ちょうちょうの気持ち
DiaryINDEXpastwill


2003年07月31日(木) おねしょ

最近になって突然、はながおねしょをするようになった。
遊んでいておしっこを洩らすこともたびたびある。
今までぜーーんぜん、失敗なんてなかったのに。
なんかそういう時期なのかなぁ〜とか草太に似てきたのかなぁー
と楽観していたのだけど、そうやらその原因らしきことが判明した。
保育所でいやがらせをされていたのだ。
ごはんやおやつのときに年長の子から「はなちゃん、キモチワルイから
あっちへいってーーー!!!」と椅子を押されたり蹴られたりしたり
うしくさいとかきもちわるいとか、幼稚園ヘ行けとか言われていたらし
いのだ。
キモチワルイってなにそれ???
はなちゃんがくさいってなに???
冗談じゃない。
私のほうがショックだよ。
もう保育所なんかやめて幼稚園に行こうかな〜と思っても、いずれまた
一緒になるし、幼稚園に意地悪する子がいないとは限らないし。
はなは「小学校に入るまで保育所はやめなーーい!」と言うけど、めぐも
いじわるばかりされてしょっちゅう自家中毒で一晩中げろげろ吐いていても
「保育所はやめない」と言っていたんだよね。めぐはみんなから「ものしり
だーー」と一目おかれることで乗り越えたけど、はなも自分で乗り越え
ていくしかないのかなぁ。先生がいけないって言ったからって急に変わる
わけないもんねぇ。

それにしても坊主にくけりゃ・・・じゃないけどさ、はなを苛めている子も
その親にも、今までと同じに接することなんてできないわ〜〜〜

大人気ない?  当然でしょ?




2003年07月22日(火) うたう☆くらぶ賞

短歌研究8月号が届いた。
今月号の分も双方向なし・・・で、凹んでいたんだけど
ふ、ふ、ふ。
大好きなばあちゃんネタでございます。


小島ゆかりせんせいありがとうございます。





↑エンピツ投票ボタン・たんか入り

今日もウシは元気♪
↑マイエンピツついかボタン


2003年07月21日(月) 帰りたい

もう1週間以上前になるんだけれど、2週間近く寝たきりだった牛を
死なせた。
2度目の安楽死。
(安楽死って、実はとっても安楽じゃないらしい。)
ケト−ジスの治療をしたら腰が抜けて、それきり立てなかったのだ。
気の強い、かなーーり憎たらしい牛で、私も何度も痛い目に遭っている
んだけど、それだけに持ち前の気の強さで元気になるだろうと思って
いたんだけどな。
獣医さんから何度も外に出すように言われたんだけど、動けない牛を
出しておいたら鴉に襲われそうで、中で様子を見ていたんだけど、
とうとう大きなそりに乗せてトラクターで引っ張って外に出した。
(その日私は歌会で留守。なにも留守のときにやらなくってもいいじゃ
ないかと思うんだけどねぇー)
しょぼしょぼと雨の降る中寝転んでいたけど、やはりというか、
急激に弱ってしまい、頭を上げることも出来なくなってしまった。
2週間以上寝たきりでも自分で寝返りは打っていたんだけど、となりに
寄りかかれる牛も居ないような外ではなすすべもなかったようで。

それでももがきもがきずっていくのだ。


牛舎に帰りたかったんだな。


2003年07月19日(土) 牛の考え

牛舎では、うしさんたちはウォーターカップというものから水を飲んでいる。
2頭の間に配置されていてときにケンカしたりしつつも仲良くシェアして
いるのだ。その水をときどきジャージャーこぼすので餌槽の草が濡れて、
食べ残しても敷き藁にもならないし困ったものなんだけど、ちょっとわかった
ことがある。
牛が水をこぼすのは飲みはじめのときだけなのだ。
あとはレバーを押しながらぐびぐび飲んでいる。
どうやら、カップに入っていたぬるい水を捨てて、新しいのを飲んでいるよう
なのだ。
いやん、おりこう〜(≧∇≦)/
ただのこまりもんと思っていたことに実は牛なりの考えがあったということが
わかり、ちょっと感動してしまいましたともさ。

わたしの熟成準備中のゴーダチーズが襲われた。
開かずの間に安置してあったのに、めぐはなが見に行ってドアを半開きにして
おいたらしい。(>_<)
上のほう、一部削ったんだけど大丈夫かなぁーー。


さてよるは、町でヨサコイの北北海道大会が催され、オットも開会式でラッパの
演奏をすることになってるので早めに搾乳をした。
いっつもこれくらいに始めて7時には終わっていたらなぁーーと思うけど、
そいしたら午後の殆どの時間を牛舎の作業にとられることになり、外仕事なんて
する暇がなくなってしまう。それはそれで困るんだよねーー。でも、あんまり
夜遅いのもちょっとね。悩むトコロではあるんだけどさ。


