ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

3年ぶりのラジオ生出演 - 2003年12月27日(土)

2000年暮れに当時HEESEYが遣っていたラジオ番組に
メンバー全員で出演してからちょうど3年振りに、
YOSHII LOVINSONこと吉井和哉氏がラジオの生放送に
出演した。東京FMスペイン坂スタジオからの公開生放送だ。
「TALI」発売時のインターネットでの先行視聴会以来の露出である。
いよいよYOSHII LOVINSONが動き出すというので全国各地から
大勢ファンが集まったという事だ。
私は、番組が始まる大分前からドキドキしつつ
PCの前で動画が上手く繋がる様に祈りながらスタンバイしていた。
DJのMAPPIEこと松本ともこさんの紹介で吉井さんが登場!
もしかしたら、ニットの帽子にサングラス、ジャージ姿で
現れたらどうしよう、と恐れていたのだけれど、
実際は、ノーメイクではあったものの、サングラスは無しで
黒髪に黒のコート姿がとても細身で麗しかった。
何より一番嬉しかった事は、PC内の小さな画像で見ただけでも
吉井さんの風情が大変穏やかで、MAPPIEさんと話す口調も
とても優しく且つ時折洩れる笑い声が、再び自作の曲を、
ソロアルバムを世に送り出すという喜びに溢れていると
感じられた事だ。
「TALI」ポスターに写っていた自宅創作部屋での宅録の様子、
YOSHII LOVINSONの名前の由来、そして「育子」の謎、
吉井さん自ら明かしてくれた様々の事柄は、「ああ、そうだったのか〜。」ストンと胸に収まりました。
「育子」が「9.11」そして「大切な何かを育む」と言う事、「紐育」・・・私が感じた事は間違っていなかったと知ってとても嬉しい。
吉井さんは、Smokey Robinsonの「Quiet Storm 」をリクエストして
ソロデヴューアルバムタイトルの『At The Black Hole』に通じる
ところがあると語っていたのが、とても興味深い。
アルバム発売時には、またラジオ登場も期待出来そうな口振りだったのが、非常に嬉しい。

さて、明日はこの雑記を書く暇が無さそうなので、今日のうちに
昨日スペースシャワーTVで初放映された「Sweet Candy Rain」についても書いて置こうと思う。
曲調から言って明るい筈はないと判っていたが、正直ここまで
ダークだとは思いも付かなかった。
モノクロの映像の中に描き出された登場人物達のどうしようもない
孤独、死の匂い、寂寥感と孤独感に満ちた世界に呟かれる
象徴的な言葉たち・・・けれど見終えて心に残ったのは、
真白い雪のような“救いと癒し”だった。
決して絶望だけを歌った歌ではない。その事をPVからも感じたのだ。
まるで、ひとつの長い映画を凝縮して
作られたモノのようで、その世界に惹き込まれた。
多分一度観ただけでは、全然訳が判らないと思う。
YOSHII LOVINSONをまだ知らない人にとっては、尚更だろう。
音楽PVを流す番組にせっせとリクエストを送ろうと思う。




Sweet Candy Rain - 2003年12月18日(木)

ラジオ局へリクエストし続けた甲斐があった。
田舎のラジオ局へは、サンプルが送られて来ないんじゃないかと
諦め掛けていたところだった。
WHAT's INの歌詞を先に見て仕舞って、
あまりに私小説風の歌詞に、こんなところまで歌ってしまうのか、と
吉井和哉自身の内面を深く掘り下げ過ぎているんじゃないだろうかとか、ほんの少し気掛かりだったのだ。
WHAT's INに載っていたレヴューに「絶望」「決別」「悲痛な叫び」と
いう言葉があったけれど、初めてYOSHII LOVINSONの歌う
『Sweet Candy Rain』を聴いて私が感じたのは、淡い虹だ。
仄暗く垂れ込めた雲の隙間から差し込んでくる光を感じた。
ノスタルジックな曲調に柔らかく艶を帯びたファルセットを多用した
歌声は、私自身の心の奥に仕舞った柔らかい所を直撃して来る。
幼い日の思い出や愛し愛されてきた人達、亡き父の事・・・
どれも大切で尊くて、今の私を形作ってくれたという事を。

「Sweet Candy Rain」というタイトルから、メロウなラヴソングだと
思っていたけれど、こういう形で来るとは、
そして、これをアルバム『At The Black Hole』の先行シングルに
持って来るとは、流石YOSHII LOVINSONだと思う。
頼もしいね。悲嘆や苦悩を噛み締めて静かに自分の立ち位置を
認識して、そしてそれから・・・という覚悟を感じるのだ。
THE YELLOW MONKEYというもの凄く大きな拠り所を離れて、
一人のミュージシャンとして起つ時、その風圧は如何ばかりかと
思うけれど、「TALI」「スティルアライヴ」そして
この「Sweet Candy Rain」を聴く限り、YOSHII LOVINSONの世界は、
着実にしっかりと構築されているようだ。
繊細で儚そうに見えて本当は凄く強い人だなあ。
シングル曲としては、哀愁を帯び過ぎで売れ線ではないのかも
しれないけれど、この曲は好き者にはマタタビの如き曲だと思う。
C/W曲の「SPIRIT'S COMING(GET OUT I LOVE ROLLING STONES)」
「70 GO」も期待が募る。PVは、本人出演だと良いんだけどねえ。




デヴューアルバム発売決定! - 2003年12月09日(火)

