ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

ジョン・レノン スーパー・ライヴ出演決定 - 2005年07月29日(金)

10月7日、日本武道館で開催予定のジョン・レノン スーパー・ライヴに
YOSHII LOVINSON4年ぶり2回目の出演決定の知らせが届いた。
N.Kホールでオノ・ヨーコさんからのお花が届いているのを見て、
ひょっとしたら今年のジョン・レノン スーパー・ライヴにYOSHIIの出演が
あるかも、と思っていたので、とても嬉しい。
サンスポの記事に『とくにYOSHIIは、ジョンの楽曲の中でも
玄人好みといわれる「GOD」を熱唱したが、ジョンのファンをはじめ
ヨーコさんが感激したこともあって、再登場が決定した。』と
書かれていて誇らしかった。
懐かしくなって2001年のLIVE映像を見返してみた。
当日はネットで生中継されていたのを見たけれど、
この映像は後日NHKハイビジョンで放送されたものだ。
冒頭レノンのフィルムが流れた後、ステージ上に現れたのは、
ゆずの二人、
押葉真吾、そして吉井和哉だ。
黒の革ジャケット・黒シャツ・黒パンツにサングラス姿で
「Come Together」を歌う吉井は、風貌がレノンを彷彿とさせて
凄くオーラを放っていた。
各出演者達のステージが進み終盤登場した吉井は、「Be-Bop-A-Lula」
「I'm Losing You」「God」の3曲を歌ったのだけれど、この映像では
「Be-Bop-A-Lula」がカットされている。
当日は、ハンドマイクで凄く楽しそうにノリの良いロックンロールを
魅せていた記憶がある。
とにかく「I'm Losing You」の情感込めた歌いっぷりが良い。
いきなり上着を肩脱ぎして熱唱し始めたのだ。
他の出演者達がわりと大人しいステージングだったのに比べ、
吉井はハンドマイクでステージを大きく移動し、頭上で手拍子をとり
客席を煽っていた。
圧巻は「GOD」だ。
『僕は「夢は終わった」とは歌えない、ジョン・レノンは凄い』と
言って歌い始めた“God is a concept ”
Kennedy を“I don't believe in Bush”と
変えたインパクトは鮮やかだった。
休止中という事もあってか実に練習を積んだのだろう。
ジョンの歌声に似せて歌っていたように思う。
それでも吉井独特の艶と切なさを感じさせる歌声は、
贔屓目を差し引いても
あの夜の華の大きな部分を担っていたと思う。
第5回目となる今年のスーパーライブは、オノ・ヨーコさん自らの
パフォーマンスがあるそうだ。
その他出演者は、このイベントお馴染みの押葉真吾、奥田民生、
曽我部恵一、PUFFY、LOVE PSYCHEDELICOや
BONNIE PINK、小柳ゆきetc。
豪華な顔ぶれだし誰がどんな曲を歌うのかとても楽しみだ。
問題は、チケットが取れるかどうか&東京は遠い。
4年前のステージでは、ソロの吉井和哉だけど、ひょこっと
THE YELLOW MONKEYのフロントマン吉井和哉が顔を覗かせていた。
THE YELLOW MONKEYに決着をつけてソロLIVEツアーも果たした彼が
今年見せる顔はどんなだろう。とても期待している。




ステージメイク - 2005年07月18日(月)