2003年07月18日(金) 天気とやる気

久々に晴れ。
夏らしい1日になった。

やっぱり晴れていると身体の中からやる気っていうか、こうですね、
元気がわいてくるというか、わけもなくハイであるというか、
たとえば電牧の下草刈りなんて涼しい日にやったほうが良さそうな
ものなんだけど、今日みたいな日に汗をかきかきやるのがいいのだ。
というわけで、肥料を撒いたり草を刈ったりと今日はファーマーな
1日を過ごしてしまいましたとさ。


2003年07月16日(水) ゴーダチーズ

豊富のチーズ工房に、普及所主催の講習でゴーダチーズの作り方を
習いに行って来た。
モッツァレラとはまた違う作り方なんだけど、機械がよく働くので
とっても簡単そうに工程が進んでゆく。
小さな型を借りて1kgくらいづつのチーズを作り、各自家で熟成
させることになった。とりあえず今日は重石をしたまま玄関。
明日からは物置兼ゲストルームで表面が乾くまでお過ごしいただく
ことになる。


2003年07月15日(火) よいん

まだちょっとぼけているみたいです。
しかし新しい歌はできません。


今日は寒かった。
寒いのにトラクターで肥料撒きをして、しかもレバーを下げずに
回っていたという・・・・あーーあ。
しかしほんとに寒いんだよ。
昨夜なんかストーブ焚いちゃったけど、7月中旬だよん。

そういえば来月岡井隆さんが北見に来るらしい。

いきたーーい。

いきたいよーーーん。

だれかーー。



2003年07月13日(日) 短歌の大会ですよん

帯広で辛夷の大会がありまして、友人と一緒に車でとことこと
出掛けて行きました。
前の日に出て来て、上士幌の大地の学校と言う農村留学の子ども
たちをを受け入れているおうちに泊めていただきました。
同行の友人のお友達なんだって。
いつかテレビで見たので、留学中の子に聞いてみたら、一昨年の
子達だったそうです。

さて、短歌の大会とはなにをするかといいますと、歌会なんですよん。
年に一度の結社の大会ですから、そりゃもうすごかったですとも。
お名前だけしか知らなかった方々が目の前に座っているし。
時田先生と大塚先生とダブルで話しているし。
すごいひとたちのとっておきの短歌がすらっと並んでいるし。
いやーー、すごい豪華。
朝から夕方までずっと歌会なんてだれるかも・・・と心配していた
けれど、全然大丈夫でした。

詠草を出すときには、もちろん、とっておきのいいのだわっ!と思って
出すのだけれど、だんだん自信がなくなってくるもので。
しかもすごい歌の中に入っているとますますしぼんでゆくもので。
でも、大好きな人が褒めてくれたので嬉しかったでございます。

帰り道も大会の余韻でハイになっていて、眠くもならず快調に飛ばし
さくさくっと5時間足らずで帰ってきました。
こういうのを命の洗濯というんでしょうかね。





↑エンピツ投票ボタン・たんか入り

今日もウシは元気♪
↑マイエンピツついかボタン


2003年07月09日(水) 赤いでんき


遅い夕方に祖母に連れられてい歩いた道に、赤くて丸いでんきがついている
建物があった。
消防の分署なんだか、とにかく正体不明なんだけど。
人気のないくらい建物で、丸くて赤いでんきがやけに寂しげで。

祖母の家からはわりと近くだったけど買いものみたいにいつも通る道ではなくて、
たぶんお寺でのお茶会の帰りとか、にとおる道だったと思う。


ある夜その建物の夢を見た。

母とその建物に入ると、そこは銭湯の脱衣場のような広いところで、人が
沢山居た。たくさんの大人に話し掛けられたような気がするが、もう覚えて
はいない。でも、暗めの蛍光灯のような光の中の沢山の人たちを、なんとなく
覚えているような気がする。



小学校1年生のとき、クラスにホカリミヨコさんという子が居た。
ちょっと独特な雰囲気の子だったけど私はなんとなく好きだった。
不思議だったから?かも。
ある日、その子と一緒に祖母の家に行ったことがある。
その日はお茶のお稽古で、終わるまで待っていてね、と祖母が彼女を居間に
残して私をつれてお稽古を始めた。お稽古が終わって居間に戻ったら、
彼女は帰ってしまっていた。
そして祖母が「もう、お友達は連れてこないでね」と言った。


その子はほどなく転校してしまったけど、私は彼女の家が、その赤いでんきの
灯った家のような気がしてしかたなかった。


  いまでもなんとなく。


ひと |MAILHomePage

My追加