ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

KY最後の日 - 2007年04月30日(月)

BBSへの書き込みが午後4時までだったから、
最後に吉井和哉とFCスタッフの皆さんへ感謝の言葉だけ
伝えたくて「ありがとう!」と書き込んだ。
午後6時まで閲覧出来るということだったから、
アクセス集中してとても重いページを何度も遡って
読んだ。NAME検索してYOSHII KAZUYAの書き込みと
自分の書き込みを抜き出して保存した。
2006年7月から2007年4月までの沢山の鮮やかなピンク文字は、
どれもとっても暖かくて愛に溢れた言葉だった。
「ROOM39108」や「LIVE」のページを読み返しているうちに
終了の時がやって来た。
『KY 吉井和哉オフィシャルファンクラブは4月30日を持ちまして
運営を終了いたしました。ご利用いただきありがとうございました。』
この文字が映し出されたとき、言いようのない淋しさを覚えた。

THE YELLOW MONKEYのファンクラブだったペチコートレーンが終了した時、
残念だし悔しかったし、あれはあれで大層淋しくも思ったけれど、
私は会費残高を換金しなかったので、THE YELLOW MONKEYが復活するまで
自分はずっと「ペチコートレーナー」であるように感じ続けていた。
吉井和哉がYOSHII LOVINSONとしてデヴューしてYLOFCが作られ、
改名して吉井和哉になってKYへ移行して、感覚的には、
ずっとボウィンマンが運営している一つの流れみたいに捉えていた。
だから今日KYが終了して、本当に終わって仕舞ったことを実感させられた。
YLOFCとKYのおかげで沢山の素敵な出会いがあった。感動があった。
感謝しています。ありがとう!





YOSHII KAZUYA EXTRA EDITION - 2007年04月25日(水)

吉井和哉ファンクラブ「KY」散会記念品として
KY Special Goods『YOSHII KAZUYA EXTRA EDITION』が届いた。
黒の小箱に収められていたのは、「WEEKENDER」「ギターを買いに」、
「恋の花」3曲入りのCDと、金色に輝く「GOLD Kentaurusu」ロゴの
名刺入れ。
去年7月27日「KY SPECIAL LIVE SOUP OF THE DAY」で
とても印象的だったこの「ギターを買いに」をもう一度
聴けて良かった。
“6月1日の朝 オレはまだ咳をしていた
 それでもタバコを吸って緑を眺めてる
 何も恐くなくなった
 全てが始まった瞬間だ
 ・・・・・・
 懐かしいことがキライになった”

良いねえ。
「WEEKENDER」がちゃんとシングルとして発売されていたら
この3曲が入る予定だったろうに。勿体無いことだ。
でも、振り返る必要は無いのだろうな。
“ナチュラルオーヴァードライブ
 太いオーヴァードライブ
 光を浴びて鳴り響け
 新緑に混じって
 草花がつぎつぎと芽を出す花咲かす・・・・・・”

吉井和哉は、力強く呼吸し続け新しくなっていっているもの。

ハートの矢を掲げる「GOLD Kentaurusu」のロゴが格好良い。
ギリシア神話に登場する半人半馬の怪物、ケンタウロス族っていうのは、
ラテン語読みでスペルは「Centaurus」で、英語読みだと
「Centaur」でセントールまたはセントーだそうだから、
「ゴールド」と「ケンタウルス」と続くのは、何だか違和感を感じていた。
(ラテン語で「金=aurum」)
でも南天の明るい星座「ケンタウルス座」に輝く「ケンタウルス座α星」は、
Rigil Kentaurusというのだと知った。
α星は太陽系に最も近い恒星でケンタウルス座Aの中心には、
太陽の数千万倍の質量を持つ巨大ブラックホールが潜んでいるのだそうだ。
周辺のガスを貪欲に吸い込みながら、眩い光を発して凄まじいエネルギーを
放出する巨大ブラックホール・・・ちょっと吉井和哉自身の姿に通じていないだろうか。
漆黒の大宇宙に浮かびあがる「GOLD Kentaurusu」!
良いなあ、ぴったりじゃないか!きっとどこかが間違っているだろうが(笑)




DREAMER - 2007年04月22日(日)

