ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

メカラウロコ20 - 2010年01月31日(日)

昨夜放送された「メカラウロコ20完全版」を見た。
年末から、この番組の30分版、1時間版を見て来て、
今まで見た事のない貴重な映像が流れていたから、
とても楽しみにしていたのだけれど、もうこれは、
想像を遥かに超える超お宝番組だった。
何度も擦り切れる程見過ぎて劣化しまくりだった
「中津川フォークジャンボリー」、「大宮フリークス」、
「富士急コニファーフォレスト」が本当に綺麗な映像で・・・
どれも「もっともっと沢山映して”」と願わずにはいられない
レアな映像ばかりだったけれど、
中でも一番衝撃を受けたのは、1993年8月17日、
日清パワーステーション「THREE DOG NIGHT!」の
「ドーベルマンDAY」に登場したジョアンナさんの
「最後のワンピース」だ。
ヤキソバンの方は、画像で見たことがあったけれども、
まさか「最後のワンピース」の映像をこの目で見られるなんて
思ってもいなかった。
私もう10年このJovannaを名乗っているけれど、
このハンドルネームの由来だもの。
私のパズルは、昨夜パチッと最後のワンピースが嵌ったのかもしれない。
ずっと長い間彷徨って来た寂しさ、遣り切れなさに満ちた
「夜を埋めるパズル」は、ようやく終わりを遂げた気がする。
今年に入って「THE YELLOW MONKEY 20th Anniversary」の諸々の企画が終わったらば、
自分は、どれだけ抜け殻に為ってしまうだろう?
どれ程寂しく思うだろう?とかなり不安になっていたのだけれど、
昨夜、THE YELLOW MONKEYの誕生から終わりまでのこの特集番組を
堪能する事が出来て、「本当に奇跡のバンドだったのだ」とそう思った。
有賀さんが「儚い」ということを仰っていたけれど、
限りがあるからこそより激しく眩く光り輝いたバンドだったのかもしれないと思った。
活動をやめてから、もう丸9年が経っている。正式に解散してからも5年以上。
それでも生誕20周年のトリビュートアルバムやLIVE映像集が出され、
最高傑作「SICKS」の写真集やリマスター完全アルバムが発売され、
多くの反響を呼んでいる。
本当に愛され続けるバンドTHE YELLOW MONKEY!
出逢えたことが誇りです。
これからもずっと愛し続けて生きます。

『THE YELLOW MONKEYは、永久に不滅です』




赤い蛍 - 2010年01月26日(火)

先週からの「COMPLETE SICKS」祭りの為、書きそびれていたのだけれど、
先日UPされた「吉井和哉への質問&回答」コーナーについて
どうしても書き残してておきたい事がある。
《好きな演歌は?》
「さざんかの宿」
「北の宿から」
「北の蛍」
「宗右衛門町」ブルース(これはいつかカヴァーしたい)
「骨まで愛して」(これもいつかカヴァーしたい)
「さざんかの宿」と「骨まで愛して」は、以前から
吉井和哉が好きな歌だと知っていたけれど
「北の蛍」は初耳だった。
作詞:阿久悠作曲:三木たかし歌:森進一
「北の蛍」歌詞
“もしも私が死んだなら
 胸の乳房をつき破り
 赤い螢が翔ぶでしょう”
凄まじい歌だ。
どれ程恋焦がれても添い遂げる事の出来ぬ女が
愛しい男に逢えるのは、死ぬ時、ただそれしかない。
白いやわ肌のたわわな乳房を突き破り、赤い血潮が噴き出して
「赤い蛍」と為って男の許へ飛び立っていく。
壮絶な、だからこそこの上なく美しい情景が目に浮かぶ詞だ。
流石、阿久悠の詞だと感嘆するけれども、
三木たかしの曲も切々ととても心に沁みる歌だ。
森進一以外の歌では、ちょっと想像もつかない曲だけれど、
是非ともいつか、吉井和哉にカバーして貰いたい。
吉井和哉がこの歌をどう表現するのか聴いてみたい。
昨年「歌謡曲カバーアルバムを出したい」という発言があって、
とても楽しみにしていたのだけれど、その後音沙汰がない。
思い切って色々なチャレンジをして欲しい。
その際には是非、浅川マキさんの(ちあきなおみさんも歌った)
「朝日楼」もどうぞよろしくお願いします!




