山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2004年01月31日(土) 吐き気

今日は朝から吐き気と眠気で気分が悪い。吐き気止めの注射をしてもらう。

いとこの有泉智子さんが息子と一緒に来てくれる。

同級生の岩舘幹悦氏が来てくれる。彼とは小学校へあがるちょっと前に、自転車のパンクを直しに行って知り合った。彼の自宅は自転車やさんだった。そして頻繁に通って遊ぶようになった。最初は「かんいち」くんだと思っていたが、ある日お母さんから「かんえつ」くんだと教えられた。小学校へいったら同じクラスにあったらいいねと話していたが、ついに中学校の3年まで同級生になることはなかった。

夕食前に書道クラブの佐藤先生が寄ってくださる。今日は例会日なので、私の様子を見て報告するとのことだった。


2004年01月30日(金) ドーナツ

娘が安売りをしていたというドーナツを買ってきてくれた。


2004年01月29日(木) 来てくれた人

駅西区画整理事業所の中川原所長が同級生の佐々木隆二氏と見舞ってくださった。

政策推進室の小笠原・大嶋のコンビが来てくれた。


2004年01月28日(水) お風呂

今日はお風呂の日であった。
ストレッチャーに載ったまま看護婦に洗ってもらった。

リハビリでは車椅子に移る練習をしたが、腰のほか胸の『骨髄穿刺』のあとが痛い。これはおおきなもんだいである。


2004年01月27日(火) 京子オリジナル第2弾

午後から病室のワックスがけのため、2時間ほど別室に入れられた。
今日のリハビリではコルセットをつけてベットサイドに起き上がってみた。久しぶりにおきてみた。腰は痛まなかった。

畑中京子さんがきてくださった。八戸に戻ってきたと聴いて、また食べさせたくなったらしい。絶品の京子オリジナルを持ってきてくれた。

切り込み(塩辛)
もつ煮込み
アカハタ餅
餃子

今日はわざわざ休暇をとって準備をしてくれたそうだ。どれも最高のあじであった。お祭りのときと同じ気分を味わった。


2004年01月26日(月) 部屋がかわる

入院して早々であるが、578号室から579号室に移った。
せっかく慣れてきたのに、また新しい環境になじまなくてはいけない。これがけっこう大変なのである。部屋も違えば周りの患者さんも違うのだから。


2004年01月25日(日) 新聞

朝、妻と看護婦さんとでシャンプーをしてもらった。

従兄弟の山村誠が寄ってくれた。

新聞は久しぶりにデーリー東北を読んでいる。八戸に帰ってきたと実感する。毎朝妻が売店から買ってきてくれる。日経は売店においていないので、自宅で定期購読し、それを毎朝妻が持ってきてくれる。新聞読むだけでもけっこう疲れるぞ。


2004年01月24日(土) こちらの看護婦さん

道路維持課の赤石和夫夫妻が見舞ってくれた。ご家族で入院されている方があるそうだ。
従姉弟の和田洋子(ひろこ)夫妻が来てくれた。八戸に戻ってくるのを待っていたそうだ。
妻の親友、山田智子さんが来てくれた。
義兄が来てくれた。

ここの看護婦、ちょっと態度が悪い。(一人だけかも)
寝たきりだからいろいろと看護婦にお世話になっているわけだが、今日なんか
「山村さん、痛みが取れてきたらトイレも自分で行くようにしてくださいね。夜の寝返りも自分でやってください。こっちでは看護婦がやりませんから。」
ときたもんだ。それができたら寝込んだりするものか。トイレの始末もしてはくれたがちょいといい加減だった。
岩手医大付属とは大違い、雲泥の差だ。そういう意味では医大の看護婦のほうが教育されていた。


2004年01月20日(火) 八戸帰還

八戸の日赤に移りました。
578号室です。

腰痛のため日記が書けません。


2004年01月09日(金) はちのへの日赤へ

20日に八戸の日赤へ転院することになった。


2004年01月04日(日) 娘寄る

有泉氏と伊藤タキ氏が来てくれる。掲示板で餅を食っていないというやり取りをしたものだから、餅を持ってきてくださった。それと煮しめと。いとこ親戚というのはありがたいものである。

お昼には、東京へ戻る途中の下の娘が立ち寄る。この子はあいかわらず独特のファッションセンスをしている。話題もエキゾチックで楽しい。


2004年01月03日(土) イラン地震への援助

イランの地震で政府が早速救援物資を送ったというニュースが報道されていた。ところがこの救援物資はすぐには被災地には送られないのだそうだ。なぜか?それは同様の物資がイランの倉庫に余っているからだ。それどころか、わが国が数年前に送った物資まで未だにその倉庫に積み上げられていた。こんな無駄があっていいのだろうか。


とかくODAのあり方などが問われている昨今だが、このような政府の援助は特に形だけにならないようにしてもらいたいものだ。

「わが国が送った数人の医療チームが初日早速医療活動を開始し、十数人を診察した」んだそうだ。ドイツなどヨーロッパの医療チームはもっと早い段階から現地入りして活動を開始し、実績を上げている。わが国もこのような実効ある救援活動をしなければいつまでたっても国際社会から「人的貢献」をしているとは認めてもらいねいのではないか。「人」や「物」は送ってはいても「役」にはたっていないのだから。

と、ここまで書いていたら別のニュースも入ってきた。
現地の受け入れ態勢が整わないため、救援物資の配給やテントへの入居が進まないといういうものである。政府の援助よりも先にNGOのグループが一足早く現地入りして救援活動を開始しようとしていたが、入居する人の登録がうまくいかないため滞っているとか。

外では数万人の被災者が苦しんでいるのだからはやくしてあげないといけないのに。


2004年01月02日(金) やっと起き上がる

昨日まで5日間また寝込んでしまった。腰の調子が悪くなったのだ。痛いときには安静に限るということで、ベッドに横になったまま過ごした。テレビを観るか、新聞を読むか、本を読むか。結局本も新聞もほとんど読めなかった。テレビ三昧の日々であった。この間、痛み止めの薬を増やしたり、その痛み止めの薬による便秘の対策に苦慮したり、大変である。

その結果、日記や掲示板のの更新ができなかった。Cindyさんからの質問などリアルタイムの書き込みもあったのに直ぐにレスができなかったのが残念である。日記はヒマを見て遡って書いておくことにする。

午前中に点滴が済んだ後、看護婦さんが見守る中、そっと起き上がってみた。なんとか立てそうだ。車椅子に移った。ここまでくればこっちのものである。

いつもなら箱根駅伝に夢中になっているころだ。テレビをつけてみると駒澤大学がトップだ。娘の通う拓殖大学の名前がない。さては予選落ちか。興味半減。


2004年01月01日(木) 謹賀新年

看護婦さんが次々と訪れ
「今年もよろしくお願いします。」
今年のCチームの日勤は金さんと元田さんの美人コンビだ。
(ちなみに夜勤は上小林さんだった。)

とても穏やかなお正月である。盛岡のお正月は、普通は雪が降っているか風が吹いているかなのだそうである。

午前中は実業団駅伝をやっていたようだがそれを見ずに、BS1で「地球ウォーカー」を連続で見る。再放送のオムニバスだから以前見たものもあったが、それはそれで、はじめてのは初めてで、海外の食事情がわかっておもしろかった。

午後もBS1を見ていたら、長嶋と松井の対談をやっていた。これも以前見たやつだ。長嶋のトークにはかなり飽きているし、松井も最近食傷気味だ。NHK総合で天皇杯サッカーを見る。ジュビロが1−0で勝利。


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