ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

「村八分」を聴いて - 2003年01月30日(木)

ハガクレ・レコード(名前からして素敵!)から出た「村八分」の復刻CDシリーズを
聴いている。凄い!これが30年前の曲だなんて!
痺れるというか、聴いてるうちに熱くなって来る感じだ。
正直、こんなに興奮するなんて思っていなかった。
伝説のロックバンドという事で、名前だけ知っている状態だったから。
3枚とも購入して大正解だった。気持ちイイ〜。
格好良いじゃないの。全然古くない。
当時のバンドとしては珍しくお化粧して衣装も派手だったらしい。
どんなライブだったんだろう。ライブ自体非常に稀だったらしいけど。
当時としては、とても斬新だったのだろうな。
活動期間が4年程で発表したのは、わずかライブ盤1枚だけだという。
それでも「村八分」は鮮烈なイメージを残す伝説のバンドと為った。

ふと、この前からずっと気に掛かっていた事が蘇る。
ヒーセのシングル曲を聴いて、そしてPVを観て思った事である。
ロックバンドを休止してメンバーがソロ活動を始める時に期待される事って何だろう。
ヒーセのシングル曲って皆が求めたヒーセ像をとても上手く掬い上げてる気がする。
KISSやエアロスミスとかアメリカンロックテイストでノリが良くって、尚且つ
THE YELLOW MONKEYの匂いもちゃんと感じられて、凄い期待に答えていると思う。
アルバムではどんな曲をヤっているんだろう。楽しみだ。
ベースのヒーセが歌い、アルバムの中ではギターも弾いているという。
これはとても興味が持てる。
けれど、これがモンキー時代、ほとんどの曲を作詞作曲していた吉井和哉の
ソロワークの場合はどうだろう。
自分で作って歌う曲がイエローモンキー時代とたいして変わらないなら
活動休止してソロを遣る意味がないじゃない。
それも自分で言い出した活動休止だものね。
彼らがあの時、活動休止ではなく解散という道を選んでいたとしたら、
THE YELLOW MONKEYは「伝説」になっていただろう。私はそう思う。
だが、彼らは「名前」ではなく「明日」を選んだ。
だからこそ、廣瀬洋一にも吉井和哉にも、より多くを期待するのだ。
どんどん貪欲に期待し続けよう。
待たれる方は堪ったもんじゃないだろうけど。
好きになって仕舞ったんだから仕様が無い。





パンドラの箱の最後に残ったのは... - 2003年01月08日(水)

2年目の記念日です。「メカラウロコ8東京ドームライブ」ビデオを
3時間通して観ました。最初から最後まで通して観たのは随分久しぶりでした。
今日は、涙で画面がぼやけることも無く(笑)、全編やっぱりこの人らは
凄いよ、最高さ〜!と感慨ひとしおで見る事が出来ました。
観てるうちに、ここ数日の不安感や焦燥感が綺麗に晴れてしまっていました。
私はビデオを見る前までずっと、ドつぼに嵌っていたのです。
2年経って、私だけがあの時のまま取り残されているみたいで、
『強力な人生を』と『悔いのない人生を』と願った筈が、どうしようもない程
くすんでいる自分に気がついて、焦ったあげくに無謀な行動に走りました。
自分を見失った浅慮な行動は、結局自分自身の首を締める結果になりました。
自業自得です。まったくどうしてこうも成長しないんでしょうか。困ったものです。
やりきれない気持ちで一杯でした。
それがビデオのお蔭で浮上のきっかけを貰えたのです。
あの大きなドームを埋め尽くした大観衆を掌握するメンバー達の姿を見ていたら
今の私のこのもやもやの何てちっぽけな事かと。
私にとって大切な事は何だろう?
他人からの評価なんてそんなものに、どうして拘っていたのだろう。
本当に大切なものは、この胸に仕舞った。あとは前を向いてゆっくり歩き出すだけ。

ビデオをずっと見て、今日は泣かないで観た、なんて思った途端、
最後のアニーのお辞儀でヤられました。ホントに良い男だ。
早くステージに帰っておいでよ。




覚え書き - 2003年01月04日(土)

私がこの目と耳と体全身でTHE YELLOW MONKEYの大阪ドームライブを
体感してから、今日でまる二年が経った。
あの夜の事は、私の細胞の一つ一つにしっかりと刻み付けた筈なのだけれど、
その後ライブ中継された東京ドームでの「メカラウロコ8」を何度か繰り返して
見るうちに、次第に大阪の記憶が薄らいで行って仕舞った。
まず思い出すのは「GIRLIE」の終わりから「天国旅行」へ繋がれた吉井和哉のギターの音色と
この曲を聴けた悦びで身体中が震えた事、ドームの天井を漣が走るような照明の美しさ。

ああ、良かった。蘇ってきた。私は忘れていない。
一番聴きたくて堪らなかった曲「峠」の始まりの時、どれほど私の胸は高鳴ったか、
スクリーンに映し出されたメンバーの顔を見て、胸が締め付けられそうだった事、
そう、そして『きっと皆の前に戻って来る事を約束します!』ってはっきりと吉井和哉は
口にしたんだ。「峠」が終わってメンバーがはけて行く時、あっさりと去って行く後姿が
とても怖かった。アンコールの声が揃わず申し訳ないような気持ちに襲われ始めた時、
後ろの方で歓声が興って、メンバーがすぐ目の前に現れたのだ。
「メロメ」で間近に見る事の出来たメンバー一人一人の表情...。
夢のようなひと時だったけれど、何故か私は嬉しいだけではなくて、目の前の吉井が
消えて仕舞いそうな言い様のない不安感に囚われていた。
「メロメ」を歌い終え、流れ出したオーケストラの音に驚いていると、吉井が後ろを振り返って
紹介して現れたメカラウロコ楽団。「真珠色の革命時代」でエマのギターにシンクロしてみせた
吉井の指の動きと互いに見交わした笑みが忘れられない。
「悲しきASIAN BOY」で真っ白に舞い散った紙吹雪が本当に綺麗だった。
あの夜の事が、もう記憶の底に沈んで仕舞ったか、と怖れていたけれど、
大丈夫。たった2年で色褪せたりはしない。
東京ドームのMCを聞いて、私も誓った『強力な人生を。』には、
今だ歯噛みするような毎日だけど。一年前の文章とちっとも成長していない自分だけど。
でも前を向いて歩こうと決めた。今年に入って、小さな一歩を踏み出したよ。後悔はしない。






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