待ちに待ったYOSHII LOVINSON氏のデヴューアルバムの
発売告知が正式に発表された。
タワレコやHMVのHP上でフライング情報が載っていたから、
オフィシャル発表は未だか、未だかとやきもきしていたが、
昨日は、猿公式HPのBBSに菊地英昭ご本人からのメッセージも
載ったし、ヨシロヴィのアルバム情報も正式に出たし、
本当に嬉しい一日だった。
アルバムタイトルは『At The Black Hole』!
YOSHII LOVINSONの楽曲が全10曲も聴けるというだけでも、
嬉しいのに、何と初回完全限定盤15万枚には、
レコーディング・ドキュメント、インタビュー等貴重な映像が
45分間収録予定という超豪華盤だという。
その上、完全生産限定で初のアナログ盤が2枚組み(封入特典ポスター付き)もリリースされるそうだ。
LPを聴くなんてどれだけ振りだろう。レコード盤に針を落とす感触!
『At The Black Hole』アナログ盤の音が、とても楽しみだ。

そして、『At The Black Hole』というタイトルについてだが、
「TALI」のC/W曲「スティル・アライヴ」中で歌われた
“・・・ポッカリ穴があいて 精神ブラックホール”の
「ブラックホールの中で」という事だろうか?
ブラックホールと言えば、周りの物質も光も全てを吸い込んでしまう
暗黒を連想するけれど、ブラックホールの中は、
反対に全ての物質を凄まじいまでのパワーで奔出する
ホワイトホールに繋がっていると思うのだ。
だからブラックホールの中は、莫大なエネルギーをどんどん発生されて
いて、YOSHII LOVINSON自身がそのエネルギーを我々に
放射してくれるのかなあと感じた。
ブラックホールに吸い込まれた宇宙船が、タイムトンネルを潜って、
或いはワープ走航してホワイトホールから噴出されて来る。
大好きなSF物語の一場面のように、わくわくさせられるのだ。
1月9日発売の先行シングル『SWEET CANDY RAIN』のジャケットも
紹介されたけれど、これは夕暮れなのか、夜明けなのか。
独りアビーロードっぽいと思って仕舞ったのは、昨日がジョン・レノンの命日だったからか、外国っぽい街並みだったからなのか。
ジャケットだけで、こんなにも惹き付けられて仕舞うのだから
面白い。
『SWEET CANDY RAIN』・・・この雨は、しっとりと恋する者の
心を甘く濡らす雨のような気がする。
SWEETは、甘く弾けるような、というよりは、優しく包み込むような。
YOSHII LOVINSONが描き出す“愛のかたち”は、どんなだろう。
先ず、私たちに届けられる新曲『SWEET CANDY RAIN』が
心から待ち遠しい。





人が越えようとするとき「峠」が生まれる - 2003年12月03日(水)

今朝、「めざまし調査隊」で「峠」について放送していた。
「峠」とは、日本で生まれた漢字で、通行者が道祖神に
手向けをする「手向け」が語源だという。
山の頂上ではなく、人が山を越えて向こうへ歩いて行く時、
登り(上り)きってその後は下りになるその境を「峠」と呼ぶそうだ。
私は、今までただ漠然と「峠とは山道の一番高い所」だと思っていた。
THE YELLOW MONKEYの『8』が出てから、「峠」という曲に
これ程まで心酔して来たというのに、肝心の「峠」の意味を
今まで理解していなかったとは、恥ずかしい。
ともあれ、この山がただそこに在るだけでは「峠」は存在しない。
人が歩いて行こうとする、その時に「峠」が出来る、という事が
とても印象深かった。
『8』発売当時、吉井和哉が「“峠”に描かれる情景は、
永井豪の『バイオレンスジャック2巻の最終頁のイメージだ。』と
語っていて、私は当時慌ててバイオレンスジャックの1巻と2巻だけ
読んだものだ。巨大地震により壊滅し外界から閉ざされ、
無法地帯と化し、何もかもが破壊された荒野・・・当時も
その荒涼とした大地のイメージは掴めていたと思う。
けれど、最近突然私の中で蘇った「永井豪ブーム」のお陰で、
「凄ノ王伝説」「デビルマン」「デビルマンレデイ」
「バイオレンスジャック」読破を達成する事が出来て、
改めて「峠」の凄さが判った気がした。
3年前「バイオレンスジャック」1,2巻に初めて出会った時私は、
あまりのバイオレンス描写にたじろぎ、また完全版で全18巻という
量に気後れしていたのだけれど、今回読み始めてみると、
この作品は、暴力とエロスに彩られてはいるものの、
権力、暴力、性と生・・・様々な人間の赤裸々な欲望と戦う
人類の愛と希望の物語だったのだと思う。
愛する人不動明デビルマンを欺き我が手で殺して仕舞った
飛鳥了ルシファー=サタンの哀しみ、スラムキングの絶望の深さが
痛ましかった。
けれど、弱いながらも逞しくひたむきに生きる為に戦い続けた人間達の
精神エネルギーの高まりが、デビルマン=バイオレンスジャックに力を与える。
光と闇が激突し、戦いの最後に漸く
安らぎを得たサタンの表情が言いようも無く美しい。
夢枕獏があとがきの中で『「デビルマン」になくて「バイオレンス
ジャック」にあるものは、“癒し”である』と書いておられるが、
私は「希望」の光の方を多く感じた。
突然ここで「峠」に戻るのだけれど、
“狂気の中でも虹は出ていたから”
“次の峠まで歩いて行かなきゃ 延々”
“あふれてきたのは愛と呼べるのさ”
この曲をもう一度あのメンバーの演奏で見たい。
私の“希望”だ。
きっといつか必ず、そう信じることが今の私の力になっている。






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