心優しき方に首都圏のみで放送された吉川晃司さん番組映像を
見せて頂けた。
サポートギタリストという枠では収まり切れないエマさんの
セクシーなギター姿に悩殺され、花見の宴に仲良く寄り添う
兄弟にときめき、そしてサラサラ長髪を揺らして
ドラムを叩くアニーの逞しい姿に感激した。
昨夜は、アニーが参加するレナード衛藤さんのライブツアーの
第一日目だったそうだ。
上半身が一回り逞しくなったアニーは、前回LIVE時よりも
一層存在感を増しエキサイティングな演奏を魅せつけていたそうだ。
44歳の誕生日を迎えたばかりのヒーセは、6月創刊の月刊誌「Colo」に
連載開始、そして「CheaSS」の活動もとても楽しそうだ。
皆、其々の道を進んでいる。
「39ツアー」での「元マネージャー」発言から去就を懸念していた
田中さんは、結局ボウィンマンに留まったようで、昨夜のアニーLIVE会場に
おいでだったそうだ。
吉井の傍には、ボウィンマン時代からの人は今いらっしゃるのだろうか。
「吉川晃司苑」の映像で印象的だったのは、吉川さんの本棚に
中国史の書籍がぎっしり収められていた光景だ。
何年か前に吉川氏が独立して(個人事務所を設立して)
非常に厳しい状況に為った事があって『侍でいるだけではいけない。
戦略が必要だと痛感した。』と、その時から「三国志」などに嵌り始めたそうだ。
あの北方謙三と個人的にも交流が深いそうで一緒に仲良くドライブしていたのにも
驚いたけれど。
山下洋輔氏のピアノで歌う姿、村上ポンタ秀一氏にどんどん注文をつける姿、
ミュージシャンだけでなく俳優としても才能を発揮し続ける吉川晃司という人が
様々なジャンルの人々と柔軟に貪欲に交流を図る姿は、
素直に「軍略を練りに練る一国一城の主」という風格を感じた。
『ゴールドケンタウルス』を築いた吉井和哉はどうかな?
優れたブレーンは集まっただろうか。
一ファンがこういう心配するのは、大きなお世話だという気もするけれど、
私は、吉井には「経営戦略」よりは「音楽創造」にエネルギーを集中させて欲しいと
願っているのだ。人には向き不向きがあると思う。
「戦略」に長けた「軍師」が吉井に居れば良いのに。
我こそは吉井和哉の「山本勘助」に為らん!と立候補する人は居ないかな(笑)

もう一つ、吉井和哉が「THE YELLOW MONKEY」を演る事について。
私も「THANK YOU YOSHII KAZUYAツアー」におけるTHE YELLOW MONKEYの曲の
割合は大き過ぎると思った。
けれど、このツアーの意味を考えたら、それもありかなと許容出来た。
THE YELLOW MONKEYを封印する必要なんて全くないと私は思っている。
吉井が発信しようとする音楽で、LIVEツアーの構成で、THE YELLOW MONKEYの曲が
必要だと思えば入れれば良い、演奏すれば良い、歌えば良い。
いつの日か、メンバーが再びTHE YELLOW MONKEYとして集まる日が来るとして
(遠い未来で良いんです♪)、その時にTHE YELLOW MONKEYの曲が
ただの懐メロソングに為っていて欲しくない。
今現在の吉井和哉が歌う事で曲に命を注ぎ続けて欲しい。
其々の道のりを経て来た四人が合わさって起こす奇跡をそれらの曲に
体現して欲しい。その時を待っている。
そう願う愛の形もあって良いと思う。




吉井和哉、映画初タイアップ! - 2007年04月20日(金)

今朝のスポーツ紙で吉井和哉の5月23日発売シングル「WINNER」が
初夏公開の英映画「GOAL!2」の日本語吹き替え版テーマソングを担当すると報じられた。
THE YELLOW MONKEY時代にも映画「trancemission」で「SO YOUNG」、
「現実の続き夢の終わり」で「聖なる海とサンシャイン」、
「弟切草」で「GIRLIE」がそれぞれとても印象的なエンディグ曲として
使われていたけれど。今度の「WINNER」は、初めて吉井がこの映画の為に
書き起こしたんだね。
スポニチで吉井は。『勝負の結果は大切で価値のあるものかもしれないけど、
自分の人生と必死に闘っている人は、
みんな“WINNER”だと思いこの曲を作った』と語ったそうだ。
「WINNER」っていうタイトルにずっと引っ掛かっていたから
公式HPでも公開されたこの吉井コメントを読めて安堵した。
デイリースポーツでは、『不惑を迎え心機一転をはかる自身の状況と、
逆境をはねのけながら新天地で挑戦する同作のテーマを重ね合わせ製作』と
書かれている。
wowowのサッカー放送で流れていた「O.K.」が凄く格好良かったのを思い出す。
「WINNER」はどんな場面で流れるのだろうね。
どんなにか衝撃的な絵に為ることかと案じていたジャケット写真も
公開されたけれど、遠見では割合似合っているような♪
そしてC/W曲の「発光」にとても心惹かれている。
楽しみだ!




