ちょうちょうの気持ち
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めっきり涼しくなりました。
今年もエアコンなしでひと夏なんとか乗り切りましたが 夕方のリビングはおそらく40℃を超えていたと思われ。 休日、人口が多いとハッキリ言って怠惰になるしかないというか 子供達がごろごろしていても叱れません。 子供と扇風機を奪い合って(うたた寝すると盗まれるw) ひたすら暑さに耐えていました。 職場に行けばエアコンが効いているから私は良いけど 子供達は偉いなぁ〜〜〜!? 昼間にピアノの練習なんて絶対ムリ(>_<) 来年もコンクールに出ると子供がぬかしたら 絶対・絶対・ピアノ部屋にはエアコンを設置します。
そんな夏もいつのまにか。 夏休みも残すところあと僅か。 そして宿題は残る。 去年先生にひどく叱られてプチ登校拒否した息子
「宿題をやらない(で先生に叱られる)のは夏の風物詩」
などとわけのわからないことを言っています。 わたしはイヤです、叱られるの。 でも、12才にもなる子の宿題の面倒まで見てられません、 わたしだって短歌の〆切とかあるんだよん。
毎日暑いけど、やっぱり盛りを過ぎたという感じがします。 夜が過ごしやすいのかな。 やっぱり「立秋」というのはそれなりに根拠があるもの なんですかねぇ。 友人のブログの受け売りですが、今住んでいる街では 花火大会が夏の境目らしいです。 花火大会の終わりが、「夏の終わり」の始まりなんだって。 なんか詩的な表現だよね。
で、わたくしですが、なんか疲れが取れなくて 仕事以外では(だと思う、あくまで)だらだらしてしまっています。 海にも行く気がしません。 これはけっこう重症でしょう!?
祖母の本棚の上の仏さまコーナーに父の小さな遺影も置いて 線香とかあげながら、父が亡くなった時の自分の反応というか、 危篤と聞いてなにがなんでも飛んで行きたい!!! と思わなかったことについてつらつら考えたりもしています。 そのときは羽田まで行く方法がないと思ったけど考えてみたら 車で行けば良かったんだよねぇ。もしかしたら最終の飛行機に 乗れたかも???(11時過ぎなんてないか、いくらなんでも) 宿直勤務だったから、それはそれで大変なんだけど。
まあ、それだけのことをして来た人ではあるけれど どうお金を工面するか、とか 最初は家族で行くつもりだったので動物たちをどうするか、とか 息子のコンクール2次が惜しい、とか そんなことを悶々と思い巡らせてて 父との思い出に涙することもなかったことが ちょっとごめんなさいというかなんというかで。 でも、思い出に涙するとしたら、悔し泣きか???ってなくらい さる事件のあと両親の離婚に至るまでとその後数年のドタバタとか 中川町で同居した数年と出て行く前後とその後のドタバタは 頭に来ることもりだくさんではありました。
こっちに越してくる直前にも父はタイミングよく入院して 引越しの途中で見舞いに寄ったのですが そのときもちょっとだけ「最期かな」と思ったのですが その後また少し元気になって1年くらいは弟の遠隔操作のもと 1人暮しも続けられたくらいだから、今回も・・・・と 思いたかったけれどなぜだかそう思えなかった。
なんだかねぇ、感謝の気持ちがあったとしてもそれを 踏みにじるようなことを平気でやってのけちゃうような男が あっけなくいなくなって、たまにどうしているかなぁ、と 思い出すのがあの世でどうしているかなぁ、に変わっただけ なんですけどね、それでも血的に近い人間が亡くなると それなりに喪失感ってあるのかねぇと そんなこと思ったりしています。
5日の夜は泊まり勤務だったのですが夜8時過ぎに弟から
「父が急変した」
と連絡を受け、それから2時間も経たないうちに 亡くなったと知らされました。 夜にじたばたしてもどうしようもないので 朝まで勤務しましたが、早番の上司に話すと 引継ぎもそこそこに帰らせて下さいました。 本当は6日は職場の行事で、わたしも午後からまた 出勤するはずだったのですがお休みさせていただき 急いで飛行機の手配をして、手当たり次第に荷物を 詰め込み、買い物をして羽田行きのバスに乗り込みました。