YOSHII LOVINSONツアー最終日の翌日、読売やスポニチの紙面の見出しは、
「YOSHII LOVINSON来年改名」「YOSHII 突然の改名宣言」等、
ZEPP東京最終日にYOSHIIが発した「YOSHII LOVINSONは今年で終わり。
来年からは新しい名前で。」という発言が大きく取り上げられていた。
ライブハウスでのスタンディングLIVEという初LIVEツアーが
各会場大盛況&大興奮を巻き起こし、無事最終公演の幕を閉じた、という事よりも
「改名宣言」の方が見出しになるのか、と少し不思議な感じがした。
「YOSHII LOVINSON」やめて吉井和哉に為る事がそんなにおおごとなのだろうか?
「新しい名前を考え中です」とわざわざ言うくらいだから、
吉井和哉のバンドプロジェクト名が「○○○」とか全く新しい名称を
考えてるかも知れないけど。
私は、名前がどうこうよりも、7月4日と5日のZEPP東京で吉井が全くの
ノーメイクでステージに立った事の方が重要な意味を持つと思う。
スポニチに載った「ソロライブツアー・ファイナルを向かえ、
熱唱するYOSHII LOVINSON」の画像は、何の飾りも無い丸ごとの素顔の吉井和哉だ。
ドーランも眉もアイメイクも何もない、まるで泣き出しそうにさえ見える熱唱ぶりだ。
7/16土曜に放送されたCDTV夏祭りでの97年夏「BURN」を歌う
THE YELLOW MONKEYの映像とは別人だ。TVの中の吉井は、ROCK STARを絵に描いたような
長髪・美麗・妖艶なヴォーカリストそのものに見えた。
「Mステ」「POPJAM」「HEY!HEY!HEY!」「うたばん」など、活動休止直前まで
THE YELLOW MONKEYは沢山のTV番組に出演したけれど、トークの場面では
吉井本来の茶目っ気やサービス精神からギャグやら何やら非常に盛り上げていたし、
歌うシーンでは勿論彼等の魅力を存分に見せようと、
相当「装って」いたのではないかと、今となれば感じる。
THE YELLOW MONKEY晩期は、逆に言えば濃い化粧を施さなければ、
ステージには立てなかったのじゃないかとさえ思って仕舞う。
煌びやかな衣装を脱ぎ、そして全くのすっぴんでステージに臨んだ
7月4日と5日の吉井の心境はどんなものだったのだろう?
7月4日、私の目に焼きついた吉井は、汗だくで「SIDE BY SIDE」の
“無理に笑うのよせ”で両手で口を横に引っ張ってみせた顔だ。
アンコール「トブヨウニ」で漸く目の前にやって来た時の顔だ。
歌う事の使命を引き受けた顔だった。
2001年1月4日大阪ドーム「メロメ」での近さよりも今回は、
もっと間近で吉井を見た。4年半の歳月、吉井はそれだけの年数を経たけれど、
身体の鍛錬の所為か、また内面から漲るモノの所為か、輝きは増していたように思う。
「この人の生き様を見ていたい」そう決めてからもう随分経つ。
これからもLIVEへ参加出来るよう私も自己管理に気を配る所存ですので、
吉井さんも末永く歌い続けられるよう、身体に気を付けて下さい。
40間近で「撃沈」は、どうか止めてね♪




勝手にMusical Baton - 2005年07月17日(日)

◆Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
1.73GB
◆Song playing right now (今聞いている曲)
COME WANDER WITH ME / JEFF ALEXANDER『THE BROWN BUNNYサントラ』
 映画には使われていないジョン・フルシアンテが書き下ろした5曲がもう本当に切なく美しく心に沁みて来る。

◆The last CD I bought (最後に買ったCD)
『SPIT&YELL』RIZE
 「CRY」と「STRAY DOG」、「STAND UP」が好き。
 歌詞がひりひりと痛いけれどサウンドは凄く心地良い。
◆Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
PHOENIX/YOSHII LOVINSON「WHITE ROOM」
 「WHITE ROOM」は全曲好きだけれど、第1曲目のPHOENIXの格好良さは格別だ。
PHOENIX/WishboneAsh「LiveDates」
 このイントロが流れて来ただけで彼等のサウンドの中にトリップ出来るような気がする。
OTHERSIDE/RedHotChiliPeppers「CALIFORNICATION」
 痺れます。
遠い音楽/ZABADAK「DECADE」
 地球という星に生きる命が奏でる音楽そのものという感触だ。
朝日のあたる家/ちあきなおみ「うたくらべ」
 時々無性に聴きたくなる。圧倒的な歌唱力で女の切なさ、哀しさそしてしなやかさに包み込まれるようだ。


ミュージックバトンが面白そうなので答えてみました。





『YOSHII LOVINSON TOUR 2005 AT The WHITE ROOM 』 - 2005年07月07日(木)