「COMPLETE SICKS」 - 2010年01月22日(金)

オリジナル「SICKS」発売から13年後の
今日1月22日に「COMPLETE SICKS」を聴いた。
デジタルリマスターとは、Blu-spec CDとは、
ここまで凄いものなのかと驚いた。
ギター、ベース、ドラム、キーボード、
それぞれの音がクリアに浮かび上がってくる。
吉井和哉のヴォーカルがそこに鮮やかに絡んで来て、
文字通りゾクゾク来た。
「SICKS」は、THE YELLOW MONKEYの中でも一番好きな
アルバムだから、これまでも数限りなく聴いていた筈なのに、
それでも、このサウンドにノックアウトされた。
正に「最高傑作」。
96〜97年当時のTHE YELLOW MONKEYが目指した、
いや今現在の吉井和哉が理想とする最高の音で
「SICKS」を出せたのだと感じた。
私は、「紫の空」が大好きで、ホームページを
「PurpleSky」と名乗っているのだけれど、
改めてこの曲のもの凄さに痺れた。
「天国旅行」がもう言葉に為らないほど凄まじい。
完全版を今、私達に届けてくれてありがとう!
「SICKS」を生み出してくれてありがとう!

デモ音源では、きちんと歌詞が入っている曲、
ハナモゲ歌の曲(ほんとに「ホニャララ」と歌っている曲があって
驚いた!)、どれもメンバーが曲を完成させていく過程の
気迫や熱、喜びが感じられて、堪らない気持ちになった。
未発表の曲がないことやデモ音源を入れて¥8400という
価格が高いという声もあるようだけれど、
私は、初回盤でレコーディング風景や関係者達への
インタヴューDVDをつけたこの価格が高い等とは、思えない。
借りてでも良いから、THE YELLOW MONKEYを少しでも
好きと思うなら、このアルバムを聴き、
そしてDVDを見るべきだと思う。
バンドとしての最高の状態でレコーディングしている
メンバー達の「喜びに満ち溢れている空気」、
和気あいあいとリラックスしている微笑ましい光景、
作業に関しては、一転張りつめた真剣な表情・・・
それでも一番感じたのは、「幸福感」だった。

インタヴュー部分も、とても得るところが大きかった。
ディグビー氏が『ロビンのヴォーカルは、マイクに
感情を流し込む。・・・フィーリングのボタン、感情のボタン
・・・どこから唄っているのか判るんだ。』と言って
胸を指す、その仕草を見て、この方は、吉井和哉の
歌っている歌詞の意味が判らないかも知れないけれど、
フィーリングを感情を、ちゃんと受け止めて
サウンドを録って下さったのだと判った。
ありがたい事です!
そして山口州冶氏が『「SICKS」をミキシング出来て嬉しく思う』
『志が高い、理想の音が鳴っている』『波動』と仰っていて、
吉井和哉自身も語っていたけれど、メンバー達も
そしてそれをサポートする人々もスタッフも
ピタッと最高の『惑星の並び』だったのだろうね。
奇跡の瞬間がこの「SICKSレコーディング」だったのだろう。
そして、この吉井和哉言うところの、
「綺麗な、澄んでいる空気、水が流れている」「頂点の」
THE YELLOW MONKEYの姿を切り取って、写し残して下さった
有賀幹夫氏にも感謝だ。
フォトブックに収められた写真達からは、
96年秋ロンドンでのTHE YELLOW MONKEYが醸し出していた
ピュアさ、ひたむきさ、煌めきを、その匂いまでが
感じられるように思った。
美しい最高の季節。
ブックレットの最後に載せられた
吉井和哉の言葉が刺さった。
シークレットトラックのハミングそのものだと思った。
淡くて切なくて最上の喜び。

「COMPLETE SICKS」を世に出すことで、
吉井和哉は、やり遂げた、遣り尽くした、
THE YELLOW MONKEYに終止符を打てたのだと思った。

THE YELLOW MONKEYありがとう!
“おやすみなさい。さようなら。”



《蛇足》
♪さよならは別れの 言葉じゃなくて 再び逢うまでの 遠い約束♪




吉井和哉流「Yer Blues」 - 2010年01月18日(月)