猫もつれて行こう - 2007年04月18日(水)

かなり遅い話題だけれども、TV LIFEに掲載された
「僕らの音楽」プロデューサーきくちさんと吉井和哉の
対談で語られた『猫もつれていこう』の歌詞の話が引っ掛かっている。
きくちPは『ファンの皆さんは知っているみたいですね。』と
仰っているけれど、どういう意味だろう。
「楽園」は、1996年11月25日、古巣コロンビアを離れファンハウスへ
移籍したTHE YELLOW MONKEYが放った第一弾シングルだ。
吉井曰く最初は、『「スプーン一杯分の幸せをわかちあおう」は
「動脈」ではなく「静脈」だった。』とのことで、
「覚せい剤の歌」にしようとしていたらしい。
社長に止められ結局「動脈」になったけれど、この曲からは、
古い体制、しがらみ・・・そういうものを振り棄て、
新天地を目指そうとする「決意表明」の強い意志を感じる。

“ひとりきりもいいだろう ふたりだけもいいだろう
 猫もつれて行こう 好きにやればいい”


この「猫」は何かの比喩なのだろうという気がする。
発売当時は、きっと吉井は猫が好きなんだろうとしか思っていなかったが、
人に従順な犬と違って猫は、人に干渉される事を好まない
自由気ままな生き物というイメージがある。
猫=CATのスラングでは、ジャズミュージシャン、ジャズ好きという
意味があるそうだ。
もしかしたら吉井も、ジャズという狭い範囲ではなく
ROCK好き、更に言えばTHE YELLOW MONKEY好きの音楽狂達を含めて、
自分達の「音楽の極み」へ導こうという目標を「猫もつれて行こう」と
表現したのじゃないかと思う。

『自由を目指して』っていう夢と希望に満ち溢れた歌だけじゃないところが
本当に凄い。

“愛と勇気と絶望をこの両手いっぱいに”
“赤い夕日を浴びて黒い海を渡ろう
 そして遙かなあの自由の聖地へ”


青いサンゴ礁の海なんかじゃないんですよ。
「絶望」もちゃんと抱えているんですよ。
これでこそ吉井だ。
ホントは「猫」も苦手な癖に「猫もつれて行こう」って
歌っちゃう吉井が好きだ。





勝ち馬? - 2007年04月15日(日)

吉井和哉の新曲「WINNER」というタイトルがずっと気に為っている。
「WINNER」=勝利者、成功者、《サッカー》決勝ゴール。
吉井は、どういう考えでこのタイトルをつけたんだろう。
私は、「勝ち組」という言葉が大嫌いだ。
人生における「勝ち」「負け」など、そんな個人の価値観でしか
捉えようのない事柄に、己の物差しで「勝ち」「負け」を
主張するなんて、浅ましい事と私は思って仕舞う。
「HATE」で
“たとえ勝ったって負けだし”と歌う吉井和哉が私は好きだ。
「WINNER」に勝ち馬という意味もあると知って思い浮かべたのは、
THE YELLOW MONKEYの1stアルバム「THE NIGHT SNAILES AND PLASTIC BOOGIE」の
「OH!GOLDEN BOYS」だ。
初武道館の映像でこの曲を歌い出す時、凄く嬉しそうな誇らしい表情を見せたのが
とても印象に残っている。
・・・・・
愛と憂鬱とロマンス  紙一重のはにかみ屋

支離滅裂な Golden Boys

夕陽を浴びて銃を抜き  いじけたギャングのこめかみに

「過去のボクとは雲泥の差  これでサヨナラJewel Love Me!」



『サヨナラ』は、また逢う日までの遠い約束☆
銃爪をひかなきゃいけない時が来たんですね。
受けて立とうじゃないか!
(取り越し苦労かも知れないけど♪)





黒く塗れ! - 2007年04月13日(金)