ツアーが終わったばかりで、まだ咀嚼し切れてはいないだろうけれど、
今日7月7日という私達THE YELLOW MONKEYを深く愛するファンにとっては、
殊更大きな意味を持つ日に、LOVINSONツアーへの想いを纏めておこうと思う。
ライブ前の各種音楽雑誌インタヴュー等でも感じてはいたけれど、
昨日の朝、スポニチや読売のスポーツ紙で「YOSHII LOVINSON 改名!」と
題されたあの記事とそこに映し出されたスッピンで熱唱する
YOSHIIの姿を目にしたら、胸の奥底で殆ど無意識の内に封じ込めていた硬いものが
すっと溶かされて行った。
『WHITE ROOM』が出た時、一曲目「PHOENIX」を聴いて、「これは吉井和哉の
再生の歌だ。不死鳥が折り畳まれた翼を拡げその羽ばたきで砂塵を巻き起こす
飛翔の歌だ。」と思った。
私は今回、6/4新潟フェイズ、6/22ZEPP名古屋1日目、7/2東京N.Kホール2日目、
7/4ZEPP東京1日目の計4回LIVEに参戦する事が出来た。
自分自身がLIVEを体感して、そして全14公演のうち11公演に参加した友から
逐一聞かせて貰った各LIVE会場の様子、その友とは別の会場に参加出来た方からの
感想などをお聞きして、今感じるのは、
この14本の『TOUR 2005 AT The WHITE ROOM 』を終えてようやく吉井和哉は、
YOSHII LOVINSONという表記もいらない、
吉井和哉(一哉)本来の姿をまさしく「NATURAL」に顕す事が
出来るようになったのではないかと思う。
アルバム『WHITE ROOM』を世に出すだけではまだ、
PHOENIXは孵化していなかったのだ。一度炎に焼き尽くされ灰の塊で出来た殻の中で、
ドクッドクッと力強い鼓動を響かせて、生まれ出づるその時を待っていたのだと思う。
新潟で殻を割り、続く松山、広島で着実に姿を現し、
濡れた身体を乾かせ、羽を少しずつ伸ばして、東京公演最後の最後でやっと
一人のアーティストとしての吉井和哉が産声をあげたのではと、私は感じた。
7/5のMCで吉井は、『YOSHII LOVINSONはこれで最後・・・
どんな名前で今後やるかはわからないけど最後・・・
今日が何かの始まり。新しい始まりへのFINAL COUNTDOWN』と話したそうだ。
イエローモンキー後期〜晩期には、吉井はTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉という
存在で在ろうとする事がとても辛そうに思えた彼が、
休止を決定してから解散を決断するまでの長さを含めて
彼の抱え込んだ苦悩の大きさを思うと、
彼がステージへ帰って来てくれた事に、彼自身へもそうだけれど、
彼を支えてくれた周りの方々やスタッフ全ての人に感謝したい。
素晴らしいLIVEを魅せてくれてありがとう!
7月7日、去年の今日、メンバーが3年半振りに集まって解散を決めたという
日だから、ちゃんと書いて置こうと思う。
THE YELLOW MONKEYを解散させた事で吉井和哉が責任を感じる必要はないと思う。
吉井和哉がTHE YELLOW MONKEYの枠に収まり切らなくなっていたのだから仕方ない。
無理してあのまま続ければ、跡形も無く木っ端微塵に為っていた事だろう。
今は、いつかきっと(私はいつもこういう言い方をするけれど、
必死にその時を念じている訳ではないよ。)
4人の道が一つになる未来もあると思う。
『僕の左でギター弾くのは、やっぱりこの男!』
『ミュージシャンとして結婚』という宣言が高らかに為されたと言うし、
吉井とエマという黄金コンビはこれからも続いて行くだろう。
二分の一イエローモンキーではない。
「吉井がエマに依存し過ぎ、エマに甘えるな」とか
「エマは吉井と離れろ、ソロで演れ」等という意見も巷ではあるようだ。
私は、多少(かなり?)邪な視点が入ってはいるが、
吉井のヴォーカルとエマのギターは魂で結びついたベストパートナーだと
信じて疑わないので、
本人達の望むようにしてくれれば良い。
「永遠に一緒」と誓ったって未来は、本人達次第。
二人が互いに必要とする相思相愛の期間が長く続けば良いのに、
と願うばかりだ。





7/4 ZEPP東京 - 2005年07月04日(月)

