他の人にとって「身内」というのは信用できるものなのであろうか。 私にとっては身内ほど信用できないものはない。
何故こうなってしまったのであろう。 問うまでもない。 幾つかの積み重ねでこうなったのである。
以前、こんな風に言われたことがある。 「お前は愛されたことがないから、『愛』が分からないのだ」
確かにそうなのであろうが、にしても随分な言われようではないだろうか。 私は恐らく一生この言葉を忘れないであろう。 そして恐らく一生、愛がどのようなものなのか 分からないままなのであろう。
けれど誰にも愛を感じないかというと、そうでもないらしい。 先日来の彼。 十年ぶりの彼とも言う。 「ぽっかり」とした空白は今やどうでも良くなってしまっている。 残念なことに、再来年までの彼とも言う。
この秋以降、私は幾度か泊りがけで西へ行く可能性が出てきている。 一度につき一週間ほど東京を留守にすることになる。
夜半、彼と「近くにいない」という距離感の話になった。
まったく連絡が取れなくなる地へ行くわけでもあるまいし、 そもそも十年も音沙汰なしだったのに何を今更、と思ったのだが、 先週末、彼が帰省することになって自分の中の何かがざわついた。
なるほど。 であれば。
予行練習をしよう。 再来年の春、彼と別れる予行練習をしよう。 彼が東京を離れるたび、繰り返し繰り返し。
何度も繰り返したら辛い思いに耐えられるようになるであろうか。 今のうちにたくさん涙を流しておいたら、 再来年の春に流す涙は少なくて済むであろうか。
愛がどんなものかは分からない。 別れがどんなものかは分かっている。
繰り返し繰り返し。 予行練習をしておこう。
連休を利用して、友達に会いに行った。 遠出をするのは何年ぶりであろう。
花火があるから観においで、と呼ばれて西へ向かう。 下北沢を出て熱海へ。
久しぶりに海を見た。
車で山道に入ると、今度はすぐそこから、 まるで飛び込めそうに真っ白な霧の海に包まれた。 思わず溜息が出る。 眺めが悪いなどと何故思うのだろう。
車に揺られながら、窓の外のものをひたすら受け入れていた。 何も考えなくて良い。 ただ運ばれて行けば良い。
山道を下って再びの海。 集まった皆で晩御飯の買い出し。 「明日の朝食は焼うどん」に反旗を翻し、クロワッサンを買う。
後、温泉へ。 私には他人と一緒にお風呂に入るという習慣が、あまりない。 「銭湯は行ったことがない」と話したら驚かれた。 せいぜい修学旅行くらいのものであろうか。 もう忘れた。
温泉を出てお料理を突きつつ、花火を眺めつつ。
下らない話のあれこれ。 普段できないような話のあれこれ。 花火のように上がっては消え、上がっては消え。 見た者だけが共有できる。
スマホで写真を撮ろうとしたが、どれも上手くは行かなかった。 いま目に映るものが美しい。
過日。
彼の人に別れを告げた。 15年にも亘り、私を支えてくれていた人である。
最初に会ったのは15年前、 雨の降りそうな蒸し暑い日であった。 あの日、私は彼の人に謝りに行ったのだ。
何を謝りに行ったのであろうか。 こうして少しずつ忘れていくのであろうか。 忘れられるのであろうか。
不思議な関係であった。 不思議な距離感であった。 父のようでもあり、飼い主のようでもあり。
彼の人は私のコントローラーであった。
直接会うことはとても少なかったけれど、 かけられた言葉はどれも大事なものだった。 もちろん、くだらない話もたくさんしたのだけれど。
叱られたことが山ほど。 褒められたことが幾度か。
また違う過日。
昔の人と10年ぶりに顔を合わせた。 もう顔を合わせることなどないと思っていたのに。 もう会うまいと思っていたのに。 自分の中ではきちんと整理がついたはずだったのに。 少しずつ忘れて日常を送っていたのに。
忘れてなどいなかったし、整理などついていなかった。 ただ、苦しいものに必死で蓋をして 見ないようにしていただけであった。
蓋を外したら中身が零れるのは当たり前である。
彼の人に言われていた。 「お前の誕生日を一緒に過ごしてくれるような男が相手なら、 俺は別れてやる」と。
15年を思い返しながら、彼の人に「別れて欲しい」とメールした。
けれど、昔のその人が東京にいるのは再来年の春までである。 再来年の春、また私の前からいなくなってしまう。
そう告げたら最後にまた一つ、彼の人から叱られた。 分かっているのに何故だ、と思うのだろう。
分かっている。 分かっているのだ。 言うことを聞かないことなど。
自分が何を選択して、何処へ向かっているのかも分かっているのだ。 それでも言うことを聞かないのだ。
再来年の春までだと分かっているからなのだろうか。 10年前の繰り返しだと分かっているのに。
彼の人へ。 15年間の感謝と、再来年の春までの反省を込めて。
再来年の春までの彼へ。 私の中のありったけの愛を込めて。
そして私自身へ。 再来年の春からの悲しみを込めて。
恋は楽しいばかりでは終わらない。 雨は必ず空から降ってくる。
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