強い風に煽られて桜吹雪の舞う中を気晴らしに出掛けた。
久しぶりのカラオケ!
「THANK YOU YOSHII KAZUYA」LIVE曲を片っ端から歌った。
THE YELLOW MONKEYの曲、YOSHII LOVINSONの曲、
吉井和哉の曲、どれもこれも『思い出が満開』そのもの。
中でも一番気持ち良く歌えたのは「YESTERDAY」だった。
携帯でこの「RomantistTaste」の記事を開いて歌った。
こんなに嵌るなんて、吉井和哉は本当に素晴らしい。
「PAINT IT BLACK」も歌いたかったけれど
“これはどうやら女の子に変身した方が良さそうだわ・・・”
以降しか覚えていなかったので残念だった。
次回のカラオケの為に歌詞を載せておこうと思う。

「PAINT IT BLACK」超訳:吉井和哉

 金のなる木は仕方がない
 あきらめることにしようじゃん
 先生ヤバいよ校長が来た
 先生俺の成績はどうだい

 金のなる木はどこの国に
 生えてるのか知りたいもんだ
 典型的だよこうなった時
 いつもよりも良い詩が書ける

 金のなる木が見つかったよ
 金のなる木だヤバイよミック
 神経質だよ持ちっこないよ
 俺はロックスターになれないだろう

 金のなる木は仕方がない
 お前にゆずる事にしよう
 先生ヤバイよ教頭も来た
 全部の国から集まってきた

 これはどうやら女の子に
 変身した方が良さそうだわ。
 明日からバイブは使わないからね
 携帯のじゃないよ 大人のアレよ

 ムゥ〜ムゥ〜ムゥ〜 捨てたくない
 ムゥ〜ムゥ〜ムゥ〜 仕方がない
 ムゥ〜ムゥ〜ムゥ〜 死ぬしかない
 ムゥ〜ムゥ〜ムゥ〜 死ぬしかない

 あたしはねっ、ただの淫乱じゃないのよ
 あたしはねっ、愛と平和が欲しいのよ
 あたしをねっ、ペイント、ペイント、ペイント叩いてね
 あたしはね、ペイント、ペイント、ペイント 黒く塗れ
 ・・・・・・PAINT IT BLACK!


鬱々と堕ちていた日々はもう終わった。
私は、「黒白はっきり」着けた。
この先吉井和哉がどんな方向へ進もうと
「愛するか」「愛さないか」と問われれば
「愛する」のみ。
吉井和哉の作る曲を聴いてLIVEを体感する。
ただそれだけ。
そう心が定まったら、景色が変わった♪





振り向き振り向き 来たけれど - 2007年04月11日(水)

吉川晃司のDVD付き限定盤CD「TARZAN」が届いた。
この人の歌をちゃんと聴くのは、ましてアルバムを通して聴くのは、
初めてだったので、とても新鮮だった。
「Honey Dripper」のドラムの音に反応した。
菊地英二のドラムだ。
この音を、逞しい腕を揮わせて、黒髪なびかせてドラムを叩く
アニーの姿をこの目で見たくなった。
「MODERN VISION2007」ギターソロ・菊地英昭と書かれていても
こんなに長いソロだとは思っていなかった。
華麗で妖艶なまさしく大輪の華のようなギタリスト・エマの姿が
思い浮かぶ演奏だった。
少々苦手意識を持っていた吉川さんの歌声だったけれど
この曲達は、生で聴いてみたいと思った。
アルバム全編を聴いて感じたのは、吉川晃司という人は
懐の大きな人なのだろうな、ということだ。
どっしりとして頼りがいのある兄貴というような存在のように感じた。
これから始まるツアーで、エマさんは、吉川さんや彼のサポートメンバー達との
交流の中で沢山の大切な経験を積んで行くことだろう。
どうぞ宜しくお願いします!

「THANK YOU YOSHII KAZUYA」DVDを見終わってから、自分でもびっくりするくらいの
ネガネガモードに嵌って仕舞い途方にくれていたけれど、どうやら底をついたようだ。
このところずっと「ふきのとう」ばかりを聴いていた。

ふきのとう「風来坊」作詞・作曲 山木康世
   ・・・・・・
   この坂どこまで続くのか
   上り坂 おまえと歩きたかった
   誰でも一度はのぼる坂
   風来坊 独りがよく似合う
   歩き疲れて 立ち止まり
   振り向き振り向き 来たけれど
   影が長く 伸びるだけ
   坂は続く 続く   
   坂は続く 続く 



「峠」のあの戦士たちは今、ひとり一人の道を歩んでいるのかなあ。
一人独り、私も独り。
でも大切な想いは手放しはしない。
信じている。
  






春の宵に - 2007年04月06日(金)

