ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

君と僕は... - 2002年11月28日(木)

11月26日のスポーツ新聞に、ヒーセのソロ活動スタートのニュースがかなり大きく取り上げられた。
休止後ほぼ二年近く経つというのに、これだけマスコミの扱いが大きい事が嬉しかったし
ヒーセの自信たっぷりの元気そうな様子にソロへの期待も高まったのだけれど、
それでも、『10年間の活動にピリオドを打った』だの、『バンドの精神的支柱だった』だのという
過去形での表現に私は、心を乱されて仕舞った。
『ボーカルの吉井も来年にソロ活動を始動させる意向』
『一緒に演奏するメンバーとレコーディングスタッフの募集をホームページで開始』と書かれているが
開始したのは去年の夏なのだ。もう1年と4ヶ月以上経っている筈だ。
『兄弟もミュージシャンとしての腕をひそかに磨いており』
“ひそかに”ってどういう事なの?
この形容のされ方が私には哀しく思えて為らなかった。
判っているのだ、ヒーセのソロ始動がイエローモンキー第二章への新たな始まりだという事は。
ヒーセがソロ活動を始め、そのうち吉井和哉もソロを始めるだろう。
菊地兄弟ももしかしたら何かやってくれるかも知れない。
各自がそれぞれの手ごたえを掴んだら、その先にはきっと...。
けれど、ヒーセ、ロビン、エマ、アニーの4人がステージで暴れる姿を見られるのは
まだずっと先の事なのだろうね。覚悟は決めた筈だけれど、正直淋しい。
THE YELLOW MONKEYのデビューシングル“ROMANTIST TASTE”の導入部分で
歌われた
“君と僕は過去と未来よりも
強く結ばれて
未来永劫に出会い続ける”
この詩を何度も噛み締める。
「君」と「僕」はメンバー一人一人であり、同時にファンを含めたイエローモンキーそのもの。
きっと、また出会いましょうね!





迷い道 - 2002年11月14日(木)

二年前の今日、イエローモンキー活動休止の第一報が届いた。
青天の霹靂と言うのではない。
何故なら、その年の初め位から何となく違和感とか不安とか云うモノを
感じていたから。不安感が最高潮だったのは、スプリングツアー時の
事で、その後アルバム『8』が出た事で私は、「ああ良かった。これから
また始まるんだ。」等と胸を撫で下ろしていた。
しかし秋になりシングル「BRILLIANT WORLD」が発売されて、
何、この歌詞は?吉井和哉は、イエローモンキーはどうしたんだろう?と
不審に思っていた所へ届いた、衝撃の知らせだったのだ。
NET上の激震を見ても、私はまだ現実の事では無いような気がして、
ただあても無く、公式サイトや数多くのファンサイトを情報を求めて彷徨っていた。
翌日になって漸く、事務所からの「活動休止」を知らせる葉書を受け取って、
初めてその事実を受け入れたのだった。
メンバーによる活動休止の表明を読んだ私が当日書いた文章を読み返してみた。
動揺して激しい喪失感に囚われていた癖に、滅茶苦茶意地を張って
目一杯前向きな事を書いていた。
より良い音楽を創り出す為の充電期間なら、再始動の時を楽しみに
それを信じて待っている、って。
あの時は、ソロとしてのお披露目は近いのだと、勝手に思っていたのだっけ。
もう二年も経ってしまったよ。
あとどの位待てば良いのだろうね。
メンバーが休止期間を終えて「新生イエローモンキー」として繰り出してくる
最高の自信作をしっかり受け止められるよう、アンテナを磨いて置かなくちゃって
誓ったのに、今の自分はどうだろう?
「メンバーに取り残されるのは嫌、自分も歩いて行こう」と誓ったのに、
私はあれからどの位、歩く事が出来ただろうか。
二年という時間で私は、少しは前に進めた?
もしかしたら、あの日のままなのではないだろうか。
虹なんて見えない。






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