本当は娘を連れて行くつもりだったけど結局キャンセル。 連れて行っていたらわたしは道中の気が紛れて良かったんだけどねぇ。 息子は翌日にコンクールを控えていたし 父ちゃんは翌々日からどうしても落とせない大切な講習が始まるし、 犬も猫もウサギも、そしてスズムシの幼虫もいるし。 結局のところ母の助言もあって単身で行ったのでした。
父の葬儀は近親者だけの静かな式でしたが、親戚が香典を 相当額包んで下さったらしく(らしく、てのは私一応長女だが まったくタッチさせて貰ってないので)手出しナシで済みました。 覚悟しといてくれって言われていたんだけどね。 ここ数年はずっと札幌に居て弟が気にかけていてくれたので 私は安心していられましたが、そのことを親戚が褒めたたえると 母が気を遣って札幌に出て行く前の何年かを同居したり、 出て行ったけど借金でめろめろになったところを迎えに行ったり していた私たち夫婦のことも言うのがおかしくかったです。 どんな親でも親は親だから。 それにしても、あんなに周りの人にイヤな思いをさせたり 多大な迷惑をかけつつ落ちるところまで落ちることもなく なんとな〜くそこそこ平和に生きてきて、最期はちょっとボケて 良いじいさんになってあっというまに死んじゃって、 彼のしてきた所業の割にはまあシアワセな人生だったのではないかと。 この先、これ以上の負担を弟にかける心配もなくなりました。
来週には早くも納骨されるのですが、わたしは行けないので 遠くからお祈りすることにします。
2008年08月03日(日) |
コンクール・シーズン |
YAMAHAの教室主催のリトルピアニストコンサートが ありました。 経費節約のためか、今年から本選のみ、しかも1日で やっちゃうことに。そして審査員にあのとってもステキな シンジコスギもいらっさらず・・・・(´Д`) もう、来年からエントリーすんのやめようかなっって 感じですヽ(*`Д´)ノ
きっとするけど。
娘が昨年の最優秀賞受賞者だったのでことしはゲスト。 ゲスト演奏の曲が、本人気に入らなかったらしく 練習にどうしてもどうしてもどうしても身が入らず こりゃマズイかもっって思ったときにはもう新曲に変える 時間もなくてなんとかモチベーションをあげることに 必死で、結局ギリギリになってそれらしい演奏にはなったけど 仕上がるまでいかず、本番はかなりスットコドッコイでした(>_<) 音楽性とかずいぶんイイ感じになりつつあったのに残念。 しかし、本人はまったく気にも留めていません。 同じくゲストとして招かれた音大生のお姉さんにも 「良い性格してるよ〜〜〜」 と感心されて?いました。
娘、いつものように音大生のお姉さんともすっかりフレンドリーに なっちゃって、○りちゃん♪なんて呼んじゃってました。 お姉さんの先生には 「大人ね〜〜」 なんて言われてその気になって。 娘の先生が聞いたらきっと倒れてしまうでしょうww
娘の練習に付き合ったりなんだりであんまり聴くことが出来なかった けど、相変わらずコンクール(一応)とは思えぬ服装&演奏あり 演奏曲では 「インパクトがあって簡単だけど上手そうに聞こえる曲」 ってのが今年もあり、まあそこそこ弾ききったけどスキル的に どのように評価されるのか・・・みたいな感じで、そこは審査結果が 楽しみでした。
息子はこの時期にだけ会える隣り町の同学年の少年とほのぼのと 旧交を暖めており、なんか微笑ましかったです。 こっちに来たばかりの年のちばコンから一緒の男の子で、今は 教室は違うけど先生が同じです。 息子はカバレフスキーのソナチネ3楽章を、その子はショパンの ノクターンを弾いて仲良く優秀賞をいただきました。 ゲストのお姉さんの先生に 「お兄ちゃん最優秀かもよ!?」 と言われましたが、アイツ1小節スキップしたのです(>_<)
とりあえず娘の夏ピアノシーズンはこれでおしまい。 長きに渡って、先生には心労をおかけしたけど、結局100% それに報いることが出来ませんでした・・・・・゚・(ノД`)・゚・
息子は演奏中の腹痛にもめげずなんとか弾ききってちばコンの 1次予選を通過したので、今週2次予選に臨みます。 審査員の先生からのアドヴァイスが練習に活かされているか どうかが肝心ですが。
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