Disc-2のインタヴューの中で吉井が
『曲がり道がありますよねえ、人生には必ず。』と言った言葉が
妙に頭に残っている。
『自分の直感を信じたい。・・・ちゃんと愛があれば、
離れなきゃいけない人とは、離れなきゃいけない。』って。
『失敗しても良いの別に。それは失敗じゃないから。
自分で選んでやって決めた事だから。』ときっぱり言い切った
穏やかな強さにグッと来た。
この人は、人生の曲がり道でたとえ一旦困難な方向へ進んだとしても、
きっと本能の力と嗅覚と精神力を総動員して本来目指すべき方向へ
進む事が出来るんだろうと思った。
回り道をしたとしても悪路を行く事になったとしても
誰の所為にもせずに、全て自分の責任と胸を張って。

「THANK YOU YOSHII KAZUYA Live At Budokan」DVDを見終わって、
“ああ、やっぱりこれって一つの時代が終わったって事なんだよなあ。”と、
THE YELLOW MONKEYというバンド、ボィンマン事務所、そして
吉井和哉、エマ、ヒーセ、アニーのそれぞれの現在を考えたら、
またもや私は、“ひとつ曲り角 ひとつ間違えて 迷い道くねくね”だ。
吉井は『残りの人生を悔いのないように』と語っていたけれど、
尚更残り少ない私の人生が迷ってばかりじゃ淋し過ぎる。
『(THE YELLOW MONKEYを)いつまでも待ってる』って迷惑でしかないのかな。
判っていても諦めきれないのです。
忘れたくない。春は心ざわめいて好きじゃない。




THANK YOU YOSHII KAZUYA Live At Budokan - 2007年04月04日(水)

「THANK YOU YOSHII KAZUYA Live At Budokan」が発売された。
Disc1の武道館12月28日の映像は、当日CS放送生中継で見ていたけれど
ずっと音も良くなっていて、カメラワークもより
臨場感溢れるものになっていて、Opening SEから
最後の「JAM」まで全て見終わって感じたのは、
このLIVE全体が一つの大きな曲のようだったという事だ。
演奏された曲は、YOSHII LOVINSONとして発表されたもの、
吉井和哉名義で出されたもの、そしてTHE YELLOW MONKEY時代の曲を
バカバンドで演ったもの、吉井が弾き語ったものと、
様々な年代の曲が散りばめられていたけれど、
何故か私には、吉井和哉という一人の男の生き様を
(音楽を志してバンドを組んで栄光と挫折を経験して悩んで、
そしてまた立ち上がってというロックアーティストの道のりを)
魅せられているように感じた。
Bridgeのインタヴューを読んで、もしかしたら
「CALL ME」や「バラ色の日々」、「パール」を聴いた時に
私の中でこの曲に対する印象が変わって仕舞うのではないかと
ほんの少しだけ怖れる気持ちがあったけれど、
大丈夫だった。吉井の想いも知った上で、それでも尚、
この曲が私にくれた勇気も希望も癒しも一層大きな力で
私の中に沁み込んで来た。

頑張って練習して武道館の大舞台で弾き語ってくれた「JAM」は、
やっぱりモンスターだと思った。
12月28日の武道館に鳴り響くこのメロディーこの吉井の歌声だからこそ
ある種の魔力が宿るのかもしれない。
吉井和哉生涯のテーマ曲なのだろうと感じた。
毎回LIVEで演って良い曲だとは、私は思わない。
今年12月28日また武道館で弾き語って下さい。
この1年の間に吉井和哉がどれだけ肉体と精神ををパワーアップしたか、
どれだけ経験を積んだか見させて貰いたい。

Disc2の充実ぶりは、想像以上だった。
THANK YOU YOSHII KAZUYA INTERVIWに静岡最終日のエマさんの
「サンキュー吉井和哉!」という力強い声が収録されていて感激した。
「Rock & Roll Suicide」を邦題「取り越し苦労」と表現する吉井和哉に
惚れ直す。吉井にとっての「Rock & Roll Suicide」が「JAM」なのだそうだ。
ROCKに拘らない。ROCK独特の儚さ・色白さは消化して、
J-POP、パンク、アメリカン・ロック、ブリティッシュ・ロック、
様々な音楽の集大成を目指すと。
たとえ歌謡曲と言われたって良い・・・そう穏やかに語る吉井の姿が
最高にROCKだと私には感じられた。
「恋の花MCコレクション」がこんなに物凄いとは驚きだった。
贅沢を言えば、旭川の「ポジネガマン」を全部入れてくれれば
思い残す事無かったのに。もう生で聴ける事はないかもなあ。
それでもこの「THANK YOU YOSHII KAZUYA Live At Budokan」を
観る事が出来て幸せだ。
初回限定盤特典のLIVE CDに圧倒された。
音だけで歌声だけでその力強さに心が震わせられた。
吉井和哉は、必ずや『今まで無かったような日本のロックアーティスト』としての
生を生き切って行く事だろう。
生き様、これからも見させて頂きます!