2009年ジョン・レノン・スーパーライブと年末の
大阪「JO-HALL」、仙台「YOSHII ALIVE」、
そして「吉井武道館」で披露された
「Yer Blues」では、
“Yes, I'm lonely, wanna die
If I ain't dead already, ooh girl, you know the reason why”部分は、
『死にたい寂しくて まだ生きてるのって君に言われたい』と
歌われていた。
元歌詞は、『寂しいんだ 死にたくなる
それでも俺がまだ生きてる理由は
ガール おまえが知ってるはずだ』だから、
吉井和哉の歌も、
「(あなたは)まだ生きてるの(よ、生きなくっちゃだめなの)って
君に言われたい」位の意味だと思っていた。
「寂しくて死にたい 何もかもうざったくて死にたい
だけど生きていられるのは、ただ君がいるから
君の愛があるからこそ生きられる 生きていたい」
そういう願いの歌だと思っていた。
けれど、
『死にたい寂しくて 「まだ生きてるの?」って君に言われたい』
という捉え方もあるのだと気付いた。
「まだ生きてる」というのは、「STILL ALIVE」から来ている言葉だろう。
では、死にたい程寂しい男が彼女に
「まだ生きてるの?」って言われたいというのは、どういう事だろう。
ピンヒールで踏みつけられてゾクゾク来ちゃうみたいなもの?
ドM嗜好?
私は、吉井和哉っていう人は、ひとりSM上手だと思っているので、
それもありうるような気がして来た。
歌詞の意味とか、歌の背景とか、色々考えるのは、
とても楽しいのだけれど、やっぱり野暮というものでしょうかね。
うざったいファンでごめんなさいね♪




どこまでも続くのさ - 2010年01月16日(土)

こういうことを書いちゃうと、また「偉そうに」だとか、
「お前は、何も判っちゃいない」と批判も受けたりするのだろうけれど、
本当の気持ちを書かずしてどうする。書いちゃおう。
2009年12月28日武道館で吉井和哉は、
「FINAL COUNTDOWN」の途中で
『・・・これからも知る人ぞ知るで構わないので、
君たちの魂に届く曲を作りたいと思います! 
俺にしか作れない曲を絶対作りたいと思います!』と
宣言していた。
「私達の魂に届く曲、吉井和哉にしか作れない曲」
その事は、もう間違いなく確信している。
けれど、『知る人ぞ知るで構わない』という言葉に、
私は、淋しいと思って仕舞った。
たとえ謙遜だとしてもそんな弱気なフレーズは、
吉井和哉の口から聞きたくはないのだ。
思い立って、THE YELLOW MONKEY時代のファンクラブ会報を
引っ張り出してみた。
「Petticoat Lane Vol.12」1995年5月末発行のこの会報の中で
LOVIN(吉井和哉)は、『「解る人に解ればいい」という
フレーズは大っキライです。ただの逃げです。
今は深くそう思います。もっとたくさんの人がこのバンドを
愛してくれるはずです。死ぬ程、死んでもいいくらいの
曲を作ります。まだ世界を制覇した日本のバンドはいないのです。』と
「今後の野望」を述べていた。
15年前の吉井和哉。若かったから?
そうじゃないと思う。
「解る人に解ればいい」では、ダメだ。
「知る人ぞ知る」で満足しちゃダメだ。
力のある曲は、きっとファン以外の人々にも届く。
YOSHII LOVINSONの「CALL ME」は、それが吉井和哉だとは知らない
一般にも浸透した。
「BELIEVE 」がシングルカットされていたら、
もっと大勢に届いていただろうと私は、思う。
意に染まぬ露出や活動をして欲しいというのでは無い。
けれど、もっともっと、まだ吉井和哉に出逢っていない人達へも
届くように、裾野を広げる活動をして欲しいと思っている。
だから、5月にロッキンオン主催の新しいフェス「JAPAN JAM2010」へ
出演が決まった事は、とても喜ばしい。
私自身は、とても行けそうにないけれど、2010年の吉井和哉が
このイベントに、どのように臨んで来るのか非常に楽しみだ。
新しい風を興して欲しい。




たまに星がキレイだってことを 君に - 2010年01月13日(水)