雨が降り続き少し肌寒い。
早めに青海に着き、ヴィーナスポートで過ごす。
今日こそは限定Tシャツが欲しかったので、結局3時から並んだ。
雨の中2時間近く並んでようやくGET。まずは課題をクリア。
友人のお陰でチケットの受け渡しも叶って本当に良かった。
入手に苦労した甲斐があった。
其々考えもあろうが、私は今回の判断は間違いでは無かったと思っている。
来年長いツアーが予定されているとは聞くけれど、この
「YOSHII LOVINSON TOUR 2005 AT the WHITE ROOM」は今回だけだ。
一日一日同じLIVEは無い。
YOSHIIがどれだけ数多くのLIVEツアーを予定していようと、
私が来年それに参加出来る保障は何もない。
暫し休憩の後、会場前に下りて行くと、まだ番号順には並んでいず、
少し驚いた。ここで知人に遭遇。素晴らしい番号をお持ちだ。
互いに「頑張ろうね〜!」と声を掛け合う。
10番ずつ番号を呼ばれ、係員に誘導される。このチェックがきちんとされていて安心出来た。ZEPP東京は、何本も柵に仕切られている。
私は、エマ前2列目の位置をキープした。
開演をひたすら待つ。1曲目「PHOENIX」だ!
私は、4公演通ったが結局「HATE」を聴く事は叶わなかった。
「PHOENIX」で始まるのが最高に格好良いと思っているから、これはこれで良いが、本当にLIVEは巡り合わせだ。
柵に掴まれば大丈夫と思ったが
甘かった。東京追加公演初日の熱気は凄かった。新潟以上だった。
圧力は大丈夫だったのだが、前の女性の髪が口に入るのだ。
タオルで口元をガードしていたら、係員の方に心配されて仕舞った。
観ていて下さるんですね。どうもありがとう。
長い髪の方は、どうか結んで下さい。お願いします。
もし次回もスタンディングLIVEの場合は、長い髪の人の後ろは、
絶対避けようと心に誓った。
私にとっては、この日が最終日だったから、全てを胸に刻もうと
集中した。圧力は凄まじかったが、LIVEそのものは凄く楽しかった。
本日の「・・・ばっ」で「SWEET CANDY RAIN」のアカペラを
披露してくれたのは嬉しかった。
「HATE」の無念を慰められた。





7/2 N.Kホール - 2005年07月02日(土)

ディズニー・シーで半日遊んだ後N.Kホールに向かうと、
グッズ売り場には既に長蛇の列で、「欲望限定Tシャツ」は無理だった。
残念だがこの列に並んだお陰で、またもや偶然にお逢い出来た方がいて
嬉しかった。あの人混みで我ながら良く見つけられたものだ。
やがて友人も到着。私は今日は2階席だったので、
実にゆったりと待っていられた。ようやく開場時間になり、指定席に向かう。
思いのほかステージが近い。
N.Kホールのアリーナは広く、ステージからアリーナ前方までの距離も
大きく取ってあったから、整理番号が大きいよりは2階の方が見易いのだと
自分に言い聞かせた。もう既にこの時点で1階スタンディングが
羨ましく思えていたからだ。
青木マネージャーの諸注意の後、メンバーが登場し、
「PHOENIX」が鳴り出した。アリーナのうねりが凄まじかった。
私の周りの2階席も皆立っていたし、各自それぞれ曲に合わせて身体を
揺らせていたが、どうも物足りない。
眼下のあの渦の中に混ざりたいと思った。
2階からステージ全体を見渡して初めて気づいたのは、照明の美しさだった。
ある曲では、YOSHII、エマ、バーニーの順にスポットが当たっていく。
「RAINBOW」は本当に綺麗だった。
そして、この日のYOSHIIの歌も演奏も非常に状態が良いと思った。
YOSHIIの動きも客席への煽りも、生き生きと水を得た魚のようで、
YOSHIIはこれくらいの大きい広さのステージが合っているのではと思った。
小さいライブハウスから再びキャリアを積んでいくという方式を
取りたかったのかも知れないが、YOSHIIの進化のスピードは、
もうそんなゆっくりなスピードではなくなっている。
ライブハウスのスタンディングLIVEの幸せを実感してしまったから、
この近さをもう味わえないのは残念だが、来年数多く組まれているらしい
ツアーは、ホールになるのだろう。
ホール仕様の吉井のLIVEの魅せ方にも期待したい。
スタンディングだと体力的にちょうど良い1時間半という時間も、
2階から見ているとちょっと物足りない。
LIVE終了後、友人と落ち合い、人の溢れる舞浜の夜を過ごした。
付き合って下さって本当に感謝だ。
LIVEの感想を語り合えないほど辛い事はないから。





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INDEX
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溶けた砂
時の谷間