bridge「吉井和哉の10年、10曲」 - 2007年04月01日(日)

「吉井和哉がぶっちゃけている」だの「衝撃が走った」だのという
前情報を知って、実際この手に取って読んでみるまでは、
正直自分がどう受け止めるのだろうかと少しばかり不安だった。
けれど今読み終えて思うのは、吉井和哉がBOWINMAN事務所を卒業して
新しく旅立つこの時期にこのインタヴューを読めて良かったという事だ。
KYのBBSなどでは、吉井が雑誌のインタヴューで初めて子供の存在を話した
その事実を大きく取り上げているようだけれど、
私がこのbridgeでズシッと心に来たのは、吉井和哉がそれぞれの曲たちに込めた
THE YELLOW MONKEYというバンドへの思いをまざまざと突き付けられたその重さだった。
「JAM」で述べられた中原さんのエピソードは、「メカラウロコ15」の
会場で展示されていたあの吉井和哉のコメントでも、とても印象深かったけれど、
渋谷陽一氏も仰っているように、12月28日武道館ラストで弾き語られた
「JAM」という曲の威力、この曲に宿った魂の強さを改めて感じた。
「SO YOUNG」がTHE YELLOW MONKEY第一期の終焉の曲だという事は、
当時の彼らを見ていた者達皆が感じた事だ。
吉井和哉本人が『「SO YOUNG」は、THE YELLOW MONKEYの解散ソングだ』と言うけれど、
私は「SO YOUNG」を解散ソングだなんて言葉では呼んで欲しくない。
あの百何十本のツアーがあってこの曲が出来た事は、
決して悲しい結末なんかじゃないと思う。
あの過酷なパンチドランカーツアーがあったからバンドが解散へ
突き進んだのじゃなくて、あのツアーが無かったらバンドがもっと最悪な終わり方を
していた可能性だってあるだろう。
そして「パール」。
吉井の『「パール」は中原の歌なの。』に一番の衝撃を受けた。
発売当時、「バラ色の日々」と続く「聖なる海とサンシャイン」というプロデューサー
シリーズに戸惑い、スプリングツアーでの吉井のテンションの高さに危うさを覚えて
THE YELLOW MONKEYに不安を感じ続けていた自分が、
「パール」で前へ進もうとする希望と力強さを感じて安堵していたというのに、
実際あの「パール」は吉井の『もうクビにしてくれ、ヤダ。』と、
自分を脱退させてくれとまで言ってバンドを壊そうとして、
でも中原さんの死でかろうじて「休止」になった、そういう歌だっただなんて。
『破壊しようとしているけど心臓マッサージしているみたいな』かあ。
言ってくれちゃうなあ!
「CALL ME」が『<呼んでくれ>と、引退しそうな自分を誰か止めてくれ』だったと、
今更白状しているのが面白い。
「BELIEVE」で『封印していたコード進行にのっけた時の声の震えに「これかー!」と
思った」という箇所に、吉井和哉が休止期間、YOSHII LOVINSON時代を経て
到達出来た境地の眩さを感じた。
全ては無駄じゃなかった。必然だった。
凄く頼もしくて誇らしい。
あの時のこの曲は、実はこうだったんだよ、という製作者側の打ち明け話は、
その曲をより深く味わう材料にもなるだろう。
実際「パール」は、今新たな感慨を持って響いてくる。
でも当時の私のあの感情も決して間違っていたとは思いたくないのだ。
私は、吉井和哉の込めた意味とは違っているのかもしれないけれど
これからも私の感じた「SO YOUNG」や「バラ色の日々」や「パール」達を
愛していこうと思った。


金色のジャケット姿は、う〜んそこまで金色に拘るんかいなと思ったけれど、
ざっくりしたセーター着てポーズを取っている吉井の表情が
とても穏やかで寛いでいるのを見て、私も優しい気持ちになれた。





My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間