに 影と泣く十三夜

 異人のなりです 旅した者は
 戻れぬ関です よそ者には
 帰れない歳月を 夢だけが溯る

 冷たい肌です 涙が侵みて
 冷たい人です 恩知らずで
 帰れない者たちが 月に泣く十三夜
 帰れない者たちが 月に泣く十三夜”
のメロディーが浮かんだ。
別に吉井和哉が後悔しているのだろうなんて思ってはいないよ。
もう戻らない、戻れないと思い定めたからこそ、
新たな道が開けているのだろうし。
『ちゃんと音楽と向き合ってさえいれば、
ファンはちゃんと見ています。やめたくなっても、
誰かに騙されるようなことがあっても、
ファンは絶対離れないですから。』
『音楽に嘘をつかない』吉井和哉を信じていますよ。
ファンを信じていてくれているのだなあと
その事が本当に嬉しかった。
吉井和哉は今、しばしの休養中らしいけれど、
どうぞじっくり充電して、吉井和哉ならではの、
新曲を生み出して下さい。待っています。
その前にどうぞ《一刻も早く》
レミオロメンの皆さんと飲みに行けますように☆





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