「吉井和哉武道館2009」で気に為っているのは、
『FALLIN' FALLIN'』での
“名前なんて無いさ 石田五郎って 良い名前だねぇ〜”
という部分だ。
「石田五郎」ってどなた?
吉井さんとどういう繋がり?と疑問に思っていたのだけれど
今日初めて知ったが、小惑星に「石田五郎」と命名されたものが
あるそうだ。この小惑星は、岡山の天文台に24年勤務されて
「天文台日記」というご本も書かれている天文学者、故石田五郎氏に
ちなんで名づけられたのだそうだ。
武道館では、『CALL ME』で
“たまに星がキレイだってことを 君に君に CALL ME CALL ME”
と歌われた後に続いて演奏されたのが、この『FALLIN' FALLIN'』だし。
どうだろう。
私の場合、吉井和哉考察というよりは、思い込み激し過ぎて
妄想に近く為っちゃうからなあ(笑)
たとえ違っていても、こうやってあれこれ考え思い巡らすのがとても楽しい。
ともあれ、
『197 * 年1月1日 快晴 せまい分光器の観測室内で夜明けをむかえる。』
という書き出しで始まり、12月31日大晦日の晩、
一人モニターの前でアポリネール作詞のシャンソンを口ずさむシーン
『レ・ジュール、サン・ヴォン、ジュ・ドムール 
日はすぎ去りて、とどまるは我。』で終わるのだそうだ。
早速取り寄せた。明日届くのがとても楽しみだ。
2010年私の抱負は、より一層吉井和哉探求道を極めたいということです。
熱く静かに、決して良心に恥じぬように。
妖しく激しく眩く輝く吉井和哉という星の命を観測したい☆

1月8日スタートした吉井和哉のニュープロジェクト
「KeY」のページに掲げられている
『忘れていた扉の鍵 ずっと開けられずにいた
大切な扉の鍵』という言葉がずしっと来た。
私の場合、ずっと忘れた振りをして来た心の奥底の扉があるものね。
吉井和哉が気付かせてくれた「愛という名の鍵」を
自分でちゃんと見つけて、扉を開ける事が出来そうな気がして来た。
『FALLIN' FALLIN'』で歌われる“出口は入り口だ”
新しい世界へ繋がる扉。
「KeY」ペンダントを身につける日が待ち遠しい。




ブルースBlues - 2010年01月06日(水)

吉井武道館の録画を観ていて一番興奮するのは、
何といっても「Yer Blues」「ウォーキングマン」
「LONLY」のブルース3連発だ。
『この曲はジョン・レノンが俺に作ってくれた、
俺の為の曲なんじゃないかと』などと紹介して歌った
吉井和哉流日本語詞の「Yer Blues」のインパクトは絶大だった。
「Yer Blues」
 死にたい寂しくて
 死にたい寂しくて
 まだ生きてるのって君に言われたい

 日差しが強すぎて
 もう死んでしまいたい
 まだ生きてるのって君に言われたい

 お母さんは空
 お父さんは地球
 だけど俺は宇宙から
 生まれて来たのさ わかるだろう

 死にたい
 まだ生きてるのって君に言われたい

 目玉取られた
 虫が骨を舐めた
 自殺したい気分だ
 ボブ・ディランの歌のように
 死にたい
 まだ生きてるのって君に言われたい


 暗雲が立ち込め
 魂が震える
 更に俺のロックンロールまで
 うざったい 死にたい
 寂しくて
 まだ生きてるのって君に言われたい

 Yes, I'm lonely, wanna die
 Yes, I'm lonely, wanna die
 If I ain't dead already, ooh girl, you know the reason why
そのまま「ウォーキングマン」へなだれ込む。
凄まじくヘヴィーなのに男の色気が切なくて痺れ捲る。
歌の最後の部分
“揺れるBABY BABY、、、
 BABY ONE MORE TIME”に続けて
「Yer Blues」のラスト“Yes, I'm lonely, wanna die”が歌われた。
そして、激渋な歌い方で“朝は LONELY いつも LONELY”と
「LONLY」へ繋げられた。
“大地の裂け目を今すぐ飛び越えたくて”
吉井和哉の歌う「哀しみ」は、どうしてこんなにまで
心に沁みるのだろう。
付け焼刃ではなく、吉井和哉のブルースは、
吉井和哉の生涯全てが詰まっているからなのだろうなと思う。
「VOLT」発売時のインタヴューで、
『曲調がブルースではなくて、ブルーが集まってブルースになる。
哀しみが集まって歌になるっていう、そこに着目した。』
というものがあった。
これからも色んな曲調をやっていくけれど
『根本にあるのは、ブルース』だそうだ。
吉井和哉のブルース・・・
次は、どのように花を咲かせるのか、楽しみだ。
『12月28日より前には、新曲』と言っていたけれど、
吉井和哉武道館からまだ10日も経っていないけれど、
待ち遠し過ぎる。
願いは、止まらない。






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時の谷間